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2006年08月10日

 ■ 『バックラッシュ!』非難の本質とは?(その2)

私の『バックラッシュ!』批判に対して、古くからの読者は「今までやってきたことと、まったく違う。彼は変わってしまったのか?」等、感じているのかもしれません。
 しかし、この件に関して、表面的な方法は変更しましたが、少なくとも自分の中では「ゲーム脳」あたりから私のやっていることは一貫しています。
 それは、権威主義に対するラジカルな批判です。

 そもそも「ゲーム脳」のような妄言がどうして世の中に大きく広まったのかを考えれば、森昭雄の持つ「日本大学教授」という肩書きが大きく作用していたと考えられます。
 たとえ専門分野が違ったとしても、そうした肩書きがあることによって、それが学問的だったり科学的だったりする、完全な真実だと思いこんでしまう。最も顕著な例になると、ただの歯科医が饒舌に子供の問題を語ってしまう丸橋賢のようなものまであります。
 そうした擬似科学が世間に蔓延った時に、では正しい科学は何をしているのかといえば、これをまったく無視するという方法を取ります。向こうは向こうでこれが擬似科学だと分かっているから、相手にしない。
 相手にしないと言えば聞こえはいいですが、彼らが擬似科学を相手にしない間に、当の擬似科学は社会に蔓延して「定説」として扱われてしまうわけです。
 ゲーム脳については、精神科医である斎藤環を唯一の例外として、この本の科学的な間違いを指摘しつづけたのは、名もなきWebの人たちでした。しかし、名もなきWebの人たちは、その名前のなさゆえに、いくら正しいことを発信しても、十分には社会に広まらないのです。軍備の潤沢なイスラエル軍に対して、パレスチナ人が石を投げて細々と抵抗するようなものでした。
 Webの人たちはそうした抵抗をくり返しながら、このような擬似科学が擬似科学として、正当な科学者に批判されるのを待ちつづけてきました。
 そして、ゲーム脳の話が既にほとんど離散し、もはやその他の擬似科学に拡散した最近になって、ようやく一部の脳科学者から少しずつ反論が出て来ましたが、メディアに対する返答のレベルであって、研究としての批判ではありませんでした。そういう意味で『ゲーム脳の恐怖』以上にゲーム脳について詳しく記述されている文章がないのが現状です。
 このような現状では、森昭雄に「彼らはゲーム会社に金を貰って言っているのだ」と罵倒されても、文句は言えないでしょう。

 こうした構図の中には「2つの権威主義の形」が見えます。
 1つが、肩書きに対する、一般市民の盲従。
 そしてもう1つが、学者などの権威者に対する、責任追求の安直な放棄です。

 本来、学者という人種は、論文や各種メディアでの表現に対して、明確な責任を負うべきなのです。
 稲作農家であれば、お米の出来に責任を持つ、工員であれば目の前の製品に、工場経営者であれば全体の製品に責任を持つ。
 ならば当然、学者は論文や各種メディアでの表現に対して、明確な責任を負うべきなのです。
 こうして書けば当たり前のように聞こえるかもしれませんが、ならば森昭雄は「ゲーム脳」という明らかな擬似科学に対して、何らかの責任を取ったのでしょうか?
 いいえ。『ゲーム脳の恐怖』の印税は当然当人が受け取っていますし、各種の講演料も受け取っています。そして今だに日本大学の教授であり続けています。

 私は昨今の「新書ブーム」もそうした「責任感の欠如」が根底にあるように感じています。
 強権力者が「これは新書であって、単行本ではないから」と、新書特有の同じ判型で同じような表紙という匿名性を利用し、書き飛ばして金を儲けて、批判されてものらりくらりかわしていればいいのです。もっともらしい理屈を述べたければ「学問の多様性のために、安直な批判はなされるべきではない」とでも言えばいいでしょう。まさに「やったもの勝ち」の論理が新書ブームの中に透けて見えています。
 ただし、問題の本元は個人にはありません。いくら個人が無責任であろうと、その責任を社会が追及すればいいのです。
 しかし、現状を見てハッキリしているように、社会はそうした権威者に責任をほとんどと言っていいほど追求しません。唯一マスコミは責任を追及していますが、それもライブドアだとか村上ファンドだとか、その偏った価値観と野次馬根性でニュースバリューを追求した結果に過ぎません。当然マスコミ自身も所詮は権威者に過ぎないのですから「金持ち喧嘩せず」ということなのでしょう。

 そして、こうした権威者全体に対する不信が、今回の『バックラッシュ!』非難。すなわち、なんだかんだと平等がなされるようなことを言いながら、この期に及んで今だ何ら達成せず、さらには過去の文脈を持ち出して金儲けを企む既存の「言ったもの勝ち左傾論壇」への不信とイコールであることは、言うまでもありません。

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