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2007年06月28日
 ■ そんなに露骨に差別をするなと

お仕事情報。
 本日6月28日発売の「Numero TOKYO 8月号」の199ページで、少ししゃべっています。
 ん? そんな本知らないって?
 まぁ、女性誌ですからねぇ。知らない人がいてもおかしくない。私も仕事をうける時に初めて聞いた名前ですし。
 で、私が女性誌で何をしゃべっているかは、読んでのお楽しみです。
 それと、私がなんで女性誌で仕事なんかしているのかは、この記事を誰が担当しているのかを見ていただければ分かりますよ。

ああ進まない。仕事がまったく進まない。
 頭の回りは悪くはない状態なんだけど、やっぱり「自分のことを書く」のは、嫌なんだよねぇ。
 キーボードを打つ手がどうしても止まってしまう。

あまりに露骨な職業差別が、東村山市議会で起っています。

 東村山市議会議員・薄井政美議員を応援しよう! - 矢野・朝木両議員による職業差別を許さない!

 「東村山市民新聞」における薄井政美・東村山市議会議員に対する誹謗中傷と、朝木直子・同議員による薄井議員の辞職勧告申出書の内容についての抗議文

 風俗に対する偏見はまだまだ根強いものがありますが、私たちは風俗や風俗に関わる仕事をしている人たちが、「風俗」を理由に差別されるのはおかしいと考えています。それゆえ、先の統一地方選挙で東村山市議会議員に当選した薄井政美議員が、過去の職歴・元マンゾクニュース記者を理由に、差別や誹謗中傷を受けていることに強く抗議し、すぐに差別を止めるよう要求します。

 薄井議員は東村山市議になる前まで、風俗情報誌であるマンゾクニュースで記者として働いていました。そのことについて、「東村山市民新聞」
(http://www.geocities.jp/higashimurayamasiminsinbun/index.html
発行人の矢野穂積氏は、薄井議員がしていた風俗情報誌の仕事をセクハラ同様に位置づけ、それを理由に薄井議員の辞職を要求。風俗についてもまた、セクハラ類似行為を売り物にしているから消滅すべきだと言っています
(http://www.geocities.jp/higashimurayamasiminsinbun/page027.html
)。
 また、同新聞の編集長である東村山市議の朝木直子議員は5月25日、市長あてに、薄井市議の辞職勧告措置を求める文書を提出しました
(http://www.geocities.jp/higashimurayamasiminsinbun/page038.html
)。
 矢野議員、朝木議員による一連のこうした言動は、風俗や風俗に関わる仕事をしている人々を貶めるものです。風俗関連で働く人たちはセクハラを売り物にしていませんし、セクハラを許していません。それに何がセクハラ行為にあたるかは、矢野議員が勝手に決めて判断することではありません。
 朝木議員は、インターネット上で自ら探し出した過去の薄井議員のマンゾクニュース記者時代の動画について、朝木議員自身に対するセクハラだと言いますが、薄井議員が朝木議員に向けて情報発信したものではなく、風俗情報を知りたいと思う視聴者が自主的、主体的にアクセスして得られる情報なので、それを知りたくないと思う公衆に向けたものではありませんし、朝木議員が自分に対するセクハラだという論理はおかしいと思います。
 また、風俗に関連する仕事をしていた人が政治家になる資格がないというのは、職業差別であり、人権侵害です。私たちはむしろ、過去に風俗で働いていた人たちや風俗に関わる仕事をしていた人でも政治家になれる道やチャンスをつくっていくことが大事なのではないでしょうか。風俗の当事者や現場というのは、まだまだ支援や社会保障の行き届いていない領域です。そこから社会の問題、政治の問題へと発展させていく人がいなければ、風俗で起こる不幸を止めようとする人はないに等しいのです。
 そういう意味では、これまで薄井議員は記者として現場の声をメディアで伝える努力をしてきてくれた数少ない理解者なのです。薄井議員の記者としての仕事は、ただ風俗情報を伝えるだけではありませんでした。薄井議員は、内外タイムスでの連載や、マンゾクニュースの記事、市民集会などを通じて、人々に、HIV/STD予防、客のマナーについての呼びかけや、風俗嬢の人権問題(ストーカー被害や店の問題)、法的・社会的支援体制の必要性について訴え、風俗嬢の実態調査でもボランティアで協力してくれるなど、風俗で働いている女性たちの安全と健康、人権について、言葉だけでなく、労力を惜しまず動いてきてくれた人なのです。
 こうした薄井議員のこれまでの貢献は、風俗のユーザーだけでなく、私たちの風俗嬢の労働環境改善と人権問題への取り組みに一石を投じただけでなく、多くの風俗嬢の女性たちにエンパワメントをもたらしてくれました。
 矢野議員と朝木議員は、薄井議員の職歴と仕事の一面だけを取り上げて、セクハラで男女共同参画社会を阻害すると言っていますが、それによって、風俗嬢の社会進出や、政治進出が阻害されることについては全く問題意識がないと言わざるを得ませんし、薄井議員が風俗で働く女性たちの抱える問題にどう取り組んできた人なのかを全く知らずに批判しています。
 薄井議員は職歴についてブログで包み隠さずプロフィールをオープンにして当選しました。風俗情報誌を出す出版社で働いていたからといって議員を辞職しろというのは、職業差別以外の何ものでもありません。
 
