情報化の中のジャーナリズム

 論壇誌を古くから通読したり、TVの時評番組を多めに時間を遡って通覧してみれば呆れるほど明らかに理解できるが、そこで「現在」は常に大いなる変革期として位置づけられている。それは、たまに、ではない。常に、だ。
 確かに進行中の変化をいち早く見出して指摘し、注目を喚起したり、警鐘を鳴らすのでなければ、敢えて「現在」について何かをマスメディア上で語る価値はない。
 しかし、現実には大きな変化が認められてから雑誌が創刊されたり、番組が新たに立ち上げられたりするのはよほどのことである。たいていはそれ以前から月刊誌なら毎月発行されているし、TV番組なら毎週なり、毎日なり、定期的に放送され続けているわけだから、報告がなされるスペースはそれぞれのメディア上にあらかじめ用意されている。そこに疑惑が生じる余地がある。果たしてそこで指摘されている変化は本物なのか。用意されたスペースを埋めるために変化が「見立て」られているのではないかとも思うのだ。

 実際、雑誌記事で大々的に警鐘を鳴らされていた変化が、後になって読み返すと、なんということのない、時流の正常進化でしかなかった場合も少なくない。このように変化があるわけではないのに、そこにさも大きな変化があるように報じられている可能性を、この稿が書かれている2004年末現在や、高度情報化時代と呼ばれる「現在」についても疑ってかかることは無駄ではないだろう。
 ここでは、そうした懐疑的なまなざしでジャーナリズムの「現在」について省みる。ジャーナリズムの世界には今、デジタル化の洗礼を受けて、変化を遂げつつあるとよく言われる。確かに日本でも95年3月に朝日新聞社出版局がWEBサイト「OpenDoors」を開設。その年のうちに「YomiuriOnline」、毎日新聞社の「Jam Jam(後にMainichi Interactiveに改名)」、そして出版局ではなく、朝日新聞社本体が運営する「Asahi.com」と大手三紙のWEBサービスが出揃う。99年までには日本新聞協会加盟の新聞通信社の全てがWEBによるニュース提供を始めている(本郷美則『新聞があぶない』文藝春秋 2000:86)。
 こうした動きと平行してTV局も自前WEBを持つようになっており、外見的には確かにデジタル技術の導入以後ジャーナリズムは大きく変化している。しかし内容はどうか。たとえばWEB発信が可能になって、新聞社もニュースを随時速報できる体制が作られた。だが、新聞社のWEBで速報されるのは、地震や大事故など他報道機関も報道できるニュースに限られがちだ。独自に取材を重ねて掌握した情報、いわゆるスクープは無料で閲覧できるWEBで発信されることは少ない(WEB公開されるのは、既に既報となったあとであることが多い)。なぜか。身も蓋もない話だが、それは今なお新聞社の収入の殆どが従来の紙によって頒布される新聞の売り上げとその広告収入に依っているからだ。WEBにもスクープが載るとなると、そちらに流れて紙の新聞の購読者数が減ってしまうのではないか。そんな恐怖に新聞社経営陣は苛まれている。
 もちろん新しいWEB新聞に掲載される広告の収入を当てにすることも出来ないわけではないが、まだその市場は十分に育っていないし、将来的にどの程度広告メディアとしてジャーナリズム系WEBが評価されるかは定かではない。というのも、広告に関して言えば新聞掲載の広告を見ずにも企業のWEBで新製品情報は得られてしまうようになったからだ。
 こうして新聞メディアが求心力を弱めつつある状況の中でせめて新聞社の側でコントロールできる独自スクープでその魅力を確保し、購読料収入を確かに得たいという考えは掲載サイドに根強い。同じ構図は視聴料収入や番組課金で運営されているテレビ局にも妥当するし、広告収入によって経営されている民間放送といえども、広告料と視聴率は相関するのでやはり魅力的なコンテンツの分散を避けたい事情に変わりはない。
