感染症教育の使命を放棄するな

既報道のように関東・東北地方の十~二十代にはしか(=麻疹)が流行中だ。平成十三年にも「十五歳以上」の、いわゆる成人麻疹の流行が見られたが、定点観察をしている基幹医療機関での患者発生報告数では連休明けの時点で既に六年前の流行を凌いだという。
しかし、今回の流行には、どこか人災的な印象がつきまとう。日本では昭和五十三年に麻疹ワクチンの予防接種が制度化された。この予防接種の第一世代となる現在の三十代は大方の人がはしかの免疫を持っている。それは全員が接種を受けていたからではない。接種漏れのひとには自然感染があり得たからだ。ちなみに予防接種開始以前の世代は殆どが自然感染を経験して免疫を持っている。それだけ麻疹ウィルスは日本社会に遍在していたのだ。

問題は予防接種の結果、患者数が減り始めた以降の世代だ。制度的には予防接種が義務づけられていたが、体調などを理由で未接種の人が1割前後いることが過去の調査で明らかになった。その世代になるともはや自然感染の可能性は低く、そのまま免疫を持たずに成長してしまう。そしてワクチンで免疫を獲得したひとも環境内にウィルスが存在せず、自然感染を経験しないで育つと免疫を失うことがあるそうだ。
こうした免疫を持たない人たちの間で感染が広がる。このように感染・流行のメカニズムが明らかである以上、事前対策が打たれてしかるべきだった。しかしタミフルの備蓄にあれほど執着する厚労省が、なぜかはしか対策にはあまり熱心さを感じられなかった。もちろん改めて予防接種を受けて貰うのが最も確実ではあるものの強制はできないので、少なくとも流行が起こり得ることへの心の準備をさせ、流行を防ぐために必要な対応技術を教えることはしておくべきだったと思うが、そこも十分ではなかった。
はしかは肺炎や脳炎などを併発して死亡することもあり、軽視できる病気ではない。しかし悲劇に帰結させないためにも疑わしい症状が出たら早めに専門医の診察を受けることが重要。ウィルスを直接攻撃する特効薬はないが、適切な対症療法が重症化を防いでくれる。そしてきちんと診断と治療を受けることは自分だけでなく他者を守ることにもなる。感染が分かったら治療に専念し、ひととの不要不急の接触を避ける。自分を守ることが社会を守ることにも繋がる感染症対策の原則を、繰り返しになるが、教えておくべきだったのだ。
そんな情報の不在を事情を思うとき、これで良かったのかと疑問に感じるのは教育機関の対応である。感染者が出ると拡大防止のため十日間程度、全学休講にする大学や学校閉鎖をする高校が多い。確かにキャンパスには感染年齢の学生、生徒が集まる。四~六月にはしかが流行するのは、学校の入学式や新入生歓迎会が感染源になっているからという説もある。そんな事情を思えば学校閉鎖、休講措置がリスク回避の手段であることは認める。休んでしまえば学校が感染場所になるリスクは物理的にゼロになるのであり、少子化で風評を今まで以上に気にするようになっている昨今の教育関係者がそうした措置を選びがちな事情も理解できる。
だがーー、学校に来なくてもバイト先や行楽地、娯楽施設など感染が広がる場所は幾らでもある。そうした場所と学校が違うのはそこが教育のための場であるということだ。つまり学校は感染症情報を提供し、遅ればせながらも感染症へ対応する社会的な技術を教える場にもなりえた。だが、そうした学校の機能は学級閉鎖、全学休講措置で失われてしまう。
その点では、筆者の知り得た報道の範囲内の話だが、明星大学だけが全学休講にしていなかった。感染者の出席していた講義の履修生のみを二次感染の可能性が高く、他のひとにうつすリスク源にもなり得るとみなして出校停止措置にしたようだ。感染症対策は隔離や移動の禁止を伴うために人権侵害の危険をはらむ。個人の自由を制約する範囲を必要最低限に留めつつ、効果のある感染症対策を施す重要さを現場で教えたという意味で、この対応は大きな教育効果を持っていたと思う。
もちろん部分的休講が可能かどうかなどは、キャンパスごとに事情があるだろうから一概には言えない。だが、もしも自分たちだけはリスクフリーであろうとする「事なかれ主義」で、教育の使命を全面放棄した教育機関がもしあれば、それについては、少なくとも反省を促したいところだ。

2007年のはしか流行を受けて産経新聞大阪版に書いた記事です。既に刊行されていること、流行が危惧され、大学が次々に休講した関東でむしろ読めないというのはいかにも残念だということで、ここにもアップすることにしました。校閲前の内容なので紙面版と若干の相違がありえます。