 矢野議員と朝木議員の、薄井議員に対する言動によって、薄井議員だけでなく、風俗に関わる仕事をしている人たちや、性にまつわる仕事をしている人たちが怒り、傷つき、嫌な思いをしました。もうこれ以上、風俗を差別する言動を続けるのは止めてください。そして、東村山市長へ提出した薄井議員の辞職勧告申出書を取り下げてください。薄井議員の誹謗中傷活動をする時間があったら、もっと他の重要な課題に取り組んでもらいたいです。それが有権者や市民に対する役割と責任ではないでしょうか。

【抗議文賛同呼びかけ団体】

SWASH(スウォッシュ:Sex Work and Sexual Health)

 薄井議員がどのような方かは知りませんが、少なくとも「風俗記者であった」なんて理由で辞職勧告が出されることは、あってはなりません。
 私はこのような職業差別に対して、抗議します。

 賛同者名簿に、興味深いお名前がちらほらと。

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2007年06月26日
 ■ 鶏口となるも牛後となるなかれ

鈴木謙介がなにか言っているようで。

 ラジオで言ったほうはまだ詳細が分からないので、「冬枯れの街」さんの方から。

Synodosレクチャー 鈴木謙介×芹沢一也(司会)

鈴木謙介講演会

日時 2007年8月18日 14時30分〜16時30分(14時開場)

タイトル 「サイバー・アナーキズムの時代」

 比較的若い世代による、社会と大人への「異議申し立て」が注目を集めている。ある者は「大人」の「若者」に対するバッシングを糾弾し、別の者は、自らが得ることのできなかった可能性を、「戦争待望論」をちらつかせながら、「既得権」を持つ人びとに対して要求する。「こんな国はもう滅ぼすしかない」と叫ぶ声が、ネタ半分とはいえ喝采を浴びる一方、制度を脱臼させるような社会運動、カーニヴァル的な抗議運動も、じわじわと広がりを見せている。こうした動きを、どのように理解するべきか。重要なのは、これらの異議申し立てが、硬直した社会支配の有り様に対して向けられたものであり、その点で、これまでの日本の文脈における「右翼/左翼」の図式を逸脱した、ある種の「アナーキズム」へと向かう特徴を有しているということだ。

 私見に従えば、こうしたアナーキーな志向性は、運動の当事者の意図を超えて、より流動性の高い社会における、よりネオリベラルな制度をさえ要求しかねない。そしてそれは、インターネットの普及に伴ってバージョンアップした、「サイバー・アナーキズム」とでも呼ぶべき、大きな流れの中に位置づけられるものなのではないか、と私は考えている。今回の講演では、こうした流れについて、現代の事象と社会思想を架橋させながら、今何が求められているのか、そしてそれが向かう意図せざる帰結について論じていく。そのことが、近視眼的で「すぐ結果が出そうな」運動への指向と、抽象的な「社会への語り」とのあいだに挟まれた私たちが、これから何をすべきなのかについて、考え、行動するための一助となれば幸いである。

鈴木謙介(すずき・けんすけ)
1976年生まれ。国際大学GLOCOM研究員。専門は理論社会学。インターネットの社会学的分析を主なフィールドにしながら、現代における社会思想の意義について論じている。著書に『カーニヴァル化する社会』『〈反転〉するグローバリゼーション』『ウェブ社会の思想』ほか。

 ラジオの方の情報だと、「ある者は「大人」の「若者」に対するバッシングを糾弾し」の方は後藤和智さんだそうです。
 そして、後藤さんと私が「近視眼的で「すぐ結果が出そうな」運動」とやらをしていて、それはカーニバル的でアナーキズムで、ネオリベなのだと。