 こうして専ら経済的な理由によって、既にエスタブリッシュされたマスメディアは新しく手に入れたWEBメディアをフルに活用できないーー。そんな足踏み状況を尻目に非エスタブリッシュ系WEBメディアが攻勢に出る。たとえば96年に開設された「あやしいわーるど」、そして97年に作られた「あめぞう」、そして有名な2ちゃんねる・・・・。日本で大きく成長を遂げたこうした匿名掲示板は、そう評価する人は少ないが、新しいジャーナリズム誕生の可能性を潜ませたものだった。というのも、それまでのマスメディア・ジャーナリズムでは、事件発生後にメディア機関に所属するプロのジャーナリストが現地入りして取材を行う。その意味で取材はあくまでも後追いの「事後的」作業であり、事件が起こる以前に記者は事件関係者と面識を得ていない「非当事者」である。「当事者」の談話が紹介されることも多いが、それはあくあでも「非当事者」の記者を経由して、だ。
 それに対して掲示板サイトの書き込みは異なる。事件発生を直接目撃した人やごく身近な人がそこに直接書き込むケースが多い。たとえば伊丹十三が投身自殺を遂げた時、まだマスメディアで報じられる前にその現場写真が掲示板に投稿されたことがあった。ドラッジレポートのスクープは、あくまでもプロの記者の仕事が流れたものだったが、掲示板サイトではプロではない書き手が独自取材で現場報告をするのだ。
 そしてそうした現場報告を助けたのが匿名性だった。日本のマスメディアジャーナリズムの中にも『噂の真相』のように匿名の告発情報の提供を受け入れるものもあったが、電子掲示板の場合、より手軽だし、編集者の手を経ることなしに投稿可能なので投稿者の匿名性がより強固に守れる。特に2ちゃんねるはIPアドレスの取得すらしないことを謳ってスタートを切っており、素性が知られる不安から断ち切られて、本名ではとても知らすことの出来ないアンダーグラウンド情報の書き込みがそこに集まり出す。
 もしも、こうした特性を掲示板サイトが極めて成長していったら、確かに「デジタル技術の洗礼」は新しい変化の彩りをジャーナリズム史に添えていただろう。しかし、そうした展開には至らなかった。「2ちゃんねる」にはもちろん今なお「現場報告」も「当事者報告」も書き込まれ続けているが、それはジャーナリスティックなスクープとしてではない。東京大学情報学環助教授・北田暁大はこう書いている。「2chにおいては内輪性を再生産するコミュニケーションーー内輪の空気を乱さずに他社との関係を継続することーーを続けて行くことが至上命題になって」いる(「嗤う日本のナショナリズム」『世界』2003年11月号)。
 内輪での繋がりが優先されるのが2chでの書き込みの特徴。そこため情報は内輪で盛り上がれるための「ネタ」かどうかの基準で選ばれがち。つまり事実かどうかよりも、内輪で「嗤える」かどうかが重要であると北田は書く。嗤い、盛り上がる。それを2ちゃんねるユーザーたちは「祭り」と形容する。
 しかし、自分が何者か名乗らずに済むことは書き込みへの心理的抵抗感を減らすが、一方でそうした匿名書き込みで盛り上がるのは実はそう簡単ではない。共通する足場がないと会話は成立しないのだ。柴内康文はこう書いている。「現在、<ネット世論>の担い手と想定できるものは、まさに個人を個人と識別することの難しい<名無しさん>による匿名掲示板であることは否定できない。匿名掲示板が<討議>よりも<参加>の場であるということは、これが<掲示板>であって、これまでのように<会議室>と呼ばれることがあまりにもないことからも示されているかもしれない。そこでは継続的で深い議論をしようにも、相手は数少ない固定ハンドルを除けば特定の巨大な<名無しさん>であり、慣習として投稿番号をもちいた一時的な<ハンドル名>による<議論>は行われているが、基本的にはむしろ<掲示>によって自らも参加する場であるといった意味合いの方が実情に近いように思われる(私論と輿論の変換装置ーーネット世論の行方」『戦後世論のメディア社会学』柏書房2003:258)」
