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2006年08月29日
 ■ 主観か客観か?

掲示板へのレスです。

Re:1528 フェミニストさん

わたしは正直、「弱者《男性》」というカテゴリーを前面に押し出すことにはあまり賛成できません。
今のところあくまで「弱者《男女》」、つまり「プレカリアート」の叫びと読み替えて「限りない共感」を示していますが、それでは不十分ですか?

 私の目指すところは、あなたの共感ではなく、現実的に弱者男性が弱者でなくなることです。
 十分不十分ではなく、話が違います。

そして、おっしゃるフェミニズムへの呪詛は、どこまでが「彼ら」のもので、どこまでが「あなた自身」のものですか?
この問いへのお答えがどうであろうと、「プレカリアートへの共感」は変わりませんが、「赤木さん個人≒物書きとしての赤木さんへの評価」は変わります。

 「私のモノ=主観」と「彼らのモノ=客観」という単純な図式は説得力があるように見えますが、その実は所詮は言葉の定義上だけのむりやりな二元論化に過ぎません。
 森達也さんがドキュメンタリーや報道、ジャーナリズムなどについて事あるごとに「公平中立不偏不党などありえない」という話をするのは、確かに取材側が「ある主体」でしかありえないのだから、ある主体が主観的に描き出した客観は、しょせん「主観的な」客観性(主体的に構築された客観性を、カタカナで「キャッカン」とでも呼びましょうか)でしかない。という意味でもあるでしょう。
 しかしそれと同時に、そうした事を報じる側、作り手に対して、「客観性を正義とした視点は張り子の虎にしかならない」というメッセージを送っていると、私は受け取っています。

 私が「男性弱者を救済しない左傾論壇」を避難するのも、「かつての問題」「問題として認識されているもの」「既にある論文」「ニュース記事」といった、キャッカン的なものを積み重ねて論拠とするが故に、目前に起きている新規の問題に対してまったく目を向けることのできない現状があるからです。そうした論壇においては、結局のところ既に問題と認識されている「色つきの弱者(女性、部落、在日)」しか救われないということになってしまう。
 そして、そうした左傾論壇の態度を目の前にして、われわれのような男性弱者は「彼らはああいう弱者マジョリティーのためだけに活動して、同時に我々を貶めている」と認識するしかないのです。

 ですから、私はそもそもの問題提起は極めて「主観的に」行ないました。
 しかしそれらは私自身が「極力、他の弱者がどう考えているかを取り入れていこう」と考えて、いろいろ苦しんだ後の「主観」ですから、主観自体に「彼ら」の呪詛が多数含まれています。自ら朱に染まって赤くなっているということです。
 結局、どこからどこまでが自分で、どこからどこまでが「彼ら」なのかなど分かりません。ただ分かっていることは、客観性を論拠の中心に据えるキャッカン的な態度では、決して弱者男性の問題を語り始めることは不可能だったということです。

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2006年08月28日
 ■ 私がすべきこと 論壇がすべきこと

話を進めるための掲示板へのレス
 無駄に炎上してしまっているので、今回は1点だけ。
 あと、今週中に「『バックラッシュ!』非難の本質とは?(その3)」を出します。

[1505] そのうえで赤木さんへ 投稿者:フェミニスト 投稿日:2006/08/28(Mon) 05:51

わたしはあなたを擁護しているように見えるでしょうが、厳密には、あなた「個人」を擁護しているわけではありません。
あなたの提示した問題がただ否定され嘲笑される情景に、かつてのフェミニスト先駆者たちの異議申し立てが
「モテない女のひがみ」「ただのわがままだ」と矮小化され個人化され無視されたのと似たものを見たからです。
類または構造としての「弱者男性」問題の「コア」を見逃すことは避けたかった。
ましてフェミニストがそれを潰すようなことはあってはならないと思う。

一方で、皆さんがあなたに対して批判的なのは、あなたの提示する類的または構造的問題の向こう側に
あなた「個人」の存在が見え隠れするからだろうとも思います。
わたしは、あなたの類的または構造的な問題提起を肯定するけど、それをあなた「個人」に全面適用することには懐疑的です。
だって、あなた「個人」がそれほど絶望的な状況にあるとは思えないもん。
(もちろん本当のところはもっと情報がないとわかんないけどね)

ここから先は「物書きとして」という話になるけど、あなた自身、ネタとベタの区別が十分にできてないんじゃないかな。
だから徒に議論を混乱させるという部分もあるだろうと思います。
また、物を書いて世に問う以上、「当事者だから」で何もかも免罪されるわけでなく、書かれた事柄に即して叩かれも潰されもします。
ちょっとマキャベリスティックな話になっちゃうけど、言説の政治学という面ではまだまだだなーとは言っておきます。

 まず、フェミニズム一般への反発、というかバックラッシュの本質は、決して八木秀次という「ラスボス」が若者を焚き付けて、バカな若者がそれに騙されているというものではありません。
 男性が男性であるがゆえに救済を拒否され、驚異的なまでに変質した日本社会のひずみに押しつぶされている若者たちが、唯一アクセスできる「公」であるネットを通して、「自分たちを抑圧するもの」に対して呪詛の声を挙げている現象こそがバックラッシュなのです。
 そういう意味で、そうしたかつての女性差別に対する呪詛の声が、学問や社会運動という「まとまり」として展開されたのがフェミニズムの本質でしょうから、かつてのフェミニズムと、私の持つ弱者男性の問題が非常に「近い」ものであることは、同意します。
 また、その近さ故にフェミニズムが男性弱者にとっての標的になっていると考えます。

 しかし、かつてのフェミニズムがその「男性と女性」という生得的で分かりやすい特性であったが故に「差別しやすく反発しやすい(女性が女性として生まれたのは、自己責任ではない事は明白)」ものであったのに対し、男性弱者は自己責任論と巧妙に搦め取られているために「差別しやすいが反発しにくい(フリーターやニートがそうであるのは自己責任ではない事は明白とは言えない)」性質を持っています。
 故にその反発は自ずと「個人的なもの」にならざるを得ず、男女差別のような社会構造的な問題として提起しにくいのです。

 しかし、どうにせよ「個人的な反発」なしに、こうした問題が社会的にまとまることはあり得ませんし、私が現段階ですべきことは、「とにかく大声を出して、個人的な反発があることを明示する」ことであると考えました。
 本来なら私のような人間がブログで挙げた声を、若者に近しい論壇が、その学問的素養をもって十分な説得力をもってまとめあげ、我々の社会に対して増幅し発信するべきなのです。ですから、「フリーター・ブロガー」と「宮台・文化サヨク(私の言う「左傾論壇」の若者社会により近しい側)」(この分類は分かりやすいと思うので、つかわせていただきます>Oさんへ)の間にパイプが出来ることこそが重要なのです。