 まずね、鈴木謙介に分かって欲しいのは、少なくとも私のような年長フリーターには時間がないということです。
 年齢だけ考えても、私でも現在31才、もうすぐ32になるわけで、就職氷河期からフリーターにならざるを得なかった世代の先頭はもうすぐ40才になろうという段階ですよ。単純に年齢だけで見たって「やり直し」がきく年齢としてはギリギリどころか「ロスタイム」状態になってしまっている。また、前回書いたような、稼ぎ頭の父親の寿命がそのままフリーターの寿命であるという問題もある。
 そういうことを踏まえて「貧困問題を考える」という場合は、どう考えてもまずは「スピード」のことを考えないといけない。だからこそ考え方が「近視眼的」になるのは、しかたないことであると、私は考えるわけです。
 ウヨ厨がたまに例に出すじゃないですか、「ある左翼政党の人間が、貧困地域の建設現場に行って、「(建設工事の)環境対策はどうなっているのか?」と聞いていた。バカじゃねーか」っていう話。「先の事(環境問題)」ばかりを考えて「今ここ(貧困問題)」の問題を軽視する左派のありようは、貧困問題という人間の命がかかっている問題ではそれこそ致命傷になりかねないのです。

 また、流動性についても「流動性」が単純に全ての階層において存在するなら、それは単純に「いいこと」ですよ。
 しかし、なぜか鈴木謙介はそれを「ネオリベラル」と呼ぶわけです。
 ネオリベラルやリバタリアリズムが抱えている問題というのは、あくまでもそれらが「自由」や「流動性」を自称しながら、実際には階層化を押し進め、流動性を強力に押し止めるからであり、単純な流動性の増大をネオリベラルと称すのは、ワザとやっているのか、それともただの無知なのか。


 鈴木謙介は「近視眼的で「すぐ結果が出そうな」運動への指向と、抽象的な「社会への語り」とのあいだに挟まれた私たち」といいますが、問題はそういうことではありません。
 貧困問題という「今ここ」の問題があり、長期的な問題を捉える学問としての「平等とは」という問題がある。
 私は決して「平等とは」を語ることに否定的ではないけれども、その「平等とは」が実際に我々を救うまでに、一体どれだけの時間がかかるのかと。
 下手すれば解決することに私たちが貧困で全員首を括っていて、問題そのものが存在しなくなっている事だってありえる。それは「就職氷河期世代を研究のためのモルモットにした」ことと何が違うのか。
 長期的な問題意識を持ってもらうのは構わない。しかし、ならば余計に「今ここ」の問題を放置してはならないわけです。

 だから私はずーっと言っているじゃないですか。「金をくれ」と。
 とりあえず緊急対策として、年長フリーターが自分で自分の生活を支えるだけのお金を配分して、それから「平等とは」の問題を考えればいいんじゃねーの? と、私は言っているのです。
 もちろん、その過程で問題は出てくるのでしょうが、その問題は後から解決してもいいはずの問題です。

 しかし、「後から出た問題」について、知らぬ存ぜぬを貫く民衆という問題もあるにはある。
 最近の年金問題に思うのですが、「年金をもらう」ということが、流動的な「報酬」ではなく、固定的な「権利」としてしか理解されないことが、年金の醜悪さなのではないかと。
 つまり、今の老人が日本経済を崩壊させ、若者がロクな収入を得られていない、すなわち賦課方式の正当性が失効している現状においても、老人は「払ったぶんは支払え」と社会保険庁に押しかける。各政党は「老人の権利を守れ」と威張り腐るわけです。
 これはすなわち「後から噴出した問題」に対して、まったく無考慮である国民の姿を映しています。

 だからこそ「後から出た問題は後から訂正すればいい」という考え方に、学者先生方はブレーキをかけたがるのでしょうが、しかし、だからといって今の問題を、近視眼的に解決してはいけないというのは違うでしょう。
 第一、現在の問題は、そもそも「人口爆発問題」の時点で始まっており、これはもう80年以上の問題だし、不況がスタートしてからも10年以上経っているのですから、この時点でなんの答えも希望も見いだせないというのは、それこそ学者先生方の怠慢なのです。

 鈴木謙介には鶏口牛後という言葉を送っておきます。
 あと、そんな「近視眼的で「すぐ結果が出そうな」運動への指向と、抽象的な「社会への語り」とのあいだに挟まれた私たち」なんていう、俯瞰的な立場に簡単にいられると思わないで欲しいのですよ。それじゃあ「俺は右でも左でもない。中道だ」と威張っているウヨ厨となんにも変わらないでしょ。

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2007年06月22日
 ■ 若者の貧困を知ることから逃避してはいけない

なんとあの『下流志向』内田樹先生が私の事を中央公論で取り上げてくれたそうで。

“時代遅れ”の学校が子どもの下流下を食い止める

138ページ

内田 そうですね。今の若い人たちの中には実際に
「戦争を期待している」と公言する人までいますから。

諏訪 そんな人がいるんですか?

