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●上野千鶴子先生が、私の平和観を肯定してくださっています。
ほぼ同時期に出た文章で、同じような平和観を提唱しながら、その結論が180度違うのは、どうしてなのでしょうか。
わたしの平和論10(最終回)(月刊オルタ 2006年12月号)
「平和とは日常茶飯事が続くことである」
中井さんの 卓見である。「過ぎ去って初めて珠玉のごときものとなる」のが、平和だ、とかれは言う。幸福と同じように、その最中にいて、平和の価値を知ることは少ない。
今日のように明日もつづく。そのことがどんなに貴重なことか。そう思わなければ女は子を産み育てられないし、老人は安心して歳をとれない。フェミニズムとはかっこよくも、おおしくもない、日常を生き延びる思想だ。ヒロイズムはフェミニズムの敵、とわたしはずっと思ってきた。中井さんに教えられて、それを再確認した思いである。
「平和とは日常茶飯事が続くことである」
素晴らしい言葉です。私もこの言葉を胸に刻もうと思います。
戦争無き平和な社会では日常茶飯事が、富裕層は富裕層のまま、安定労働層は安定労働層のまま。そして不安定貧困層は不安定貧困層のまま続くのです。
中井久夫や上野千鶴子が「平和」の意味を知りながら、その一方で、戦争を望む心情に、なにを見落としているのかは明らかです。
戦争は過程で、平和は状態だ、と中井さんは言う。過程はいったん動き出したらとまらなくなるが、状態は不断のエネルギーで維持しつづけなければならない。それもあらゆる退屈と不平、不満、空虚に耐えながら。こんな作業がおもしろいはずがない。だから、戦争のプロパガンダの前に、平和運動はしばしば敗北してきた。
戦争が過程で平和が状態であるのならば、私たちのような不安定労働層はその固定化された状態のタガを外し、過程の状況に社会を流動させなければ、一生、不安定貧困層であろうことは変えようがないのです。
そうした欲求は決して「ヒロイズム」ではありません。
地獄の底で一筋の光明を見いださなければ、自身が生きることすらかなわないという絶望的な状況を、一変させてくれるかもしれない「蜘蛛の糸」なのです。
このような怨嗟的な感情は、大学教授として高給を得ながら、のんびり生活してきた上野千鶴子先生や、「護憲」「戦争反対」と無邪気に叫ぶ、安定労働層である平和運動家たちには分からないのでしょう。
●毎日インタラクティブのあまりにも無邪気な書評。
今週の本棚:小西聖子・評 『ワーキング・プア…』=デイヴィッド・K・シプラー著
クレジットカードと車を持ち、コーラをたらふく飲みながら破産する。文化や家族の絆(きずな)が崩壊したまま子どもが子どもを育てる。同じことが日本でもおきはじめているのだとすれば、どの店に行っても、表情に絶望を漂わせた店員に出くわすのも、日本でもそう遠くない、ということになる。
あはははは。「日本でもそう遠くない」だって。あははははは。
日本人は生真面目だから、「お客様が不愉快にならないように」と、絶望しながらもちゃんと働いているんだよね。時給数百円でも。
日本で「子供をもった貧困層」が少ないのは、日本が「学校を卒業した時点で貧困が固定化される社会」だからでしょうね。貧困層は最初っから結婚できると思わない。まぁ、逆に貧困層が自制しているからこそ、貧困が見えず、このような無邪気な書評を許してしまうのかも知れません。
●先日の28日には、さまざまな事件がありました。
まずは、ZARDの坂井泉水さんが、階段の踊り場かなんかから転落死。これは悲惨な事故でした。
最近だと「ときメモ3」の主題歌を歌った(って、ずいぶん古い話だが)ぐらいしかないわけですが。それでも一時代を築いた方ですからねぇ。
あと、24時間テレビの100kmマラソンはどうするんですかねぇ。やっぱり歌うのかな?