 しかし、現実には掲示板にいる「論壇に片足を突っ込んだ方」みたいな、その知識をもって、不勉強なフリーター・ブロガーを論破して楽しむという、社会的問題ではなく自分の快楽にのみ忠実な「論壇モドキ」が論壇に多いのです。
 以前この掲示板で、「ある教授だか助教授だかの人が、少年犯罪データベースを紹介していた」というコメントを書いたら、管理人に微妙な反応を返された。という書き込みがありました。
 これを私はその教授だか助教授だかの人が、素人である少年犯罪データベース管理人が一生懸命まとめあげたデータを、ただ一方的に利用し、何もデータベース側に返していないことに対する管理人の反発ではないかと考えました。
 この管理人さんは以前から「私は統計が得意ではないので、誰かしっかりとした統計データを提供してほしい」と書いていますが、そうした訴えに対して、統計が出来るであろう教授先生がまったく反応せずに、ただ「こんな便利なデータがある」とタダ乗りしてしまう。
 Webの発展は我々のような弱者にも表現の場を提供したけれども、現状では弱者がWeb上でまいた種を、紙媒体をもっているような強者がタダで採取してしまっている現状があります。

 あなたのおっしゃる「言説の政治学」という言葉がどのような事を差しているのかは分かりませんが、私はこんな方向性を考えています。
 それが「まだまだ」だというなら、それこそ「まだまだではない人たち」が私の「大声」を「社会の声」に変換していくべきなのであって、「お前が1から10まで全部やれ」と言われても、困ってしまいます。それでは「(広義の)社会学」の存在意義は無いに等しいでしょう。

<ビラ配布>「住居侵入」否定し無罪 東京地裁
 まぁ、無罪なのは当たり前として、むしろ「警察用語を駆使して通報した“自称”住人」の話はどうなったのかと。

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2006年08月25日
 ■ 話を進めていこう

永らく掲示板を放置プレイしておりましたが、それにレスをつけながら、少々話を進展させて行きたいと思います。
 ただし、話の進展を前提にしますので、特にそれに関わりがないと私が判断したレスについては、申し訳ありませんが、触れないということで。

Re:1390 IGさん

ドイツでネオナチが台頭して来たのも経済の悪化による若者の就職難が
そもそもの原因と言われてますし、なんでこの前例を生かさなかったんでしょうね

 いわゆる「極右の台頭」というのは、大抵は「わが身に対する不安感」から来るものですから、当然それを阻止するために「不安を抱かせない社会」を構築すののが、左傾論壇の本来の仕事です。
 しかし、昨今の左傾論壇はそこを勘違いし、危機的な状況までもを「それは危機的では決してないのだ」として、論理の構築を忌避してしまっています。それこそ、弱者男性の危機的な状況を、さも「わがまま」のように取り扱ってしまう。
 そのような考え方は、弱者男性の左傾論壇に対する嫌悪感を強くさせ、ウヨクへ傾倒を増長してしまうでしょう。

Re:1392 kajiwaraさん

ただでさえ少ない強者女性の中で、さらにそのような意志を持った女性を見つけるというのは、もはや「宝くじに大当たりすれば弱者男性ではなくなります」というのと同じレベルのような気がします。

 そうです。私が言っていることは、まさに「宝くじが当たって初めて男性弱者は幸福になれる」ということです。
 では、強者女性が弱者男性と結婚するのが、宝くじ的確率なら、一方の「ワークシェアリング」とやらはどのくらいの確率でしょうか? ウヨや一般人はもちろん、サヨクですら若者に職を譲ろうとなどしない状態で、ワークシェアリングがなされる確率はどのくらいでしょうか?
 一方で、日本と北朝鮮、もしくは中国の間で、戦争が起きる確率はどのくらいでしょうか?
 艱難辛苦を味合わせ続けさせられる弱者男性が、多くの人々が徴兵される中で「階級」という新しい階層を得て、少なくとも「他の人と同じ階層(例え二等兵であっても)」に復帰できる確率はどのくらいでしょうか?
 戦後民主主義の大物、丸山眞男は、陸軍は海軍に比べ「擬似デモクラティック」だったと言っています。それはもともとの職業や地位を一切無視し、兵士としての階級のみが順序を決めるという意味です。
 そうした中で大学出の丸山二等兵は、中学にも進んでいない一等兵に執拗にイジメ抜かれたんだそうです。[苅部直2006 『丸山眞男 −リベラリストの肖像』]
 丸山寄りの視点に立てば「かわいそうだ」ということになりますが、一方で丸山のような知識エリートに囲まれた幸せな環境などを持たなかったであろう「中学にも進んでいない一等兵」の視点で見れば、戦争こそが知的エリートである丸山よりも高い身分を、彼のために保障したのです。

 私は、ワークシェアリングが施行されるのは「天文学的確率」だと考えますし、北朝鮮との間で戦争が起る確率は「宝くじの高額当選」だと考えています。
 そして、強者女性と弱者男性のカップリングが「宝くじの高額当選」なら、戦争を起すのと同程度の確率で、弱者男性が「右傾せずに」幸せになることができるのです。
 左傾論壇が天文学的な確率を、さも間近に実施できるような事を言い続けるならば、とうぜん弱者男性は右傾化していくでしょう。しかし、それよりも確率の高い方法論を同時に提供していくなら、少なくとも弱者男性は安易には右傾化しないのではないかと考えます。
 そしてもっとも重要なのは、弱者男性はそうした宝くじ的確率にしか希望を見いだせない立場だからこそ、弱者なのだということです。

Re:1397 harutoさん

「個人の意志により弱者を養う」というモデルを、結婚という制度を利用して考えるところに無理がある、そう思います。

 この点についても既に書きましたが、まさに「全部目が1のサイコロを用意するべき」なのです。
 無理があろうとなんだろうと、弱者の救済は行なわなければなりません。
 この問題では、日本の「左」と言われる人々の存在意義そのものが問われているのです。

Re:1402 ひよさん

また、ポストバブル世代であっても、能力のある人間は糧を得ています。

 その主張が、逆に「糧を得ている人間が、社会的に「能力がある」と判断されている」のではないという証拠、すなわちどっちともいえる相関関係ではなく、明確な因果関係であるという論拠を提出してください。
 また、逆に「一億総中流」の社会においては、その人たちが能力があったから、生活するだけの糧が得られて、総中流が達成されていたのでしょうか? その点についても論拠を提出してください。
 ちなみに、それが証明できれば、世界的な影響を与える論文になるでしょうね。大物社会経済学者の登場バンザイ!!

