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2006年03月17日

 ■ 「知性下流社会」シリーズ その11(その2) 第5章「自分らしさを求めるのは「下流」である?」

タイトル上「その2」ということになっているが、1の内容を再び含める形で、5章そのものをしっかりと検証したいと思う。なのでこれは1の続きではない。
 今回、主に注目するのは、図表と文章についての三浦展特有のレトリックの部分。ここでの印象操作を明確にすることによって、やはりゴミデータの集まりでしかない6章の解説を省くところを目指したいと思う。

 まずは表5-1の男性側と、表5-2を並べてみた
 ひとまず、誤植であろう点を解説しておくと、表5-2のn値の上中下の順に12,40,48(%)となっているのは、表5-1を見ても分かるように、団塊ジュニアの数値であって、団塊世代の数値は順に14,48,37(%)である。ここは単なる誤植であろうが、本当に誤植なのか、三浦展がこの数値を利用してしまい計算間違いをしているのかは、生データがない以上、確認することはできない。

 さて、この2つ、ページをまたいで、紙の裏表の関係にあるから関連性を見逃しがちだが、こうして並べてみると、同じデータであることが分かる。しかし、団塊世代の「ゆとり」「仲間・人間関係」「創造性」「活動的・アクティブ」というデータは明示しておらず、これらの数値が下流化に関係してるか否かということを読者が判断することはできない。
 このことは、そもそも三浦展が団塊ジュニア世代男性の「低階層ほど高いもの」との比較のみに団塊世代のデータを当てはめて見ているということであり、団塊世代のデータを「人間として正しい意識の持ち方」という基準として扱っていることを意味している。
 しかし、次の表5-3を見ていただきたい(分かりやすいように男性の部分を着色した)のだが、実は団塊ジュニア男性(以下、すべて「男性」を省略する)のデータの傾向は、新人類とさして変わらぬ数値であり、昭和ヒトケタとの比較をとっても、ポイント的には団塊よりも昭和ヒトケタに近いのである。
 昭和ヒトケタとの近さについて詳しく説明すると、昭和ヒトケタを基準にした場合、団塊ジュニアの上中は昭和ヒトケタとほぼ同値で、下のみ差が7.4ポイントと大きく開いている。一方の団塊は上中ともに9ポイント前後の差が見られ、下に至っては10ポイント強の差が見られるのだ。
 そう考えると、むしろ団塊の世代こそが「自分らしさ」ということに関しては他の世代から離反しているのであり、これを基準として団塊ジュニアの意識を判断することは、決して正しい方法とはいえないであろう。

 では、この部分を三浦展はどう解釈しているのか。

 団塊世代の「上」が若い時から発しつづけてきた「自分が好きなことをすればいいのさ」というメッセージが、過去30年間、次第に社会的風潮として広がっていき、同時に、社会の豊かさが増していく中で、その風潮が後続世代の「下」にまで浸透したと考えたほうが自然であろう。」(p.158-160)

 しかし、これは本当に「自然であろう」と言えるのだろうか?
 三浦展は無視しているが、私たちは既には昭和ヒトケタ世代と新人類、団塊ジュニアの数値の近さを知っているのだから、むしろ団塊世代の「自分らしさ」ということに対する異様な関心のなさの方に目が向いてしまう。特に「中」の47.9という数値は、突出して低い値である。
 パーセンテージで数値が括られているから気付きにくいのだが、「中」は上や下よりも圧倒的に人数が多い、すなわち比重が大きいのである。図5-3のパーセンテージから団塊の「自由に自分らしく生きること」を選んだ人数を割り出せば、上が9人、中が23人、下が21人となり、合計53人となり、実は団塊のほぼ半数が「自分らしさ」という価値観を認めていないことが分かる。*1
 こうした土壌で「自分が好きなことをすればいいのさ」というメッセージが本当に社会的風潮として広まったのか? と、大きな疑問が残るのである。

 次に表5-9「団塊ジュニアの主な職業別自分らしさ志向」と題された表に注目する。

 まず、題に「主な」の言葉があるとおり、母数であるn値を全部足し合わせても男女それぞれ100にはならない。省かれたと思われる中で、重要なのは「無職」のデータだろう。特に女性のほうに、いわゆる「家事手伝い」のデータがないのは不自然としか言いようがない。
 第2章でも触れたが、三浦展は保守層の女性観の重要な一角を占める「家事手伝い」という存在に関して、全くと言っていいほど触れておらず、意図的に避けている節がある。
 また、ただでさえ100しかない母数が、職業によって細分化されているため、母数が3や5といった、もはや統計的になんの意味もない値までもが、パーセンテージへの置き換えによって、データとして扱われてしまっている。特に男性の「パート・アルバイト、フリーター」の項は、母数がわずか5であるのに、網掛けを施して「フリーターの60%が自分らしさを大切だと考えている」などと主張してしまっている。これは相当に恥ずかしい。サイコロの偶数と奇数が出る確立はそれぞれ50%だが、わずか5回サイコロを振っただけで、そのことを証明しろと言われても無理な話であることは、誰でも簡単に想像がつくだろう。
 しかし、こうした表にされて、パーセンテージの中に隠されてしまうと、なにかこれが意味のある数値のように見えてしまう。

 この『下流社会』のような本が売れ、その主張の内容が支持されるということは、すなわち日本人の数的リテラシー能力が異様に低いことが証明されたということだ。
 だから私はこのシリーズを「知性下流社会」と位置づける。
 三浦展というアホたれがインチキたれ流して、ゼニを稼ぐことなど放っておいてもいいのだが、このような本を信じてしまう日本人の知性の下流化を見逃すことはできないのだ。

*1 ついでに、世代ごとに「自由に自分らしく生きること」を回答した(おおよその)人数を割り出してみた。(数値は上、中、下、合計の順)
 団塊ジュニア  7,23,36,66
 新人類    10,25,27,62
 団塊      9,23,21,53
 昭和ヒトケタ  5,31,23,59
 人数に直すと、団塊ジュニアの「下」の人数が突出している。三浦展の主張を考えれば、パーセンテージじゃなくて、人数を使ったほうがよかったのでは?

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