2006年06月21日
 ■ 不敬の輩 伊藤良一

ドイツのサッカー祭りとかはどうでもいいんだけど、ツール・ド・スイスではドイツの英雄、デブ……じゃなくて、ピザ……じゃなくて、ヤン・ウルリッヒが優勝。サッカーのほうも3連勝らしいし、ドイツは大騒ぎだね。
 「ドイツで流れているらしいおもしろCM」テラヒドスwww。ウルリッヒはドイツ国民に愛されてるなぁ。

仮に北朝鮮がミサイルを仮に準備しているとして、北朝鮮の誤算は、日本とアメリカのリーダーが、北朝鮮以上に国民の命など屁ほども思っていないことだろう。
 だから、恫喝が恫喝にならない。むしろ撃って国民の数千人も死んでくれたほうが、堂々と戦争ができて嬉しいくらい(笑)。麻生ちゃんなんか、あんなに嬉しそうじゃん。

起立せぬ親と来賓調査 君が代
 はらわたが煮えくり返る思いなのはこっちだ!!
 伊藤良一とやらは、いったい何様のつもりだ!!
 天皇陛下は「強制してはならない」とおっしゃった。にもかかわらず、強制するならそれは不敬だ!!
 陛下を讃美する歌をうたいながら、陛下のご威光に背く二枚舌!!
 保護者や来賓の方々においては、このような不敬の輩を許さぬためにも「着席」を貫き、子供たちに規範を示していただきたい。

 おまけ。
 埼玉県のサイト内にある「市町村教育委員会」の名簿

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2006年04月23日
 ■ 私は今なにを考えているのか

最近はなにかといろいろ(たいていロクでもないことだ)ありまして、非常に思考が混乱している時期でした。
 自分の中での激しい葛藤があった末に、ようやくこれからの自分の考え方やすすむべき方向性が見えてきましたので、ここにまとめておきます。

 まず、目指すべき最も大きなテーマは「日本に置ける「人間の尊厳」概念のパラダイムシフト」です。
 戦後日本においては、「56年体制」ともいうべき体制によって、人間の尊厳が守られてきました。
 「56年体制」とは、私の造語ですが、有名な「もはや戦後ではない」と、右肩上がり経済体制の確立を示した言葉が経済白書に掲げられたのが1956年であることから、こう名付けました。神武景気のはじまりが55年であることを考えると、「55年体制」でもいいのですが、既存の有名な単語をそのまま別の意味で使うと、区別がつけづらいので、56年に設定しました。
 で、「56年体制」の言葉の意味は、それまで敗戦の中で人間としての尊厳をどのように確立するべきか試行錯誤していた日本人たちが、「これこそが我々が目指すべき道だ」と、一つの体制を選択したということです。そして、その体制は「大量生産、大量消費による経済的富国を是とする」というモノです。

 そうした体制は、経済が右肩上がりに大きく成長しているうちはいいのですが、経済が停滞した途端に頓挫します。しかし、日本は不幸なことに、所々で細かい不況はあったものの、全体として50年近く右肩上がりの経済が続いてしまったのです。そのために経済の右肩上がりに支えられたこうした体制が、さも揺らぐことのない概念であるかのように、勘違いしてしまっているのです。

 バブルが崩壊し、不況になった後、既にリアルな不況の洗礼を受けた企業は、終身雇用や定率昇給を破棄しています。これはすなわち56年体制の放棄に他なりません。われわれは以前のようにはローンを利用できず、一部の人しか「大量生産、大量消費」の御恵を得られなくなりました。
 しかし、人々は今だに56年体制を放棄できずにいます。それはまさに会社が社会の矢面に立ち、社員を不況の洗礼から守ったからです。不況の洗礼を浴びずにすんだ人々は、今だに56年体制が有効なものであると、信じ続けています。
 その一方で、バブル以降世代の人々は、経済の洗礼を直接身に浴びています。しかし、56年体制を当然のこととする考え方からは、個人は会社が守るものであり、個人を社会が直接保証するというイメージは存在しません。
 こうした、個人と会社と社会を巡るイメージの齟齬が、現在の悲劇を生み出しています。

 そこで、我々はこうした56年体制を破棄し、新たに人間の尊厳を設定するためのパラダイムシフトを必要としているのです。
 今後はこうしたことを中心に社会を考えていきます。

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