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2007年04月17日
●さて、そろそろ本格的に次のことをしなければならない時期なのですが……
●ただのメモ。
戦後民主主義社会の「平等」とは、「全ての人間は平等である」という人権ベースの平等ではなく、「カネに貴賤はない」という金銭ベースでの平等観(一億総中流という考え方)であって、そのことが「カネがない」人に対する差別的態度を誘導している。
バブル以前に「男が稼ぐ金」というのは「家に支払われる金」すなわち、妻や両親、子供などを養うための金であって、個人に支払われる金ではなかった。
当時、社民党であったか、まだ社会党であったかは忘れたが(いつの記事だったか、調べること)、主婦労働をバイトの時給に換算して、「主婦はこれだけの労働をしている」と発表したことがあった。家事労働が「金銭換算されるべきもの」と化した。
この頃に、平等が人権ベースから、金銭ベースに移行したと思われる。(もっとも、かつての人権ベースの基盤は「個人」ではなく、「家」や「地盤」といったものであった。ホリエモンの「金で買えないものはない」関連を参照)
フェミは女性差別の一例として「ガラスの天井」などと言うが、男に支払われる金は「家に支払われる金」であるから、金額が高いのであって、男性を養う意識がない女性に対して、高い金を支払う必要はないし、支払うことはむしろ差別であるといえる。少子化、核家族、共働きを前提とした生活モデルを前提にするなら、もっと個人の給料が安くてもいいという考え方があってもいい(1.5稼ぎモデル)。ただし、そのモデルでは単身者は生きていけない。
また、厚生年金の夫婦分割の件についても、これは厚生年金の支払い先が「(労働者である)夫」ではなく、「夫婦という家」であったからこそ可能な解釈であって、これを個人の収入だと言うことにしてしまえば、分割そのものがナンセンスになってしまう。ガラスの天井に文句を言うフェミは、厚生年金の50%分割にも異を唱えるべきである。「分割は、給与を受給する「夫」が、個人の責任において決定するべきであって、国が一意に決定するべきではない」と。
ルート1:現状の金銭ベースの平等に対する自覚と、その徹底。現状では中途半端に福祉が混じってしまい、既得権益者優位に。甘えたリバタリアンを排除。右左翼の争いはこのルート上でしか行なわれていない。
ルート2:人権ベース(個人)への移行。私の取りたいルート(理想)
ルート3:地盤などのコミュニティー主導への回帰。右傾化。私が取りたいルート(現実)
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