そして、何より驚いたというか呆れてしまったのが、松岡利勝農相の自殺。
こういう、大臣という重大な立場を預かっておきながら、談合ぐらいの話で自殺するなんてのは、無責任にも程がある。
だいたいさぁ、こういう「死んでお詫び申し上げます」なんて、自己満足もいいところだろう。
こいつは、苦労なんかしたことないのがミエミエだよな。
例の『論座』での再応答では書かなかったんだけどさぁ。俺みたいなフリーターは、これまで一度も「生きてて良かった」と思えるようなことがなくて、仕事も家庭もなんにもなくて、それでもどうして生きているかって言えば、それは生に対する希望ではなくって、単に「とてもではないけれども、今のままでは死に切れない」からなんだよね。
せめても、一度でもいいから生きていることの喜びを感じたいと思っていて、それでもどうにもならない。
それでも死んでいく人もいるけれども、それはただの絶望に向かう死ですよ。誰に遺書を残すでもなく、ただ恨みだけを自分の胸の中に納めて死んでいく。
そういう痛々しい「死」が松岡みたいな放蕩の限りを尽くして、ちょっと不正が明るみに出たら自殺するようなクソ野郎に分かってたまるかと。
俺がどこかで松岡の死体に合うことがあれば、ぐちゃぐちゃに踏みつぶしてやりたい。
俺がどこかで松岡の墓を見つけたならば、墓石を蹴りたおして、お骨を掘り起こし、その辺の野良犬のエサにしてやる。
まぁ、どうにせよ、こういうクソのような人間は、そもそも人の上に立つような器ではないのですよ。
こうした器のちっちゃい人間が、多数の心ある人々を支配するのが「美しい国」ってことなんでしょうよ。
で、本題はここからね。
上のやつは、前振りですよ。昨日起った事件うち、第3位と第2位ですから。
もちろん本題は第1位の超ビッグニュース。
第1位はこれ。
「声優オーディションの少女にいたずら=芸能プロ社長逮捕−警視庁」
人気アイドル声優を多数抱える業界大手、アーツビジョンの社長自らが猥褻行為。
すると、当然「あの人気声優も! ほ、ほーっ、ホアアーッ!! ホアーッ!!」という事になり、声優ヲタ涙目。阿鼻叫喚の地獄絵図が、2ちゃんねるの各声優スレッドで展開されております。
まぁ「声優の枕営業」ってのは、ある意味都市伝説化していて、人気声優にはそうした噂がついてまわるものも「まぁ、そういう話がでるのは人気の証拠」みたいに誤魔化してきたんだけど、こうして事件になってしまい、社長も認めていることで、にっちもさっちもならなくなりました。
「アイドル声優」に対する需要のありかたというのは、松田聖子以降のアイドル全盛期のアイドルに対する需要ありかたとほとんど同じと思っていただいて良く、当然「彼氏がいる」レベルのことでも大スキャンダルなわけで、それが「枕」になってしまうと、もう取り返しのつかないレベルのイメージダウンなのです。
これはもはやアーツやアイムといった事務所レベルではなく、声優業界全体のイメージダウンになるであろうことは間違いがなく、現実をオタクの妄想で上塗りすることで成り立っていた声優産業にとって、28日は「X-DAY」であったと言っていいでしょう。あーあ。
●今日はいろいろあったけど、ひとまずこのリリース文のみの更新ですよ。
イベントについてのお問い合わせは、オールニートニッポン事務局にどーぞ。
雨宮処凛のオールニートニッポン
★フリーターの「希望」は戦争か?
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『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)の雨宮処凛
『フリーターにとって「自由」とは何か?』(人文書院)の杉田俊介
「31歳フリーター。希望は、戦争。」(論座)の赤木智弘による
特別トークライブ
『 フリーターの「希望」は戦争か? 』
〜 雑誌「フリーターズフリー」創刊スペシャルを兼ね 〜
6月8日(金)19:00〜22:00 in UPLINK FACTORY(渋谷)
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フリーターという言葉が使われ始めたのは1980年代後半。
日本の経済がまだ好調だった頃です。
24時間営業のチェーン店の急増や、建設業界の慢性的な人手不足によって、
若い労働力が求められていた時代でした。
しかしその後バブル経済が崩壊し、企業の経営状態が悪化すると、
正社員の採用は抑制され、低賃金で簡単に解雇のできる「アルバイト」が、
代替の労働力として活用されるようになりました。
そのため当時、就職活動をしていた多くの若者が正社員になれず、
フリーターになることを余儀なくされました。
そして、日本の景気が復調しつつあっても、
フリーターの職場や生活レベルはむしろ劣悪化する一方です。
生きさせろ!
希望は戦争!
もうがまんできない!
