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To go, or not to go

by 武田 徹 • 2015/02/04 • To go, or not to go はコメントを受け付けていません

シリア内で取材をさせる報道機関とさせない報道機関にわかれたことについて東京新聞に求められたコメントの補足。Facebookに2月3日に書いたら一定程度の反響があったのでここにも再掲しておきます。
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取材しなければ分からない事実があることは全くその通りだし、報道が知らせる事実に公益性が備わりうることも確か。その意味で危険な地域に乗り込んで取材する記者の存在は極めて貴重である。
しかし、その一方で、そうしたジャーナリズムの公共性や中立性を主張しても通用しないケースがある。結果として記者が拘束され、国籍を通じて出身国に圧力をかけてくることが十分に起こり得ることを考慮に入れて、それでもなお知らせるべき真実があると考え、取材を希望する記者がいるならば行かせればいい。行かせるべきでないと判断したらそうすればいい。要するに、どんなケースでもジャーナリズム機関自体が、一方で国の三権から、そして他方で大衆的気分の「空気」からも独立した自律的な主体として、取材するかしないかの判断をすべき。その時点でできるかぎりの状況分析を踏まえ、自らの責任において報道機関が下した判断であればどちらの立場であっても支持したい。
欧米の人道支援団体でも紛争が本当に激化しているときは近寄らないという。それは持続可能な取り組みをする場合に必要な姿勢なのであり、ジャーナリズムも例外ではなく、一時撤退も選択として正しい場合がある。それでも、今なお外部からの電話取材なりネット経由の問い合わせに応じる現地の人に尋ねるとか、周辺国に避難した難民に話を聴くとか、既にIS内部にパイプのあるジャーナリストの情報収集力を利用するとか、取材への執念さえ持ち続けていれば、現地入りしなくても取材が全く出来ないわけではない。オール・オア・ナッシングの議論ではないことはまず大事。
しかし、それでもなお現地へという判断もあるだろうし、場合によってはそうあるべきだろう。そこまで考えて取材させるのであれば、たとえば記者が拘束されて、報道機関を頭ごなしに国との交渉材料に使われないように、その取材行為に対して報道機関が全責任を取ることをあらかじめ公式に表明しておくのはどうか。組織ジャーナリズムでは組織が報道の責任主体になることは通常の取材行為でもそうなので(それ自体が逆に問題を孕む場合もあるがーー)、その意味ではいわずもがなのだが、改めて宣言しておくのは、万が一の時に、国とは独立して対応なり判断をしようとしている自らの立ち位置を示し、ジャーナリズム以外の何ものかの介入をあらかじめ拒否することを、危機的状況に至る前の冷静になれる時点でこそ発せられ、聴かれ得る自らの言葉で示し、せめて言葉によって自ら自身をも縛っておくためだ。
たとえば人命と引き換えになんらかの条件を要求された時、どう対応するのが言論機関としてあるべき姿勢なのかを判断し、自らの判断理由を説明する言論活動も伴うべきだろう。普段は三権からの独立といいつつ、困った時にはそうした独立した主体的対応が出来ずに国頼みという弱腰なら最初から現地取材などさせない方がいい。ジャーナリズムの独立性、自律性とは、いかなるケースでも貫徹されるべき厳しさをもった理念なのだと思う。
死を悼み、死者に涙し、冥福を祈ることは人間としていつでも必要だが、一方でジャーナリズムに関わるものはジャーナリズムの問題を、あくまでもジャーナリズムの問題として議論を積み上げるべきでもあろう。この機会に便乗するようなマスコミ批判、政府批判や、死を賭けるジャーナリズムを安易に美談化してしまう危うさに流れず(それこそがシリア入り前にあの動画を残した後藤氏の本意だったのではないかーー)、こうした厳しい状況を踏まえて、組織ジャーナリズムやフリーランスジャーナリストの区別をも越えてジャーナリズムはどうあるべきか考えておく必要があるのだろう。

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プロフィール

武田徹(たけだとおる)

東京都出身。国際基督教大学教養学部人文科学科、同大学大学院比較文化研究科修了。ジャーナリスト、評論家、専修大学文学部人文ジャーナリズム学科教授。

著書に『流行人類学クロニクル』(日経BP社。サントリー学芸賞受賞)、『産業の礎』(新宿書房)、『偽満州国論』(河出書房新社→中公文庫)、『隔離という病』(講談社メチエ→中公文庫)、『核論』(勁草書房→中公文庫→『私たちはこうして原発大国を選んだ』と改題して中公新書ラクレ)、『戦争報道』(ちくま新書)、『NHK問題』(ちくま新書→amazonKndleでセルフパブリッシング)、『殺して忘れる社会』(河出書房新社)、『暴力的風景論』(新潮社)などがある。

法政大学社会学部、東京都立大学法学部、国際基督教大学教養学部、明治大学情報コミュニケーション学部、専修大学文学部などで非常勤兼任講師、東京大学先端科学技術研究センター特任教授、恵泉女学園大学人文学部、人間社会学部教授、グッドデザイン賞審査委員、BPO放送と人権委員会委員など歴任。
 

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