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2007年01月10日

 ■ 赤木智弘はニセ弱者なのか?

研幾堂の日記 より なんとも奸智邪悪な

なんでも筆者もまたフリーターであるそうだが、丸山真男を読んでいて、しかも「論座」に文章を掲載もしてもらえる「フリーター」とは、一体、いかなるフリーターなのであろう。私は、それは位置取りの偽装であると思う。そういう立地点でのものと偽装したいのであろう。

 なんとも能天気な。
 というか、「私がフリーターである」ということが偽装だったら、
 もし、本当は俺がどっかの大学の研究員なりなんなりで、ちょこちょこっと論文を書いて、大学から給料をもらって、それで生活ができるんだったら、どれだけ幸せなことか。
 私は今までの人生の中で何度、眠りに就く前の布団の中で「明日起きたら、この人生が全部夢で、本当は妻や子供がいて、幸せな生活を送っているということになってないだろうか……」などと考えたことか。
 ああ、本当に私のこの人生が偽装であってほしい。
 でも残念ながら偽装じゃない。……本当に残念ながら。

 私に対する「ニセ弱者ではないのか?」という嫌疑は、既にいくつかの場所で目にしている。
 彼ら曰く、「本に活字を載せることのできる弱者など、存在としておかしい。だから赤木智弘はニセ弱者だ」と。

 現状において、弱者というのはもっぱら、誰かが「この人は弱者です」と紹介するものだった。
 NHKのワーキングプア特集などについても、NHKという権威者が「この人はこれこれこういう事情で弱者です」と紹介するものであり、彼らの姿は「編集」によって作り上げられている。
 雑誌も編集という手法を用いて作り上げられるものであり、その中での私も「編集の中の一環」でしかなく、そういう意味では研幾堂日記の著者が最終的に「なんとも奸智邪悪な、よたび」において、私の文章の存在を「論座編集部の意図」であるかのように読み解いていく姿勢は、あながち間違いとも言えない。

 しかし、そうであったとしても、私が弱者であることには変わりはないし、論座に寄せた文章が私の自由な知性の産物であることは疑いようがない。余計なことを付け加えて置くならば、あの文章はほとんど私が最初に書いたままで掲載されている。
 もうひとついうならば、その意図は論座編集部の意図ではなく、私の意図である。
 『諸君』や『正論』あたりの「ナショナリスティックで、右傾化した方向付けを、先の人々に「解消的な」ものとして与える」手法を用いて、ウヨ厨に対して隣接的な言論を投げかけ、「向こう側からこっち側へ」の視点の移動を意図している。
 それは同時に、安直な弱者概念に目を奪われ、自らの活動に対してあまりに純粋に「我々は正義を成している」と勘違いしているブサヨの視点を移動させることにも繋がる。すなわち、双方に対しての視線の配り直しを求めている。
 このような視点移動よって目眩、もしくは呼びかけに対する違和感、居心地の悪さ思い起させることができれば、私の意図は十分に達成したと言えよう。
 そして私のそうした意図を、同時に論座編集部も意図しているならば、それこそはいわゆる「論壇誌」が社会の公器として存在する真に正当な理由ではないのか。読者の精神衛生や学者先生のためのこづかい稼ぎ装置であり続けることが、論壇誌の存在意義では無いはずだ。
 私に最初に声をかけてくれた編集の方は、大変にクレバーな方なので、そうした役割を私に期待していたはずだし、その役割を果たすことは、私としても望むことだった。こうして、たまたま運良く私の文章が論座に掲載されることになった。

 だが、私がその役割を果たすために、どうしても必要なことがあった。
 それは私が自分の意思において「自分を見世物」にする覚悟だ。
 私がかつて使用していた「東天王ヨブ」というハンドルから、本名を名乗ることにしたのは、そうした覚悟の最初の表われだった。
 考えてもみてほしい。今のネットで実名を名乗ることが、特にずっと匿名を名乗ってきて、それを実名に直すことに、どれだけ自覚的な覚悟を必要とするかということを。
 そして、今度はさらに自分の実名を論壇誌に掲載して、なおかつ「31歳 フリーター」を名乗る必要にかられる。
 人に正々堂々と名乗れる肩書きがある人間は幸せだ。そして論壇誌に名前を載せるような人たちは、その大半が「○○大学教授」とか「○○代表」などといった立派な肩書きがある。そこに「31歳 フリーター」と書くのだ。
 そんなもの、誰が書きたいものか。正々堂々と正面切って「私はフリーターです」などと名乗りたいと言う人間がどこにいる?

