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2006年07月06日

 ■ 『バックラッシュ!』を非難する

ということで、今日は双風舎『バックラッシュ!』に対する非難(批判ではなく)。
 なぜ「批判」かと言えば、双風舎編集部は自身のブログの中で「同書をつくった意味のひとつは、議論のたたき台になるようなものをつくる、というものなので。」と述べてるが、私は決してこの本を議論の叩き台にしてはならないと考える。ゆえる、両者の間に建設的意味を持ちうる「批判」ではなくて、建設的意味をもたない「非難」とする。

 まずは簡単にバックラッシュに至る前提を提示する。

 1、全体として「男は強者」「女は弱者」という色眼鏡でしかモノを見ていないため、結論がすべて「女性優遇」でしかなく、想像される社会が男女平等とはほど遠い。
 2、「社会進出」という名前の会社的な観点でしか強弱を区分していない。「会社での地位=人間の価値」という価値観を推進してしまっている。
 1+2、こうした論理がフリーターやニートという「弱者男性」、そして、自らを強者と規定しない「強者男性」をバックラッシュに駆り立てている。

 フェミナチがこうした論理を大上段から振りかざす以上、弱者男性がバックラッシュに走るのは当然だろう。この本のサブタイトルに「なぜジェンダーフリーは叩かれたのか?」とありますが、これが答えになる。


 細かく書いていきます。
 まず、この本の失敗は「さも、物事を論理的に読み解けば、男女平等に対する誤解は解ける」という教養主義的観念のかたまりでしかないことだ。
 教養主義的観念というのは、いわば「頭で理解を期待する」考え方で、つまり「正しい論理を提供すれば、正しい結果に繋がる」と考えることだ。だからこそ、この本の論者たちは「論理的に」バックラッシュを読み解いている。そしてその論理は極めて正しい。
 しかし、バックラッシュ(または、各種の国粋主義や男根主義など)の発生源は決して理性的なものではなく、感情的な反感である。「女が上に立つのが気に入らない」「女のせいで我々の仕事が奪われている」こうしたほの暗い情念が、バックラッシュのエネルギーになっている。
 であれば、「反バックラッシュ」の論理が解体するべきは、そのエネルギーの発生源であり、それに対して「男女平等は正しいのだ」といったところで、議論は成立しえない。
 これは「話せば分かる」「問答無用」のやりとりみたいなものであって、いくら男女平等論者が正論を叩きつけたところで、対話が成立しないなら、そのことに意味などはないといえる。
 かくして、男女平等論者とバックラッシュはこれまで以上に離反していく。そうなれば私はバックラッシュの側に付くだろうなぁ。


 ならば「なぜバックラッシュに対する感情的な反感が発生するのか」を理解することこそが、本当の『バックラッシュ!』の主題であるべきです。だから私はここで一人でそれをやります。フェミナチはいつまでたっても気付きもしないのだから。

 まずは言葉の定義をしておきたい。
 ここまでで既に何度か使っている「弱者 or 強者 and 男性 or 女性」について。
 単独の意味的には文字どおりなのだが、それらの関係については「SocioLogic」の中の人が提唱する「「生きやすさ」のトランプ的非対称構造」を採用している。
 すなわち、強弱の順位は「強者男性」>「強者女性」>「弱者女性」>「弱者男性」である。ただし、「>」は、強弱の関係性のみを表す記号であって、その間の数量的な等しさを表すものではない。
(数量的な部分に対する私の実感としては「強者男性」>>>>>>「強者女性」>>「弱者女性」>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>「弱者男性」ぐらいであるように思う)
 そして、この順位を確定するための要素として、私は「仕事」と「家庭能力(≒家事+出産)」の2つを評価する。
 この2つにおいては、プラスマイナスとも「仕事が強」「家事は弱」と考える。
 「強者男性(仕事+)」>「強者女性(仕事+ 家事-)」>「弱者女性(仕事- 家事+)」>「弱者男性(仕事-)」
 ここで男性側の家事の要素をまったく評価していないことは、ひとまず頭の片隅に入れておいてもらいたい。

 では、現在の男女平等論というよりも、この『バックラッシュ!』の立ち位置を明確に示していると言える、宮台真司の話から、この本の問題点を探ることにする。

 まず、宮台はバックラッシュを「過剰流動性による不安」であるとしている。
 そしてその不安とは「前提不在による混乱」であるとしている。

 しかし、不安こそは、すべてのバックラッシュ現象の背後にあるものです。「流動性不安」、すなわち過剰流動性による不安です。過剰流動性ゆえに、自明性への疑いが出てきて、アノミーすなわち「前提不在による混乱」におちいるわけです。 (p.10)

