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2006年09月15日

 ■ 格差社会を容認する類の弱者が望むもの

この記事についての注意。
 この文章は2006年9月15日に書かれたものであり、いまの私は、この文章のママの考えかたをしていません。
 また、私の男女問題の認識につきましては『若者を見殺しにする国』(双風舎)の中に記していますので、必ずそちらを一読していただけるよう、よろしくお願いいたします。

 Blog記事というのは、あくまでも著者の考えかたの断片を記しているに過ぎず、その言説を行うためのさまざまな仮定された条件を読み解いて、始めて著者の考え方が読み解ける物であると考えています。
 この記事は、私が論壇デビューする前のものであり、さまざまな考え方や書きかたの実験を含んでいます。
 特に「過去の記事」というのは「その時点で考えていたこと」に過ぎません。一度でも過去になにか書いたら、一生、その発言について責任を取れという考え方を私は好みません。

 本当なら、過去の文章に手を入れるのは好きではないのですが、Wikipediaによって、過去の一記事のみによって、さも私が女性差別をしているかのように吹聴されているという被害がありますので、このような形で特別に記載させていただきます。 (2009年6月11日 追記)


「ニュースの現場で考えること」「格差社会は悪くない。悪いのは、あなただ!」というエントリーを読んで、大変納得してしまいました。
 「弱者はもう格差社会を容認しているのだ」と。そして、その容認はこれまでの「不公平な平等策」にあるのだと。

 我々弱者が最も憎むのは「不公平さ」です。
 弱者は「世の中が不公平だから、我々は弱者なのだ」と感じています。
 そして、その不公平がどこから来るのかといえば、政府の不公平な弱者救済策であると感じています。
 「我々がこれだけ苦しんでいるのに、我々の手には援助がまったく得られない。にもかかわらず、我々以外には援助を得ている人間がいる」と思っているわけです。
 ですから、我々が憎むものは「不公平な弱者救済を掲げる人間」と「不公平な弱者救済を受ける人間」です。
 「不平等な弱者救済を掲げる人間」とは、社民党や共産党といった左翼です。
 「不公平な弱者救済を受ける人間」とは、エントリー先に書かれているような、公務員や農業従事者、さらには職業で言えば、箱物行政で利権を得る土方。そして私の意識で言えば、もはや差別などほとんど無きに等しいのに今だに非差別者としての特権のみを得ている、女性や在日や部落。こうした人たちです。
 彼らが優先的に救済される社会においては、我々のような「新しい弱者」は弱者として認識されません。
 そのような不公平が我々にのしかかるからこそ、我々は右翼や小泉を支持してしまうのです。
 弱者にとって「不公平の是正」は「格差問題」よりもはるかに重要なことなのです。

 で。
 ここで終ってまた一ヶ月前のような話のくり返しになっても困りますので、話をここから展開させます。

 で、このような状況において、右傾した若者弱者と、左は対立しています。
 しかし、その対立は直線的に相反する、真っ当なベクトルを持ったものではありません。
 若者たちは左の言いたてる「不公平な弱者救済」に対して、不信不満を持っています。
 一方で左側は、政府のネオコン的政策に対する批判、すなわち「格差問題」に対する提言をくり返しています。
 図にするとこんな感じです。

ネットウヨクは左翼を批難し、左翼は政府を批判するから、批判が噛み合っていない

 ネットウヨクの非難が左翼に向いているのに対し、左翼はあくまでも政府批判の立場であり、非難に対してまったく対峙していません。ハッキリいえばネットウヨクを無視・嘲笑している。そのくせ、ネットウヨク以外の若者に対しては、味方をしているつもりになっています。
 そうして、左翼が若者を無視している間に、自民党はB層取り込み策を弄して若者をオルグしています。

 どうしてこのような状況になっているのか。
 それは左翼のいう「格差社会」が、あくまでも「お金持ち−庶民」という構図でしかなく、貧困層と化している若者弱者の問題にまったくと踏み込んでいないからです。
 貧困層である若者弱者にとって、左翼のいう庶民は「裕福層」の側に入るのですから、若者弱者から見れば左翼がやっていることは「強者同志の利権の奪い合い」にしか見えないのです。
 悪いのは明らかに左翼です。ボタンの掛け違えは両者の責任ではありますが、そうした掛け違えを是正し、明確な意見の対立をもって相互理解に勤める責任は、強者たる左翼側にあります。ましてや、自民党に若者がオルグされているのであれば、それを妨害するためにも、左翼が若者弱者と真摯に向き合うことは絶対に必要なのです。
 左翼勢力が若者弱者と真摯に対峙しさえすれば、若者だってバカではないのですから、真摯に向き合ってくれる左翼と、傲慢に上から取り込む自民勢力であれば、当然前者を選んでくれるはずです。
 しかし、左翼はいつまでたってもそれをしない、いつまで経っても自分たちは庶民の側に立っていて、弱者のために頑張っているのだと信じている。そうした傲慢な姿勢に、若者だけではなく、強者である庶民までもが左翼を捨て始めている。それが前回のタイゾーあたりのワケのわからない議員が当選した衆院選あたりから、現在に至るまでの現状でしょう。

 若者弱者は「不公平」を嫌悪しています。
 だから、不公平をどうにかしないといけません。
 しかし、「不公平」の反対は「公平」ではありません。
 若者弱者の考える「公平な社会」とは「自分が優遇される社会」です。
 それは実は不公平な社会なのです。だから若者弱者は民族や老人、女性に対する差別を行なって「公平な社会」を実現しようとします。
 左翼は「それはおかしい」と言います。
 しかし、若者弱者が今まで舐め続けさせられてきた辛酸と、自称弱者である庶民たちが味わってきた蜜の差を考えれば、それは当たり前のことなのです。
 公平な社会とは、今現在すべてがフラットな社会の事ではありません。
 人生のトータルとして公平が保たれる社会です。
 いままで甘い汁を吸ってきた、団塊世代や、男性と対等にしろと叫びつつ、その実は男性の加護を受けて有利に生きてきた女性たちが貧困にあえいで、今まで辛酸を舐めさせられ続けてきた若者弱者が裕福になる社会が、若者弱者が夢見る公平な社会なのです。
 機会の平等が達成されなかった失敗は、結果の平等で償うしかないのです。「フリーターがフリーターのままで幸せになる社会」ではなく、「フリーターが正社員になり、正社員がフリーターになる社会」こそが、結果平等で機会平等の失敗を償わなければならない社会が至るべき正当な姿です。
 そして、若者弱者たちがそのような精神状態に至った責任も、不況になって以降、なんら若者に対する救いの手を差し伸べなかった左翼にあるのです。
 いわば弱者若者の左へのバックラッシュは、問題を解決を先送りしてきた、左翼に対する高額な利子と言えましょう。

 問題が分かったら、四の五の言わずにとっとと解決しろよ。クソ左翼め。

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