 だが、参加者はそれでも祭りで盛り上がりたい。そこで選ばれたのが共通の「敵」を設定する方法だった。匿名掲示板で誹謗中傷やバッシングが横行するのは、よく説明されるように匿名ゆえに発言者の秘めたる暴力性が発揮されるということだけではない。共通の敵を設定しなければコミュニケーションが盛り上がらない事情もあるのだ。
 こうして攻撃する「相手」が決まる。だが、それだけではまだ足りない。やはり攻撃する側もそれなりに自分の立ち位置を決めておかないと書き込みがリアリティを持たない。それでも匿名性は放棄したくないーー。そんな都合の良い条件の下で選ばれた方法が「われわれ無名な一般日本人庶民」という立場を取るというものだった。この集合的アイデンティティの優れたところは、誰でもそうと名乗れるし、そうと名乗っても個々人の主義や立場を詮索されるおそれがないことだった。それは匿名空間で、自分の立場を明確化せずに敵をバッシングして盛り上がる上で極めて好都合な集合的アイデンティティだったのだ。
 こうした盛り上がりのために要請されたアイデンティティが、時に強烈な拝外主義に帰結する。たとえば「無名の日本人庶民」は、とりあえず差異が明白な日本人以外を糾弾しようとする。それが2ちゃんねるで中国人差別、韓国朝鮮人差別が激烈を極める理由である。そして「日本人以外」だけでない。「無名の日本人庶民」は、自分と同じく無名な日本人が突如脚光を浴びて「無名でなくなる」と攻撃対象とする。その一例が2ちゃんねるの初期の成長のきっかけになった東芝クレーマー事件の告発者Akkyへの中傷だった。購入した東芝製品の不良を訴えようとして同社に連絡を取ると、企業の落ち度を理由に金銭をせしめる「クレーマー」扱いされた。その扱いが不当だとして自前のWEBで告発し、数百万のアクセスを集めたAkkyは当初、大企業を相手にたった一人で立ち回るネットヒーロー的な存在だった。しかし話題が大きくなり、彼に脚光が当てられると賞賛は反感に転じ、誹謗中傷、糾弾合戦が始まる。2ちゃんねらーは「驚異的な取材力」を発揮して彼の個人情報をあることないこと調べ上げ、掲示板で暴露することも厭わない。それらは「無名人のくせに有名になった」人物への匿名集団的な制裁だった。
 こうした誹謗中傷、断罪装置として特異な発展を遂げて行く2ちゃんねるを、ネット社会の歪みの象徴のように語るケースが多い。しかし、2ちゃんねるはそれほど特殊なことをしているのか。たとえば先に2ちゃんねるは、当事者による現場報告を方法として新しいジャーナリズムの地平を切り開く可能性があったのに、その道は辿られなかったと書いた。その意味で、2ちゃんねるは確かにジャーナリズムから離反して行くベクトルを有している。しかし、そこで「ジャーナリズム」という言葉で指示されているのは、あくまでも理念としてのジャーナリズムだ。ジャーナリズムとは事実に肉薄し、真実を明らかにして行く営為だ、そう言われる。だがそうしたジャーナリズムの理念型をひとたび脇において、現実のジャーナリズムの姿を見れば、実は2ちゃんねるとそれとの間にそれほど際立った相違がないという屈折した構図があり得る。
 近代ジャーナリズムの誕生について、たとえば村上直之はこう書いている。「これまで、一般に、イギリス近代ジャーナリズムの誕生は、十九世紀半ばに自由で独立した報道新聞の成立をもって始まるとされてきた。そもそも新聞の起源は、十七世紀初めに週刊あるいは不定期に発行されていた海外交易情報や非合法な政治パンフレットに遡るとされ、それが時の国家権力による数々の弾圧に抗して言論と報道の自由を獲得して行く過程で、オピニオン・ジャーナルの時代と呼ばれる十八世紀に日刊新聞が登場し、ようやく十九世紀になって近代的な報道新聞が誕生したのだというように、主として、言論と報道の自由の発達史という観点からのみ論じられてきたのである(村上『近代ジャーナリズムの誕生』岩波書店1995:74)」。
「一般に」と断っているように村上は、こうしたジャーナリズム誕生のストーリーが事実とは異なりながら広く共有されている一種の「通説」に過ぎないと考えている。村上は丁寧な資料交渉を経て、19世紀イギリスの新聞が警察の広報紙として機能していた経緯を浮かび上がらせる。「死刑執行が監獄内で行われるようになると、つづく20年間、司法長官の許可によって来賓として参列した記者たちはその秘儀の迅速かつ克明なレポートを書いている(村上1995:263)」
