2006年05月11日
 ■ ゲームレビュー マザー3

マザー3に見る、バブル以前世代の限界
(ネタバレ注意)
 マザー3をクリアした。笑ってしまうほど酷いものだった。

 ストーリーには結局「敵と家族」しか描かれていない。当のプレイヤーキャラクターたちはただRPGというシステムの上を歩き回させられた揚げ句に、最後は「家族愛」で終わる。マザー1、2で見られたような、PC(プレイヤーの操作するキャラクター)の成長、イコール、プレイヤーの成長という視点は一切無い。ラストバトルでは主人公以外のPCは放置だし。
 もっとも最悪なのは、家族愛を前提として、その書き込みがほとんど無いことだろう。とにかく「家族は愛し合っているもの」という前提を前提と考えないと全く物語が成立しない。物語の描き方として手抜きの極致だろう。

 だから私はココに糸井重里の限界というよりも、バブル以前世代の限界を見るのだ。
 プレイヤーは主人公たちのレベルをあげながら、最終的にはそうした「強さ」は一切無視され、ただ母親の愛情がゲームを決定づける。それはバブル以前世代に見られる、団塊ジュニア以降の絶対的否定そのものである。

 ゲーム的な話をするなら、私はまさかそれがラストバトルだとは思ってなかった。このあと絶対にギーグが出てくると思っていたのだが……

 閑話休題。
 2であれば、両親と妹の存在というのは、あくまでも「主人公を支えてくれるもの」でしかなかった。特にストーリー上にしゃしゃり出ることもなく、次のレベルアップを教え、お金を振り込み、主人公の好物を作り、荷物を預かってくれていた。
 そうした家族は「必要以上にしゃしゃり出てはこないけど、決して欠かすことのできない大切なもの」であった。しかし、3ではゲームの最終局面になってしゃしゃり出てきて、最後のおいしい部分を掠めとってしまう。まさに若者からカネを強奪する団塊以前世代のイメージそのものといえよう。
 7本の針についても、それは予め仕組まれた、いやそれがゲームである以上仕組まれているのは当然なのだが、2では「僕の場所」であったのが、3の「針」はあまりに事前決定的だ。そして復活した龍に対してプレイヤーは何もすることができない。
 そして両親と龍に、プレイヤーが経験値を積み立てて得てきた「力」はことごとく否定される。

 マザー3はそんなゲームだった。
 これで癒されるのは、若者の成長を否定して、永遠の平安を得たいと考えるバブル以前の世代だけだろう。

 ただ、唯一私たちのような「否定される若者」にとって希望を感じられる演出は、最後の「END?」の世界だろう。
 私はこの真っ黒な画面の世界が「カプセルに全ての人々が入れられた世界」であってほしいと思う。ポーキーの作った「いいひとカプセル(だっけ?)」に全ての人が入れられた世界であってほしいと思う。
 若者の成長や力をすべて否定した世界の帰結は、そのような悲惨な未来であってほしいと強く思う。
 そうとでも考えない限り、私はマザー3というゲームを受け入れることができない。

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