内田 ええ、若者のワーキングプアが生まれているという
中で出てきた特異な論調だと思うのですが、本当に
いるんです。そのロジックは要するに
「格差が固定している時代の中で自分が最下層にいる。
もし戦争になれば全員が不幸になる。不幸において平等が
達成されるなら私は戦争を歓迎する」
ということです。自己努力ではシステム内での上昇が
望めないから、システムそのものを壊してしまえという
危機待望論です。近代後期社会が行き詰まっていることは
たぶん、みんなが感じている。でも「歴史は完成に向かって
進化している」という進歩史観についてはなぜか依然として
揺るがない同意がある、立ち止まるとか、元に戻るとか誰も
考えない。
ほとんどの人は危機待望論もそうですけど、そこで
変化は一気にシステムを作り変えようとする。「ウェブ進化論」
的な論調も特徴的だと思います。時間をかけてゆっくり
社会を変えていくことに我慢がならない。今すぐ変えてくれと
要求する、今の社会理論に共通するのはこの「いらだち」です。

 決して批難はされてませんが、賛同はされていません。
 最後の方の「時間をかけてゆっくり」という話は、まさに『下流志向』で展開される、「すぐに(評価に対するタイムラグなく)評価を手に入れようとする消費主体性」すなわち「無時間モデル」を持ち出した批判です。

 しかしねぇ、内田先生。私たちのような経済弱者には時間がないんですよ。
 内田先生は「経済は常に膨張するorするべきだ」という経済進歩史観を疑ってないのでしょうが、内田先生のような裕福な方はともかく、私たちは右肩下がりの経済体制を生きているわけです。それももはやストックが尽きかけた状態で。
 ハッキリいえば「稼ぎ頭の親が死ぬ時が我々の寿命」であり、もはや経済氷河期世代が上はもう40才、その親が70才になろうかという時に、「今後、いつか評価される時」などを待ってはいられないのですよ。

 第一、我々はもはや10年以上「正当な評価」を待ちつづけているわけです。
 「待ち組」云々ということをいったのは、たしか猪口邦子だったとおもいますが、現在のネオリベ政権は我々に「無時間的消費主体となれ」と迫る。これまでの10年という蓄積を打ち捨てろという。
 しかし、それを打ち捨てれば、我々には「ただ10年間年をとった」という、まさに「待つだけだった待ち組」としての価値しか残らないわけです。それこそ企業が「正統」に我々を「クズだ」と判断して、打ち捨てる理由が生まれてしまう。
 私はそうした「フリーターという労働者であった10年」というのを評価してほしいと考えています。
 フリーターの仕事というのは、賃金に換算されませんが、しかし社会の中になくてはならない仕事です。フリーターがいなければ内田先生は買い物ひとつできませんし、車にガソリンを入れることだってできないでしょう。
 しかし、そのような賃金的にまったくワリに合わない「雪かき仕事」をしながら、そうした仕事が評価されることは一切ありません。それどころか現実にいるかいないか分からないような、妄想のニートという都市伝説的な存在と同一視されて「働かないのは自己責任」などと、働いていることすら否定される始末です。

 そのような状態で、「いつしか自分たちが評価される社会をつくることができる」など、時間と現状を無視した妄想でしかありません。
 部屋の中央に張りつけにされ、両脇からトゲが着いた壁が今にも迫ってきている現状で、「いつかこの現状も変わるだろう」などと達観しているのは、ただの自殺願望です。
 内田先生は「今の社会論理」と一括りにするけれども、所詮は「強者の傲慢」でしかない安定労働層の「安直な生活を手に入れられない、いらだち」と、貧困労働層の「死へのいらだち」はまったく別物ではないのですかね。ウェブとか関係ないし。

 まぁ、日本の貧困線が年収200万だから「200万なら絶望的な貧困とはいえない。だから貧困は存在しない」とかいうレベルの経済知識しかない内田先生に、そうした区別はつかないでしょうね。
 若者の悲惨な状況はさまざまな論者が取り上げているのだから「情報が上まで上がって来なかった」などと言って、知ることから逃走してはいけないのですよ。内田先生。

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2007年06月20日
 ■ なにをかを自分の中に受け入れるということ

ここ一ヶ月程度で、やったことで、書いてないこと

・ソーダサイフォンを購入。これでいつでも炭酸水が飲める。
 現状、2日で1.5本ぐらい、ボンベを消費しています。

・空調服を購入。
 あの空調服をついに購入。マジで涼しい。
 部屋が西南に位置していて、木造2階なので、夏場はいつも蒸し暑いのですが、今年はこれでしのげるかな?