 死刑が監獄で行われるようになったのは、近代化の過程で公開処刑が廃止されたからだ。しかし人目に曝されずに死刑が執行されるようになると、かつて公開処刑で示せていた一罰百戒の効果が維持できない。犯罪を犯せば罰せられることを知らせないと大衆社会の秩序は保てないと考えた行政側は、公開処刑の替わりに新聞報道を利用し、犯罪がどのように行われ、犯罪者がどのように処罰されたかを報じさせて広く知らしめた。そうして警察広報に利用されることと引き替えに、新聞社が税制上の自由を得て成長して行く過程を丁寧に描いた村上の著作は、近代ジャーナリズムが「言論の自由」なる崇高な理念に常に裏打ちされていたのではない事情を浮かび上がらせる。
 とはいえ同じ警察情報の伝達役を受け入れるとしても、その姿勢は様々にあり得る。『ゴシックと醜聞』(洋泉社2001)で玉木明は明治7年から10年頃に多く刊行されていた「錦絵新聞」に注目。錦絵新聞はいわゆる三面記事の中から庶民が好みそうな”面白い話”を拾い出し、それを振り仮名つきの読みやすい文章に書き換え、そこに絵師の手になる浮世絵版画を合体させた大衆向けの木版多色刷りの出版物だ。初期の新聞で政治関係の第一面、経済の第二面に続いて第三面に掲載されたことから「三面記事」と称されていた犯罪関係の報道は、警察が情報源であるという意味で、村上のいう警察広報の役割をやはり担っていた。こんな犯罪が起きて、こんな結果になった。こんなに処罰された。そうした経緯を伝える三面維持はやはり一罰百戒の効果を担うものだったのだ。
 そんな三面記事の中から強盗、殺人、心中など特に猟奇的で刺激に溢れる題材を錦絵新聞は取り上げる。妻の姦通を疑った夫が妻を殺し、自分も割腹して果てた無理心中事件、夫の愛人を殺して、その肉片を料理して夫に食べさせて復讐を遂げる妻の話・・・・。それらをどぎつい彩色の版画で描き出す錦絵新聞は、猟奇事件を扱いながら、しかし、今の報道にはない「暖かさ」を持っていたと玉木は評する。猟奇事件は興味本位の視線で描かれてはいるが、同時、それをもしかしたら自分たちが犯していたかもしれない事件であり、そこに描かれたのは自分たちだったのかも知れないと思わせる書きぶりだった。玉木はそれを「<異なるもの>を<異なるもの>として確認しつつ、そのなかに<異ならざるもの>、すなわち<わたし>を発見」する作業だったと表現する(玉木2001:98)。犯罪を犯したのは自分だったかもしれないと感情移入することで、錦絵新聞の読者は犯罪者たちを同じ人間同士として認める。
 そうしたかたちで描かれた猟奇事件報告を玉木は「ゴシップ」と定義し、スキャンダルと隔てる。スキャンダル報道とはゴシップ報道の時代が下って現れた。たとえば黒岩涙香の『万朝報』はまさにそうしたスキャンダリズムを武器として部数を拡大してきた。1898年7月から9月まで連載され、510もの畜妾の実例を暴き出したシリーズ。そこに錦絵新聞のように犯罪者、逸脱者の中に<わたし>を見る視点は存在しない。ひたすら<異なるもの>として断罪する姿勢が貫かれる。こうした断罪報道を玉木はスキャンダル報道と呼び、それが成立する背景に三つの条件を見ている。即ち「<われわれ>という意識が醸成されていること」「<われわれ>という意識に「万人に属する善」が提示されていること」「<われわれ>という意識に不安感、危機感が偏在していること」(玉木2001:124)。『万朝報』の時代には西欧列強という敵を前にようやく<われわれ>という国民意識が高揚しつつあり、「忠君愛国」「殖産興業「富国強兵」というような国民のすべてが属すべき「善」が提示されていた。そして、その「善」が全うされない不安感、危機感が偏在している。そんな状況において「日本が危急存亡の危機に遭遇しているときに、ひとり妾を畜って獣欲にふける破廉恥な徒輩は断じて許せないということでスキャンダルが断罪され、同じ断罪の指向を持った読者に支持される(玉木2001:125)」。
