《 東横インのアイツアイツ | メイン | 今日のガッカリ 「中年ニート」とはなんぞや? 》

2006年02月02日

 ■ 「嫌下流社会」シリーズ その7 「第3章 団塊ジュニアの「下流化」は進む!」

この章の本題は、内閣府の「国民生活に関する世論調査」なるものの解釈の仕方についてなのですが、これを解説するためにはさまざまな図表を準備する必要があります。
 そこで、ひとまず、この『下流社会』のキモとなる「欲求調査」の正体についてこの章で触れていますので、その部分のみやります。

 この『下流社会』のほとんどの図表は「欲求調査」の数字である。では、この「欲求調査」とは、いかなるものであろうか? それがこの章の冒頭にさらっと説明されている。

 88ページ

 本章ではまず、昭和ヒトケタ世代、団塊世代、新人類世代、団塊ジュニア世代を比較した「欲求調査」をもとに4世代の世代別・男女別の階層意識を比較する。
 なおサンプルは1都3県在住の800人で、世代別・男女別に各100人である。

 まぁ、恐ろしいことがさらっと書かれているものだ。この調査はあくまでも1都3県という狭い範囲でしかない。12ページに記載されている欲求調査の概要に「千葉県」という文字が見えることから、いわゆる「南関東」の範囲でしか調査していないと考えられる。
 都市と地方の間に経済格差が存在するなどというのは、中学校の社会科でも習う常識であり、この時点で調査の結果に疑問が湧く。
 また、地方から都市に出てきた若者と、地元の親元で暮す若者の経済観念が違うのは当然のことであるから、特に団塊ジュニアの調査結果をそのまま日本全体の傾向だとみなすことは難しいのではないか。

 次は、『下流社会』で多用される「上中下」たる概念が説明されている。

 88ページ

 階層意識は、具体的な質問としては「あなたの生活水準は次のどれにあてはまると思いますか」と尋ね、「上」「中の上」「中の中」「中の下」「下」の5つから1つを選択させた。

 そして、三浦展はこの5つを「上中下」に変換する。

 90ページ

 次に「上」と「中の上」を合わせて「上」、「中の中」を「中」、「中の下」と「下」を合わせて「下」とした

 引用の最後に「。」がついてないのは、これが表3-1の説明の途中に書かれているからだが、この本全体の図表に記される「上中下」についても、この区分けを採用していると考えて間違いないだろう。

 今回のような経済的なもののみならず、アンケートに「上中下」のような、価値判断を伴うラインを用いる場合、中間的な選択肢が多ければ多いほど、その結果を棒グラフにした場合に「山型」になるような結果が出ることが多い。
 この件における三浦展の方法論は、そうした山型の結果を避けるために、答えやすい「中の上」「中の下」を用意し、最終的に上と下に組み入れることで、山型の結果を避けようとしているのだろう。この点は、別に間違ってはいない。

 しかし、その正しさを証明しようとしている次の文章は、非常に間が抜けている。

 90ページ

「下」が48%というのは、1958年の内閣府調査に近い結果だ。

 と、官公庁の数字と近いということで、その正しさを証明しようとしているのだが、その「1958年の内閣府調査」とやらはどこにあるのだろう?
 男性についての内閣府調査は92-93ページに細かく記載されているが、左端が1970年なのだから、1958年の数値は発見できない。
 よくよくさがすと、1章の25ページようやく発見できる。なるほど、「欲求調査」で階層意識を5つに分けたのは、この内閣府の調査を真似たというわけか。
 しかし、近くに乗せておくべき図表を、遠くに配置するというのは、三浦展の問題というよりは、光文社の編集の問題だろう。せめて1958年の数値だけでも90ページ前後に持ってきてほしい。

 で、25ページの図を見ると、確かに1958年では「中の下」と「下」を足すと49%になり、三浦展の主張は正しく、欲求調査の結果も妥当であろうということになる。
 ……本当に?

 三浦展の「欲求調査」は2004年の11月に行われているのだから、それを1958年のものと比べることに、意味など一切ないに決まっている。当然2004年の調査と比べるのがスジである。さらにいえば、この25ページのデータは国民全体のパーセンテージであろうから、団塊ジュニアとの比較には使えない。
 そこでようやく文章の近くにある92-93ページの表が使えることになる。

 ここで「団塊ジュニア」の定義を確認するが、「欲求調査」では団塊ジュニアは1971年〜1975年生まれと定義されているので、それに従う。すると、ちょうど「25〜29」と「30〜34」をまたぐ形になっていることが分かる。
 私自身、これを細かく分析する気はないし、数値自体の差異も大きくないので単純に双方の「下」のパーセンテージを足して、2で割ることにすると、39.1という値が出てくる。
 三浦展が提示した数値は49%なのだから、これと比べるとおおよそ10ポイントの差が発生していることになる。
 この差を大きいと考えるか、小さいと考えるかについては判断を避けるが、少なくとも1958年の数値とほぼ同じなどという、意味のない比較をもって、「欲求調査」の数値に信憑性を持たせようとする三浦展の手法は、非常に姑息であると言える。
(ひょっとしたら、「今の若者は1958年の人たちと同じぐらい下流意識を持っている」と言いたかったのかもしれないが、そうだとしても、その主張の意味は全く見えない)

 96ページ

 ちなみに内閣府調査のサンプル数は2004年の30〜34歳男性246人、女性325人であり、「女性1次調査」の方がサンプル数が多いので、統計学的には信憑性が高いはずだ。
 また、「女性1次調査」は1都3県在住者の調査であることによる違いもあると思われる。

 たしかに、「国民生活に関する世論調査」は、その対象が全国であり、1都3県でしかない女性1次調査とは、違うのかも知れないが、滑稽なのは単純に「サンプル数が多ければ、統計学的に信憑性が高い」などと、三浦展が信じて疑わないことだ。
 当然のことだが、サンプル数などは、数ある要因の中の1つに過ぎない。
 サンプリングが十分に無作為であるか否か、設問の偏り、有効回答率、アンケートの方法、アンケートを行った人間の態度、etcetc……。アンケートの結果に響く要因は、探そうとすれば数限りない。
 もちろん、全ての要因を詳細に検証するのは不可能だが、少なくとも「せめてこれぐらいは」というものがある。
 特にアンケートにおいては「調査票」の偏りがないと証明できるものが信憑性が高いと考えられる。そのためには調査表が公開されていることが必須である。
 「国民生活に関する世論調査」の調査票は、Webに公開されている。
 では、この「女性1次調査」なるものの調査票はどこにあるのか? ついでに「欲求調査」の調査票もどこにあるのか? 信憑性を口にするなら調査の詳細ぐらいは、人から言われなくても自ら公開すべきである。概要だけでは意味がない。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.journalism.jp/mt/mt-tb.cgi/2783