ブッシュ政権の幹細胞政策

--- 2008年06月06日

 iPS細胞をめぐる報道が相次いでいる。
 周知のように、アメリカのブッシュ政権は、ヒト胚を壊して得るES細胞(胚性幹細胞)研究に批判的で、それへの連邦予算の使用を制限してきた。その一方で、ヒト胚を壊すことなく得られる「倫理的な幹細胞ethical stem cell」の追求には熱心で、京都大学の山中伸弥教授らが、ブッシュ政権のいう「倫理的な幹細胞」に含まれると思われるiPS細胞の樹立に成功する前から、その方針を示してきた。

 僕が気づいた限りでは、あるていど情報量がある文書(報告書)は、少なくとも以下の4つが公表されている(ホワイトハウスのプレスリリースなど情報量の少ない文書はもっと存在する)。

(1) 大統領生命倫理評議会『幹細胞研究への監視(Monitoring Stem Cell Research)』(2004年1月)
(2) 大統領生命倫理評議会『白書 ヒト多能性幹細胞の代替的資源(ALTERNATIVE SOURCES OF HUMAN PLURIPOTENT STEM CELLS)』(2005年5月)
(3) ホワイトハウス国民政策審議会『人命を破壊しない幹細胞科学の推進(Advancing Stem Cell Science Without Destroying Human Life)』(2007年1月9日)
(4) 国立衛生研究所保健福祉省『大統領命令13435「倫理的に責任のある方法における認可された幹細胞株の拡大(Plan for Implementation of Executive Order 13435:Expanding Approved Stem Cell Lines in Ethically Responsible Ways)」の実施計画』(2007年11月18日)

 (1)と(2)は、iPS細胞の登場よりもずっと前に書かれている。(3)は、マウスでのiPS細胞が報告されてから約5カ月後、ヒトでの報告の約10カ月前に書かれている。
 (4)の公表のタイミングが気になる。これは、山中氏とジェームズ・トムソン氏らが同時に、ヒトでのiPS細胞の樹立成功を発表した日、すなわち2007年11月20日の、わずか2日前の日付で公表されている。実は、ブッシュ大統領は、この文書でも述べられている通り、2007年6月20日、ヒト胚を壊すことなく得られる幹細胞の研究を促す「大統領命令13435」を発しており、この文書は、それに応じたものである。
 その「要旨」を紹介しよう。
 

大統領命令13435「倫理的に責任のある方法における認可された幹細胞株の拡大」の、保健福祉省/国立衛生研究所の実施計画

I.要旨

 2007年6月20日、ジョージ・W・ブッシュ大統領は「大統領命令13435」を発した。この大統領命令は、以下のようなことを要求する。「保健福祉長官は、幹細胞の分離や誘導、生産、検査についての研究を実施・支持すべきである。〔ただし〕その幹細胞は、成長中の身体のすべてもしくはほとんどすべての種類の細胞をつくる能力があり、疾病など弊害のある健康状態の高度な理解をもたらすであろうが、研究目的でヒト胚を作出することなく、もしくはヒト胚や胎児を破壊したり、廃棄したり、害することを前提とすることなく、誘導されるものである」。保健福祉省(HHS)長官は、国立衛生研究所(NIH)に、この大統領命令を実施するための計画を策定する責任を課した。この実施の要旨は以下に記される。

1.予算機会告知(FOA)を発せよ
 NIHの幹細胞特別調査委員会〔タスクフォース〕は、非胚性〔胚に由来しない〕資源からのヒト多能性幹細胞(hPSCs)の研究を促進するために、複数の政府機関規模の予算機会告知(FOAs)を設立するだろう。このFOAは、非胚性資源からのhPSC〔ヒト多能性幹細胞〕研究を提案する研究用途を誘うプログラム告知(PA)を含むであろう。たとえば体細胞の初期化〔再プログラム〕や羊水からの細胞、多能性幹細胞の産生のためのそのほかの資源からの誘導など。
 また別のFOA〔予算機会告知〕が、既存の助成金にさらなる予算を追加するための「行政上の追加〔予算〕」を提案するだろう。ある追加プログラムは、動物細胞を使って開発された技術の応用を通じて、非胚性資源からのhPSC〔ヒト多能性幹細胞〕の作出研究を支持するだろう。別の追加プログラムは、既存のヒト細胞株の多能性を確立するための研究を支持するだろう。

2.NIH〔国立衛生研究所〕の「幹細胞登録〔ステム・セル・レジストリー〕」を、ヒト多能性幹細胞登録として改名せよ
 NIH〔国立衛生研究所〕は、「NIHヒト胚性幹細胞登録」を、「NIHヒト多能性幹細胞登録」として改名するだろう。適用可能な法律に一致させて、NIHの幹細胞特別調査委員会〔タスクフォース〕は、NIHにおける“多能性”の定義を確立し、この定義を、この「登録」に加えられる資格のある〔細胞〕株がどれかを決定するために使うであろう。同特別調査委員会は、幹細胞の特性解析における最近の進歩を評価し、それが不可欠であるとみなす、さらなる基準を明確化する。この「登録」に自分たちの細胞株を含ませることに関心を持つ科学者らは、NIHに、検討を申請することができる。