で、これはネタやアイロニー抜きで伺いたいのですが、
「0.1%でも」と書いていらっしゃいますが、これは全「弱者男性」に対する割合と考えて良いでしょうか。
その場合、その0.1%にご自分が含まれないとしても、「強者への結婚強制」という方策は十分に意義を果たしたと思われますか?
実際、ごく(ごくごくごく)一部の弱者男性は既にキャリア女性との縁を得て主夫生活を送っていますが、それでは不十分ですか?

 0.1%が達成されているなら、次は0.2%を目指すべきです。それが達成されれば次は0.3%です。別におかしくもなんともありません。

Re:1438 ZLSECさん

もし絶対弱者女性という人々がいて(各自どんな女性か想像してみてください)、
自分よりも強い立場の弱者・強者男性は自分と結婚して救済すべきだなんて言っていたら、
あなたはどう思いますかね?

 それは、わりと普通のことでしょう。
 お見合いなんかで、強者男性に対して弱者女性、すなわち「女性ニート=家事手伝い」(実際に「家事手伝い」はニートに分類されています)を紹介するというのは、普通のことです。
 一方で、女性強者にフリーター男性の見合いを勧めるなんてことはないでしょう。

 と、そういう意味で読んだのですが、「強い立場の弱者・強者男性」ってなんですか? 立場が弱いから弱者だといっているのに……?

某読書会のあとに、次の高速バスまで少々時間があいた(今思えば、王子に行けばよかったな)ので、八重洲地下のゲーセンでQMA3。
 大魔道士でカンスト1回状態。組ランクがあがらないと賢者になれない。とはいえ、ここ4回の成績は220ポイント超のAランク2回と180点レベルのBランクが2回。QMA3では「過去5回の平均が200点以上で、組ランクが上がる」と言われているので、ここで220点ぐらいとれば、確実に賢者になると思われ。
 そんな緊張感でプレイ。3回戦は4位でギリギリ通過であったが、この時点でここまでの合計が190点ほど。
 決勝は優勝こそ逃したものの、2位で合計250点ぐらい。リザルト画面になって、合計点発表と共に画面が暗くなって「ペガサス組になりました」賢者キターーーーー。
 結局、今まですべて通して、カンストは大魔道士−賢者間での1回だけでした。おめでとうおめでとう。

 しかし、今思えば、お酒飲んでいた頭で、しかも夜9時台というゴールデンタイムによく決勝まで残れたなぁ。

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2006年08月24日
 ■ The SUN

「太陽」を見てきた。
 川崎のシネチッタまで行ったのですが、館内は満員、別に変なウヨクとかもいませんでした。
 映画は敗戦直前の極めて緊迫した空気の中で映画は始まり、極めて重苦しい空気の中で、天皇の日常が過ぎていく。従者たちは極度に落ち着きがなく、天皇の精神も決して正常なものではない。
 気がつくと既に日本は敗戦している。
 やがて天皇や従者たちも、ようやく自己を回復したかに見え、ギャグシーンなどもあり、映画館自体を巻き込んで、なごやかな雰囲気に変わっていく。
 そして皇后が疎開先から帰宅。人間宣言に触れ、夫婦の会話と触れ合いで完全に人間であることを取り戻したかのように見える天皇。
 しかし、従者が映画内で唯一「いいえ」とハッキリと天皇に対してものを言うラストシーンで、天皇という現人神は、けっして人間になれないという現実を突きつけられる。

 作品としては全体的に重苦しいので、映画館という「目の前のものを見るしかない環境」で見ないと非常にキツい映画。けれどもそれは「つまらない」という意味ではない。
 その重苦しさはまさに天皇の置かれた状況と同義であり、そうしたキツさを共有してはじめて、作品の中で描かれる天皇を理解することができる構成になっている。
 どうせDVD化とかはないだろうから、見れるうちに映画館で見ておきましょう。

反米嫌日戦線「狼」(美ハ乱調ニ在リ)より、「昨年結婚したあの人のその後」
 日常のお買い物がここまで「楽しい」というのは、やっぱりそういう事をしたくてもできなかった御身分ならでは。
 コミケにも行ったのかな?(でも、初心者は、人の少ない「オンリーイベント」とかの方がいいだろう)

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2006年08月23日
 ■ 謝罪文ではなく宣誓文

「『バックラッシュ!』非難」について、しばらくいろいろと悩んでおりましたが、ひとまずは、安直な「煽り」を多用し、肝心の論旨を見にくくしてしまったことは、私の責任による大失態であると認識するに至りました。
 その点につきまして、読者の皆様にお詫びしたいと思います。

 ただし、これは決して全面降服の謝罪文ではありません。
 これまで「『バックラッシュ!』非難」で書いたことについて、一切を取り下げたり、これまでの論旨を曲げるつもりはないことを明確にしておきます。それはmacskaさんに「お前は自己責任論者だ」などと言ったことも含めてです。
 私自身、左傾論壇の弱者男性軽視の風潮については、『バックラッシュ!』以前から疑問に感じており、こうした問題をどこかでハッキリと主張することは社会全体にとって必要な事と信じています。
 また、これまでの文章についても文体に問題はあっても、その論旨は正当なものであると確信しております。
 それを安易に「みなさんから怒られたので、今までの主張は取り下げます」などとしてしまえば、それこそ一人の書き手として責任を完全に放棄することになりますし、その方が『バックラッシュ!』関係者の皆様に対して失礼なことになるでしょう。

 今後は少々の皮肉な文章は入れるかもしれませんが、論旨を明確化させることを目的に、冷静な文体を用いて、『バックラッシュ!』非難を高いレベルで完成させることを、ここに宣誓します。

 今後とも「深夜のシマネコ」をよろしくお願いいたします。

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2006年08月20日
 ■ 特にタイトルはなし

爆笑太田と中沢新一と光文社集英社新書が憲法9条
 この取り合わせを見ただけで「薄ら寒い」
(光文社じゃなくて集英社だった……8/21修正)

岡本壁画 巨大すぎて、受け入れ決まらず 安住の地探しへ
 メキシコでもそういう経緯で倉庫にしまわれてたんだろうな。
 太郎はともかく、これからの芸術作家は、こうした「保管」のことも考えて、作品をつくるべきではないのだろうか?
 そうした機能そものもに芸術性を認めてもいいだろうし。