 こうしたスキャンダリズム報道は、「われわれ日本人」が非国民を断罪する構図を持つという点でナショナリズム報道ともはや紙一重だ。実際、スキャンダル報道の流行が去る頃、入れ替わるように日本のジャーナリズムは大政翼賛報道へなだれ込んで行く。
 玉木が注目したゴシップ報道からスキャンダル報道への変化ーー。この繋がりを延長して補助線を引くことでジャーナリズムの本質が見えてくる。戦前のナショナリズム報道はまさにその補助線上に乗っている。そして戦後も・・・・。
 終戦後、大政翼賛報道を日本ジャーナリズム史上の汚点とみる立場は広く共有されたが、ゴシップ報道からスキャンダル報道へ、そしてナショナリズム報道へと変転してきた戦前ジャーナリズムの歴史に本格的な分析が加えられることはなかった。たとえば原寿男はこう書く。「日本の現代ジャーナリズムは、欧米などと同じくフリープレス(自由主義報道)の原理に基づいている。国家原理を優先して政府の言論統制を当然視する社会主義国や第三世界の一部と違って、フリー・プレスは何よりもまず言論・表現の自由が前提となる。そのうえで、政治的には多党・議会制の民主主義、経済的には資本主義・自由主義市場を原理とし、社会的には個人の尊厳を軸とした自由と平等の実現を目指す(原『ジャーナリズムの思想』1997:ii-iii)」。そこでは村上のいう「通説」が一切の疑いを差し挟まれることなく反復されている。
 確かに日本のマスメディアジャーナリズムは、今度こそ民主主義社会の木鐸であろうとした。たとえば加害者が少年の場合は少年法を遵守し、その実名報道をかたくなに避けてきた。だが、デジタルコンバージョンの時代にそうした「お行儀のよい」姿勢を取りきれなくなって行く。報道自粛するマスメディアを尻目に2ちゃんねるは少年犯罪が起きるたびに加害者少年の実名を晒すようになる。事件の目撃者や事情をよく知る人が、たいていはネットユーザーの中に含まれておりそれを公開してしまう。筑紫哲也がネットの匿名掲示板を「トイレの落書き」と揶揄して以来(というほどのものでもないかもしれないが、それもひとつの契機となって)、マスメディアは2ちゃんねるにとって「無名の日本人以外」と同じく共通の敵とみなされており、それを出し抜く作業は大いに嗤えるし、祭りとして盛り上がれるのだ。
 しかし実はマスメディアジャーナリズムの「お行儀の良さ」は仮面に過ぎなかった。たとえば酒鬼薔薇事件の時にその実名と顔写真を流したのは、実はネットだけではなかった。『フォーカス』『週刊新潮』もまたそれを流した。両誌の版元の新潮社は「お行儀のよい」マスメディアの傾向に反旗を翻すことでむしろ読者の共感を得られると踏んだ。被害者こそ本当の弱者なのに、なぜ彼らが守られないのかという義憤がその選択への支持に繋がるという考えもあっただろう。
もちろん新潮社の側も世論の全てが少年の実名報道、写真掲載を支持するとは思ってはいまい。しかし少なくとも一部には犯罪少年の権利が過大に守られ、結果として被害者の悲しみ、痛みが蔑ろにされている状況に反感を感じている社会層があると考えている。その読みは的確であり、その後、実名報道、写真掲載を支持する層は増えて行く。なぜそうした流れが導かれたか。『週刊新潮』97年7月17日号では「人権大合唱で圧殺されたこれだけの『民衆の声』」と題して酒鬼薔薇事件での実名報道、写真掲載を支持する有名無名の人たちの意見を掲載しているが、その中で西部邁の投稿は注目に値する。
「僕はフォーカスと週刊新潮に不満なのは、子供の写真も結構だが、親の写真も是非、載せてほしかった。やはり、こういう”餓鬼”を育てた親が最大の責任者だと思うからです。しかし、戦後の日本人は”人権オタク族”に成り果ててしまったのでそうは考えないです。人間はそれぞれに欲望があり、欲望があれば衝突が起きます。では、人権オタク族が衝突をどのように解決するかといえば、民主主義を持ち込んで、多数の欲望を認めるんです。では、多数は何かというと、社会的弱者なんです。今回の騒動は、子供は社会の弱者だから守れ、それを踏みつける新潮社はけしからん、ということ。しかし、実際には弱者の代表を標榜するマスコミが子供を”透明な存在”にしている」
