iPS細胞とクローン技術

--- 2008年06月07日

 ヒトでのiPS細胞の作製成功が報告された時期に、クローンヒツジ「ドリー」で有名なイアン・ウィルムットがクローニング研究の放棄を宣言したことは日本のメディアでも流され、もちろん『ガーディアン』や『BBCニュース』でも報じられたのだが、その背景まで最も深く掘り下げたのは、『テレグラフ』2007年11月16日付の記事である。

 iPS細胞とクローン技術との関係を考えるうえで示唆的な内容が含まれている。
 以下、やや不明瞭な部分もあるが、また、いまさらではあるが、訳出しておく。コメントは後日、末尾に追記する予定。08.6.7

ドリーをつくったイアン・ウィルムット教授、クローニングを回避
Dolly creator Prof Ian Wilmut shuns cloning

ロジャー・ハイフィールド、科学部編集者
 10年前に世界中で大ニュースを巻き起こすブレークスルーとなった、ヒツジのドリーをつくった科学者が、彼女〔ドリー〕をつくる牽引となったクローン技術を放棄するつもりだ。
「セラピューティック・クローニング」に背を向けるというイアン・ウィルムット教授の決断は、霊長類のクローニングにおけるブレークスルーを、アメリカの研究者が発表してからわずか数日後、科学のエスタブリッシュたちのあいだに衝撃を送ることになるだろう。
 彼と彼のチームは1997年に大ニュースを巻き起こした。前年の6月に生まれたドリーを公けにしたときのことだ。
 しかしいま、彼はヒト胚をクローンする認可を追求しないと決めた。彼はそれ〔認可〕を2年前に得ている。深刻な変性疾患、運動ニューロン疾患の新しい治療法を見つける原動力の一部として。
 エジンバラ大学で研究するウィルムット教授は、日本で開拓されたライバル的方法が、広い範囲の治療----卒中から心疾患、パーキンソン病まで----のために、患者自身の細胞や組織を成長させるのに使われうるヒト胚細胞〔human embryonic cells ヒト胚的細胞?〕をつくる、より優れた能力を持っている、と考えている。そして「核移植」として知られる、ドリーの方法ほど物議を醸すことはないだろう、と。
 彼の発表は、セラピューティック・クローニングの終わりの始まりを印付けうるものだ。この10年間、それには何千万ポンドが世界中で費やされてきた。「私は2、3週間前に核移植を追求しないことを決めました」とウィルムット教授は言う。
 彼の動機のほとんどは現実本位的なものだが、彼は、日本のアプローチがまた「社会的に受け入れられやすい」ものであることを認める。
 彼の発想は、山中伸弥・京都大学教授の研究から来ている。それは、ヒトの卵子----それは極端な供給不足である----を必要とすることなく、またヒトクローン胚をつくることも壊すこともなく、ヒト胚幹細胞〔human embryo stem cells ヒト胚的な幹細胞?〕をつくる方法を示唆する。それ〔ヒト胚をつくったり壊したりすること〕は激しく、プロライフ運動から反対されている。
 山中教授はマウスで、皮膚の細胞を、疾患の影響を克服できる可能性を持つ、多用途の幹細胞に見えるものへと変容させる方法を示している。
 成体の細胞を胚的な状態へと戻す、この先駆的な研究は、イギリスのある幹細胞科学者によれば、アメリカと山中教授のチームによって再現され、ヒトで同じ快挙を達成すると考えられている。
 この研究には深い重要性がある。というのは、それが示唆するのは、たとえば心臓疾患の後、患者の皮膚細胞が、いつの日か、心臓の損傷を修復するために筋肉細胞を形成するよう、小さな分子カクテルを加えることによって操作されるかもしれない、ということである。もしくはパーキンソン病の影響を修復する脳細胞へと。それらは患者自身の細胞であるため、拒絶されないだろう。
 そうした初期化〔再プログラム〕された細胞は、理論的には、身体中の200種類もの細胞のいずれにも変化されうるだろう。さらには組織をつくりあげる、異なる細胞の集合、そして長期的には臓器へも。ウィルムット教授は、それは「きわめて刺激的であり、驚くべきものです」と述べ、自分はいま、この分野の研究を行なうことを計画している、と言う。
 彼は言う。このアプローチは幹細胞研究の未来を示している、と。彼の巨大なチームが、ドリーをつくるために、エジンバラ近くのロスリン研究所で、10年以上前に使った核移植よりも、と。
 この方法〔核移植〕では、成体細胞の中身のDNAが空の卵子〔除核卵〕に入れられ、クローン胚へと発生するよう、電気ショックで刺激される。このクローン胚は、自在の幹細胞をつくるためには、壊されなければならない。