コンビニに駆け込み5300件=酒・たばこの年齢確認は定着−協会が調査

酒、たばこ購入者への年齢確認実施率は、それぞれ95.4%、90.6%でほぼ定着していたが、成人向け雑誌の販売では68.0%。実施率が最も高かったのは、酒は鹿児島県、たばこは愛媛県だった。

 いやいや、絶対にザル調査だってこれ。
 どうせアンケートのFAXを一斉送信して、返ってきたのをまとめただけだろ。そうじゃなきゃ年齢確認が90%越えとか絶対にないから。
 運転免許適正試験の「誰かにいつも狙われていると思うことがある」という項目と同じだ。

海外からの英文迷惑メール、国内携帯電話に大量送付
 ニュースそのものというよりも、単純に「こんなことがニュースになるの?」という驚き。パソコンだと普通のことだし。

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2006年08月19日
 ■ 弱者隔離への欲望

私は今までウヨ厨のいうような「日本の家族を崩壊させたがっているサヨク」の存在など、ふざけた妄想に過ぎないと思っていました。
 そしたらいましたね。本当に。

 「記憶と歩行」06/08/11のコメント欄より。

terutell 『その、赤木さんという方が、どうして、強者男性に、養ってくれ、といわないのか、わからないんです。別に、生活のために強者女性と結婚しなくても、生活のために、強者男性のなかから気の合いそうな人を選んで友情に基づいた共同生活を送ればいいんではないでしょうか? なんで女性に要求するの?』

serohan 『おはようございます。
terutellさんのコメントに、共感をしながら読んでいました。
>女の人が「男を慰めたり支えたり」することを生き甲斐にしているんではないかと、思っている男性は多いと思いますよ、
本当にそうだと思います。おそらく、赤木氏も無意識のうちに、そのような概念があるのかもしれません。

 うひゃあ!! 本当にいるよ、家族概念を崩壊させたがっているサヨクが。

 私が望んでいるのは、あくまでも「普通の一般人として、家族を持ち生活をしたい」ということです。
 これはきっとサヨク以外の普通の生活者には、容易に納得しうる考え方だと思います。
 それがなぜかそれに対して「強者男性との共同生活」やら「弱者男性同志のグループホーム」などという、意味のよくわからないあさっての方向の話を持ち出す人間がいる。たとえるなら、俺が「朝食にはご飯とみそ汁と納豆と漬け物を食べたい」と言ったら、それに対して「どうして蚕やザザ虫を食べたいと言わないのか分からない」などといわれるようなものです。実に意味不明。意味が分かる人がいたら、ぜひ解説お願いします。

 そんなこんなで意味不明な迷走はやがて、(06/08/12のコメント欄

下のterutellさんの適切なツッコミとこちらの記事を拝読して思ったのですが、赤木さんの助けて欲しいってのは、性的自尊心を満たして欲しい(性欲の充足だけではなく社会的にカノジョや嫁さんがいる男であると認識されること)、ということと経済面での将来的な展望、いわゆる自分の食い扶持という項目を、あえてごっちゃにして言ってますよね。

 などという、「アイツはセックスをしたいだけなのだ」というレッテル張りに収束してしまう。(カッコ書きで言い訳をしているけど、カッコ書きの中の事だけを言いたいなら、単純に「自尊心」でいいハズだ)
 ならば、日本の家庭は全部セックスで成り立っているのかと聞いてみたいですね。共生や愛情という概念は一体どこに消えてしまったのか。

 こうした心ない誹謗中傷を受けて考えるに、こうした人たちは弱者である我々を、一般の家族概念から追い出して、なにか別のモノに隔離してしまいたいという欲望を持っているのではないかと考えます。
 かつて日本にエタやヒニンがいた頃は、居住地によって彼らを隔離していましたが、土地が資産になってしまった現在においては、弱者の隔離のために土地を提供するなどということは出来ませんから、ライフスタイルを共生することによって、彼らを隔離し、同時に主体的に選び取ったライフスタイルであるのだから「自己責任だ」ということにしたいのでしょう。
 ワタリさんがそのような弱者に対するライフスタイルの強制を批判して「フリーターは漂流しているから悪いのか?」というエントリーを挙げていますが、こうしたことを含めて、ライフスタイルの多様化を良しとするはずのサヨクが、弱者を「ある」ライフスタイルに隔離するという考え方を積極的に支持しているのは極めて興味深い。彼らにとって、ライフスタイルの選択は強者のみが得られるべき勲章なのでしょうか?

 宮台先生が「フリーターがフリーターのままで幸せになれる社会」を標榜し、我々をフリーターという職種に押し込めようとするように、今後は産業界でも「弱者のため」と称しながら、我々を決して幸せになれないライフスタイルに押し込めようとする勢力が増加していくでしょう。というか、パソナなんかが既にそういうことをやってますね。
 そうした中で一方に(戦後)伝統的な家族社会は正社員層によって存続させられ、格差は確実に固定化していきます。

 そうした状況において、我々弱者ができることは、なるべく早いうちに伝統的な家族社会に入り込んでしまうことです。
 自立という「威勢」を重視するのではなく、そうした環境からさっさと逃げて家庭に入ることの方が、はるかに自分を守ることに繋がるのです。
 だから私はお嫁さんを募集していますし、私のような男性と結婚することは、現在仕事を持っている女性にとっても、伝統的な家族社会の側に入ることを明示できるために、この格差社会において自分のランクを高いほうに固定できる可能性が高いのです。家庭に入るために仕事を捨てなければならないなら、多少のオルタナティブ性をおいても、主夫を手元に置いておいたほうが仕事は安泰です。

 そういうわけで、私は弱者にレッテル張りをしたいサヨク層から、いくら誹謗中傷をうけたとしても、自分の尊厳を守るためにも、私を養ってくれるお嫁さんを募集し続けます。
 あなたは独身であることを責められたりすることはなくなりますし、私も幸せになれます。二人で幸せになりませんか?
 この件についてのご相談は、お気軽にメールをください。

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2006年08月10日
 ■ 『バックラッシュ!』非難の本質とは?(その2)

私の『バックラッシュ!』批判に対して、古くからの読者は「今までやってきたことと、まったく違う。彼は変わってしまったのか?」等、感じているのかもしれません。
 しかし、この件に関して、表面的な方法は変更しましたが、少なくとも自分の中では「ゲーム脳」あたりから私のやっていることは一貫しています。
 それは、権威主義に対するラジカルな批判です。