「君が代」斉唱の職務命令は合憲、初の司法判断…東京地裁
 日の丸君が代がどうとかいうよりも、
 マトモな収入が得られない現状を受け入れながら、必死に働いている人たちと、
 たかが「君が代」を歌わないために裁判ごっこを繰り広げる人たちの溝というのは、
 あまりに深く広い物ではないだろうか?

 本当に、左派の雇用に対する意識の「軽さ」はどうにかしなければならない。

『「普通の人」の哲学』読了。
 鶴見俊輔の思想を辿りながら、そのことを自身の生活に反映させていく著者の方法論は誠実な物だろう。
 しかし、その一方で私の現状を踏まえてこのことを考えていくと「で? 結局? その程度でしかないの?」という反感にたどりつく。
 戦争という狂気のなかで「自分だけは人を殺すまい」とした鶴見のありようと、
 生活術として、悠々とした現実に対する「歯止め」を実践する著者、上原のありよう。
 そして、この本が書かれてから17年ほどして、現実に団塊ジュニア世代以降の若者を「殺し」ながら、悠々とあり続ける日本社会のありよう。
 いくら不利益というか、不自然さというか、「トゲ」を自主的に受け入れようとも、その一方で「殺す側」「殺される側」の関係性はまったく変わらない。自主的な受け入れでは、そのレベルの物しか受け入れる事はできない。健常者が盲の「見え方」を知るために一時的な目隠しをすることはできても、自主的に自分の目を潰すことはできない。しかも「目隠し」すら受け入れる人間はほんの一握りに過ぎないのだ。
 そうした関係性を越えた「不利益の受け入れ」をさせるためには、やはり道徳的に、制度的に、受け入れを強要するしかないのだと思う。

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2007年06月13日
 ■ 対談してきました

少々更新の日が開いてしまいました。

 先日の8日に雨宮処凛さんと杉田俊介さんと私が対談したイベント「フリーターの「希望」は戦争か?」の音声が、オールニートニッポンのサイトにアップされています。よろしければお聞きください。

 イベントには、たくさんのお客様に来ていただきました。本当にありがとうございました。
 多数の人の前で話すのは初めてでしたが、あまり緊張せずに話すことができました。
 私の話には、いろいろ分かりにくい部分もあろうかと思いますが、今後ともご支援のほど、よろしくお願いします。
 しかし、誰に会っても「もっと怖い人かと思ってました」って言われるなぁ(笑)。

なんか、ちょっと更新サボってたら、国会関係はほとんど全部が年金行政になってしまいましたねぇ。ナントカ還元水野郎はどこに消えたのか。
 前回も書いたように、賦課方式の年金は、それが消えれば若い人の負担が無くなるんだから、これを機に「年金をやめましょう」ということになってもいいはず。(もちろん、その場合でも支払金の返還のために、記録問題は整理しなければならないのだけれども)
 しかしやっぱり、左派にとっては「若者よりお年寄りの方が大切」or「年金問題は票田だ」とばかりに、年金記録問題を追求している。そして、貧困問題なんかどこかに消えてしまっている。
 結局、みんな自分のお金だけが大事で、貧困なんかどうでもいいってことだね。

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2007年06月07日
 ■ オタク狩りに注意

「オールニートニッポン」、いよいよ明日です。
 ぜひ、聞いてください。
 会場にいらっしゃる方には、「みんな、アップリンクファクトリーで、僕と握手!!」ということで。サイン入りの下敷きとかは、ありませんが。

 アップリンクといえば、何度かアングラな映画を見に行ったことがありますね。多分10年以上前に塚本晋也特集を見に行ったのが最初かと。
 そいえば、去年アップリンクでやっていた「overcoming」は今だに見てないなぁ。つか、CSCからディスカバリーチャンネルに移ったと思ったら、ディスカバリーを辞めたバッソは、今どこで何をしているのよ?

