ES細胞の有用性、安全性をめぐって
--- 2006年11月04日
いま読むと若気の至りとしか見えない拙著『人体バイオテクノロジー』(宝島社新書)で、少しだけ反響のあったことの1つとして、ES細胞から分化させた細胞を患者に移植すると、それが腫瘍化する可能性について触れた部分がある。
そろそろ受精胚由来のES細胞の臨床応用も検討され始めている英語圏では、その問題が大きく議論されているらしく、最近も2本の論文が発表され、それぞれ『ネイチャー・メディスン』と『ステム・セル』に掲載されたらしい。
『ワシントンポスト』がその概要と反響を伝えている。書き手はやはりリック・ウェイスである。
幹細胞研究が展望とリスクを示す
Stem Cell Work Shows Promise and Risksラットで試されたパーキンソン病治療が徴候を軽減したのだが、腫瘍を引き起こした
リック・ウェイス
『ワシントンポスト』スタッフ・ライター
月曜日、10月23日、2006年、A09ヒト胚性幹細胞〔ES細胞〕からつくられ、パーキンソン病を模倣した徴候を持つラットの脳に注入された神経細胞は、その動物の徴候を著しく軽減したが、その治療はまた、そのネズミの脳に腫瘍を引き起こした、と科学者たちが昨日〔10月22日〕、報告した。
研究者らは、この研究はヒトES細胞の潜在的な便益とリスクの両方を示した、と言う。ES細胞は、病変組織に置き換わる能力を強く求められてきたが、論争を呼ぶものである。というのは、それらはヒト胚の破壊を通じて樹立されるものだからだ。
「この行動データは、このアプローチの有用性を正当化します。しかしこれはまた、警告の旗をあげており、私たちはプライムタイム〔高視聴率時間帯〕の準備はできてないと述べています」と、ロチェスター大学病院の神経科・脳外科教授で代表研究者のスティーブン・A・ゴールドマンは言う。
ゴールドマンは、技術上のちょっとした変化があれば、研究者らは、がんのような発生をもたらす可能性を除去もしくは軽減する一方で、治療の便益を維持できるだろう、と自分は推測している、と言う。しかし彼は、科学者----もしくは規制当局----がこのアプローチの安全性を確信しそうになる前に、もっと基本的な研究がさらに行なわれなければならないことを認めた。
この実験においては、ゴールドマンと、ニューヨークにあるコーネル大学のワイル医科大学の同僚たちは、神経伝達物質のドーパミンをつくり出す種類の神経になるよう、多くのもの〔ES細胞〕を誘導する新しい方法で、実験室で培養されているヒトES細胞を扱った。そうした細胞は、基本的な化学メッセンジャーの主体に由来し、パーキンソン病においては徐々に失われるものである。
この疾病は、ふるえや筋肉の硬直といった運動障害や精神機能のゆっくりとした低下の原因となる。
同チームはラットの脳にその細胞を注入した。そのラットには、パーキンソン病で見られる損傷と同様の損傷を引き起こす化学物質が与えられていた。この新しい細胞は動物の脳に統合され、大量のドーパミンをつくり出した。昨日〔10月22日〕の『ネイチャー・メディスン』誌オンライン版における報告によれば、結果として、その動物の運動神経はほとんど正常ポイントにまで向上した。
しかし、3カ月後に動物が解剖され、その脳が顕微鏡で調べられたとき、同チームは、複合的な腫瘍multiple tumorsを発見した。このことは、注入された細胞の一部が神経としての仕事に落ち着かず、無制限に成長し始めたことを示している。
この結果は、ハーバード医科大学の脳神経科学・神経科教授のオーレ・アイザクソンが率いるチームによって、オンライン雑誌『ステム・セル〔幹細胞〕』で10月12日に公表された実験の結果と同様のものである。このケースでは、幹細胞は別のやり方で培養され、ドーパミンの産出は少なく、有益な効果も少なかった。しかしその一部は無秩序に増殖した。