 そもそも「ゲーム脳」のような妄言がどうして世の中に大きく広まったのかを考えれば、森昭雄の持つ「日本大学教授」という肩書きが大きく作用していたと考えられます。
 たとえ専門分野が違ったとしても、そうした肩書きがあることによって、それが学問的だったり科学的だったりする、完全な真実だと思いこんでしまう。最も顕著な例になると、ただの歯科医が饒舌に子供の問題を語ってしまう丸橋賢のようなものまであります。
 そうした擬似科学が世間に蔓延った時に、では正しい科学は何をしているのかといえば、これをまったく無視するという方法を取ります。向こうは向こうでこれが擬似科学だと分かっているから、相手にしない。
 相手にしないと言えば聞こえはいいですが、彼らが擬似科学を相手にしない間に、当の擬似科学は社会に蔓延して「定説」として扱われてしまうわけです。
 ゲーム脳については、精神科医である斎藤環を唯一の例外として、この本の科学的な間違いを指摘しつづけたのは、名もなきWebの人たちでした。しかし、名もなきWebの人たちは、その名前のなさゆえに、いくら正しいことを発信しても、十分には社会に広まらないのです。軍備の潤沢なイスラエル軍に対して、パレスチナ人が石を投げて細々と抵抗するようなものでした。
 Webの人たちはそうした抵抗をくり返しながら、このような擬似科学が擬似科学として、正当な科学者に批判されるのを待ちつづけてきました。
 そして、ゲーム脳の話が既にほとんど離散し、もはやその他の擬似科学に拡散した最近になって、ようやく一部の脳科学者から少しずつ反論が出て来ましたが、メディアに対する返答のレベルであって、研究としての批判ではありませんでした。そういう意味で『ゲーム脳の恐怖』以上にゲーム脳について詳しく記述されている文章がないのが現状です。
 このような現状では、森昭雄に「彼らはゲーム会社に金を貰って言っているのだ」と罵倒されても、文句は言えないでしょう。

 こうした構図の中には「2つの権威主義の形」が見えます。
 1つが、肩書きに対する、一般市民の盲従。
 そしてもう1つが、学者などの権威者に対する、責任追求の安直な放棄です。

 本来、学者という人種は、論文や各種メディアでの表現に対して、明確な責任を負うべきなのです。
 稲作農家であれば、お米の出来に責任を持つ、工員であれば目の前の製品に、工場経営者であれば全体の製品に責任を持つ。
 ならば当然、学者は論文や各種メディアでの表現に対して、明確な責任を負うべきなのです。
 こうして書けば当たり前のように聞こえるかもしれませんが、ならば森昭雄は「ゲーム脳」という明らかな擬似科学に対して、何らかの責任を取ったのでしょうか?
 いいえ。『ゲーム脳の恐怖』の印税は当然当人が受け取っていますし、各種の講演料も受け取っています。そして今だに日本大学の教授であり続けています。

 私は昨今の「新書ブーム」もそうした「責任感の欠如」が根底にあるように感じています。
 強権力者が「これは新書であって、単行本ではないから」と、新書特有の同じ判型で同じような表紙という匿名性を利用し、書き飛ばして金を儲けて、批判されてものらりくらりかわしていればいいのです。もっともらしい理屈を述べたければ「学問の多様性のために、安直な批判はなされるべきではない」とでも言えばいいでしょう。まさに「やったもの勝ち」の論理が新書ブームの中に透けて見えています。
 ただし、問題の本元は個人にはありません。いくら個人が無責任であろうと、その責任を社会が追及すればいいのです。
 しかし、現状を見てハッキリしているように、社会はそうした権威者に責任をほとんどと言っていいほど追求しません。唯一マスコミは責任を追及していますが、それもライブドアだとか村上ファンドだとか、その偏った価値観と野次馬根性でニュースバリューを追求した結果に過ぎません。当然マスコミ自身も所詮は権威者に過ぎないのですから「金持ち喧嘩せず」ということなのでしょう。

 そして、こうした権威者全体に対する不信が、今回の『バックラッシュ!』非難。すなわち、なんだかんだと平等がなされるようなことを言いながら、この期に及んで今だ何ら達成せず、さらには過去の文脈を持ち出して金儲けを企む既存の「言ったもの勝ち左傾論壇」への不信とイコールであることは、言うまでもありません。

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2006年08月07日
 ■ 宮台真司の「まったり詐欺」 〜バブル受益世代の自己肯定文脈に騙されるな〜

『サイファ 覚醒せよ』文庫版あとがき:「実存的な曖昧さへ」を読んで、「まだこいつはこんな悠長な事を言っているのか」と愕然とした。

 ハッキリいえば、このような思想は、その生活に対して十分な金銭という土台が築かれていることが前提条件なのだ。
 ただ曖昧なままに生きていれられる強度など、金銭のない生活の上では容易に瓦解する。
 ならばこうした論理が適用されるのは、若い人や現在道を迷っている人たちではなく、既に金銭という土台を手に入れた、既存の強者である。
 そしてそうした強者のうち、女性に対して、「NANO主婦」という新たな付合がつけられているそうだ。
 もちろん、私自身はこのようなレッテル張りに賛同しない。だいたい、主婦なんて昔っからその程度のものだろう。(念の為に書いておくが、男性会社員だって同様に「その程度のもの」でしかない。別に彼らが主体的な意味をもって会社にいるわけではないだろう)
 このような他者に対するバッシングは、すべて自己に対する誇大妄想から発生している。そして社会全体にとっての自己は「昭和」であるとか「団塊」であるとか「正社員」といった、マジョリティーの記憶である。
 宮台の論理は、こうした差別は否定するが、一方でそもそもの土台の問題に対してはサッパリ言及しない。ここでも「過剰流動性」という言葉が使われているが、そもそもこの言葉は「金余り」の意味である。その言葉で社会を語ろうとすれば、自ずと「金銭という土台が崩れていること」を強力に否定することになるし、そもそも金銭的御恵に預かる状況にない人間のことを、すっぱり切り捨てることになる。
 そして、現に宮台の思想はもはや彼の同世代、すなわちバブル受益世代にしか届かないものになっている。

 以前に双風舎の谷川さん(!)と話していた時に、「宮台真司の名前も、今の学生達にはもうほとんど知られていない」というような話を聞いて驚いた記憶がある。
 だが、確かにバブルの夢を引きずっていた当時に、つまり私がまだ20数才の頃に見ていた宮台の思想と、バブルの夢などとうに捨てた現在に見る宮台の思想を比べてみれば、現在において宮台の論理はいかにも古くさい。そうなると、90年代サブカル界では有名人だった彼の名前が忘れられるのも当然だろう。