 弱者は被害者だけでなく、無名の庶民一般でもある。危機に陥れられているのは「われわれ」なのだとする立場の背景には黒岩涙香のスキャンダル報道を支えたのと同じ「われわれ意識の成立」「われわれが感じる危機感」が控えている。それは地下鉄サリン事件、阪神大震災以後の暗い世相の反映でもあろう。
 そうした世相の中で、やがて多くのマスメディアが「お行儀の良さ」を遵守しきれなくなってゆく。象徴的な出来事は04年4月に起きたイラクでの人質事件発生の際に、人質とその家族へなされたバッシングだろう。人質の家族が記者会見で「自衛隊の撤退」を政府に要請するに至って2ちゃんねるは反感を爆発させた。自分でノコノコと危険地帯に出掛けていって人質になっておいて、なぜ国家にもの申すのか。そんなにお前らは特別な日本人なのか、というわけだ。こうした無名だった日本人が特別扱いされる事への反感を共有することでの盛り上がりはもはや2ちゃんねるにおいては茶飯事だが、この一件でマスメディアも2ちゃんねると同じ論調を敷くことになった。「特別視された日本人」への反感はネットユーザーだけでなく、広く持たれ得るものだった。イラクからの自衛隊撤退がいかなる影響をわれわれに及ぼすかは分からない。しかし少なくともわれわれの未来に影響を及ぼすような国家判断を人質とその家族が求めている。そうした状況を快く思わず、人質および人質家族の自己責任を追及する論調はネットに留まらず広がった。
 こうしたマスメディアの変化にネットの攻撃が影響していることはあるだろう。2ちゃんねるへ書き込みをする層は今や決してパソコンオタクの範囲に留まらない。マスメディアにしてみればネット掲示板は世論の傾向を知るアンテナでもある。そこで「お行儀良さ」を断罪されてまで、それを守る必要もあるのかという考えもなされなかったはずはない。
 ただネットの攻撃が、マスメディアを新しいステージに追い込んだのではない。それは実は玉木がゴシップ報道からスキャンダル報道への変化を延長して敷いた補助線の上にジャーナリズムが戻ってきた変化だったのであり、マスメディアは隠していた素性を表したのに過ぎない。こうしてみてゆくとジャーナリズムはデジタル化の時代に外見的には変化したが、内実はむしろ過去に回帰し、かつてと同じ轍を踏みつつあるようにも見える。断罪報道に進んだ先にあるものは、戦前の経緯を思えば、ナショナリズムへ傾斜した報道である可能性は極めて高いだろう。
 こうしていつか来た道を再び辿ってしまう呪縛からジャーナリズムは逃れられるのか。玉木はそのためにかつてゴシップ報道が持っていた「<異なるもの>のうちに<異ならざるもの>を見る人間のこころ、人間のまなざし」をジャーナリズムが取り戻す必要があるとする(玉木2001:195)。その実現に向けた具体的処方箋として記事の署名化、容疑者への敬称づけなどを玉木は指摘するが、ここではネット側でも注目すべき例を挙げておきたい。それがBlogである。
 Blogは、たとえば「時系列で並べられた記事とそれに関するコメントが定期的に更新されるサイト」と定義される。当初は開設者が定期的にネットを周回し、気になるサイトをピックアップしてコメントとともにリンク先URLを掲載する更新頻度の高いリンク集だったが、最近ではよりテキストの比重が高まっている。BloggerやMovableTypeなどBlog作成支援ソフトにより、誰でも簡単にBlogサイトを開設し、引用先のBlogにリンクしたことを知らせるトラックバックという独特の技術を利用できるようになって爆発的に増加し、911以後のアメリカでは報道自粛気味のマスメディアの伝えない情報を伝えるオルタナティブな回路としても機能するようになった。
