2008年06月07日
■ 深夜のシマネコBlogは移転しました

深夜のシマネコBlogは下記URLに移転しました。
http://blog.livedoor.jp/shimanekoblog/
今後ともよろしくお願いします。

2008年04月29日
■ 右翼はチベット人の命を政治利用するな

大切なお知らせを忘れていた。
 インターネットラジオ、blue-radio.comの番組「烏賀陽弘道のU-NOTE」に出演しました。ぜひご視聴ください。
 烏賀陽さんといえばオリコンでのふざけた判決が出ましたが、この収録時はまだ判決前ですね。

ニコニコなんかで、長野聖火リレー関連の動画をみたけど、ヒドイねえ。
 長野県警が中国国旗を持っている人間を聖火の側にあつめて、日本人やチベット国旗を持っている人を隔離する売国ぶりもひどいけど、駅前で「中国人を日本から追い出せ」とかいっている右翼もヒドイ。中国人を日本から追い出すことと、チベット問題はなんの関係もない。

「中国人を日本からたたき出せ」
「フリーチベット! フリーチベット!」
「中国人を日本からたたき出せ」
「フリーチベット! フリーチベット!」
 フリーチベットが単なる合の手と化してしまっている。彼らが心の底からチベット人のことなんて考えていないことは明白だ。このような右翼にとって、チベット人の命など、中国人批判のためのコマセに過ぎないのだ。

 私は論理的整合性のないものを、心の底からキモいと思う。
 市場原理主義を語りながら、経営陣はいくら無能でも保護されるべきだと考えている新自由主義者も、
 平等を語りながら、正社員の利益しか守ろうとせず、非正規を踏み台にする左翼も、
 そして、中国人批判のためにチベット人の命を利用する右翼も、本当にキモイ。

反米嫌日戦線「狼」(醜敵殲滅)より
「世の中に無数にいるネトウヨより勘違いな人たち」

 世に倦む日日\(^o^)/オワタ
 「STOP THE THESSALONIKE」

厳罰化は残念なことだが、受け入れるべきことだ。凶悪犯罪を減らすためには社会を変えないといけない。凶悪犯罪はどうしてこれほど日本の社会で増えたのか。無論、経済不況で人心が荒廃したことも一因ではある。しかし、一言で言えば人間が変わったからである。日本人が変わったのだ。簡単に人を殺せる人間ばかりが増えた。冷酷で残忍な心を持った人間が増え、人を傷つける衝動を理性で抑制できなくなった。それは教育に原因がある。例えば教室でのいじめ自殺、これは集団による殺人行為だが、80年代の初めからこの国で頻繁に起きるようになり、現在では珍しい問題ではなくなり、人の心にすっかり免疫ができてしまった。日本人が変わっている。変わったから司法判断を変えなくてはいけなくなった。
http://critic3.exblog.jp/8454570/

 今更こんなことを言っているようでは、お話になりませんね。凶悪犯罪が減り続けていることは、もはや「信号機の赤は止まれ」というぐらいに当たり前の大前提です。
 本当に厳罰化が残念なのであれば、ネットでちょっと検索すれば厳罰化を否定するデータなんていくらでもでてくるのに、それすら知らないということは、最初っから厳罰化したくてしかたがないのでしょう。
 あと、この前で「この男が無期懲役の刑で10年後に娑婆に出てくれば」なんてことも書いていますが、無期懲役が平均25年を超える懲役刑であるということすら知らないようです。

 要は、社会を知らないアホタレが反小泉を前面に出して、既得利権を守ろうとしているという「いかにもなブサヨ」というのが「世に倦む日日」の正体だということです。まぁチベット問題を餌に民族嫌悪丸出しのウヨと同じですね。
 あと、間違いを指摘するコメントも消しているようですしね。ああ、このサイトは前からこういうサイトか。

 そいえば、俺も昔「世に倦む日日」を批判する文章を書いたなぁ、と思って調べてみた。
 「「世に倦む日日」の哀れな教育観 おじいちゃん、もうやめて(笑)」
 THESSALONIKEはDOSやEXCELの本は読んでも、警察白書なんかは読まないようです。本当に哀れだ。

2008年04月22日
■ 死よりも辛いこと

死刑判決ねぇ。
 死刑を讃美する人たちは、犯人に対して優しいねぇ(苦笑)