今、400万人のフリーターたちが、怒り始めています。
今回は「『丸山眞男』をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。」で
大きな波紋と反響を巻き起こしたライターの赤木智弘さん、
3月に『生きさせろ! 難民化する若者たち』を
出版したばかりの作家・雨宮処凛さん、
そして、6月10日に雑誌「フリーターズフリー」を創刊される
有限責任事業組合フリーターズフリーの杉田俊介さんをお呼びし、
『 フリーターの「希望」は戦争か? 』と題してお話いただきます。
フリーター、ワーキングプアの問題を取材・考察し続けているお三方からは、
日本社会への洞察に富んだ示唆や問題提起をいただけることでしょう。
日の大変差し迫った中でのご案内となりますが、この貴重な機会に、
ぜひとも皆様にご参加いただければ幸いです。
<開催概要>
■日時・時間 2007年6月8日(金)
19:00〜22:00(開場18:30〜)
■会場 UPLINK FACTORY
東京都渋谷区宇田川町37-18
地図:http://www.uplink.co.jp/info/map.html
■出演者 赤木智弘氏、雨宮処凛氏、杉田俊介氏
■定員 80名
■参加費 1500円
■主催 NPOコトバノアトリエ内、オールニートニッポン事務局
■URL http://www.allneetnippon.jp/
※イベント終了後、実費にて近くの居酒屋で懇親会を行います。
※本イベントは、インターネットラジオでもお聴きになれます。
■出演者プロフィール
【赤木智弘】
1975年、栃木県生まれ。専門学校卒。
東京でしばらく生活した後に、実家に戻り、
現在はフリーターとして働きながら、執筆活動を続けている。
http://t-job.vis.ne.jp/
【雨宮処凛】
北海道生まれ。愛国パンクバンド「維新赤誠塾」ボーカルなどを経て作家に。
自伝『生き地獄天国』(太田出版)のほか、
『バンギャル ア ゴーゴー』(講談社)『すごい生き方』(サンクチュアリ出版)
『右翼と左翼はどうちがう?』(河出書房新社)など、著書多数。
http://www3.tokai.or.jp/amamiya/
【杉田俊介】
1975年生れ。川崎市在住。法政大学・大学院で日本文学を専攻。
専門は日本の文芸批評。その後アルバイトを転々とし、
2002年より介護労働者。
著書に『フリーターにとって「自由」とは何か』(人文書院)。
http://d.hatena.ne.jp/sugitasyunsuke/
■参加方法
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○件名「6/8 希望は戦争?参加希望」
※申込み締切り:6月7日(木)22時まで
※下記に必要事項をご記入の上、ann-entry@kotolier.org 宛に
メールをお送りください。
○問い合わせ先:ann@kotolier.org
※お名前、メールアドレス、問い合わせ内容を明記してください。
————————————申し込みフォーマット————————————
■お名前:
■所属(学生は大学および学部・学年など):
■メールアドレス:
■緊急連絡先 :
■申込理由(3行程度):
■赤木智弘氏、雨宮処凛氏、杉田俊介氏への質問:
■二次会参加: する / しない (どちらかを残してください)
————————————申し込みフォーマット————————————
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■お問い合わせ オールニートニッポン事務局 (担当:小穴、山本)
電話:050-1071-8324、FAX:同左
電子メール ann@kotolier.org
*報道関係で参加を希望の方は担当 山本宛にご連絡をお願いいたします
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●どうもネットを見ていると、「ペッパーランチの店内でペッパーランチ従業員によって、卑劣な犯罪が行なわれた」ことと、「ペッパーランチという店自体が犯罪を犯した or ペッパーランチという店自体が犯罪の巣窟である」ことの区別がついていない人間が本当にいるようです。気持ち悪いですね。