 しかし、男性弱者が抱えている不安は「過剰流動性」とは正反対の「硬直性」です。「一度フリーターになってしまったら、正社員になることは、非常に困難である」ということです。これは一体どういうことなのだろう。
 ここに、頭でっかちな教養主義的フェミニストたちがロクに見向きもしない問題が潜んでいる。

 そもそもフェミニズムが社会に浸透する前の社会*1において、性差はこのような観念であった。
 「「男性」>「女性」」
 あまりに単純で拍子抜けするかもしれない。もちろん貧富の差はいまよりもっと大きかったし、単純にこれだけなハズもないのだが、いわゆる「ウーマンリブ」に始まる男女平等論は、このこと、つまり「男性は強者」「女性は弱者」を前提にしている。
 そこで「女性が社会に進出することによって、男女平等が実現する」と考えたウーマンリブは女性の社会参加をうながした。
 そして、社会参加というのは、「≒会社に入ること」であった。

 確かに、この運動は80年代までにはうまくいっていた。経済は右肩上がりに成長していたので*2、会社の規模も当然右肩上がりに大きくなり、今までの男性のみならず、女性を社員として扱うだけのキャパシティーが保たれていた。
 しかし、90年度になって一気にバブル経済が膨らみ、そのまま破綻する。
 右肩上がりだった社員のキャパシティーは著しく制限され、また既存の社員を守るために、新卒社員を極力採用しないようになった。そのことはイコール「若者の社会進出が阻害されている」ことを示している。ここに「「バブル以前の男女」>「バブル以降の男女」」という格差が生まれる。
 ここでもう一度、かつての「「男性」>「女性」」という観念を見返してみる。
 ここで「>」の根拠となっていたのは「女性が社会進出していないこと」だった。だからこそ、女性の社会進出をうながし「「男性」=「女性」」にしようとしたのが、ウーマンリブの根拠だ。
 しかし、今度は経済の収縮によって「「バブル以前の男女」>「バブル以降の男女」」という格差が生まれてしまう。この格差も「バブル以降の男女が社会進出していないこと」だ。どちらも「社会進出」こそが格差を示すキーワードである。
 ウーマンリブは社会に流動性をもたらし、男女の格差を是正した。ならばバブル前後の格差はどのようなスローガンが是正しているのであろうか?

 答え「誰も是正していない」。
 ウーマンリブが男女格差を是正するスローガンなら、いま我々の格差を表すスローガンは「自己責任」であって、これは「社会は経済格差を是正しない」という宣言である。
 そのような言説が広く流布される現代において、じゃあ我々のような弱者にとって、どこに流動性があるのか?
 宮台は「すべてのバックラッシュの背後にあるのは、過剰流動性による不安だ」と述べる。しかし、過剰流動性が不安であるのは、あくまでもバブル以前の男女にのみあてはまる。「「生きやすさ」のトランプ的非対称構造」の図を持ち出すと、こういうことになる。
(「強者男性」←→「強者女性」)>「弱者女性」>「弱者男性」
 このカッコ側、つまり強者男性と強者女性の間にしか過剰流動性は存在していないのである。

 まず最初に私はこの本の失敗は「さも、物事を論理的に読み解けば、男女平等に対する誤解は解ける」という教養主義的観念のかたまりでしかないことだ」と述べた。
 この本に登場する、ほぼすべての論者に言えることだが、彼らは八木秀次をはじめとする「バックラッシュを推進する学者や論者」などに標準を合わせて、彼らを論破していくという形式の文章を書いている。
 しかし、そのことは同時に、実はこの『バックラッシュ!』が「「本に名前が出るような強者男性」VS「本に名前が出るような強者女性」」という、まさに「流動性の中での戦い」でしかないことを意味する。そしてそれはまさに教養論の傲りであり、そのことが本来のバックラッシュの主体たる、こうした知的上層階級ではない「弱者男性」を無視する結果を招いている。

 『バックラッシュ!』の中で鈴木謙介は

 一部では、バックラッシュのような右傾化現象は、ネットを中心とした若年層の出来事だと見なされているようだ。しかし、これは事実に反している。あらゆる世論調査が、近年の「右傾化」と呼ばれている現象の担い手が、高年齢層、とくに主として60代以上の男性であるという結果を導いている。