 私が犯罪被害者家族で、犯人に対して恨みを持っているのであれば、絶対に死刑なんていう「あの世への釈放」を許したりしないんだがなぁ。だいたいこの国では「死んだら仏様」(小泉純一郎)なんだから、死んだだけでどれだけ悪辣な犯罪でも、犯人が死ぬだけのことで、あっさりと浄化されてしまうわけだ。で、残された犯罪被害者家族はどうするんだ?
 私が犯罪被害者家族だとしたら、犯人に死んで仏様なんかになって欲しくない。かといって、犯人に対する更生なども期待しない。なんでそんなものを更生なんてさせて、社会に釈放してやらなければならないのか。
 結局、あの世にせよこの世にせよ、私が犯罪被害者家族だとすれば、ありとあらゆる釈放を許したくはない。犯罪者は社会に出るのでもなく、かといって死によって浄化されるのではなく、その狭間の自由なき留置場でも刑務所でもいいけど、そのような人の生きていく意味の存在しない場所で、存在価値もないままに、ただ自分の無意味な存在を見つめながら、むなしく永遠とも思われる時間を消費していって欲しい。そういう場所をキリスト教だとリンボといったような気がする。

 死刑こそが悪人に対して、もっとも厳しい刑罰だと思う人は、幸せな人たちだと思う。彼らは彼ら自身がこの世界に生きていることの意味を一度も疑ったことがないのだろう。生きていることは幸せで、死ぬことは辛いことだと思っているのだろう。でも、死なないことの方がよほどツライっていう人だって、この世にはたくさんいるんだよ。ましてや無為のまま生かされるなんて苦痛の極みだ。フリーターとしてそうした時間を長らく過ごすことを余儀なくされた私は、その辛さを良く知っている。

掲示板でのリクエストに答えて
 晋遊舎の「m9」という雑誌で、小飼弾さんとの対談を行いました。
 で、印象ですが、笑顔を絶やさないすごく人当たりの良い方でした。本当に全く偉ぶったところがなくて。でもやっぱり、ちゃんと芯を持った意見をもった方で、対談内容はいろいろと参考になりました。私も小飼さんと対談して以降、すこし自分の考え方を見つめ直したりしています。
 対談内容については、発売をお楽しみにということで。

2008年04月05日
■ 新宿御苑で桜を見てきた。

新宿御苑で桜を見てきた。
桜
 この日はぽかぽかというか、少し暑いぐらいで、多くの人でにぎわっていました。

そいえば、少し前からはてなダイアリーでニコニコ動画をコメント付きで貼れるようになっていて、しかもアカウント無しでもみられるようになっているので、お気に入りの動画をいくつか貼ってみようか。

 では、みなさん、はてなに移動です。

2008年03月27日
■ 城繁幸『3年で辞めた若者はどこへ行ったのか』読了

“「大嫌いな○○小学校」と卒業式で言い間違え” 小6、「死んでおわび」と飛び降り自殺

 こういう間違え方は「間違っても「大嫌いな」なんて言ってはいけない」とか思っていると、実際に間違えることがあるよな。
 そこに気持ちを込めれば込めるほど、こうした間違いは出てくるわけで、卒業式なんてものに心を込めず、学校なんか愛さずに「大好きな○○小学校(棒読み)」ってやるのが一番ですね。

城繁幸『3年で辞めた若者はどこへ行ったのか』読了。
 私の名前も登場している。
 『若者はなぜ3年で辞めるのか?』で展開した「年功序列から職務給へ」という賃金体形転換の必要性を、昭和的価値観をひとつひとつ検証していくという手法で、より明確に主張している。
 一見過激で無軌道なネオリベラリズムを無批判に主張しているように見えるけれども、やはり論理的に考える限り、城の考え方は、昭和的価値観によってガチガチに固定化された就業利権を流動化させるために、最も有用な考えの1つだろう。

 ここからすっごいだらだらと。

・経営者報酬がむやみに上がっている指摘に対して、城は「メーンバンク制から金融市場を中心とした直接金融に移行する株主代表訴訟リスクが高まった結果」と指摘している。
 これは小児科医や麻酔科医が激減していることと、まったく同じ。ちょっと失敗すれば即訴訟で、報酬とリスクのバランスがあわなくなってしまっている医者に対して、自分で賃金体系を決められることから、訴訟に堪えうる賃金体系を無理やりつくっている経営陣ということか。
 するとモンスターペアレンツなどを始めとする「自分たちの身の回りに関する、過剰な権利意識」は、株式を過剰に権利視する、現在金融の病理と一緒か。そうだよな、ちょっと利益が下がったらすぐに経営陣の更迭と自社社員の送り込みを求めたりするもんな。モンスターペアレンツ=ハゲタカファンド。しぶしぶ損切りするデイトレーダーはまだおとなしいほうか。

・バブルの後始末を、当のバブルを崩壊させた世代が負わなくて住んだのは、賃金に対する下方硬直性(一度上がったら、なかなか下がらない)のおかげ。既存の労組はそれを守ろうと必死になっているが、そのために犠牲になったのは、バブル崩壊以降に社会にでることであった若者である。

・昭和的価値観からの脱却が、成功例ばかりなのが気になる。果たして、昭和的価値観を脱して高収入を得た人たちが、今度は搾取側(昭和的価値観への復古欲)とならないという保証はあるのだろうか?