 こうしたBlogの特徴を考慮すると、今度こそそれが新しいジャーナリズム確立のための「当事者」報告を可能にするかのように思える。実際、911ショックから回復し、したたかさを取り戻しつつあるアメリカのマスメディアジャーナリズムではBlogを情報源とするケースが増えている。Blogの当事者現場報告をすくい上げ、マスメディアが培ってきた校閲機能を通してより広い領域に伝えて行く。そうした協力体制が敷かれつつある。
 日本ではどうか。巨大掲示板と並ぶもうひとつのローカルな特性として、日本では世界的にBlogが話題になる前から日々更新されるテキストサイトとしての個人日記サイトが多く存在して(日記サイトが日本独自のものというのは間違い。ただネット普及率にしては多かったとはいえそうだ)いた。Blogはそんな個人日記サイトを受け継ぐ形で増えている。そこには、プライバシー領域の備忘録だったり、内輪のメモ的内容である場合が多かった個人日記の性格も受け継がれており、Blogがジャーナリズムに影響を与える手応えはアメリカに比べて今はまだ脆弱だ。
 ただ可能性はあると思うのだ。実は筆者は99年から自前のWEB(http://homepage3.nifty.com/ttakeda/)に併設された掲示板を使って個人発信をするという実験をしてきた(http://162.teacup.com/sinopy/bbs)。その掲示板は集合的アイデンティティが「嗤い」を求めてゆく場になるのではなく、あくまでも開設者である筆者自身が中心に位置し、筆者の書き込みに対して寄せられたコメントを含めて議論を深めて行く、Blogを先駆ける運営形式を試みるものだった(03年9月まで。。現在は外部から書き込み不可能な日記サイトとして継続中。というのも筆者はその後、全てを公開の場で議論すべきと言うネットの常識は無制限には受け容れがたいと考えるようになった。いわゆる劇場効果によってむやみに議論があれたり、「ためにする差別化」のために収束に至らないこともあるだろうからだ。公開で行う議論とそうではない議論をあくまでも議論そのものの建設性の観点から使い分ける必要がある。そこは方法を模索中)。他にも取材記事をWEBで発表し、ニュースソースをリンクで示したり、カッコで引用されているコメントの元になっているインタビューで被取材者が語った内容をテープスクライビング原稿にリンクを貼ったり、ジャーナリズムの透明性を確保するアイディア(http://homepage3.nifty.com/ttakeda/special/index.htm)を幾つか実践してきた。
 自前のWEBをジャーナリズムの発信メディアとするのは、筆者にとって、ジャーナリズムにおける<わたし>の確立を目指す作業に他ならない。その<わたし>が、あとえば玉木の言うように<異なるもの>を<異なるもの>と認めつつも、そこに<異ならざるもの>を見出し、共感し、感情移入して行く主体にもなれば良い考える。その場合にもそれは独りよがりの感情移入ではない。コメントやリンクは(使い方次第では)そうした作業が独善に偏らないようにチェックする効果を持ち得るのであり、WEBをまさにハーバマス的な「私論を公論に鍛え上げてゆく場」にすることを目指す物なろう。
 こうした筆者の試みの殆どが、今はBlog制作支援ソフトの仕組みを使えば簡単に実現され得る。そんな作業が広く、同時多発的に着手され、日本でも個人Blogとマスメディアジャーナリズムの有機的連関が取られるようになった時、ジャーナリズムは今度こそ断罪のメディアではなく、事実を多様に報じるメディアになれるのかもしれない。そして、そうなってこそデジタル時代のジャーナリズムは変貌を遂げつつあると評価できるのではないか。

この記事は『環』 2005年春号(藤原書店)に寄稿した記事です。ネットでのジャーナリズムのあり方、さらにはこのarticlesの位置づけを考えるうえでも参考になるかもしれないので、既刊ですが、試しに採録してみました。なお生原稿に若干の修正を施しており、その修正は刊行版でゲラに施した校正とは異なっており、両者は同一内容ではありません。

articlesはこのようなかたちで作品公開の場となって行くことを目指しています。投稿をご検討いただければと思います。
(武田)