 と、記している。そしてこの直前に「ネタとベタ」という論理から、それは決して単なる右傾左傾ではないと、鈴木は解く。
 しかし、これはまったく間違っていると思う。問題は現在右傾化しているかどうかではなく、弱者男性が困難な立場にいるか否かだ。
 若者がいつまでも若者であり続けるならばいいが、刻々と年を重ねながらも延々と社会に吸収されないならば、右傾ネタは右傾ベタとなり、右傾ベタは反左翼に移り変わっていく。そうした中で「社会参加≒会社に入る」でしかないウーマンリブの論理は、確実に攻撃の対象となる。正社員であることが利権である以上、ウーマンリブの論理が弱者男性から社会参加の可能性を奪っていることには違いないからだ。そこでは既に正当性は問題とならない。ただ「弱者男性という社会格差が存在する」そのこと自体が問題なのだ。問題はミクロなのであり、マクロ的な分析では誰も救われない。

 にもかかわらず、『バックラッシュ!』においては、具体的に「どうやって弱者男性を救うか」という話ではなく、観念上の弱者たる女性の弁護に終始している。

 いまだに女性が弱者なのか!!
 いまだに在日が弱者なのか!!
 いまだに部落が弱者なのか!!

 弱者男性の憤りは頂点に達しつつある。

 本の帯には「男女平等でなにが悪い!」と書かれている。もちろん男女平等が悪いはずがない。そして問題はこの本がしょせん「女性優遇」の立場でしかなく、弱者男性にとっては非常に「ムカツク」本なのだ。「問答無用」!!
 結局、バックラッシュを封じるためには、弱者男性をどうにかするしかない。
 それこそがネクストステージであり、唯一の男女平等の道である。フェミニストはもはや強者女性の論理でしかないウーマンリブを捨て、弱者男性にスポットを当て、正しく男女平等を推進するべきなのだ。

 ここでもう一度「「生きやすさ」のトランプ的非対称構造」を持ってくる。

1、「強者男性(仕事+)」>「強者女性(仕事+ 家事-)」>「弱者女性(仕事- 家事+)」>「弱者男性(仕事-)」

 これを男女平等にするためにはどうするか。
 まずはこの図において「家事と仕事の不平等」が起きているので、これをフラットに変える。

2、「強者男性(仕事+)」>「強者女性(仕事+ 家事-)」=「弱者女性(仕事- 家事+)」>「弱者男性(仕事-)」

 そして、男性に「家事」の評価を適用する。

3、「強者男性(仕事+ 家事-)」=「強者女性(仕事+ 家事-)」=「弱者女性(仕事- 家事+)」>「弱者男性(仕事- 家事-)」

 仕事と家事のプラスマイナスによって、強者男性と強者女性、そして弱者女性までが平等となる。では、残る弱者男性はどうすればいいのか。答えはもちろん。

4、「強者男性(仕事+ 家事-)」=「強者女性(仕事+ 家事-)」=「弱者女性(仕事- 家事+)」=「弱者男性(仕事- 家事+)」

 男性の家事労働を正当な仕事として認めれば、ここに真の男女平等が実現する。
 この説明を見た時に「それは今までの男女平等主義者の主張と全く同じではないか」と思うかもしれない。
 ハッキリいえばその通りで、男女平等論者の主張は別に間違ってなどいない。
 しかし、実際に行われる男女平等の方法論と主張する方法論の間はズレまくっている。

 ウーマンリブは女性を仕事に駆り立て、社会参加を主張することによって、男女平等を実現しようとした。しかし、正社員の立場が利権でしかない現代において、それは「仕事をしているから偉いのだ」と主張する強者男性とまったく同じ論理をウーマンリブ側が持つことを意味する。
 「お茶を汲むために会社に入ったのではない!!」と主張しながら数十万の月給を得る強者女性に対し、繁雑な作業を時給数百円でやらされる弱者男女は苛立つのである。
 そして、数十万の月給を得る強者男性は、近くにいる強者女性(共働き)、もしくは近くにいる弱者女性(専業主婦)と結婚するのに対し、数十万の月給を得る強者女性は、近くにいる強者男性とは結婚するだろうが、じゃあ弱者男性と結婚するかといえば、そのモデルはまったく見いだすことはできない。
 先程の「「生きやすさ」のトランプ的非対称構造」の図の3と4を再び見返して欲しいのだが、この「弱者男性の家事スキルを評価するか」というわずか1点の違いしかないこの両者の間には、実はとてつもなく絶望的な距離感が横たわっている。そしてウーマンリブにかまけたフェミニズムは、誰も「弱者男性を専業主夫として扶養しよう」などとは決して言い出さないのである。
 男というのは、よくも悪くも「仕事をして、家族を養う」ということを目標に仕事をしている。それは弱者男性も同じことだ。いつかは仕事をして、家族を養いたいと思っている。だから苦しい。
 しかしその一方で、仕事をする強者女性は、本当に「仕事をして、家族を養う」ことを目標にしているのだろうか? むしろ「男に養われる」加護対象としての女性性と、ウーマンリブ的な男女平等論を、セコく使い分けているのが実態ではないか。