「これは、私たちが最初の発見と臨床応用とのあいだの途上にいる、ということの素晴らしい実証なのだと私は思います」とアイザクソンは金曜日に言った。
ゴールドマンやアイザクソンは、自分たちは、発育途上の幹細胞群から、神経になることに完全には決まっていないそうした細胞をつみ取るための、もしくはたくさんの入り混ざった細胞群から完全に〔神経になることが〕決まった細胞を選び出すための技術を開発している、と言った。
「私たちはまだ、こうした細胞についてわずかな経験しか持っていません。しかし、もし私たちが研究を続け、それを注意深く実施すれば、長期的に見れば、それは患者を助けることになると私は思います」とアイザクソンは言う。
来年、改変されたES細胞で脊髄損傷の患者を治療するために、食品医薬品庁の許可を得ることを望んでいるカリフォルニア企業ジェロンの社長トーマス・オカーマは、自分の会社の細胞は、どんな動物実験においても、腫瘍の発生を引き起こす徴候を示していない、と言う。
しかし、食品医薬品庁は最終的なOKを出す前に、まさしくその疑問についての、さらなる厖大なデータを求めている、と彼は言った。
「彼らが心配していることはまさにそれで、私たちが見つけなかった、細胞群の中に潜む乱暴者の未分化細胞です」とオカーマは言う。
ジェロンはほかとは異なるやり方でES細胞を培養している、と彼は言い、ネズミの損傷した脊椎への注入後、最高9カ月、動物には何の腫瘍も見られなかった、と付け加えた。さらには、その細胞は生き延び、あるていどには損傷部の周囲で新しい神経の成長を促す特別な因子を分泌することによって、動物が回復するのを手助けしている、と彼は言う。
一方、この問題はオーストラリアでは国会を巻き込んだ議論を呼んでいるようだ。専門家みずからが大きな声をあげているようで、日本とはずいぶん雰囲気が違う。
幹細胞のがんリスクをめぐる研究者たちの確執
Researchers at odds over stem cell cancer riskマーク・メセレル
2006年10月11日セラピューティック・クローニングのがん腫瘍を引き起こす可能性についての懸念は、そうした研究の解禁をめぐる新しい論争を誘発した。
メルボルン大学の医学の名誉教授ジョン・マーチンは昨日〔10月10日〕、がんのリスクはごまかされており、政府の立法審査委員会legislation review committeeは腫瘍や遺伝障害のリスクを強調し損ねていると批判した。
英国学士院〔ロイヤル・ソサエティ〕の国際的に認められたフェローであるマーチン教授は、議員と議会スタッフのためのスピーチにおいて、胚性幹細胞研究と、提案されたセラピューティック・クローニング研究の安全性と効率性に疑問を呈した。
彼は後に、ES細胞研究では、がん腫瘍の発生率が25パーセントあると研究が示したと『ヘラルド』に語った。しかし、オーストラリアにおけるこの分野のリーダー、アラン・トロウンソンはその主張を拒否し、いま使われているこの技術は、ES細胞に固有のテラトーマ〔奇形腫〕や腫瘍のリスクを取り除いてきた、と言う。
国立幹細胞研究センターのトロウンソン教授は、研究者たちに、おそらく数百の、適切に分化された幹細胞を動物の脳や目に移植したが、テラトーマ発生のどんな徴候もなかった、と言った。彼は、いまのところ行なわれていないセラピューティック・クローニングが、現在の幹細胞研究とは異なる結果をもたらすことはありえないが、「私たちが効率性と安全性を証明できるまでは」ヒトの患者で着手することはない、と言った。
マーティン教授の見解は、アメリカのセラピューティック・クローニング反対派であるジェームズ・シャーリーに呼応したものである。マサチューセッツ技術研究所〔MIT〕のシャーリー教授は次のように言う。「私たちは腫瘍の問題を解決できると言う人もいるだろう。それは、私たちががんの問題を解決できるだろうと言うことのようなものです」