いま、手元に内田樹の『下流志向』があります。
 本文はまだ読んでませんが、書評をいくつか読んでいます。
 ところで問題です。

 「ある部族が、雨乞いの踊りを踊ると、必ず雨が降るという。それはなぜか?」

 この本に書かれたものが、この「頭の体操」系クイズ以下のものでないことを祈っています。
 ちなみにクイズの答えはこちらさんを見てください。
 意味は、まぁ分かるでしょ。

年金記録が問題になっているようだけど、賦課方式であることを考えれば、年金記録がなければないほど、俺達の負担が減るわけだから、なんにも解決しなくてもいいんじゃね?

オタク狩りに対抗?「アキバ」で銃刀法違反の摘発急増
 一見、オタクの刃物所持が増えているというような記事ですが、その実態は、警察による「オタク狩り」が急増しているという記事です。
 その辺は、アキバBlogの「秋葉原での警察のオタク狩り職務質問の現状」に詳しいですね。

 つか、実際護身用に「刃物」というのは、お薦めできません。
 なぜなら、弱い人間が刃物を振り回したところで、取られて反撃される可能性の方が高いからです。それに今回のような警察によるオタク狩りも多発していますから、刃物なんかは持ち歩かないのが身のためです。ちなみに十徳ナイフもアウト。
 じゃあ、イザというときにどうすればいいのかと言うことですが、もっとも効果的なのは「大声をあげる」事でしょう。
 子供の危機管理もそうですが、防犯ブザーを含め、何らかの道具を使うよりも、人間自身の行為でもって相手を怯ませることが最も信頼性の高い自己防衛です。それに大声なら電池切れもありませんし。
 どうしても武器が欲しいと言うのであれば、たとえば「マグライト」はどうでしょうか?
 世界中で軍隊や警察が使っているマニア好きする品物で、その強固さはまさに「鈍器」として最適です。しかも、ライトですから、当然銃刀法違反にはあたりません。(ただし、これを持って多人数(2人以上)で集まった場合は、凶器準備集合罪に問われるかも知れません。でも、友達がいなければ問題ありませんね:-p)
 あと、刃物だと間違って相手を刺し殺す事があるかも知れませんが、鈍器であれば肩から下さえ狙っていれば、当たっても骨が折れる程度で、よっぽどの事がないかぎり、相手が死ぬことはありません。

 でも、やっぱり基本は大声を出して逃げることです。
 相手は卑劣な犯罪者ですから、彼らにまともに対峙する必要はありませんし、逃げたことを恥じる必要もありません。

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2007年06月06日
 ■ 更新というよりも、落書き

これはあまりに……
未成年の凶悪犯罪(1)
未成年の凶悪犯罪(2)アニメとマンガ

 なんか、いろんなブログで総スカンを食らっていてかわいそうなので、
 俺ぐらいは全力で釣られてあげよう。
 まぁ、酒飲みながら、半分寝落ち状態の全力だし、面倒くさいからデータもださないけど。

 少年は母親に対しては「殺意はなかった」ということだ。地球上には50億人以上の人が暮らしている。そのうちのたった1人のために、自分の人生を棒に振るようなことをするとは私は信じられない。私も、今後、様々な人と関わることが否応なしにあると思うが、どんなに嫌いな人がいても、そんなことはしたくはないものだ。

 少年は別に「誰かのために(母親を恨んで)自分の人生を棒に振った」のではないし、母親も「少年のために(善意で)死んだ」のではない。
 一体、この事件で誰が「そのうちのたった1人のために、自分の人生を棒に振るようなことを」したのか? だいいち、お前がそれをするかしないかなど、全く関係ないだろ。(つか「そんなこと」の指す内容がサッパリわからない)

 アメリカでは、未成年の凶悪犯罪の温床の1つにテレビゲームなどのゲーム類が挙げられている。具体的には、シューティング・ゲームと呼ばれるもので、内容としては、射撃手が敵の兵士を撃っていくというものであるが、撃たれたゲームの中の兵士がとても残酷に描かれている。

 ……えーと、TVゲームの世界で、単純に「シューティング」といった場合は、インベーダーやゼビウス、グラディウスのような、戦闘機に乗って敵を撃つゲームを指します。
 記事で問題にしているようなDOOMに始まるようなシューティングゲームを指す場合は、「FPS(一人称シューティング)」という用語を用います。
 この辺は最低限の下調べで分かるはずです。