 だが、80年代から90年という、黄金期の復興を夢見る左傾論壇は、今だに宮台の名前を重用している。
 というか、当時の論理をもちいて、それがそのまま現在にも通用すると考えている。
 そうやって若者を当時の「懐かしき栄光の日々」の中に囲い込もうとしている。

 しかし、騙されてはいけない。
 そうした囲みのなかにおいては、我々はいつまでたっても弱者のままで放置される。
 弱者がいて、彼らが実存に悩めば悩むほど、彼らの論理は重用されるのだ。
 拉致議連が決して拉致被害者を助け出そうとしないように、若者を古くさい論理のうちに取り込もうとする左傾論壇の論理は、決して我々を救い出すつもりなどない。
 我々が生きにくいのは、決して我々自身の意識の問題、すなわち自己責任ではなく、我々に支払われるべき金が、我々に支払われないという社会問題なのだ。

本題と関係ない自分用メモ
 昨今の「経済学ブーム」は、経済学がブームになっているというよりは、かつてのサブカル系社会学ブームが、経済学に取って代わったと考えるべきである。
 というか、今は実用学問ブームか。
 新書ブームもそれを下支えしているのは、学問の砦に守られた「大先生」たちである。大先生であれば、ゲーム脳だろうが、品格だろうが、準引きこもりだろうが何でもいいのが新書ブームである。
 新書ブームは、かつての新興宗教ブームと同じ意味を持っている。公安はアーレフを見張るより、出版社の出入りを見張ったほうがいいのではないか(笑)

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2006年08月06日
 ■ コメントに対する返答

件の場所がコメント欄を差し止めてしまったので、仕方なしにこちらでコメントに対する返信を掲載。どれだけの人が見てくれるかは知らないけど

crafty さんへ

>先延ばし、なにも解決しないというのは、
>再配分、つまり強者がコストを払わなければ意味が無いということでしょうか。

 その通りです。
 現在においては「弱者から強者へ」の金の流れはあっても、「強者から弱者へ」の金の流れがまったくありません。というか、そうした流れが一方通行になってしまったからこそ、現在の格差問題が発生しているのです。
 ですから、なんとか「強者から弱者へ」という金の流れを作り出さなければなりません。

>それなら、やはり再配分を結婚という形で実現するよりは、お金の形でルームシェアのコストを援助させたり、
>ベーシックインカムを保障する方が多くの弱者男性にとっては現実的な気がします。

 問題は「それを誰がするのか?」です。
 だれもしないからこそ、「結婚」という極めて個人的な場所にまで引き下がってそれをしなければならないのです。また、誰かさんは政府のせいにして再配分を拒否しますが、個人レベルでも再配分は達成できるということの実践でもあります。
 私がこんなことをしなければならないハメになっているのは、もちろんいわゆる「ネオリベ」の仕業であることはもちろん、そうしたネオリベ思想が蔓延る現状に対して、何もせずにただ傍観し、口先だけで「ワークシェア」だの「男女平等」だの言って金を稼いでいるようなバカ鸚鵡みたいな連中の仕業でもあります。

>それとも弱者男性が単に生活が送れるだけじゃ駄目で、結婚したり子供を持てなければ意味が無いのでしょうか。
>赤木さんは、問題は弱者男性が死なずに生活を送ることで、
>結婚はそのための手段である、とおっしゃっているようなので、これは違うと思いますが。

 ええ、生活さえできれば、それ以上のことは各個人が決めるべきことです。
 しかし、生活できる人間と生活できない人間がいる場合に、生活できる人間がただ自分の利益のみを考えて生きるならば、それはネオコン思想だと罵られるのも当然でしょう。


nector さんへ

>macskaさん、赤木さん双方に、議論する能力の欠如がみられます。
>http://www.kt.rim.or.jp/~jda/intro/intro4.htm
>このあたり呼んでみては如何でしょうか。

 わたしはそういう議論のありようを「教養主義的」として批難しているのです。
 仕事に追われて本を読んだりする余裕のない実際の弱者と、生活も安泰で仕事で本を読めるような特権階級の人間が、そうしたパーソナリティーを不問にされて「「誰が」ではなく「何を」議論したのかが重要だ」などと言われてしまえば、どうしたって特権階級の人間が議論に勝つに決まっているのです。それはまさしくネオコンの思想でしょう。
 社会についての議論は、各自の利益が絡むために、純粋な議論とは絶対になりえません。科学の問題をやっているわけではないのですから、非純粋さをその議論を非難するための根拠とするべきではありません。(昨今の科学偏重的な考え方も、教養主義の暴走か?)
 本当に正しい社会議論をするためには、「誰が何を言ったのか」こそが最重要なのです。


HAKASE さんへ

>まず,最初にお願いですが,「比較する際は基準を明確にすべき」という点について同意いただいているか否かを明確にしてはいただけませんか?

 私はこれまでの話について、ずーっと基準を明確にしています。それは「生活できるかできないか」ということです。
 にもかかわらず、あちらの人が必死に「ある一面では強者(or弱者)なのだ」とかワケの分からないことを言っているので、困っています。

>もし同性愛者の家族等との関連について具体的な状況を知らないために,比較ができないのでしたら,まずはそう書いていただけないでしょうか?ちなみに,私自身もいろいろな問題に対して詳細を知らないために私個人では比較をすることができない事柄がたくさんあります.そして,そのことは,「基準があいまいな状態で,具体的な事例のともなわないで,2者を単純に比較をすること」に対して私自身が疑念を感じる理由のひとつにもなっています.

 ところで、なぜそれほどまでに「家族との関係」が重要なのでしょうか?
 同性愛者が、すくなくとも自分の生活を保証できる賃金を得ている場合に、もし家族がそうした嗜好を見抜き、そのことを批難し、露骨に差別を加えて来たとしたなら、その人は家族との関係を絶って生活すればいいだけの話ではないのですか?

>それから,私からの2つ目の提案についてですが,赤木さんがおっしゃっていることの趣旨は(細かい点を別にすれば)おそらく同性愛者でもある私は十分に実感を持って理解していると思います.私も,実生活においては,よほど重大な問題でない限りは,自分のことをノンケの知人にはなかなか話せないですから.

 別に、そんなこと話さなければいいだけの事じゃないですか。
 話したっていいですが、それで関係を絶たれるようなら、それはそれでしかたないんじゃないですか?

>生死の問題まで出すほどのことですから,それを差し置いてでも解決すべき問題があるのかとも思っていましたが,書き込みの状況から察するに,赤木さん個人の状況に限定すれば,現状では,まだ,そこまで深刻というわけではなさそうですし,今のところは自分の経験を述べるのは無理だというのでしたらそれはしかたがないと思います.