メルボルン大学の医療遺伝学教授で、英国学士院のフェローでもあるが、セラピューティック・クローニングを支持するボブ・ウィリアムソンは、幹細胞の専門家は、すべての幹細胞は注意深く調べられ、がんが起きないことを確かめられるべきだということを認識している、と言った。
一方、すでに旧聞に属することだが、イギリスでは、幹細胞移植による感染症の拡大を懸念する声もあり、『ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル』に論文として掲載され、さらにはロンドンで開催された公開討論会でも議論になったらしい。
幹細胞治療による疾病の警告
Stem cell therapy disease warning木曜日、5月19日、2005年、23時4分 GMT 0時4分 イギリス
幹細胞治療の未熟な適用は、多くの患者を疾病にかかるリスクにさらすことになる、と専門家は言う。
彼らは、適切な安全対策がなければ、そうした細胞の適用は、患者に、ウイルスやクロイツフェルトヤコブ病のようなプリオン病への感染リスクをもたらす、と警告する。
幹細胞治療はパーキンソン病のような変性疾患の治療への大きな展望を持つと信じられている。
キングス・カレッジ・ロンドンの研究者たちは、自分たちの懸念を『ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル』に公表した。
彼らには、キングスカレッジの幹細胞生物学研究所所長のステファン・ミンガー博士や、産科学や婦人科学の専門家ピーター・ブローデル教授が含まれる。
彼らは、汚染された血液の輸血を受けた血友病患者のHIV感染のような悲劇から、科学は教訓を学ばなくてはならない、と警告した。
科学者たちによって培養されているヒト胚性幹細胞の数はこの2年で急激に増えている、と研究者らは言う。
しかしながら、幹細胞は、たとえば、ヒトが消費することになるどんな医薬品にも期待される条件に達してはいない、と彼らは警告する。多くの潜在的患者
にもかかわらず、幹細胞培養の拡大は、1つの幹細胞株を数百あるいは数千の患者に使うことを許すことになる、と彼らは言う。
このことは、1人の感染ドナーからの疾病感染の潜在的リスクを急激に増幅することになる。
2006年4月までに、幹細胞や体外受精のラボはすべて、細胞の利用や検査を統治する、新しいEUルールを遵守しなければならない。
しかし研究者らは、増やされた幹細胞株は、それらが利用のために放出される前に、さまざまな病原体で検査されなければならないと指摘する。
彼らは同誌で次のように述べている。「治療のために細胞株を最初に提供するという動機は、レシピアント〔移植治療の受け手〕の安全性を危うくし、この技術をいんちき治療に導きうる。幹細胞治療は、未来の患者に本当の利益をもたらすために、安全に、そして念入りに育成される必要がある」適切な予防対策
ケンブリッジ大学の再生医療の専門家ロジャー・ピーダーソン教授は、自分はイギリスにおける幹細胞研究は安全であると確信している、と『BBCニュース・ウェブサイト』に語った。
「もし人々が準備不足のまま出発し、適切な事前注意なしに研究を行なえば、それは患者を危険にさらすことになるでしょうが、イギリスでは、人々はそのようにはしていません」と彼は言う。
しかしながら、彼らは、かなり疑わしい類の研究がほかのどこかで行なわれている、と言う。
「ここでの原則は、もし誰かがある試験に参加するために利益を得ることを求められたら、彼はおそらくそれをすべきではない、ということです」と彼は言う。
「どんな合法的な試験も、政府の資源によって支払われることになります」
この問題は来週、ロンドンでの公開討論会で議論されることになる。
日本では、ES細胞そのものの有用性については、少なくともマスメディアのレベルでは、あまり議論されておらず、決着済みのように思われている印象がある。しかし、まだまだ知らされるべきことだが、知らされていないことは少なくないようだ。06.11.4