・結局、城の主張による流動は、既得権益層である安定労働層の賃金を下げ、その一方で貧困労働層に上昇チャンスをあたえ、賃金を是正かすることである。このあたりは私の主張と同じである。
 しかし限られたパイのなかで、労働市場を流動化させたら、全体が必要量の賃金を得られないのではないかという疑問が残る。
 もっとも、それはそれで「にっちもさっちも行かない状態」が早く訪れて、そこで大鉈が振るわれる時期が早まるという点で、悪いことではない。そしてその状態(みんなが等しく貧困になる=貧困者をマジョリティーに)を早く産もうというのが「希望は戦争」の論旨の1つでもあるのだが。

・あとがきで「本来時給3,000円の人間を1,000円でこきつかうのは悪だが、時給1,000円分の仕事しかしない人間が3,000円もらう事もやはり悪なのだ」と論じているが、その「本来と現実」の時給の区分けは、それほど明白なものなのか?
 これは「職務給」に対する根本的な疑念なのだけれども、

 1、スキルによって時給を決定するという方法では、就職というスキル教育を受ける機会を失ったロストジェネレーションに不利ではないのか?

 2、スキルの習得は必要ではないけれども、社会的に必要な仕事をしている人間、それこそコンビニなどのバイトや、工場での組立など、今のワーキングプアが就いている仕事をしている人の賃金を、どう評価するのか?

 3、スキルは同等であっても、収入に差がつかざるを得ない場合があるのではないか?(接客のうまい宝石商と、接客のうまい八百屋では、当然前者の方が収入が多いであろう)

 4、結局のところ、正社員として雇い入れられた者は、正社員としての教育を受けて時給3,000円の仕事ができるようになり、非正規社員としてしか雇い入れられない者は非正規社員としての教育しか受けられずに、時給1,000円の仕事しかできるようにさせてもらえないのではないか。つまり「本来と現実」は結局のところ教育差別により過不足なく収束しているのではないか?

 私は「年功序列から職務給へ」という考え方は、私が『若者を見殺しにする国』で論じた、雇用柔軟型から、専門能力活用型への安直な飛躍ではないかという疑念を持っている。
 専門能力活用型の人材として活躍するためのスキルは、正社員、すなわち長期蓄積能力活用型人材としての教育を通してしか手に入れられないのだから、雇用柔軟型(フリーター)から一足飛びに専門能力活用型(プロフェッショナル)に移行するのは、不可能であるか大きな負担(ギャンブル)を要求する事になる。
 基本的なスキルアップのルートは、

 「雇用柔軟型(フリーター)」 →雇用→ 「長期蓄積能力活用型人材(正社員)」 →スピンアウト→ 「専門能力活用型(プロフェッショナル)」

 であり、実際この本に書かれている「昭和的価値観を脱した人たち」も、ほぼもれなくこのスキルアップのルートをたどっている。
 ならば、「年功序列から職務給」に移行するために、

 1、企業がフリーターを雇い入れること。
 2、正社員のままでは生活はできても、贅沢ができない賃金体系をもって、スピンアウトを促進すること。

 この2点を促進することが絶対だと、私は考えている。
 具体的には1はそれだけでいろいろと考察しなければならないので飛ばすとして、2については正社員の給料をせいぜい年500万ぐらいにしてしまうとか。

2008年03月22日
■ Mac book Airだ

さぁて、そろそろ腰を据えていろいろとやるか。

日銀総裁が空白なことについて、なんか「民主党は政争の道具にしている」なんて言っている連中がいるけど、政党政治において、ありとあらゆる物事は政争の道具に決まってんじゃん。ましてや日本の経済全体に影響を与えかねない日銀の人事に口を出さないなら、いったい何に対して口を出せと言うのか。
 ほかにも検索してると、「拉致問題を政争の道具にするな」とか「日米関係を政争の道具にするな」とか「なんとか事件の被害者を政争の道具にするな」とか、ありとあらゆる政治的な話題で、政争をしてはいけないみたいですよ。
 「政争の道具にするな」は、与党の安定多数でなにごともロクに思考せずにノーハンドルノーブレーキの政治を続けて、その結果から目を背け続けてきた馬鹿な国民の「政治上の平和ボケ」を象徴するキーワードですね。

