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2006年05月26日

 ■ 「VoCE盗撮事件」は第2の「きんもーっ☆事件」か? その1

なんかもう、いろんなものが自分の中で尽きかけている気がしています。
 もういいのかな……

 以下、21日に書いて中途半端に終ってアップできなかった記事です。

安心安全なんちゃらのジャーナリストコース募集が始まりましたよ。
 今回は修了課題を含んで半年のカリキュラムです。

後藤さんのBlogより
「ニート・不登校・ひきこもり NEXT VISION FORUM」
 興味のある方は行ってみては。

 しかし、俺はこの「僕らの世代の問題を、僕らの手で解決する」という主題には反対だけどね。
 そもそも、「ニート・不登校・ひきこもり」という分類は、別に今の世代特有の問題ではなく、これまでだってずーっと一定数いたわけで、それがバブル崩壊後の「若者に問題を全部押しつけよう」という風潮によって、さも我々の世代の問題であるかのように捏造された問題だ。
 そうなると「僕らの世代の問題を、僕らの手で解決する」という純朴な意識は、問題の押しつけに利用される可能性が高い。その点に十分注意されたし。

「VoCE盗撮事件」は第2の「きんもーっ☆事件」か?
 「VoCE盗撮事件」を知らない人の為に、一応、Hagex-day.infoの該当記事へのリンク

 まず、自分の考え方を明確にしておくとすれば、「盗撮は絶対悪」などとは思いません。
 たとえば、北朝鮮への潜入映像などは盗撮なワケですが、そうした国民の生活にとって重大な情報は「伝える」必然性が存在するわけです。
 朝日新聞とNHKの問題なども、テープがあったかなかったか、それがルール破りか否かなどということが言われていましたが、別にテープがあるならあったで構わないわけです。ジャーナリストが国民の事を考えて行動する時に、それがルールや法律に反する行動であろうと、それが「許されるべき」とは思いませんが、ジャーナリストが自身の信念の達成の為に盗撮をすることは、それが必要ならば厭うべきではないと考えます。
 しかし、今回のVoCEの記事に関しては、そうしたジャーナリスティックな物ではなく、単なる賑やかしであり、内容も「執事喫茶なのに客は庶民テイストできんもーっ☆」という不勉強過ぎるものですから、批難されるのは仕方がないかと。

 この問題については、多くが盗撮やプライバシーの侵害が主題のように主張していますが、私が考えるに、この問題の本質は「きんもーっ☆事件」と同様の、反オタクバッシングに乗じた祭り、すなわち「カーニバル(化)」でしょう。
 「きんもーっ☆事件」の場合は、ネイサンズが謝罪、該当人物も仕事を辞めたらしいことで、無事解決(といえども、この後も決してすぐに潮が引いたワケではなく長くバッシングが続いたし、この後に述べる問題点が解消されておらず、個人的には何も解決していないと思うのだが……。つかぶっちゃけ個人に責任を、ネイサンズや祭りを楽しんだ人たちが無責任に押しつけただけでしょ)したわけですが、今回は一体どのようなレベルで解決を見るのだろうか。

 そもそも「祭り」は、何らかの意思をもった運動体ではなく、ただ「なんか集まりやすいところに集まった」ということであり、いわば「なんとなく学生運動をするのがおしゃれかな」とか思って学生運動をはじめる団塊と同じようなものです。(嫌がらせ感の強い文章だなぁ)
 そんなのもですから、明示的に統一された目標がなく、それが明示された時に互いの意思の相違が明らかな物になり、反発離散、そして内ゲバ等の悲惨な結末を迎える事が少なくないのです。
 逆に、目標が暗黙のうちに明示的であれば、それが達成されるまで、祭りは続きます。今回の場合は、目指すところはVoCE誌上での謝罪掲載でしょうか? それとも廃刊?
 しかし、目標が「暗黙のうちに明示的」というのは、ある一定の考え方をもつ人間の間でのみ有効なのであって、それこそ今回のように「で? なにが悪いの?」と言われてしまう状況においては、問題の解決方法がサッパリ見えてこないのです。
 「きんもーっ☆事件」の場合は、バッシングの対象が立場の弱いバイトでしたから、ネイサンズもそれをあっさり見捨てることで、ネイサンズと2ちゃんねらーの意図が合致した形になったのですが、今回の場合は講談社の発行している雑誌自体が対象になる。雑誌の廃刊や休刊は、バイトを切るように簡単な事ではありませんから、どうしても目的の同意が必要になってきます。
 もちろん、目的を同意に導こうとすれば、「意思の統一」が必要になってきますから、運動体にとっても非常に危機的な状況が訪れます。それが先に述べた、意思統一失敗による運動体の分裂です。
 私は少し上で「きんもーっ☆事件が何も解決していないと思う」と書きましたが、それはこうした運動体の意思の統一という、運動に欠かせない事象を解決していないという意味です。明確な目標を持って、各種の課題をクリアーしていくという、運動体としての大前提をまったく欠いているのです。

 続く

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