 ここでハッキリさせておく。私は自分の現状を恥じている。普段の自分は常に自己卑下に苛まれている。こんな人生は最悪だと思うし、自分のことなんか大っ嫌いだ。
 しかし、私は名乗らなければならなかった。「強者にとって都合のいいだけの弱者概念」を討つために、自ら弱者であることを名乗らざるを得なかった。
 これが私が弱者だという決定的な証拠だ。名乗りたくもない肩書きを名乗らなければならない現状に至らされている現状こそ、我々が弱者である明確な証拠だ。

 弱者が自らを弱者であると名乗らざるを得ない屈辱。
 私を「ニセ弱者」だと罵る連中は、そんな当然の感情に思いを寄せることすらしないのだろうか。

 上記とは別に、反論しておくべき部分。

興味深いのは、彼らの憎悪の対象が、真面目に働く庶民、年上の安定して豊かな生活を送っている人々、そして、ちゃんとした家庭を維持している人々とされていることで

 私は「真面目に働く庶民」に対する憎悪は、まったく持っておりません。かくいう私自身も「真面目に働くフリーター」なので。
 というか、「真面目に働くこと」と「収入」との関係が、バブル以前の世代とポストバブル世代では、あまりにかけ離れているからこそ、バブル以前の世代に憤るのです。
 「昔の人たちは、みんな真面目に働いていた(から、豊かな生活を送れたのだ)」などというのは、良くある俗流若者論に過ぎません。
 いくら真面目に働こうとも、豊かな生活を送ることのできない社会構造、そしてその社会構造を支持し、支える人たちの存在こそが問題なのです。
 そして私は「その社会構造を支持し、支える人たち」が、「年上の安定して豊かな生活を送っている人々」だと考えているのです。そして「豊かな」というのは、決して浮遊層のことだけではなく、普通に生活を送ることのできる、安定層までもを含むのです。

私には、若年層にそのような意識が所持されていることも、その意識に社会全体の潮流を変えるエネルギーがあるとも言えないと思われる。

 この著者は、俗流若者論を論理のベースに敷いているようです。
 若年層にそういう意識があるかどうかはともかく、エネルギーまでがないと考えるのは、若者をバカにしすぎでしょう。

 あとはなんか、小学生が陰謀論を雄弁に語っているようで、サッパリ分からない。なんでフリーターの若者である自分が、フリーターの若者を軽視しなければならないんだ?
 フリーターの若者は、かつて若者だった連中よりも、真面目に働いてますよ。それはファミレスに行っても、居酒屋に行っても、コンビニに行ってもガソリンスタンドに行っても、そうした若者たちが一生懸命働いている姿を見れば分かることです。そんな真面目に働く彼らは、彼らを働かせて怠けている正社員連中よりも、多くの収入を得るべきなのです。

JCJフラッシュ より、桂敬一氏によるコラム
「戦争への道」のでき方

北海道新聞06年12月29日夕刊「ニュースへの視点」

 「戦争への道」のでき方
  桂 敬 一

 構造化した格差社会がこのまま「平和な社会」としてつづく限り、自分は一生その底辺から抜け出せない。これが戦争で崩壊、流動化してくれれば、水面の上に顔を出すチャンスだって生じる。

 希望はもう戦争にしかない—三十一歳のフリーターが月刊誌にこう書いているのを読んだ。ショックだった(赤木智弘「『丸山眞男』をひっぱたきたい」、朝日新聞社『論座』二〇〇七年一月号)。そして実際に戦争への道は、このような若者の期待に応えるためか、着々と敷かれだしている感じだ。

◇ 愛国心教える義務課す

 今月十五日に成立した改正教育基本法は事実上、学校に愛国心を教える義務を課した。また、旧教育基本法一〇条(教育行政)では、行政の教育に対する「不当な支配」については、全国民がその排除を正当に求めていける、とする書き方のものだった。

 ところが改正法(一六条)では、行政は責任をもって「不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより」教育が行われるように努め、そのための権限を行使する、と読める書き方に変わった。

 加えてこの場合の「不当な支配」とは、たとえば日の丸・君が代に反対してきた日教組なども該当し得るという意味のことを、伊吹文明文科相が参院教育基本法特別委員会で示唆したのだ(十一月二十二日)。

 これでは教育行政における「不当な支配」の意味は、完全に逆転することになる。

◇ 防衛「省」呆気なく実現

 恐ろしいのは教育基本法「改正」のかげで呆気なく実現した防衛省昇格法だ。
 それも、この新法のかげですっと実現した自衛隊法「改正」のほうが、怖い。

 その三条(自衛隊の任務)は本来任務として「わが国の防衛」のみを示してきたが、今回三条の第二項として「周辺事態への協力」「国際平和協力活動」が新設、追加されたのだ。

