Facebookに投降したものと同じ内容です。
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『思想地図β4-1 チェルノブイリ、ダークツアーガイド』読了。書店では品切れが多くて手に入れられなかったのだが、版元から御恵投いただいて早めに読めた。感謝。
「観光」をキーワードにするという話を前に聞い時に思いだしたのは、かなり離れた文脈ではあるが、かつてのSONYのAIBOだった。その開発にあたって天外伺郎なるペンネームで神秘主義的な著作を多く出していて斎藤貴男『カルト資本主義』にも登場する取締役の土井利忠さんに話を聞く機会があったが、彼はこれからはエンターテイメントが技術開発を駆動するという趣旨のことを述べた。「これから」はというからには「それまで」は違っていて、従来は技術開発の牽引役は軍事だったと土井さんはいう。確かにコンピュータも原子力も軍事利用が想定されていたからからこそ巨額の開発費を投下して実用化されてゆく。そうした事情が過去にものになったとまで彼が考えていたわけではないだろうが、少なくともそこに新しい構図が生じたというのが彼の認識で、エンターテイメント用の商品開発こそが技術の進化をドライブする。その典型がAIBOなのだと彼は言っていた。
確かに主に大学で開発されてきたロボット技術は、当時、SONYとホンダの参入によって急激に進化の速度を高めた。ホンダは二足歩行ロボットASIMOをそれまでのロボット工学の蓄積を凌駕する完成度で登場させたし、SONYはロボットの商品化までやってのけた。大学の研究室では加工生産は不十分で秋葉原あたりで使える部品を買ってきて手仕事でカスタマイズするぐらいしかない。そんなロボットの世界にSONYやホンダが入ってきたのだからそれまでにない圧倒的開発力を持ったとして当然であった。
土井さんは、AIBOは娯楽用だからこそ商品化できたのだという。たとえば介護用ロボットであれば絶対的な安全性が要求される。しかし娯楽用のペットロボットであれば時に利用者の意に反する動きをしても「ペットらしさ」として許容される。こうしてロボットをエンターテイメン用と規定したことで技術開発上要求されるスペックにそれまでにない自由度が生じ、市場も成立し、好循環が生じて技術開発が進んでゆく。巨大に育ったSONYのような企業がそこに参加する必然性が生じ、SONYだからこそ新しいエンタテイメントロボットの市場を創設できるのだとそんなことを土井さんは語ってくれた。
着想としては面白いが、少し甘い感じもした。「ペットらしさ」を感じるのはAIBOをペッとして見立てる、所有者の側の思い入れが必要だ。そんな「見立て」に飽きてしまえばAIBOはできの悪いおもちゃに成り下がる。結局、AIBOは一部の熱狂的なユーザーを除き、そうした意識変化の軌跡をたどり、初代ほどの支持を受けることはかなわず、SONY自体のリストラの一環として消滅するに至ったのではないか。
観光にも似たところがある。観光も自発性がなければ成立しない。そこが気になっていたのだが、そこは想定の範囲内だったようで、東の書いた「旅のはじめに」にマニュフェストのような一文がある。そこで「技術の発明とは事故の発明だ」というポール・ヴィリリオの言葉が引かれた後にこう書き続けられる。「だとすれば今後原子力を推進するにせよ放棄するにせよ、とりあえずは事故の記憶だけは失わないようにせねばなりません」。もし原子力を放棄する選択をし、すべての原子炉の廃炉や新エネルギー開発が始まったとしても、そこでは事故が継続する。だからこそ人類の愚かさゆえの事故の記憶は留められなければならない。
しかし記憶は風化しがちだ。観光化計画とはそんな記憶の風化と戦う概念なのだ。チェルノブイリでも、その事故がなぜ起きたのか、それは何だったのかという根源的な思考につながる記憶を維持することは至難のわざだろう。本書にはまさにそうした戦いに明け暮れる人々の姿が記録されている。
ダークツーリズムという言葉は知らなかったが、本文中に挿入された原発以外のだーうツーリズムガイドに出ている場所の多くを訪ねている。ハンセン病療養所、炭鉱跡、強制収容所などなど…。いくつかは記事にしているし、訪問がきっかけとなって本まで書いた場所もある。自分では付き合わされる家内を説得するために「戦後史探訪の旅」などと呼んでいたが、戦争報道のように現在進行形の報道にかかわらなかった自分としては、過去の記憶を伝えることもまたジャーナリズムの役目であることをそうした場を訪ねて自ら実践してきたとも言える。ただ、ほかの人の関心を惹くところまでは考えたが、現場に足を向かせることは考えていなかった。その意味で「観光化」は私のしてきた仕事を受け継いで、より実効性をもって発展させてくれるものだともいえるのかもしれない。
http://www.amazon.co.jp/dp/4907188013