宮崎県の位置を知っている高校生が42.7%しかいないとかいうけどさ、これは「東京都を中心とした51校の高校生6159人」というのだから、宮崎よりも、同じ関東圏にありながら65.2%と、秋田(77.3%)や愛知(66.1%)に負けている栃木県の方が涙目じゃね?
 まぁ十中八九、群馬と間違えられているんだろうけど、群馬は「鶴舞う形の群馬県」で、南東に突き出た部分があるのが特徴。一方で栃木は楕円に近いので、覚えておくように。

Mac Book Air
Mac BookでAirを起動中

 MacbookでAirを起動して、Macbook Airというギャグのためだけに、Air(初回版)を中古で購入。
 まぁ、せっかく買ったのでついでにプレイしてみる。
 泣けるゲームとか言われているけど、まぁエロゲだし……



 ……みちる〜(泣)
 ……みすず〜(泣)
 ゴールとかスタートとかいうなぁ(泣)←(中途半端にラストを知っている不幸)
 ゴールっ…… ♪あの海〜 どこまでも〜(死亡)

 涙腺崩壊した。
 すまん。正直反省している。テレビゲームで育ったにもかかわらず、やっぱりエロゲに偏見もってたわ俺。
 涙腺崩壊しながら、考えていたのは、なんかケータイ小説で「マジ泣ける」とか言っている連中を笑えないなぁということ。
 だって、Airって、記号ばっかりじゃん。だいたい翼を持った人とか、生まれて来なかった妹がなんか存在していたり、好きな人と一緒にいると発症する病とか、あるわけないし。ヒロインは3人とも確実に「痛い」しさぁ。
 でもそれは、男がホストで友達が売春でどうのでエイズが発症してすぐ死んで真実の愛がどうのこうのという、ケータイ小説と変わらないじゃん。
 そしてまたそれは、普通の小説でもそうだよね。記号とか属性の塊であるキャラクターをあっちこっちに動かして、それが感動とか人間の意味を考えさせたりする。
 「事実は小説よりも奇なりって」言葉があるけど、そうしたキャラクターを積み上げた小説は、事実よりも真実をあぶり出したりもする。小説とノンフィクションとその存在価値はどれも同じような地平にある。

 そうした中で、俺はゲームはプレイするし、ニュースは見る。小説はSFやファンタジーの一部ぐらいしか読まないし、ケータイ小説は読まない。
 けれども、それは単なる「個人の嗜好」に過ぎず、どっちが優れているとか意味があるとか役に立つとか、そういうことでは無い。

 とにかく、なんかいろいろ考えさせられたし、いろいろ楽しかったし、いろいろ泣けた。
 Airという作品に出会って良かったと思うなんて、2008年にもなって書くことじゃないよな。いままでだって、偏見さえなければ、いくらでも接点はあったのだし。

 最後に。「鳥の詩」は本当に国歌でいい。

2008年03月08日
■ QMA5が出てた

なんか、気がついたらQMA5が出てた。
 3→4の切り替えの時みたいに情報を追っていたわけではなくて、気がついたら変わってた。
 で、なんの情報もないままプレイしてみたら、新キャラ17歳だった(笑)。
 で、購買部に行って、お約束のリエル胸タッチをしてみたら、おお、リエルバリアで跳ね返されたwwww。
 ついでにリエル柄の限定ePassも購入。カード全体がクリアコートされているな。

 地元や東京でちょこちょこプレイして、現時点で中級魔術師7級、フェニックス組。
 5では優勝での昇格がなく、3回平均で4位以上でしか昇格しないので、フェニックス組にもムラっ気の多い上級者(自分は中級ぐらい)がかなり残っている様子で、なかなか手ごわい。雰囲気的には3の時のペガサス組みたいだ。前回みたいにドラゴン組でもまったり組キープとかよりも殺伐としていていいね。

 またDS版の発売も発表されたそうで、とっても楽しみです。

奈良の例のキャラクターの作者にわざわざ非難メールを送る連中がいるんだなぁ。
 あのキャラがひどく不安定なのは、やっぱり作者の作品が3次元向きであって、2次元でかわいいことを求められるキャラクターとの親和性がないからでしょう。それは作者の作風なのだから仕方がない。
 だから、コンペやってこれを選んだ役所の人間に「キャラクターを選ぶという点で」センスがないとは思うけど、作者に文句を言うのは筋違いだと思うけどなぁ。