●第320回の「マル檄トーク」で、私の『「丸山眞男」をひっぱたきたい』が取り上げられています。(Part.2の42分ぐらいのところから)
その中で萱野稔人さんは「経済の問題ではなく、社会的承認の問題ではないか」というわけです。
確かに、まず「戦争」ということを考えて、その時に「自分が兵隊になる」すなわち、既存左派の「お前が兵隊に行くことに成るのだ」という対論に答える形で、「自分が兵隊になって、戦争の中で死ねば、靖国なりなんなりで英霊として丁重に葬られる」ということはあるわけです。しかしそれは、「国家が戦争に至る」という、状況の変化があって初めて達成できる承認の話であって、現状では外人部隊に所属する以外に「兵隊として死ぬ」ということはありえません。それに、外人部隊で死ぬのは自己責任ですから。
では、状況の変化無き、現状においての「承認」とはなにかと言うことですが、それはやはり「お金」なのです。
「経済の問題ではなく、社会的承認の問題である。では、社会的承認とはなにか? それはお金である」このことを前提にここから話を始めない限り、弱者に対する社会的承認の問題は解決できません。
これは何度でも書きますが、やはり日本の「社会的承認」というのは、右肩上がりの経済発展によって、国民に無自覚にバラ撒かれた物です。三種の神器、3C、そして家という、「お金で買えるもの」を国民のほとんどが買えるようになったことが、「一億総中流」の正体なのです。戦後日本人の自尊心の根拠は、そうした金銭面での成功体験にあるのです。
現状、日本人が「社会人」として認められる承認条件は「正社員であること」や、「家族を養っていること」、「親をやしなっていること」などが挙げられますが、その全てが直接的に「その程度のお金をもっていること」という意味なのです。
現状の社会においては、お金でしか承認問題は解決できません。
しかし、そのレジームを変えることは可能なのかも知れず、そうした「お金だけでしか承認できない社会から、別の承認のある社会へ」という期待が、いわゆる「右傾化する若者」にあるのではないかと考えます。つまり、「民族」や「性別」、「無謬性」といった「正当性」による承認に対する期待ですね。
左派がこの問題について語る時におかしくなるのは、「お金でしか解決のありえない」問題について、なぜかお金以外の解決手段を提供しようと考えることです。一方で右派はレジームの転換を提案しながら、お金以外の解決を考えるので、理論的に正当なのです。
つまり、「若者にお金を渡そうとしない」という点は右左派ともに同じなのですが、「9条」に象徴される戦後レジームを守ろうとする左派と、それを改革(!)しようとする右派では、右派の考え方の方が説得力があるのです。
結局のところ、戦後レジームを守りながら、若者の承認問題を解決しようとするならば、左派は絶対にお金の問題から逃げてはいけないのです。
そうした覚悟が左派知識人には足りない……いや、全くないというのが現状ではないかと思います。
●最近になって「身の回りのことをしっかりやろう」ということを考えています。
部屋やトイレの掃除、細かな布団干しや、食事の管理など、そういう細々とした一般的な生活態度を、しっかり自覚しながらやっていこうと思っています。
それは決してストイックなものではなく、それを楽しみながらやっていこうと思うのです。
そこで、ある程度ミーハー的な考え方を取り入れながら、自覚的にいい加減にするべきだと思うのですよ。ただ「キッチリ」するのではなく、意図的にダラダラする。生活を一生続けていくには、そのような考え方が必要不可欠だろうと。
で、まぁ、Blogでもいい加減にそうした情報も書いていきたいなと思うのです。
特に最近、真面目なことを書き過ぎた感があるので。
●ついつい、買っちゃいました。ニコニコ動画でも人気のアイツ。

5000円のキャッシュバックを受けるべく、一週間プログラム……いや、あえて途中で1日休んで、8日間プログラムを開始。
まずは基本プログラム。楽勝楽勝……楽しょ…………ら…………………………………………無理です、ビリーさん無理です!!!! えーっ! そこで「2 more set」とか、鬼ですか!?
