2014年4月22日に産経新聞大阪版「複眼鏡」に寄稿した記事のナマ原稿です。
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小保方晴子氏の記者会見が催された9日、中継映像を見ながら、その前日に掲載された新聞記事ことを思っていた。それはSTAP細胞とは別の科学技術についてのものだった。
「放射性廃棄物の無害化に道? 三菱重、実用研究へ」。そう題された日経新聞記事は、極薄のパラジウムと酸化カルシウムを重ねた膜に何らかの物質を付着させ、膜に重水素を透過させることでその物質を元素番号で2から4、6多い元素に変換する研究開発を続けている三菱重工業先進技術研究センターの活動を報告していた。
この「核変換」のルーツは、いわゆる「常温核融合」である。1989年3月23日、フライシュマン、ポンズの二人の電気化学者が試験管にパラジウムとプラチナの電極を入れて電流を流したところ、中性子、ガンマ線が検出されたとユタ大学で発表。二人はそれを核融合反応が起きたからだと主張した。
事実であればこれはとんでもない話だった。なにしろ核融合は摂氏1億度を超えるような高温でしか実現されないはずだったからだ。水爆は核融合反応を爆発的に起こすものだが、水素燃料に「着火」するためにまず原爆を爆発させて超高温超高圧を実現させている。そんな核融合反応が、研究室の試験管の中で実現してしまったとすれば科学の常識を覆す。この発表は大きな話題となり、メディアがこぞって取り上げた。
だがその後、多くの追試が試みられたもの現象は再現されなかった。実験や後に公開された論文の不備も数多く指摘された。二人は成功していなかった実験を成功したかのように装ったとする見方が大勢を占めるようになり、「常温核融合」はメディアを巻き込んで展開された一大科学スキャンダル扱いされた。
この「常温核融合」とSTAP細胞には多くの共通点がある。STAP細胞も複雑な遺伝子操作を必要としないシンプルな方法で万能細胞が生成されてしまう点で常識を覆し、大いに話題となった。当時の核融合研究は今の万能細胞研究と同じく世界中が注目する領域であり、巨額の助成金や特許が絡む事情もあって、一刻も早い研究発表をと焦る雰囲気があったことも似ている。
こうして酷似している両者なので、STAP細胞の「その後」を考えるうえで「常温核融合」が辿った経緯は参考になるだろう。スキャンダル扱いされた後、研究界の主流からは外れたが、「常温核融合」研究の火は消えなかった。条件を変えて実験が繰り返され、高温下で実現する核融合反応ではなく、水素元素の陽子、中性子が与えられることで相手の元素が変換される核変換現象だったのではないかと仮説が修正された。
フライシュマン、ポンズの最初の実験報告の問題点は徹底的に洗い出されたが、その間違えを踏まえてまた別の仮説を作り、検証しようとする科学者が現れる。予算額や施設設備といった研究環境面の事情さえ許せば、科学は、むしろ間違えを糧にして生き延びてゆく、不死の寿命を持つ生き物のようだ。
核変換の可能性を追求する三菱重工の研究が今回、報道されたのは放射性セシウムを放射能を持たない別の元素に変換できるかもしれないと期待されてのこと。たとえばセシウムからプラセオジムへの核変換は最初2001年に実験に成功しており、多くの追試でも確認されているという。そうした内容についての判断は筆者の手に余る。しかし本当であったとしても、セシウムの核変換は100万分の1グラム単位で確認されたに過ぎない。今回の記事はそれでも技術開発上「大きな進歩があった」と伝えている。原発事故後の除染や、使用済み燃料の最終処分に役立つ日がもしも来るとしてもまだまだ先のことだ。
STAP細胞を巡る騒動の中で、多くの人が本当にSTAP細胞が出来ていたのかどうかを気にする。もしも「なかった」と決定されても、STAP細胞的な万能細胞生成技術は今後も研究されてゆくだろう。明確に白黒つけるのが科学的態度だと思われているが、長い目でみれば白黒を決定せず、白に対して黒を、黒に対して白の可能性を追求してゆくのが科学の本質なのだ。
特にその先に希望が見え隠れする時に、科学者は可能性を追求する作業の手を止めない。そんな科学という学問の生態を知ることが、今回のSTAP細胞事件の分かりにくさを理解する一助になるだろう。