 10年以上前には、生物学者らが、ある細胞に皮膚----ましてや筋肉や脳など何であれ----の特性を持たせるようにすることにかかわるDNA暗号を拾うメカニズムは、あまりに複雑で、あまりに強く固定されており、〔それらをそうすることは〕不可能だろうと思うのはもっともであった。
 彼らは、この深く固定された確信がドリー----成体細胞からクローンされた最初の哺乳類であり、数多くの実践的な応用をともない、幹細胞科学において最も明らかな快挙----によって覆されたとき、驚いた。
 しかし「セラピューティック・クローニング」が、細胞や組織の限りない供給をもたらす、患者自身の胚性幹細胞を得るための方法を提供するにもかかわらず、代替案への強い探求がある。というのは、プロライフ派ロビーやジョージ・W・ブッシュ大統領の反対、そして以前から存在してきたクローン・ベビーへの懸念があるからである。
 ウィルムットの決断は、ドリーにおける彼のチームの先駆的研究をヒトへと拡大することへの進展の欠落を示す。
 このハードルは、数年前、彼が共同研究を始めた、韓国のファン・ウソク教授率いるチームによって、克服されたように見えた。
 その後、ファン教授の研究は捏造であることがわかった。「私たちは、それがすべて詐欺だとわかるまで、彼と話すことに長い時間を費やしました」と彼は言う。「私はその後、ほんとうに何も再開していません」
 そしてウィルムット教授は、セラピューティック・クローニングが機能するためには、遠い道のりがあると考えている。ビーバートンのオレゴン健康科学大学のShoukhrat Mitalipov〔ショウクラット・ミタリポフ?〕教授とその同僚らによる、『ネイチャー』での今週の発表を歓迎する見出しにもかかわらず、である。彼らは霊長類の胚をクローンした。
 Mitalipov教授は全部で、アカゲザル14頭からの卵子304個を使い、胚性幹細胞を2株つくり、そのうち1株は染色体に異常があった。Mitalipov教授自身、この効率が低いことを認めている。そしてこの研究が「原理の証明」であり、彼の方法が向上するとしても、それがまだ費用的に効率的な医療の選択肢ではないことを認めている。
 クローニングはいまだに貴重な卵子の浪費なのだ。それは不妊治療のためには大きな需要があり、胚性幹細胞をつくるためにも考慮されている。「みごとな成功なのですが、少し限界があります」とウィルムット教授はコメントした。「この低い効率を見れば、あなたはすぐに、核移植がそれほどの耐用年数を持つのだろうかと疑うでしょう」
 彼は言う。オレゴンのチームがどうして成功したのかは定かではない、と。それは彼らの方法を向上させる試みの妨げになるだろう、と。その代わり、ウィルムット教授は、直接的な初期化〔再プログラム〕、すなわち「脱分化de-differentiation」に戻った。山中教授が追求した、胚を必要としない筋道であり、彼〔ウィルムット〕は「100倍興味深い」ことを見出した。
「奇妙なことは、私たちがヒトでの核移植を行なう時点まで、直接的な初期化もまたうまくいくだろう、ということです」
 私は、私たちが近い将来のうちに、ヒト胚をつくることなく、同じことを達成するのに山中のアプローチを使えることを期待しています。私は、直接的な初期化がより生産的になることを、長期的に見れば、疑いを持っていません。来年か、5年後の未来なのか、わからないとしても」
 山中教授の研究が示すことは、成体の細胞を、多くの異なる種類〔の細胞〕に育つことのできるそれら〔幹細胞〕へ変えるという夢が、きわめて簡単に実現されえた、ということだ。
 彼のチームが、成体のマウスの繊維芽細胞に(Oct4、Sox2、c-Myc、Klf4と呼ばれる)4つの遺伝子を加えるためにウイルスを使ったとき、彼らは、NanogやOct4というタンパク質をつくる、1万個に1個の細胞という結果を精査することにより、胚様の細胞が生じていることを発見することができた。NanogやOct4はどちらも、胚細胞の典型的なマーカーである。
 彼らがそれらの初期化された細胞、「いわゆる誘導型多能性幹(iPS)細胞」、で遺伝子がどのように使われたのかを研究したとき、それらは、胚で見られる活動の典型であった。試験官のなかで、この新しい幹細胞は、胚性幹細胞のように見え、成長した。
 そして彼らは、それらの細胞から生存能力のあるキメラをつくることもできた。そのさいには、その新しい方法でつくられた胚細胞が、生存能力のある成体に育てるためにマウスの胚と混ぜられた。その成体は、初期化された細胞のDNAを次の世代に伝えることができた。
