《 Mac book Airだ | メイン | 新宿御苑で桜を見てきた。 》
2008年03月27日
●“「大嫌いな○○小学校」と卒業式で言い間違え” 小6、「死んでおわび」と飛び降り自殺
こういう間違え方は「間違っても「大嫌いな」なんて言ってはいけない」とか思っていると、実際に間違えることがあるよな。
そこに気持ちを込めれば込めるほど、こうした間違いは出てくるわけで、卒業式なんてものに心を込めず、学校なんか愛さずに「大好きな○○小学校(棒読み)」ってやるのが一番ですね。
●城繁幸『3年で辞めた若者はどこへ行ったのか』読了。
私の名前も登場している。
『若者はなぜ3年で辞めるのか?』で展開した「年功序列から職務給へ」という賃金体形転換の必要性を、昭和的価値観をひとつひとつ検証していくという手法で、より明確に主張している。
一見過激で無軌道なネオリベラリズムを無批判に主張しているように見えるけれども、やはり論理的に考える限り、城の考え方は、昭和的価値観によってガチガチに固定化された就業利権を流動化させるために、最も有用な考えの1つだろう。
ここからすっごいだらだらと。
・経営者報酬がむやみに上がっている指摘に対して、城は「メーンバンク制から金融市場を中心とした直接金融に移行する株主代表訴訟リスクが高まった結果」と指摘している。
これは小児科医や麻酔科医が激減していることと、まったく同じ。ちょっと失敗すれば即訴訟で、報酬とリスクのバランスがあわなくなってしまっている医者に対して、自分で賃金体系を決められることから、訴訟に堪えうる賃金体系を無理やりつくっている経営陣ということか。
するとモンスターペアレンツなどを始めとする「自分たちの身の回りに関する、過剰な権利意識」は、株式を過剰に権利視する、現在金融の病理と一緒か。そうだよな、ちょっと利益が下がったらすぐに経営陣の更迭と自社社員の送り込みを求めたりするもんな。モンスターペアレンツ=ハゲタカファンド。しぶしぶ損切りするデイトレーダーはまだおとなしいほうか。
・バブルの後始末を、当のバブルを崩壊させた世代が負わなくて住んだのは、賃金に対する下方硬直性(一度上がったら、なかなか下がらない)のおかげ。既存の労組はそれを守ろうと必死になっているが、そのために犠牲になったのは、バブル崩壊以降に社会にでることであった若者である。
・昭和的価値観からの脱却が、成功例ばかりなのが気になる。果たして、昭和的価値観を脱して高収入を得た人たちが、今度は搾取側(昭和的価値観への復古欲)とならないという保証はあるのだろうか?
・結局、城の主張による流動は、既得権益層である安定労働層の賃金を下げ、その一方で貧困労働層に上昇チャンスをあたえ、賃金を是正かすることである。このあたりは私の主張と同じである。
しかし限られたパイのなかで、労働市場を流動化させたら、全体が必要量の賃金を得られないのではないかという疑問が残る。
もっとも、それはそれで「にっちもさっちも行かない状態」が早く訪れて、そこで大鉈が振るわれる時期が早まるという点で、悪いことではない。そしてその状態(みんなが等しく貧困になる=貧困者をマジョリティーに)を早く産もうというのが「希望は戦争」の論旨の1つでもあるのだが。
・あとがきで「本来時給3,000円の人間を1,000円でこきつかうのは悪だが、時給1,000円分の仕事しかしない人間が3,000円もらう事もやはり悪なのだ」と論じているが、その「本来と現実」の時給の区分けは、それほど明白なものなのか?
これは「職務給」に対する根本的な疑念なのだけれども、
1、スキルによって時給を決定するという方法では、就職というスキル教育を受ける機会を失ったロストジェネレーションに不利ではないのか?
2、スキルの習得は必要ではないけれども、社会的に必要な仕事をしている人間、それこそコンビニなどのバイトや、工場での組立など、今のワーキングプアが就いている仕事をしている人の賃金を、どう評価するのか?
3、スキルは同等であっても、収入に差がつかざるを得ない場合があるのではないか?(接客のうまい宝石商と、接客のうまい八百屋では、当然前者の方が収入が多いであろう)
4、結局のところ、正社員として雇い入れられた者は、正社員としての教育を受けて時給3,000円の仕事ができるようになり、非正規社員としてしか雇い入れられない者は非正規社員としての教育しか受けられずに、時給1,000円の仕事しかできるようにさせてもらえないのではないか。つまり「本来と現実」は結局のところ教育差別により過不足なく収束しているのではないか?
私は「年功序列から職務給へ」という考え方は、私が『若者を見殺しにする国』で論じた、雇用柔軟型から、専門能力活用型への安直な飛躍ではないかという疑念を持っている。
専門能力活用型の人材として活躍するためのスキルは、正社員、すなわち長期蓄積能力活用型人材としての教育を通してしか手に入れられないのだから、雇用柔軟型(フリーター)から一足飛びに専門能力活用型(プロフェッショナル)に移行するのは、不可能であるか大きな負担(ギャンブル)を要求する事になる。
基本的なスキルアップのルートは、
「雇用柔軟型(フリーター)」 →雇用→ 「長期蓄積能力活用型人材(正社員)」 →スピンアウト→ 「専門能力活用型(プロフェッショナル)」
であり、実際この本に書かれている「昭和的価値観を脱した人たち」も、ほぼもれなくこのスキルアップのルートをたどっている。
ならば、「年功序列から職務給」に移行するために、
1、企業がフリーターを雇い入れること。
2、正社員のままでは生活はできても、贅沢ができない賃金体系をもって、スピンアウトを促進すること。
この2点を促進することが絶対だと、私は考えている。
具体的には1はそれだけでいろいろと考察しなければならないので飛ばすとして、2については正社員の給料をせいぜい年500万ぐらいにしてしまうとか。
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://www.journalism.jp/mt/mt-tb.cgi/3249
このリストは、次のエントリーを参照しています: 城繁幸『3年で辞めた若者はどこへ行ったのか』読了:
》 http://masuda39.blog96.fc2.com/blog-entry-4542.html from ãã»ã·ãã¼ãèã
è¥è
ãè¦æ®ºãã«ããå½(2007/10/25)䏿åå詳細ãè¦ã
èè
... [続きを読む]
トラックバック時刻: 2008年04月10日 12:44