「もの書き」になりたい君へ
--- 2006年12月08日
雑誌に載っていたご論考、読みました。これが君にとって、原稿料が出るものとしては初めての作品ですよね。まずは心よりお祝い申し上げます。おめでとう。
僕が今日、君の文章を読んだのは、ただの偶然なのですが、実は、今日つまり12月8日は、僕にとって少しだけ特別な日です。1995年の12月8日、僕はそのとき勤めていた編集部を辞めて(正確には追い出され)、フリーランスの「もの書き」としてスタートしました。つまり今日は、僕の11回めの「独立記念日」なのです。そんな日に君のデビュー作を読んだことを、ただの偶然というのは、少しもったいないような気もします。
いまでも憶えていますよ。いっしょに食事しながら、君が自分の「野望」を語ってくれたときのことを。あれからもう2年も経つのですね。僕が君と知り合ったのは、とある教育コースででした。僕はボランティアのスタッフで、君は受講生でした。残念ながら、僕は君の原稿の出来をよいものとは思わず、かなりキツくダメ出しをしたので、君は僕について、あまりよい印象を抱いていないと思います。その後、君が「書く仕事をしたい」と自分のウェブサイトで表明したときにも、僕は「見守る」以上のことを何もしませんでした。君に向きそうな仕事を紹介できるあてがなかったからです。また、僕はバブル崩壊と同時に社会人になったので、世代的にはギリギリ、君が論考のなかで批判している人たち(プレバブル世代?)にあたり、君にとっては「敵」なのかもしれません。いや、「敵」として批判するほどの価値などないのかもしれませんが。
でも僕は、自分では君の「味方」だと思っており、君がウェブ上で当時からいまにいたるまで書き続けていることには、ずっと共感を抱いてきたのですよ。少なくとも、その一部には。君が持てあましている負の感情、あるいは怒りのようなものは、僕も確実に共有しています。ニーチェならそれを「怨恨」と呼ぶでしょう。君の身体に刻み込まれた怨恨の跡とよく似たものが、僕の身体にも刻み込まれています。その存在を忘れられるようになったのは、ごく最近のことです。それも完全に、ではありません。
君と知り合った教育コースの受講生には、天才的な才能を見せる人もいました。残念ながら君のことではありません。そのコースは今年も続いているのですが、またもや天才的な作品を書いた人がいました。僕はその原稿を添削しているとき、少し大げさにいえば、手が震えてしまったことを憶えています。そして少し哀しくなりました。僕が10年もかけて積み重ねてきたことは、いったい何だったのだろう、と……。そう、僕は天才ではありません。そしてたぶん、君も。
そんな天才でない僕が、天才ではない君に対して、少しでも先輩ぶって助言できることがあるとすれば、「続けてください」ということだけです。出典を忘れてしまったのですが、誰かがこう書いていました。「成功するまで続ければ、必ず成功する」と。僕はそれを実践しました。その過程で、たくさんの失敗をしました。でも、「大成功」とはいかなくても、「小成功」ならば、いくつかは達成できたと思っています。とりあえず自分1人の生活を支えられるぐらいのお金を原稿料で得られるようになった、ということです。
もしかしたら君は、そんな助言は自分たち「ポストバブル世代」には通用しない、と批判するかもしれません。そうかもしれせん。「もの書き」の業界----出版業界、ジャーナリズム業界----の状況は、僕が独立したときよりも悪くなっています。それでも「成功するまで続ければ、必ず成功する」という基本原理は、いまでも作動しているでしょう、たぶん。それまで死ぬな、ということです。「続けてください」。
そしていつかまた、お会いしましょう。同業者として名刺を交換しましょう。できれば、そのときにはお互い、「怨恨」をすっかり忘れた状態でいたいものですが、それにはまだ時間がかかるかな(苦笑)。いずれにしろ、僕は発言者、言論人としての君のデビューを心より喜んでいます。
ではまた。06.12.8