 にもかかわらず、それらが胚細胞のようにふるまうことを確かなものとするために、多くの研究がなされなければならないだろう。それらが体内で使うのに十分なほど安全であるかどうかはいうまでもない。そうだとしても、手短にいえば、それらは、深刻な疾患を抱える人々から細胞株をつくるのに、計り知れないほどの方法を提供するだろう。たとえば運動ニューロン疾患など。そのメカニズムの解明に光明を与えるために。
 この分野における捏造の歴史を踏まえて、オレゴンの研究は、メルボルンのモナシュ大学の、デービット・クラムDavid Cram博士とその同僚によって検証された。「現段階において、多能性幹細胞株をつくるための核移植は、非効率的な工程であり続けています」とクラム博士は言う。
「脱分化は、ほんとうにより効率的な方法であると証明されるかもしれませんが、核移植や脱分化を最適化するために、また、こうした操作の後、遺伝的に正常にふるまわせるためには、まだ〔なされるべき〕多くの研究があります」
 ミルヒルの国立医学研究所のRobin Lovell-Badgeロビン・ラベルバッジ教授は、オレゴンのチームが報告した0.7パーセントという全体的な成功率は「まだ、ヒトでの研究に使うには低すぎます。とりわけ、研究のための卵子採取の困難さを考えれば。私は、脱分化は未来のものとなる可能性がとても高いと思います----これがヒトで機能すること(私はそうだという噂を聞いています)、そして信頼できる細胞資源でよく機能すること(つまり、あまり多くの変異を起こさないこと、など)が示されれば」
 イギリスの新しいノーベル賞受賞者で、幹細胞研究の先駆者である、カーディフ生物科学研究院のサー・マーチン・エバンスMartin Evansは、この日本の研究について、このようにコメントした。「このことは、長期的な解決法になるでしょう」
 ウィルムット教授がクローニングを放棄するつもりだというニュースは、「生殖倫理へのコメント」の代表Josephine Quintavalleジョセフィン・クインタバレに歓迎された。同団体は、研究におけるヒト胚の利用に反対している。
「科学者たちはやっと理由を理解し始め、私たちは事実と現実を踏まえることになりそうです。欺瞞ではなく。月曜日、上院での第2読会〔訳注:イギリス議会での立法手続き過程の1つ〕にかけられる、新しいヒト組織・胚法案Human Tissue and Embryos Bill に、ちょうどいい時期にやって来ませんでした。私たちみんなにとって贈り物です。私たちはやっと、議論を始めるための、常識〔共通感覚〕をいくらか見ることになるでしょう」
 彼女は、この研究は、十分なヒト卵子を得ることの困難さを克服するために動物とヒトのハイブリッド胚をつくるという提案に対しても終わりを告げることになる、と付け加えた。というのは、このこと〔ハイブリッド胚の作製〕はいまでは無意味のようだからだ。
「もし人々がストレートなクローニング過程を疑うのならば、いったいぜんたい、2つの異なる種を組み合わせることについて、それらは何を言おうとしているのでしょう」
 彼女は日本の研究に気づき、それがバチカンでの最近の会議においても思慮深く歓迎された、と言う。
「私よりもずっと多い科学的知識を持ってそれを見てきた、たくさんの人々が、それはとても説得力があり、興味深い、と言っています」
 彼女は、このアプローチは多くの投資を引きつけることになる、というのは、これは胚をつくったり壊したりすることの倫理的問題を背負わないから、と付け加えた。
 Quintavalleは、オレゴンの研究は、新聞の見出しで指摘されているよりもずっと失望的なものだった、と言う。
「この新しいプロトコールを開発するために、1万5000個のサルの卵子が使われたことを私たちは読みました。このプロトコールの現時点での適用は、2つの胚性幹細胞株----そのうち1株は染色体異常----を誘導するために、304個の卵子を必要とします。0.7パーセントというきわめて低い成功率をもたらしているのです。この研究者たちは、失敗から成功を切り離すことについてわずかなアイディアしか持っていないことを認めています。そしてそれはヒトでこの研究を繰り返すことが理論的には可能である一方、誰もそのような実験のために必要な数の卵子を得られるとは考えにくいのです。つくられた胚が形態学的に貧弱で、77回という妊娠の試みがすべて不成功であったことも注目すべきです。リーダーの科学者Shoukhrat Mitalipovが以下のように言ったそうです。『どの妊娠も25日ももたなかった』と」(粥川準二仮訳)

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