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2006年12月06日

 ■ 論座のプロフィールを読んで来た方へ

論座、まだ誌面確認してない(笑)
 5日はちょっと外に出られなかった。出ようと思ったらもう夜遅いし、ここ数日で一気に冬がきたようで寒いし、明日でいいかな、と。(なんてことを、5日の深夜に書いていたら、もうそろそろ6日の本屋が開く時間が迫ってきた。日記のアップが終ったら、本屋に行くことにする。本は送られて来るだろうから、買わないでいいや)

 で、論座を読んで来てくれた人向けに、私の基本的な姿勢を書いておきます。

 まず、第1に私はリベラルであることを志向しています。

 ちなみにネオリベではなく、福祉国家的な方向で。

 私が平和な社会を批判するのは、この「平和な社会」という言葉が指し示すものが、コンクリートで塗り固められた強固な幸福階層制度を意味しているからに他なりません。
 すなわち、「現状で幸せである人が幸せであることこそが平和である」。このような社会です。
 こうした平和社会観は、「子供の安全安心」という分野でもっとも顕著に見られ、親たちは自分たちの子供が死なないためにと、監視カメラの設置による人権侵害や、スクールバス運行などによる予算の過剰配分を、当然のように主張し、社会もそれを容認しています。
 しかし、こうしたやりようが、一方的に「子を持つ家族」という経済安定層を過剰に扶助するかわりに、我々のような不安定な貧困層に対する予算を減額させますし、そもそもそうした「いつ子供が不信人物に襲われるか分からない」という言論で念頭に置かれる不信人物とは、我々のような不安定層を差しています。
 さらにいえば、子供が不審者に襲われて殺されるような事例は年数件(ネット上のいいソース、どこかにありませんか?)である一方、親の虐待が子供の殺害に至るケースは、たとえば平成15年度の7月から12月の半年だけで24件25人という現状である以上、子供にとって危険なのは子供が独り歩きをするよりも、親と子供の密着の方であることは明白です。
 にもかかわらず、誰も「子供のいる家庭に監視カメラを設置するべきだ」などということは、決して言わずに、不審者の危険ばかりを連呼する。
 子供の安心安全言説の主眼は、子供の安全を守ることではなく、親というか、家族という共同体の権利を守ることにあります。そして同時に、家庭を持つことのできない我々のような不安定な貧困層に対する差別の機能をも有しているのです。

 このような、差別を前提とした安全安心な平和な社会に、私はリベラルの立場として反対します。

 そして第2に、不安定な貧困層である私は、富裕層を打ち倒すのではなく、安定した労働者層を打ち倒すことを考えています。

 現在の格差問題というのは、多くのサヨクが理解しているような、富裕層と労働者層間の貧困、すなわち、労組などに属する労働者が包括的に弱者側に属する、古くからの左翼的イメージの問題ではなく、「富裕層」と「安定した労働者層」と「不安定な貧困層」の3つに別れる経済問題なのです。
 そう考えた時に、もっとも大きな断層は、富裕層と安定した労働者層の間に引かれるのではなく、安定した労働者層と不安定な貧困層の間に引かれます。
 なぜなら、生活圏という観点で、富裕層が不安定な貧困層と密接して関わることはありませんが、安定した労働者層と不安定な貧困層は、極めて近しく交わっているからです。
 コンビニで働いている不安定な貧困層店員と、コンビニで買い物をする安定した労働者層家族。
 派遣として工場で働く不安定な貧困層工員と、それを管理指導する安定した労働者層工員。
 そして、不安定な貧困層を不信人物扱いする、安定した労働者層……。
 労働者を一蓮托生のように理解する古くさい左の論理では、労働者が労働者を卑下し、搾取する現在の格差問題を論じることはできません。

 しかし、多くの左やリベラルを自称する論者が「弱者救済」を口にしながら、その対象は安定した労働者層であり、不安定な貧困層にはほとんど目が向けられていないのが現状です。
 ワーキングプアという、極めて不安定な貧困層救済に近しい社会問題においても、社会に出てからずっと不安定な貧困層であった若者たちにまぎれて、かつては安定した労働者層であったにも関わらず、貧困層に落ち込んだ人間がまぎれてこんでいます。
 現状が不安定な貧困層であるのだから、どっちも助けるべきだ。とはいいますが、片やなんの責任もないのにバブル崩壊に巻き込まれた不安定な貧困層と、一時は安定した労働者層で家庭などを持ち、財産や選挙権などの社会人として行使すべき権利を持っていたにも関わらず、カネを失ってしまった不安定な貧困層では、当然前者が優先されるべきなのです。前者には過失はなく、後者には少なからずとも責任があるのですから。
 しかし、「自己責任」の名の下に、もっぱら責任を追及されるのは、全く責任が無いはずの若者たちです。
 老人たちは努力したのだから救うべきで、若者は自己責任なのだから救うべきではない or 当面我慢してもらう、などという、まったく転倒した論理が声高に叫ばれるのが「弱者救済」という標語の現状です。

 このような状況で、不安定な貧困層は安定した労働者層に対する恨みを募らせています。
 そして、安定した労働者層は不安定な貧困層を卑下しています。
 このように労働者層が断層化した状態で、不安定な貧困層に対して「富裕層を打ち破れ」という声を張り上げても、それは安定した労働者層の尖兵として戦うことを意味してしまいます。もしくは不安定な貧困層が戦う後ろで安定した労働者層が短剣をもって待ち構えているかもしれません。安定した労働者層を信用し、共に戦うことは、現状では自殺行為です。

 だから、私は不安定な貧困層のとるべき進路は、安定した労働者層の打破であるべきだと考えています。もはや富裕層の打破などという解決はありえません。

 第3。捻じれた現状を解決するために。

 ここは考え中。
 とにかく、ワークシェアリングだの、ベーシックインカムだの、同一職種同一賃金などという、できもしない戯言はやめにしよう。バブルが崩壊して10年以上、なんにもできなかったのだから、これからだってできないと考えるのが妥当です。
 でないと、戯言をいうだけでカネを得ている人間が増長するだけでしょう。

 と、まぁ、今のところこんな感じで、この辺についていろいろ書いていくことが私の存在意義だと考えています。
 よろしくお願いします。

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