 私はバックラッシュに限らず、男女平等を語る時に「女性が家族を養うことについて、本当に真剣に考えているのか」この視点を忘れてはならない。
 既に各種ウーマンリブ運動によって、強者同志での平等感がかなり強くなった現在、そうして女性たちが受け取った権利に対して、ちゃんと義務が果たされていないのではないか。それが現在日本の男女平等論者が自省的に語らなければならないことなのだと、私は考える。


 こう考えると、八木秀次あたりがどう言ったの言わないのなんて、些細な問題でしかないことに気がつくはずだ。そしてそうした些細な論点で書かれた『バックラッシュ!』の本を男女平等論の叩き台にしてしまえば、そこから導き出される結論も些細なものでしかない。だから私は『バックラッシュ!』を批評ではなくて、非難する。

*1 といってもせいぜい戦後数十年間の話。
 それ以前になってしまうと『バックラッシュ!』で瀬口典子が述べているように、現在の性的役割をなんの疑問もなく当てはめてしまう(「現代社会では、男性が仕事をし、女性が家事をしている。ならば原始時代においても当然、男性が狩りをして、女性は子を育て、家の仕事をしていたハズだ(「マン・ザ・ハンター」モデル)」)ために、本来の行動様式と異なったイメージを持つことになりかねない。
 多分戦前や江戸時代だって、我々が考えるほど明確に当時の人々の生活や意識が分かっているわけでもなかろう。

*2 この時点で、私がこの話をどのような展開に持っていくか、分かる人は分かると思う。何度も使っている言い回しだし。

上記の話題に続いて。
 ここで大切なお知らせ。

 私は男女平等の実践として「私を養ってくれるお嫁さん」を募集します。

 いやいや、冗談じゃなくて、ある程度は本気です。現在彼女もいない立場ですので、本気にしてもいいですよ。
 ……つまり、強者女性が弱者男性を養う覚悟をもつことでしか男女平等を実現できないと考えている私は、自分自身をエサにして、本当に強者女性が弱者男性を養う意識はあるのかということを実験してみたいと思います。

 特典もいろいろあります。

 1、「仕事を辞めろ」とか絶対に言わない。 
 共働きで結婚するとなると、じゃあ仕事を続けるのか辞めるのかという話でゴタゴタしがちです。しかし、私が弱者男性である以上、稼ぎ手は女性であるあなたであることは明確ですから、当然仕事を続けていただくことになり、ゴタゴタがありません。

 2、「名字を変えなくていい」
 私は夫婦別姓マンセー論者なので、「俺の家に入れ」とか言いません。仕事にとっても名前は大切ですからね。
 なんなら、私がそちらの名字に変えてもいいです。

 3、「子供も特にいらない」
 女性にとって子供を産むことは、仕事にとって大きなマイナスとなります。時間のかかることですし、肉体的負担も大きいですからね。
 私は「子供がいなければ夫婦じゃない」なんて考え方はありませんので、自由に仕事をしてください。
 また、子供が欲しい場合でも、それは対応します。ただ、大家族だけは勘弁してください。2人以内で。

 4、「あなたの住んでいるところへ引っ越します」
 別に家にこだわりはありませんので、こっちがそちらへ引っ越します。
 ただ、できれば都市部、もしくは都市部にアクセスのいい場所がいいです。田舎より街が好き。

 いきなり結婚もあれですので、とりあえず結婚を前々々々々前提ぐらいに、お付き合いをしましょう。
 メールアドレスはトップページにありますので、よろしくお願いします。

 まぁ、もし本当に応募があって、俺が結婚できれば私も男女平等論についての認識を改めますし、応募がなければないで、「男女平等なんて言ったって、本当に平等にしようなんて誰も考えていないじゃないか」ということを実証したことになります。どちらに転んでも、私にとっておもしろい展開と言えましょう。

 おっ気軽にっ!!! さあどうぞ!!!(って、誰のギャグだっけ?) 俺を養えるもんなら養ってみろ!!!

伊集院光のジャンクに、ネタに扮して「男女同室着替え」の新聞記事を投稿した人間がおり、それが放送されてしまいました。
 バラエティー番組に対してまで、このような政治的な活動が露骨に行われる時代になりました。

たらこキューピー大人気!CM曲がCD化
 そうそう、そういえばこれ上野耕路の作曲なんだよな。

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 そうだ、はてなはリンク貼らないとTB送れないんだった。

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