 これによって、一九九一年の湾岸戦争からイラク戦争にいたる自衛隊の海外におけるすべての活動プラス・アルファが、自衛隊の本来任務とされることになった。狭義の自衛権を逸脱する戦力保持や交戦権を禁じた憲法九条二項が、そのままあるにもかかわらずだ。

 そしてもっともっと恐ろしいのが、これだけの戦後政治の重大な路線転換が図られていたのに、メディアがその問題点を、十一月十五日の衆院教育基本法特別委員会における与党単独採決後、参院での成立まで、縦横に報じ、論じてきたかというと、在京の大手メディアに接する限り、とてもそうとはいえないと感じられたことだ。

 さすがに成立後、十六日には各紙朝刊も、国会が決めたことの歴史的意味を大きく書き立てた。だが、そりゃ俗にいう喧嘩過ぎての棒千切れじゃないか—間に合ううちになんで国民に大声で注意喚起を繰り返さなかったんだと、前日の午後歩き回った国会前の寂しい光景を、あらためて思い返した。

 戦争を求める若者がいる。
 彼らの希望に沿い、世の中の流れがそっちに向かって進んでいけば、もうしょうがないのか。メディアもこれからは、その流れに乗って読者・視聴者を開拓、部数や視聴率を伸ばすしかないのか。

 本当は、その道が間違いで不幸に行き着くしかないということは、メディアこそ深刻に学んだのではなかったか。

 確かに、「戦争への道」は間違いに違いありません。
 しかし、ならば「不利益配分を団塊ジュニア世代にのみ押しつける現状」とやらが正しいかといえば、これもまったく正しくないのです。
 私の苛立ちは、前者の間違いに対しては執拗に抗う人たちが、後者の間違い、すなわち我々の苦境に対して完全に目を背けていることに対してのものです。
 さらには、その人たちこそが、積極的に団塊ジュニアに不利益を押しつけている疑いすらあります。
 組織的な労働運動が既存の労働者を守るために、我々のような別種の労働者を踏み台にしている疑いです。
 戦争に反対する前に、その人たちはこの疑いを晴らす、もしくは改善する責務を負っているハズなのです。
 しかし、そのことを無視し続けるならば、彼らがその「愛国」的でない言動をもって、特高に捕まり、その人権をはく奪される時に、我々は彼らから視線を背け、決して省みることは無いでしょう。それこそ、現在彼らが我々に対してしているのとまったく同じように。

 そうならないためにも、あなた方は、今すぐに現状の間違いを正すことを考えてください。
 後者の間違いを正すことこそが、前者の間違いを正すことなのです。

ICレコーダー買った。
 機種はいろいろと迷いましたが、結局は「ICR-S277RM」にしました。
 機種選定においての必須条件としては
 1、本体のみでのステレオ録音ができる
 2、USB端子内蔵で専用コード不要
 3、バッテリー式ではなく乾電池
 4、汎用的な音声フォーマット

 の4つ。まぁ、この条件については武田さんに聞いたのですが。
 1と2は、本体以外に持ち運ぶものがあると、大変面倒という意味です。購入機種にも外付マイクは付いてますが、本体のみでも通常のステレオ録音はできます。またUSBケーブルもついていますが、これは裏にあるUSB端子を表に回す延長コードで、専用コードではありません。
 3は、外出先で電池が切れた時に、バッテリーだと充電しようがないけど、乾電池ならその辺で買えるので。
 4は、MP3録音の方がいいということですね。WMA録音だとファイルの取り回しが面倒な可能性があります。

 基本はそんな感じで、価格との兼ね合いも考えて機種を決めました。
 そうそう忘れてた。個人的には必須の条件。それは、

 5、「USBマスストレージクラス対応」

 これに対応していれば普通のUSBメモリーと同様に使えるというわけなので、対応表上ではアウトのハズのMacのOS9でも……やっぱり繋がった!!
 ファイルのやりとりに専用ソフトが必要な機種ではこうはいきません。普通にパソコンを扱えるなら、専用ソフトなんて邪魔なだけです。

 あと、買ってから説明書を読んでいて気づいたのですが、さすがにSANYOの機種だけあって、エネループモードがあるんですね。
 詳しくは分かりませんが、低めの電圧でも安定した動作をしてくれるモードなのでしょう。実際エネループを使って動かすことを念頭に置いていたので、ありがたい機能です。
 ちなみに「ICR-S280RM」にはエネループ充電機能があるのですが、こっちは値段の都合で購入を断念しました。
 音楽再生機能には特に必要性を感じていませんでしたが、さすがに今使っている激安MP3プレイヤーよりは高品質高性能で、プレイリストも使えるようなので、常用するのもありかなと。
 まぁ、これでSDカード対応とかしてくれればもっと良かったのですが、メモリ容量で価格差を付けている類の製品が対応するはずも無いな(笑)。

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