動きが早く、ノリで行ける前半はいいんだけど、後半になるにつれ、どんどんシャレにならなくなってくる。ニコニコ動画とかで見ていた時には単なる「面白い動き」でしかなかった、両腕を左右水平に伸ばしてグルグル回すのがこんなにツライ動きだったとは……
しかし、そんな辛さを乗り越えて、なんとかヴィクトリーーーーーーーー!! ヴィクトリーの時に、ついついテレビの画面に近づいてしまう俺がいます。
現状、ビリーバンド無しで、基本×2、応用×1を終えて、1日休養をとったところですが、体重、ウエスト、体脂肪共に、さほど変化はありません。
とはいえ、こういうものは楽しく継続していくことが大切なので、キャッシュバックのための7日間プログラムが終わったら、2ちゃんねるダイエット板のビリースレにある、本来の一ヶ月プログラムで運動を継続していく事にします。
ちなみに、動画だけならニコニコ動画あたりでゲットできるし、ビリーバンドも自作できるので、数百円でブートキャンプ環境は手に入るけど、内容がハードなだけに、意思が強くないとなかなか継続できないように思います。そういう意味では、15,000円を払って、キャッシュバックを最初の目標にするというのは、継続しやすくする効果があると思いますね。ちなみに私はちゃんと購入しましたよ。
さて、今日もビリーしようか……
参考2: 2ちゃんねるダイエット板、ビリースレ、テンプレより
○プログラム構成
* Disc1 基本プログラム…約55分×2日
* Disc2 応用プログラム…約55分×2日
* Disc3 腹筋プログラム…約35分×2日
* Disc4 最終プログラム…約31分×1日
* ちなみに英語版では1カ月間のプログラムが組まれている。
1週目 基本、休み、基本、休み、基本、休み、最終
2週目 休み、最終、基本、休み、最終、基本、休み
3週目 腹筋、休み、最終、腹筋、休み、最終、腹筋
4週目 休み、応用、腹筋、休み、応用、最終、休み
●先日にひきつづき、お仕事情報。
ミリオン出版の『漫画 実話ナックルズ 7月号』にコラムを寄せています。(72ページ下段に掲載)
ところで、私の隣のページにモリタク(森永卓郎)が書いているのですが、結論として「フリーターを採用してくれる中小企業は必ずあるので就職するべき」みたいなことが書いてある。
確かに、現実論としてフリーターが正社員になるとすれば、そのような中小企業しかないであろう。しかし、それを書く事は経済学者としてどうなのか?
かつて私はICUの八代尚宏教授を「誠実である」と評価したが、その誠実さというのは、経済学者として現実論と擦り合わせながら、最大限度平等性を確保しようと、ダイナミックな提案をしたことにある。もちろん、彼の立場を考えればそこで達成される平等さは富裕層の安定のための隠れ蓑なのかもしれないが、それでも、正規労働者の給与を減らすというのは、非正規労働者である私からすれば、非常に「報われる」提案である。
一方で、このモリタクの提案は、この差別的な現状を批判することなく、会社の倒産や突発的なレイオフに脅えながら、「まだマシ」な弱者として、今後もびくびくしながら過ごすことを受け入れろというものである。そこには経済学者としての「理想と現実のクリティカルなレベルでの擦り合わせ」は一切存在しない。現状をただ必然とし、問題解決を後回しにする姿勢は、経済学者としての責任を果たしているとは言い難い。
だいたい、なんで「景気回復の功労者は、フリーターである。だから利益はフリーター優先で分配されるべきだ」などという当たり前の原理原則論を、一介のフリーターに過ぎない俺が主張して、経済学者が現実論なんかを書いているのか。ほんとうなら逆だろう。
経済学者が原理原則論を戦わせ、我々がそれを現実に添う形で解釈していく。そうした「知の原点」に立つのが経済学者の役割ではないのか?
それが経済学者が現実論を論じてしまえば、我々はその現実論をさらに現実に添わせた醜悪な形で解釈するしか無くなる。水は下流に向かえば向かうほどに濁るものだ。その水が最初っから濁ってしまっては、下流の人間は絶対に救われない。
モリタクの言うように「フリーターの行き先が中小企業にしかない」のだとすれば、フリーターは人生に絶望したまま、中小企業という「人生の終着駅」に押し流されたという絶望しか残らないし、中小企業だって「フリーターなどというお荷物を押しつけられた」としか感じられないだろう。そのような労働体系が幸福であろうはずがない。
誰でも思い至るような現実論しか語れないような経済学者に金を払うぐらいなら、昼間っから酒を飲んでいる身元不明で虚言癖のあるオッサンにでも金を払ったほうが、面白い話が聞けるはずだ。
●JCcast 第5回公開です。