3.多能性幹細胞の代替的資源を検討せよ
 NIHは、多能性幹細胞の代替的資源の研究を探求するだろう。そのなかには、とりわけ、『ヒト多能性幹細胞の代替的資源』と題された大統領生命倫理評議会(PCOB)の2005年白書で概説された技術もある。この報告書は、4種類の多能性幹細胞の代替的資源を議論している。“死んだ”胚、改変核移植(ANT)、単一細胞生検、細胞の初期化〔再プログラム〕、である。これらの方法に加えて、そのほかの、多能性幹細胞の代替的資源が、この大統領命令や応用可能な法律、政策に応じて検討されるべきである。

4.包括的なポートフォリオ分析を開始せよ
 NIHは、上記に言及された技術のいずれかについて、現在、研究が実施されているかを確認するために、研究ポートフォリオの、包括的な概観を実施するだろう。このポートフォリオ分析は、要求を満たさない研究機会を示す代替的方法がどれかを決定するのを手助けしうる。次にNIIHは、そうした方法をPA〔プログラム告知〕に含めることによって、要求を満たさない研究機会について取り組むだろう。

5.最先端科学ワークショップを招集せよ
 NIHは、ワークショップを招集するだろう。hPSC株を誘導するさまざまな方法の最先端科学を評価し、知識のギャップを認識し、特定の技術/方法がさらなる基礎研究や動物研究を必要とするものを確かめるために。そうした技術を使うヒト細胞のかかわる研究のどれもが、この「大統領命令」や適用可能な法律、政策のもとで確立される基準に一致することを確かめるために。このワークショップの結果は、さらなるFOA〔予算機会告知〕の必要性に応じて、NIHに知らされる。

6.臨床上の利益のために最も潜在性のある研究の優先順位を付けるために、ヒト多能性幹細胞(hPSC)研究シンポジウムを開催せよ

 NIHは、臨床上の利益のために最も潜在性のある研究に優先順位を付けるのを手助けするために、基礎および臨床上の、多能性幹細胞生物学の現状についてのシンポジウムを招集するだろう。このシンポジウムによって、NIHは、強化され、さらにはそうした分野の研究を増加させるために、さらなるFOAを発展させる必要のある、高い優先性を持つ研究分野がどれなのかを決められるようになるだろう。

 そして2007年11月20日、ブッシュ大統領は、「倫理的な幹細胞」としてのiPS細胞の報告を歓迎する声明を発表する。
 

即時公開
報道官局
2007年11月20日

報道官による声明

 ブッシュ大統領は、今日、科学雑誌に報告された倫理的な幹細胞〔ethical stem cell〕研究における重要な進展を見て、非常に喜んでいる。代替的なアプローチを精力的に支持する一方で、生命を破壊する技術を避けることにより、ブッシュ大統領は、倫理的な境界のなかでの科学的な進展を奨励している。
 ブッシュ大統領は、ヒト胚性幹細胞研究に連邦予算を使えるようにした、最初の大統領である----そして彼の政策は、それを、胚の破壊を奨励しない方法で行なった。2006年6月、ヒト胚や卵子に立ち入らず、成体の皮膚細胞を多能性幹細胞へと初期化〔再プログラム〕する可能性の研究を強調した。2007年6月に発せられた、この大統領命令〔13435〕は、今日報告された類の研究を、まさに、促進することを意図したものだった。今日発表された研究のうち1つは、部分的に、大統領の幹細胞政策のもとで行なわれた国立衛生研究所によって、予算を与えられたものである。
 大統領は、科学の崇高な目的も人命の尊厳も譲るこなく、医療的な問題が解決されうると考えている。私たちは、幹細胞研究のフロンティアを拡大するよう、科学者たちを励まし続け、倫理的に責任ある方法でヒト生物学の理解を進歩させ続けるつもりである。

 この声明はさておき、上記4つの報告書については、いつものことながら、アメリカの官僚たちの文書作成能力の驚嘆する。しかし、気になることもある。(1)や(2)はともかくとして、(3)や(4)のどこを読んでも、韓国で発覚した“黄禹錫(ファン・ウソク事件)”への言及が見あたらないことである。このことは、アメリカ的生命倫理の限界、というか、それに欠落しているものをはからずも示していると僕には思われる。
 また、僕は日本の生命倫理行政に批判的であるつもりなのだが、たとえば最近、文部科学省の部会がヒトクローン胚の作製を容認するむねをまとめた報告書『人クローン胚の研究目的の作成・利用のあり方について(第一次報告)』では、同事件への言及がそれなりになされていることには、注目しておきたい。08.6.6(追記:同日に加筆・修正しました。08.6.6)

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