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2006年11月18日
●ネタがないので、中途半端に終ってた書きかけの文章を引っ張り出して、ちゃんと終らせてみる。
子供は超ハイコストを支払っても、生かされるべきなのか。
最近は「死ぬ死ぬ詐欺バッシング」が大人気である。(これを書いた時はそうだった)
つまり、「子供が難病にかかっているから寄付をしてほしい」というサイトが、ロクに収支を明確にせず、かつ自身の財産をロクに切り崩さず、大量の金を集めているということに対する批判である。
もっとも多いのが、渡航費用の不明瞭さに対する非難。
ただ、少々炎上しすぎだと思うのが、「両親のホテルの宿泊費まで、寄付でまかなっている」という非難。
「移植者のための居住施設があるのに、ホテルに泊まるのは贅沢だ」という考え方があるようだが、私は当然両親の渡航費用や滞在費は寄付でまかなうべきだと考える。そして日本語によるサービスの有無を考えれば、日本語スタッフが常駐しているようなそれなりのランクのホテルに泊まるのは必然ですらある。必要な時に連絡がうまくいかずに困るのは移植する医者の方なのだから。
まぁ、そんな話はいろんなサイトでやっているので、私個人は、もっとこの話の「核心」を考えてみたい。
私がこの話を聞いて素朴に思ったのは「そんな金のかかる手術をする必要があるのか?」ということだ。
最近では猫を殺したぐらいで大バッシングが起こるぐらいだから、こうした疑問を持つこと自体が「非道徳的だ」として非難される事かもしれない。
しかし、冷静に考えてみれば、医療によってその病気が克服できるからといって、じゃあ当然のように病気にかかった子供を生かさなければならないのか。
こうした病気は、一時的な事故とは違うのだ。怪我や事故ならその治療は当然のことだが、数千万もの治療費がかかるような病気を、本当に「当然のように」治療しなければならないのだろうか? 私はこの疑問からどうしても逃れることができない。
じゃあ、逆に考えてみよう。
「いくらかかっても、費用さえあれば解決できうる病気」に対して、両親が治療しなければならないことが前提だとすれば、親は子供を産むことができるだろうか? リスクを考えれば、子供を産むことは大金持ち以外にはできないことになってしまう。1億円の治療ができないことが原因で、年収300万の両親が子殺しの罪で罰せられるような社会は正常とは言えないだろう。
一方で、じゃあ国がその費用を負担するとしたらどうだろうか? その額は決して安いものではない。当然その他の社会サービスが削られることになる。そして真っ先に削られるのは、我々のような「働き盛りのはず」の若者に対する福祉だろう。今までの老人利権に加えて、過剰な子供の親利権が発生した時に、我々のような若者弱者は生きていけなくなる。もっとも、それでも構わないという連中も多いだろうけど。
結局のところ、今まではそうしたことに関して「ある程度の子供は見殺しにする」ことで、我々の生活は成り立ってきたといえる。
軽症は治り、重体は治らない。
このような大きな病気にかかった時に、医学がさほど進歩していない時代には「子供の命を天命と考えてあきらめる」という必然が存在した。子供を失った事を嘆きつつも、心の中では諦めの心をしっかり醸成することが出来たのだ。
しかし、医学の進歩に伴って、多くの病気が治療できるようになった。しかし、治療が可能だと言うことと、実際に治療できるということは、全く違う。それはこのテーマの主題であるお金の問題である。
それは自ずと、「人間の階級(収入)」と「生命を価値」を直接的に結びつけてしまう。金持ちの子供は生き延びる権利があっても、貧乏人の子供はとっとと墓に埋めてしまえとなる。
逆にそれを国家で埋め合わそうとすれば、別の弱者が葬り去られることになるのは、先に述べたとおり。
じゃあどうしろというのか。
するとやはり「どこかで親が子供の命をあきらめること」をするしかないと思う。
そしてそれと同時に、「金持ちはあきらめなくていいけど、貧乏人はあきらめなければならないとなると、不公平だな」とも思う。
貧乏人の子供を救うために、Webなどを利用した個人的な募金活動が必要なのではないかとも思うが、むしろ多くの金を集められるのは、広くプロモーションを行なうことのできる金持ちだろう。「死ぬ死ぬ詐欺」についても、NHKの人なんかはチャリティーコンサートまで開いてもらったらしい。楠瀬誠志郎も「ほっとけないよ」というじゃない。でも親は勝ち組の金持ちですから!残念!!(って、今さら……)
冗談はともかくとしても、どうにせよある特定の人間が社会に対して過大なコストを要求するならば、その人間は社会にとって有害なのだ。
しかし、現代社会はコストを喰う存在に対して、極めて甘い。
格差社会についても、むしろ大量の給料というコストを喰う人間を、優秀が故にコストを払うのではなく、コストを喰うがゆえに優秀だと考えている節がある。だから上層がさらに上層に突破することによって、金銭的な格差社会が発生する。
金銭的な格差社会は、吊られて中層の格差解消欲求を生み出す。それは上層が下に下がることではなく、中層が上層に近づくことだ。しかし、社会が消費できるコストは無限ではないのだから、上方推移的経済格差解消欲求は、自ずと下層の締め上げに帰結する。
ならば、「死ぬ死ぬ詐欺バッシング」というのは、下層の若者による、そのような上方推移的経済格差解消欲求に対する叛乱ではないのか。
「子供は超ハイコストを支払っても、生かされるべきなのか」という命題にYesと答えるのは、その一方で下層を締め上げることにYesと言うことではないのか。
私は「命は平等なのだから救わなければならない」という情緒的結論に批判的でありたいと考えている。
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AML保存庫より。教育基本法「改正」は教育を救えないのだそうな。
http://list.jca.apc.org/public/aml/2006-Nove... [続きを読む]
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