 30過ぎた人間が、仕事を欲しながら、生活のできるだけの賃金が得られないというのは、日本社会においてはそうとう深刻な問題なんですけどねぇ。
 あと、あなたがこれまで言った「家族」や「知人」の問題の何が重大なのか、サッパリ分からないのですよ。というか、そんなことで「同性愛者は差別されてる」なんて言ってるんだったら、まさに「同性愛者に対する差別なんて全くない」といっていいレベルでしょう。
 その程度のことで「赤木さんがおっしゃっていることの趣旨は(細かい点を別にすれば)おそらく同性愛者でもある私は十分に実感を持って理解していると思います」などといわれても、こちらとしては「そんなくだらない問題と一緒にするな」と憤りを感じます。

 弱者男性なんか、家族には当然のように疎ましくされ、知人との関係など恥ずかしくて持ちようがない。しかし、それでも自分ひとりでは生活できないから家族と暮さなければならないという、あなたには想像もつかないであろう苦痛を常に味わってますよ。それが分からないから「そこまで深刻というわけではなさそう」などと言えるんでしょう。

>ご自身の体験であるか否かは別としても,困難な状況について当事者が具体的な例を出せないと,(特に周囲の人たちが気付きにくい問題点についてはなおさら)周囲のひとたちと協力しながら状況を改善していくことは難しいと思います.それをせずに抽象的な問題提起や論の展開をするだけでは状況改善は(不可能ではないにしろ)難しい,という点については,理解しておいていただければと思います(十分承知の上でのことかもしれませんが).

 それについては同意しますが、弱者男性の具体例というのは恥辱と屈辱に満ちたものです。それをなんの保証もなしに「さらけ出せ」というのは、かなり厳しい話のように思います。


xanthippe さんへ

>奥さんがほしい!っていうキャリア女性はおりまするよ。東京あたりで夜の12時過ぎに電車から吐き出されてくるような女性たちの多くは、それに近いことを言っているのではないですかね?知人の娘さんもそうです。

 じゃあ、その知人の娘さんを紹介してくれませんかね。
 まぁ、もっとも本音はどうか知りませんが。

>ただ、キャリア女性ではあってもジェンダーによる拘束(差別)を受けている現実はあって、仕事を続けるのであれば、結婚して子どもを生むなんてこととてもじゃないが無理、と多くのキャリア女性は考えている。 多くの女性には「仕事か結婚して子供か」、の二者択一しかないんですよ。今のところね。

 だから、私は「子育てをします」と宣言しています。
 ただ、妊娠に関しては体の機能的に男は代替できないのですから仕方ありません。個人的には試験管ベイビーでいいと思いますがね。

>強者女性というのは多分、「仕事も結婚子育ても」をゲットした人だけですよ。二者択一で仕事を選ぶしかない女性は強者とはいえないと思いまするなあ。弱者ですよ。

 私が言っている「弱者」とは、自身で生活できるだけの賃金を得られない人のことです。弱者は仕事に就けないからこそ弱者なのです。生活できるだけの賃金を得られる仕事に就ける時点で時点で強者なのです。

>んだから、こういう弱者女性を支え、励まし、おだて、余分な心配をさせないように家庭を守り、家計管理や子育てに励み、必要な時にはパートで家計を支え、あるときには熟練ホストのようにサービスし、仕事のアドバイスも適切にこなせる秘書の役割まで果たすことができる男性がいれば、良い組み合わせになるんじゃないですかね?料理がちょっとできるだけじゃ無理でしょうけどね。

 仕事のアドバイスをする主婦って聞いたことないなぁ。むしろ「男の仕事に女は口を出すな」でしょ。

ついでに、書き込んだものの承認待ち(でも、承認されることはない)のmacskaへのコメント

>わかりました。前言通りあなたを議論の相手とはみなしません。
>今後二度とわたしのブログにコメントを書き込まないでください。
>ただし、気が変わって撤回する気になったなら、macska AT macska DOT org までメールでご連絡をいただければ柔軟に対処しないわけでもありません。

 残念ながら、そういうわけにもいきません。
 他の方へのコメントを保留にしてしまっているので、それに答えないといけないからです。私はあなたと違って「ちゃんとやるべきことはやらなければならない」という責任感がありますからね。
 別に議論の相手と見なさないならば、あなたが私にコメントを返さなければいいだけの話です。
 それに、私はあなたの言いがかりについて、あなたに対してではなく、他の人たちに対して、自分の名誉を守るために、返答せざるを得ない状態になっています。
 だから、あなたのコメントに対して返答をしますが、あなたは私にコメントを返さないでください。それでいいでしょ。


>> 10年も口約束だけで、それをまったく果たす気なんかないくせに、なんで
>> そんなに偉そうなんですか?
>赤木さんこそ、どうしてそんな偉そうなことをわたしに言うんですか?
>10年前に口約束をした人がいるのであれば、その人を問い詰めるべきでしょう?

 そういう口約束をしたのは、左傾論壇そのものですよ。
 とうぜんそこに含まれるあなたは、その責任を負うわけです。

>しかし、この問題において一般的な意味でいう自己責任論(すなわち、弱者男性が苦しい立場に置かれているのはかれら自身のせいであるという論理)をわたしが主張したことは一度もありません。

 わたしに対するコメントでは、何度も何度も言ってますけどね。「それはコメントであって、主張ではない」とでも?

>> 『バックラッシュ!』の紹介を見ましたが、どう見てもあなたはご立派な
>> 経歴を持つ「大先生」じゃありませんか。
>何か大きな誤解をされているようですが、少なくともあなたから「強者」と呼ばれるような立場ではありません。

 誤解でも何でもなく、『バックラッシュ!』の執筆者のほとんどが明確な強者ですよ。いやぁ、本に書かれて恥ずかしくない、ご立派な経歴の方ばっかりで。
 そいえば、どっかのBlogで鈴木謙介が職業欄にフリーターだとか書いていた画像がありましたが、あれほどフリーターをバカにした話はありませんね。


>でも、わたしを含めここで赤木さんに反論している人のだれも、男性弱者の問題をないがしろにしていません。他の問題も重要であると言っているだけです。ところが赤木さんは、他の差別はほとんどないと言っても良いほどだと言い放ち、自分の問題だけが最優先だと主張しています。つまり、他の団体はこれまでやってきたこともいまやっていることも全部放り出して、あなたのことだけをあれこれ手助けしてあげなければ「差別主義者」だとあなたは決めつけている。そんな調子で、さまざまな反差別運動のあいだの協力関係が築けるはずがないでしょう?