 しかし、こういうことをやり過ぎていると、そのうち銃で人を撃つことに嫌悪感など感じなくなるであろう。むしろ、犯罪意識は低下する。

 犯罪意識は低下する?
 言葉は間違ってはいない?……ああ、間違っているのはその前の「むしろ」か。
 普通の用法では「むしろ」は、直前の文章を否定的に扱う接続詞だからな。
 でも「犯罪意識は低下する」の方も、おかしいよな。「犯罪の意識」が「低下」したら、「犯罪をしなくなる」みたいに読めてしまうし。

 だが、日本は、もっとゲームとは違う、別のあるものが未成年の凶悪犯罪の裏側にあると私は思う、いや確信している。

 クドイ。
 「思う」の上に「確信している」を被せる意味がない。普通に「凶悪犯罪の裏側にあると、私は確信している」でいい。
 あと、「別のあるもの」の「ある」もいらないね。「別の要因」とかにしておけばいいのに。
 つか、根本的にボキャブラリーが足りない。

 私は、日本の未成年の凶悪犯罪が起こる背景として、「アニメ」の存在があると思うのである。「アニメ」というと実に様々な作品がある。

 特に影響を与えているであろう、週刊アニメ雑誌に出てるような連載作品の中には、命を軽視するような絵が描かれていたり、未成年にはとても不適切な表現のある言葉ややり取りが交わされるなど、凶悪犯罪の温床になりかねないと見て間違いないと思う。

 「週刊アニメ雑誌」って何?
 「命を軽視するような絵」とか、「不適切な表現のある言葉ややり取り」ってのは、具体的にどんなの?
 「と見て間違いないと思う」はいらない。「凶悪犯罪の温床になりかねない」でいい。

 アメリカで相次ぐ凶悪犯罪を受け、日本でも、特定の年齢にならないとテレビゲームの販売を断わったり、また映画にしても親と同伴指定や、また観る事さえ断わるようなものまである。

 しかし、マンガというものは、全くそのような指定が無い。

 アニメの話をしていたはずなのに、なんで突然マンガに変わるの?
 コンビニなんかは、18才未満の閲覧&購入禁止のコーナーができてますね。青いシールも張ってあるし。

 マンガとは、少なからずが子供をターゲットにした出版物ということもあり、年齢指定してしまうと特定のターゲット層を失ってしまい、売上にも影響を及ぼすことは避けられないであろう。

 普通に大人をターゲットにしたマンガもいっぱいありますが何か? マンガだから子供がターゲットって、アメリカ人のマンガ観だろ。

 一概には言えないとは思うが、映画・テレビゲーム・マンガ、この3つの中で最も接しやすいのはマンガではないだろうか? 映画は基本的に映画館、テレビゲームは、基本的に家でしかやらない。

 しかし、マンガはどこでも読める。電車、トイレの中でさえ、読むことが出来る。

 一概に言えないどころか、まったく言えない。
 映画は当然レンタルで家で観ることも多いし、PSPが採用しているUMDは、汎用メディアとして、映画作品が発売されていたりする。まぁ、普及はしていないけど。あと、ワンセグならば、当然「TVで放送される映画を、携帯を使って外で見る」こともできるわけだ。
 テレビゲームに至っては、お前はあれだけ世間で話題になっている「ニンテンドーDS」を知らないのかと。

 つかさ、最初に「アニメ」で話を始めておいて、途中で「マンガ」に変わったのは、ここで矛盾をさせないためかな? この記事自体が矛盾以外の何物でもないというツッコミは置いておくとして。

 週刊マンガ雑誌の中には、以前、人を闇雲に撃って、残虐なシーンを描きまくったマンガ家がいた。

 今度は週刊マンガ雑誌になっている。つか「マンガ週刊誌」でいいんじゃね?
 この書き方では、「マンガ雑誌の中に、以前はマンガ家が住んでいた」ように読めてしまう。中の人なんていない。

 そういう作者には何かしらの処分を課すように法的に規制できないだろうか? また出版社は、今の状況を真剣に考えるなら、そういうマンガを事前に掲載するのを断わったりすべきではないだろうか?

 絵を書くだけで処分ですか。昔ドイツにそういう為政者がいましたけどねぇ。
 「事前に掲載するのを断わったり」って何?

(つづく)

 続いちゃうんですか? これ?

山本知広プロフィール

現在、大学生です。

 最初見た時は、絶対に退職してヒマすぎてボケ始めてきたジジイ記者だと思ってました。
 つか、大学生になるまで、どんな人生を送ってきたら、ここまで分かりやすい偏見の持ち主になるんだろうか?

僕の主な専門分野はスポーツです。特に、MLBに特化しています。オフシーズンの時はNFLをやります。

 「NFLをやります」って、彼はNFLプレイヤーですか?