今回はイスラム圏の問題に詳しいジャーナリスト、常岡浩介さんをゲストに迎えさまざまな話を聞いています。
題材は、
1、常岡さんが長崎時代に直面した「薬害エイズ」の話。
2、私のしどろもどろな質問に対し、常岡さんが現地で体験してきた「戦争」と、私が主張する「戦争」を突き合わせる話。
3、海外取材の方法や、さまざまな経験についての話。
4、常岡さんのもう一つの側面である、携帯電話というツールについての話。
特に4の「携帯電話」の話は、日本の携帯市場のありようを考える上で、非常に興味深い話だと思いました。
以上、非常に多様な内容になってます。常岡さんの引き出しは広くて奥が深いなぁ。
●『月刊オルタ』は、「オルタ」でぐぐると、「マブラブ オルタネイティブ」がトップに出てきてしまう現状を、まずはどうにかしなければならないと思う。
●「QMA4」の全国大会はいいね。
今までの全国大会は、1の時を除けば、さほど通常の全国トーナメントと、ゲーム性の違いがあるわけではなかった。
しかし今回は、同じ問題を同時に解く全国トーナメントと違って、同一の問題(分岐が違うという報告を見たこともあるが?)でありながら、それを全体の時間の中で説いていくという、早く解けば問題数が多くなりハイリスクハイリターン、遅く解けば問題は少なくローリスクローリターン(とはいえ、1問に20秒以上かけると、ペナルティーがある)という形式になり、ゲーム性が大きく変わっていて、楽しい。
あと、前回までのような階級によるクラス分けがないので、ドラゴン3回戦ボーイの自分でも、優勝できる可能性が高いのも、楽しい理由。
まぁ、魔法石は溜まらないけどな。
●ニュースコメント
「ロンハー」4年連続ワースト1=PTA「見せたくない」調査(Yahoo!/時事)
昨年度、過労自殺は最多66人=うつ病など30代で深刻−厚労省(Yahoo!/時事)
●『月刊オルタ 5月号』に、私と雨宮処凛さんの対談の模様が掲載されています。
俺の目つきが悪すぎて笑えるので、是非ご購入していただければ。
あと、双風舎の谷川さんも書いてます。谷川さんの写真は男前だなぁ。なんか渋い大人って感じがして、当人とのギャップがすごいなぁ(笑)
それと、『群像 6月号』では雨宮さんがオルタでの対談を受けた文章を書いています。これも必読です。
雨宮さんの論点からは、貧困問題のすぐ側に「死」が口をあけて待っているという事実がよく見えます。
私の日記で前回言及した編集者は、私たちと年配左派の間にあるものを「溝」などと言っていましたが、雨宮さんの近著である『生きさせろ! 難民化する若者たち』を読めば、そのような甘っちょろいものではないことがハッキリと分かります。もはや、年配左派と我々は同じ場所に生きていないのです。
さて、私もこれらを受けて、何かを書く必要があるのですが、まだ十分にまとまったとは言えないので、今回はその予告にとどめておきます。
ただ、単純に真っ正面から受けません。もう少し違う場所から、貧困や格差の「立ち表われ方や論じられ方」について書く予定です。
●今後は、単純なニュースに対するコメントについては、すべて「journalism.jp」の「トピックス」の方に記していきたいと思います。
んでもって、日記を更新する時に、まとめてここからリンクを貼ります。
・人間の鎖 復帰35年記念し嘉手納で 初めて包囲できず(Yahoo!News/毎日)
●更新が週1ペースに落ちちゃってるなー。
●現在、部屋の掃除中です。
やらないと、すぐにいろいろと物が溜まってしまうので困りものです。
特に、来週あたりに「アレ」がくるので、体を動かしても平気なスペースを作っておかないと……
●ニュースソースが見つからないんだけど、昨日NHKのニュースを見ていたら、なんか横浜のみなとみらいで、なんか食べることのできない人たちがウンタラっていう行進みたいなのをやってたみたい。
で、インタビューを受けた参加者が「日本では飢えている人を目にすることはないけれども、海外には食事もままならない人たちがたくさんいる」なんてことを言っているわけですよ。
あのなお前、そのお前のいる「みなとみらい地区」から、電車でちょっと移動すれば、そこに仕事も食事もままならない人たちが多く「生息」している「寿町」ってのがあるから、ちょっと足を伸ばしてみろよ、と。
目前の貧困に目を背け、決して自分の手の届くことのない遠い海外の貧困を、さも「私は他人の幸せを考える良い人です」と言いたげに語ることの卑劣さ。しかし当の本人はそれに気づいていないであろうというバカバカしさに、思わず笑いが込み上げてしまいました。
●『週刊金曜日』の編集さんが私の文章を取り上げてくださっています。
