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2006年12月20日

 ■ 誠実な、あまりに誠実な

労働市場改革:正社員待遇を非正規社員水準へ 八代氏示す

 素晴らしい。
 まぁ、俺が戦争を引き合いに出さなければいえなかったようなことを、学者先生というのはアッサリ言うことができて、不公平だとは思うけれども。

 非正規雇用者を本気で救おうと考えるならば、正規雇用者との格差の是正を行なわなければならず、そのためにもっとも必要なことは、双方の賃金格差をなくすことであって、この提案はまさにその原理原則に則った内容と言える。
 「平等!」と叫べばそれが達成できると考えている連中には分からないのだろうが、平等には金という後ろ楯が絶対に必要なのだ。金のランクが平等になって初めて民族や性別や出身地というファクターを解決できる。そのためにできることは、まさに労働層の賃金格差の是正、それも、今すぐできることが明確な下方修正が必要だ。
 なぜ上方修正でないのかといえば、上方修正のためには社会全体のパイを引き上げなければならず、時間がかかる。
 フリーターの問題が生まれて既に10年の月日が経ち、今後の人生を考えれば、平等のための賃金是正は1秒も早く行われなければならない。我々は上方修正できるだけの経済の拡大を待ってなどいられないのだ。我々が40代50代になってから支援が行なわれたって、もう遅いのだ。その頃まで生きていられかすら分からないというのに。
 安倍政権が無茶な法人減税と個人増税を行なう時に、平等を叫ぶ人間は文句を言う。安倍は「経済成長」すなわち法人の成長を最優先と考えるが、それに対して平等論者たちは「個人にも利益を分配せよ」と憤る。
 それとまったく同じように、自分たちの家庭の成長を最優先とする平等論者に対して、我々は「我々貧困層にも利益を分配せよ」と憤る。
 こうした状況を平等論者たちは「分断統治」と称し、「富裕層に騙されるフリーターやニート」とバカにするが、ならばなぜ自分たちからこちらに歩み寄ろうとしないのか。

 本来、今回八代が示したような案は、学者先生からではなくて、平等論者たちから提案されるべき事案だった。そして、正規雇用者と非正規雇用者の真ん中より上気味に経済レベルが調整されるような提案をし、実行するべきだった。本来、ワークシェアリングとは、そういうことだったはずだ。
 しかし、今回これが富裕層の学者先生からされたために、「非正規雇用者のレベルにまで落す」という事態に至ってしまった。これは、できもしない「非正規雇用者の正規雇用者レベルへの引き上げ」にこだわった平等論者の失態である。(北方領土問題のようだ)
 この案に対して、平等論者たちは当然のように文句を言うだろうが、それは彼らが本来自らするべきだったことに対する抵抗の告白、すなわち、分断統治と言うところの「分断」を平等論者自らが生み出して維持しているのだという事実を、無自覚に自白しているに過ぎない。

 ただ、補足しておくとしては、正規社員待遇を下方修正する救済は「非正規労働者の人権」ベースの救済であって、けっして経済ベースでの救済ではない。だから、経済学者がこういうことを言うのは極めて不自然だし、そのこと自体は糾弾されても仕方がない。対外市場ばかりを重視し、国内需要がどうなっても構わないという論理は、経済学として極めて杜撰な論理だろう。もっとも、経済学自体がそんなシロモノかもしれないが。

 で、結局のところ私が思ったのは「ひょっとしたら八代先生らは本気で弱者を救おうと考えているのではないか?」ということ。
 確かにそれが同時に富裕層の得になるのかもしれないが、それは私の立場で見れば「副作用」程度のことだ。
 もちろん、薬学の世界でも「ある作用について研究していたら副作用が有益なものであると判明」する場合なんかがあって、確か育毛剤のロゲインや、睡眠導入剤のドリエル、それと甘味料のアスパルテームなんかは、そんな副作用のシロモノだったはずで、副作用の拡大には注意する必要はあるし、ひょっとしたら弱者救済の方が、富裕層の権益拡大の副作用なのかもしれないが、とにかくこの給与水準引き下げが、弱者の人権的救済に繋がる可能性は決して小さくはないと私は考える。
 経済学者として、経済拡大が難しい中、弱者を救う方法論として所得の下方修正を考えているのだとすれば、例え出てきた結論がトンチンカンなものに見えたとしても、それは労働者層の分断を放置しつづけた平等論者よりも、よっぽど誠実な態度と言えるのかもしれない。
 まぁ、だったらついでに団塊世代の年金大幅カットぐらいの大風呂敷を広げてもいい気はするけど。

『ハイペリオン』を借りてきた。あの書評にこの本は欠かせない。
 他の図書館からの取り寄せで、「予約の本が到着しました」の連絡が来てから3、4日放置していた。そこで一言「今日でよかったのか?」と言ってみようと思ったけど、もちろん言いませんでした。
 そして、本もぺらぺらとめくってみたけど、挟まっているのは返却日のお知らせだけでした。とはいえ、貸し出し担当は男性司書さんだったので、何かが挟まってたら、公園のベンチでツナギを着た男が待っていて……アッー!

「僕の見た秩序。」の記事より。
 ナンバーポータビリティー開始以降、いろいろと予想外なことになっているソフトバンクだが、そのソフトバンクと携帯市場を共に席巻しようと目論んでいるのがシャープで、自社ブランド「AQUOS」の名前を付けた携帯を供給している入れ込みっぷりだ。
 しかし、そのシャープがこういうおもしろ広告を出してしまうというのは、ナンバーポータビリティー開始早々に味噌をつけてしまったソフトバンクに対する嫌味のようにも感じてしまう。
 ……いや、そんな意図はなくて、単純になんの考えなしに広告をつくっちゃっただけなんだろうが、それがこんなミラクルになってしまうソフトバンクの呪いって凄いね。

 ここしばらく紅茶づいていて、1日3〜6杯飲んでいる。(しかもマグカップで)
 最初はティーバッグだったものが、この際だからとティーポットを買って、今はちゃんと茶葉で淹れている。
 ただ、よくわからないのはジャンピングの具合だ。
 ちゃんとジャンピングしているとおいしくお茶が入るらしいのでいろいろやっているのだが、蛇口から直接汲んだ水を沸かして、勢いよくポットに注ぐと、ジャンピングするのだが、それがせいぜい全体の1割の茶葉が1〜2分ジャンピングするだけ。その他は底に溜るか、上に浮くか。上に浮いたのはやがて落ちてくる。
 でも、この具合がいいのか悪いのかがよくわからない。こんなものなのか、それともうまくいけばもっと多くの茶葉が長い時間ジャンピングをするのか。
 なんてことを考えながら検索してみたら、ジャンピングってのは日本でしか流通していない用語みたい。
 まぁあれだ。ジャパニーズスタンダードっていうの? というか本場にこだわる権威に従順な態度?
 結局、こんなこんなで、自分がおいしいと思えば、それでいいんじゃないかという結論で、ジャンピングとか特に気にせず、適当に淹れて普通に自分がおいしいと思う紅茶を飲むことにしますよ。

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