ちなみに、ブログも近いうちに開設しようと思います。何かしら、ご意見・ご感想があれば、そちらの方にも書き込んでください。

 wkwktktk。炎上のヨカン。

スポーツのことをどれ位よく見ているか否かが分かると思います。

 言葉の意味がサッパリ分かりません。

みなさんに、マスコミが行っている報道とは違う視点からスポーツを分析することで、多角的な見方が出来るようになればこれ以上の喜びはありません。

 志を高く持つのは結構ですが、ぶっちゃけ無理だと思います。

 別にこれ以上、書く事もありません。
 たまにはこういう、どーでもいい記事もいいんじゃない?
 最近はヘビーなのばかり書きつづけてしまった感があるからねぇ。

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2007年06月03日
 ■ 誰に議論を届けるのか

テレビ朝日「オタクの末路はホームレス」秋葉原編:「アサリ屋」は実在するのか?
 場所や日程の組み替えは個人的に問題だと思わないのだが、やはり売って値段がつくような品物が、秋葉原のゴミ袋に入っているというのが気になる。

 しかし、問題の本筋は、こうした報道が「ホームレスになってしまうような非」をホームレスの側に押しつけ、現実のホームレスを産み出すような社会構造を擁護してしまっていることだろう。
 「ワーキングプア」とは、「(真面目に)働いているのに貧困である」ことを明確に示した言葉だが、「ネットカフェ難民」という言葉からは社会構造の問題をうかがい知ることはできない。
 その結果、貧困層に対する「誤った指摘」が生まれることになる。
 その具体例が、愛・蔵太による「ネットカフェ難民なんてただの報道の演出です」という記事だろう。ここに「貧困層に対する誤った理解」が、既存の「マスコミ不信」とシンクロする形で歪曲されてしまった例を見ることができる。

 愛・蔵太は「3万円以下で借りられる部屋もあるのに、それ以上の金額をかけてネットカフェに泊まりつづけるのはおかしい」という。それに対して、「敷金礼金が必要」「保証人が必要」などというコメントがつくのだが、そもそもこの問題設定自体がおかしいのである。
 なぜなら、ネットカフェ難民にとっての「ゴール」は「定職について、当たり前の生活ができるだけの収入を安定体に得ること」であって、「部屋を借りて住むこと」ではないからだ。

 世間の多くのワーキングプアは、実家や安い賃貸住宅に住んでおり、一見では貧困層だとは分からない。
 しかし、TVというメディアは、放送するために「映像」を必要とする。「ワーキングプア」という概念そのものを映像化することは容易ではない。そこでワーキングプアの生活を映像化する。
 そうした中で「よりインパクトのある映像」を求めて、概念自体を歪曲させていく。
 そして視聴者は貧困のあり方を「映像のとおり」に受け取ってしまう。そして安直な結論を自身の中に見いだす。
 結果、多くのTVの前の既得権益層は、全ての国民が荷担する経済問題を、ただの娯楽として浪費していく。

 このような構造を、どのようにして解体していけるのか。ワーキングプアの問題は、そういうレベルから解決していかなければないないように思う。

なんか、たまたま『おはよう奥さん』を読んでいたら、「子供の安全安心はほんとうのところどうなのか?」なんて感じの見出しがあって、どうせ「子供は危険に晒され続けているから、安心携帯とかココセコムと契約しろ」なんていう脅迫記事なんだろ。なんて思って読んでみると、いきなり「子供が他者によって殺される件数は減っている」と、真っ当なデータを元に浜井浩一が書いていた。
 他にも、ゲーム脳言説に対しては坂元章、環境問題に対しては渡辺正と、主婦誌にはありえないメンツが、学者の立場から極めて真っ当な批判を行っている優秀な記事だった。
 で、「誰がこんな記事をまとめたんだ?」と思って、よく見たら「文 安原宏美」と書いてあって、「ああ、なるほどな」と。

 このような記事は、私たちのような社会学に興味を持ち、論壇誌を読んだり、ネット上での議論に首を突っ込むような人間にとってはもはや「前提」の話ではある。
 しかしその一方で、子供の危機を煽り、凶悪な犯罪が急増しているというような報道をくり返すワイドショーがターゲットにしている「主婦層」にとって、このような記事は極めてインパクトが大きなものだろう。

 いかに「言論が届かない層」に言論を届ける事ができるのか、それを考える必要があるなぁと思いました。

 ちなみに、なんで主婦誌なんかを、たまたま読んでいたかはナイショだ。

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