年輩者を説得してその権力を利用するという目的があったとすれば
いやいや、彼らは私の人生を奪った「敵」ですよ。
彼らの発言は「頓珍漢」などではなく、「他者を貧困に貶める悪質な言論」なのです。
そして、その敵と仲良くしようというあなたも「敵」です。
私は彼らに対して「私たちに協力してくれ」と言っているのではないのです。
「あなた自身が表明していること、すなわち「平和と平等」ということに対して、責任を取れ」と言っているのです。
日本に不平等が蔓延し、あなたが「年輩の左派」と呼んでいるネオリベ勢力が増長を続ける。そして弱者はこれまで以上に貧困に貶められる。
そうした現実を「溝」の一言で切って捨てるあなたは、りっぱな「みなとみらい地区で海外の貧困を叫ぶ人」ですね。
●急なお知らせになりますが、本日5/7の「クローズアップ現代」に少しだけ顔を出しています。
●ビーチバレーの試合で一般人が写真を撮ってはいけないとかなんとか。
どう考えたって極小ビキニで「エロ」を売りにしているスポーツなのに、本当にくだらない制限をするよなぁ。
写真を撮らせたくないんなら、Tシャツ短パンに帽子かぶってプレイさせろよ。
●エキスポランドのジェットコースター事故。
あの車両はバブル期の92年に作られたものだったんだね。そこから15年間車両の下でお客さんを楽しませ続ける一方で、十分な整備を受けることができずに、ついに事故を起してしまった。
物言わぬ車軸ですら金属疲労を起してしまうのに、人間が15年間なんの苦労も報われずにこき使われて、壊れないはずがない。
事故の事後に管理体制を批判するのは非常に簡単なことだが、事故が起っていない、もしくは事故が起っていてもそれが認識されていない状況を周知させ、訂正、修復させるのは大変困難であるということを実感している今日このごろです。
●4月号での応答に対する再応答が掲載されている『論座 6月号』、本日発売です。
論調としては、前回のようなインパクトがあるものではありませんが、今回は再応答という形を取りながら、なぜ「国民全員が苦しむ平等」を志向するのか? という、現在の私の思想を貫くテーゼを明確にしています。
そんなわけで、どうぞおひとつよろしくお願いします。
●ひょっとしたら、第4回のJCcastについて触れていなかったか?
「第4回 JCcast」好評配信中です。
今回、私は「ニコニコ動画」について話してます。
ここで話したことは、日単位で流行が変化するニコニコ動画ですから、少々古い話題になっていますし、最近のニコニコは、少し停滞状態にはなっているのですが、ニコニコ特有の「コメントでのツッコミ」という機能は、まだまだ利用価値を秘めていると考えております。
●気がついたら、カート・ヴォネガットがお亡くなりになっていた。
そういうものだ。
「そういうものだ」は、ヴォネガットの『スローターハウス5』において、人の死にまつわる場面の最後に、常に現われる言葉である。
聞いた話によると、作中に100回以上書かれているらしい。
それはつまり、作中で100回以上、死が語られてるということだ。
「人の死」という、極めて重大な事実が、「そういうものだ」という一言で打ち切りにされる。
その言葉は極めて不条理ではあるが、その一方で人の死を客観的な現象と受け止め、死んだ人のストーリーを、明確に打ち切り、生きている人のための話を再開させるという作用を忘れてはならない。
現代の日本においては、あまりにも「人の死」が強く作用し過ぎている。
過去の人間のために、生きた人間を縛る法律が闇雲に強化され、死んだ人間のために対外関係が硬直化する。
生きた人間の人生が死んだ人間によって左右されるといういびつな状況が、我々の生活を困窮させている。いや、困窮させているのは死んだ人間の名を借りた生者で、彼らが「遺族」という利権を振り回し、社会を混乱させている。そして結局、死者はいつまでたっても死ぬことはなく、その遺影は遺族という資格を立証する「権利書」のように扱われる。
しかし本来、生者の役目は、人の死を悼みつつも、生者のための社会を作り出すことではないだろうか。
そのことは決して死者への裏切りではない。
人が生きている限り、死は何度でも訪れる。そのたびに死者を過剰に意識しなければならないならば、我々の神経はまいってしまう。かといって、一部の人間の死を取り上げてそこに権利を付与することは、特定の死者やその遺族に対する、不平等な利益供与に他ならず、人間の尊厳を軽視することになる。
人の死は、強烈なものではあるが、しかし、同時にやがて忘れ去られるべき事柄でもある。
だから、私はヴォネガットの死を、今は静粛に受け取りながら、そしてやがて忘れて行く。これを彼への弔いとしたい。