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2006年10月05日

 ■ 世代論を手放してはいけない

本来書こうと思っていたことが、少々煮詰まり気味なので、違うことでお茶を濁す。

 北田暁大による「『カーニヴァル化する社会』 鈴木謙介」の書評。
 これを読んで、ちょっとムカッとした。

 率直に言わせてもらえば、私は世代論こそが今もっとも重大かつ重要な議論であると考える。
 なぜなら、我々の不幸は「バブル崩壊後に社会人になるしかなかった」事であり、彼らの幸福は「他者の作り上げたシステムに乗っかって、なんの苦労もなしに定年を迎えつつある」事であるからだ。もちろん、前者が団塊ジュニア世代で、後者が団塊の世代である。

 もっとはっきり言ってしまえば、世代論の忌避は団塊の世代の利益にしかならない。
 世代論の忌避は「世代」によって彼らが得た利益を、「個人」の利益にすげ替えてしまう。
 かくして、「団塊の世代は、その卓越した能力によって、今の地位を得た」ということになり、団塊ジュニアはその無能さがゆえに地位や金を得られないということにされてしまう。すなわち、自己責任の論理だ。

 我々の世代を救うためには、世代論が必要なのである。
 第一、日本の新卒偏重のシステムは、ハッキリと「大学の卒業年度がその人の人生を決める」明言しているではないか。
 日本において、個人などというものは存在しない幻影だ。「個人の学生」はいても、「個人の社会人」はありえない。日本の就業システムは、人間を大学の卒業年度で明確に選別するのだ。そして社会人になった時点で、我々は否応なく「世代」に振り分けられることになる。
 そうである以上、卒業年度は留年という手段はあるにせよ、自分でそうそう決める事などできないのだから、不況で同世代が多くて、就職が狭き門である時代を回避することなどできるハズがない。
 我々は時代に翻弄された一方的な被害者なのだ。突然、後ろから車に突っ込まれた幼稚園生の列のようなものなのだ。
 故にまとまりとしての世代論を語る事こそが、我々を罪の意識から論理的に解き放つ強力な論理となりうる。

 世代論を忌避することは、一方的に団塊に益することになる。我々は絶対に世代論を手放してはならないのだ。

産経新聞、国家財政傾かせる「給食費滞納者」撲滅キャンペーンを展開(ボーガスニュース)

滞納者の存在による財政赤字は深刻だ。日本の国内向け借金に相当する昨年度新規国債発行額は30兆円にものぼる。単純計算で
「1年間に8億3千万人の滞納者がいた」
と同紙はみる。「日本橋上空を走る高速道路2km区間を地下化するために、6千億円必要なのに…」と関係者は歯がみする。

産経新聞では、これら8億人の掃討を達成するまでキャンペーン記事の掲載を続ける予定。「スケープゴートを仕立てるとワーキングプア層にウケる。特に、中学生クラスのメディアリテラシーをもつ読者の心をわしづかみにできる」と、部数拡張にも期待を寄せる。

 爆笑。

 モラルを自分自身や上の人間に要求するのではなく、下の人間に強制してモラルの低下を嘆く。
 そうした姿こそが、モラルの崩壊なのだ。

「ロリコンファル 団塊の世代 −絶対的自信の世代−」
 こういう団塊世代の醜悪さを見るにつけて、「このような寄生虫を駆除しなければならないのだ」という正当な正義感が強く感じられてしまいます。
 しかし、それではダメなのでしょう。彼らを害悪視することは、逆説的に彼らの存在意義を認めてしまうことになる。
 害悪視するのではなく、我々団塊ジュニア世代がされているように、存在そのものをなかったものとする。一方的な無視こそが、彼らにとって最もキツく、我々にとって最も有益な駆除方法になるでしょう。

 あと、ついでに言っておくと、「団塊の世代=全共闘世代=左翼」なのです。
 左派勢力が若者の理解と支援を得たいと考えるなら、団塊の世代を切り捨てることが大前提となることでしょう。まぁ、団塊と一緒に滅びたいと考えているなら、勝手に滅びてください。

ええっ?! 米澤さん死んだのかよ。

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