 千日手ですね。
 もっとも私が言えるのは、あなたがたが積極的に男性弱者救済に協力しなければ、バックラッシュの流れは、これまで以上に強まることは間違いないということです。
 そして、多くの弱者男性は、バックラッシュによって古くさい弱者利権が消え去ることを期待しています。
 リベラリストたる私としては、そのような事態にはなってほしくないのですが、あなた方がそういう態度なら、それもしかたないと観念するしかないようですね。残念ですが。


>強者は弱者の問題などまったく想像の外にある、それはよくあることです。だからそれが今の議論にどう関係するのか、あなたは全く説明していません。もしあなたと議論している人たちがその「弱者の問題などまったく想像の外にある」強者だというなら議論に関係ありますが、ここで議論している人は一人の例外もなくみんな「給料をロクに受け取れない弱者の問題」を想像の内に置いています。すなわち、議論に全く関係ない。

 この話は、この問題の土台そのものです。
 女性や部落や民族が、いまだに差別されていると言い張るのも、
 あなたが自分を弱者であることをまったく認めないのも、
 弱者男性の早急な救済を認めないのも、
 すべては左傾論壇が「給料をロクに受け取れない弱者の問題」を想像の内になど置いてないからです。
 それが分からないなら、それは「経済格差に対する知識がない」と言うほかありません。


>> さしずめ女性優位論壇にとっては「赤木智弘が書かなければ、男性弱者など
>> 存在しない。男性弱者って言うな!」といったところでしょうか。
>そう言う人はどこかにいるかもしれませんが、少なくともいまここで議論している中には一人もいません。もし「いる」と思っているなら、被害妄想に過ぎません。

 へぇ〜。私はそういう人をけっこう近場で見かけたんですがね。


>わたしが「それを解決するには、再分配するしかないでしょう?」と言っている部分を引用しながら、「なんであなたは再分配の実施を否定するのですか?」と問うというのは、いったいどういう神経をしていたら可能になるのでしょうか? 支離滅裂です。

 言うことと、やることはイコールではありません。
 あなた方がそういうことを言いながらやらないで済んでいるのは、まさにあなた方が強者だからですよ。


>> とっとと再分配してくださいよ。なんでそれを必死に否定するのですか?
>わたしに決定権限があれば、とっくに再分配を実施していますって。しかし、わたしは再分配を一度も否定していないのに、あなたにかかると「必死に否定している」ことにされてしまう。そんな間違った決めつけによって「差別主義者だ」「ネオリベだ」と言われても、「議論の通じない相手だな」と思うだけです。

 最近、宝島社とか飛鳥新社から、くだらないウヨクのための読み物がよくでてますが、そういう人たちにはウヨクである弱者にお金を再配分する「決定権限」があるようです。


>> じゃあ、私は一体どういう側面で強者なのでしょうか?
>まず、男性ですね。それから、お嫁さんを募集されているところをみると、おそらく異性愛者ですね。これまでの在日朝鮮人差別や部落差別に関する無見識から想像するに、生まれながらに日本国籍であり、被差別部落出身として差別を受けてもいない。賃金労働をしているというところからして、重度の障害者でもなさそうです。また、わたしと同様に先進国にたまたま生まれついたことによって恩恵を受けていますから、それも含まれます。少し軽く考えただけでも6つの側面が見つかりました(他にもいくらでも見つかると思います)。

 男性だから、生活ができるだけの賃金が得られないことに、過剰に悩まなければいけません。女性は就職できなくても、結婚してしまえばいいんですから楽ですね。
 異性愛者だからといっても、賃金がロクに得られないので恋愛なんかできません。
 在日でも部落でもないから、強力な労働団体などの協力が得られず、賃金が得られません。部落だからこそ月20万の固定給を得られたA君の話は、前に出しましたね。
 重度の障碍者ではないから、賃金が得られないことは自己責任だと非難されます。
 先進国に生まれたからこそ、賃金格差が存在しています。どっかのジャングルの奥の部族に生まれたなら、このような差別を受けることもなかったでしょう。

 というわけで、その6つの側面すべてにおいて、私は弱者です。


>> クリティカルな問題なのだから、優先順序を先にしろと言っているのです。
>まず第一に、クリティカルな問題はそれ一つではない。第二に、優先順位を先にしろと主張したいのであれば最初からそう言えばすむわけで、他の差別は「ないと言って良い」と決めつけたり、自分に完全に同調しない相手を「差別主義者」「ネオリベ」などと決めつけて非難する必要はありません。それらの言説についてきちんと撤回したうえで「他の問題が重要なのもわかった、でも今この問題はすごくクリティカルだから少しでも早く対処して欲しい」と訴えるのであれば、まだ話をする価値もあったのですが。

 だから、その問題を延々放っておいたのは誰なんですか?
 そうした態度は、非難されて当然でしょうに。

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2006年08月05日
 ■ 暗い日曜日

私はだいたい8月に入る時期になると、気分がどん底にまで沈む。
 理由は簡単だ。もうすぐ誕生日になり、年を1つ重ねることになる。それを考えると憂鬱でたまらない。

 毎年毎年、この時期にその1年間になにもできなかったことを嘆き、次の1年を生き続けるべきか悩み、そしてまた来年も同じように苦悩するのだろうなと考える。
 生死の選択があるパーセンテージでなされているとして、20代の時期はそれが数パーセントでしかなかったものが、もう既に数十パーセントになっている。昔は「もう死にたい」だの日記に書く事で自分の心を落ち着かせていたが、今はもうそういうことをほとんど書く事はない。それは幸せになったからではなく、書く事が心を落ち着かせる行為ではなくなってしまったから。

 本当に自分でもなんでこんな人生を送っているのかが、さっぱりわからない。
 昔から他人よりもいい子にして、なにも悪いことなどしてこなかった。
 多くを望んだ事はなく、せめて人並みの人生を歩みたいとだけ夢を見続けてきた。
 それなのに、すべてが自分の望まないほう、望まないほうに突き進んでいく。
 ほんのわずかな希望はすべて奪われ、この手には常に考えうる最悪の結果しか残らない。
 望めば望むほど望みは遠ざかる、だから極力望まないことにした。
 しかし、望んでも望まなくても、どっちにしたって、何も手には入らなかった。ただそれだけ。

 大学を卒業して会社に入り、誰かと付き合い始めて結婚して、子供を育てて、やがて定年を向かえ、誰かに見送られながら墓に入る。そういう普通の人生を送ってみたかった。

 それが私の昔からずっと心の奥底に願いながら、絶対にかなうことのない夢だ。

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