産経新聞大阪版『複眼鏡』1月24日夕刊に掲載されていた記事の手持ちWORD原稿バージョンです。入稿した後に人質事件が発生、人質交換交渉中と言われていた段階でゲラを見ていましたが、軽々に結果を予期した加筆はもちろんできず、掲載時に事件はまだ未解決だったのですが、それに殆ど言及してない内容に違和感を持った読者も多かったのではと思います。事件がああしたかたちに至った時点では、さて、どのように読めるものか。ゲラで修正した部分を反映させているので、掲載分と近づいています。下に載せた数年前の礼拝原稿「寛容は~」とはずいぶんトーンが変わってきました。
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フランスの風刺誌『シャルリー・エブド』編集部に自動小銃を持った男たちが乱入、銃撃戦により12人が犠牲となった。邦人人質事件が直後に発生して少しかすんでしまったが、イスラムとの関係を考える上で、この事件を論じておく価値が減少したわけではない。
事件が改めて明らかにしたのは「表現の自由」が世界を横断して共有された普遍的な概念ではなかったという事実である。西欧近代社会、特に市民革命を経験したフランスや、その影響を強く受けて建国されたアメリカでは「表現の自由」こそ、民主主義社会で最も重要な価値だと考えられて来た。しかし、そうした価値観が通用する範囲には限りがある。たとえばイスラム教圏では教義への批判や中傷を「表現の自由」として認めない。『シャルリー・エブド』編集部へ乱入した犯人たちは風刺と称して繰り返し神を冒涜してきた不届き者へ天誅を加えたのだ。
こうした事件に際して、筆者はラブレーの翻訳で有名なフランス文学者の故・渡辺一夫が1950年に書いていたエッセー『寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか』を思い出していた。寛容を信条とする人が不寛容な暴力に遭遇するケースを想定して渡辺は「秩序は守られねばならず、秩序を乱す人々に対しては、社会的な制裁を当然加えてしかるべきであろう」と書く。しかし、そこには留保がつけられ、「その制裁は、あくまでも人間的でなければならぬし、秩序の必要を納得させるような結果を持つ制裁でなければならない」とされる。
人間的で納得のゆく制裁とはどのようなものなのか。たとえば表現の自由を広く認める寛容な社会では、一方でその表現が個々人の権利を侵害した場合の対応方法をも検討してきた。もしもその表現に真実性なり、真実に相当すると信じる内容なりが伴い、それを表現することに公益性がある場合は、それが特的の人物や組織の名誉を毀損したとしても罪に問われない。しかし事実に反していたり、公益性もないのにむやみに誹謗中傷したりする表現はさすがに許されず、裁判となれば損害賠償などを命じられる。これは「表現の自由」を尊ぶ文化圏の「内部」で、自由を制約しなければならないケースについて議論を積み上げ、見出してきた解決策だ。
ではイスラム教への風刺はどうか。原理主義的なイスラム教徒に限らず、特定の立場にこだわって周囲に対して不寛容な態度を取る人は、市民社会の平穏を乱しがちだ。だからこそ、そのエキセントリックな振る舞いが時として風刺の対象になる。その意味において風刺は批評的表現として公益性を担う。そう考えるならば風刺画の価値も認められるが、そうした説明は「外部」に通じない。
今回、暴力による報復が実行されたことに対して西欧社会は強く反発し、それが緊張関係を更に高める。今後、新たな犠牲を出さないために警戒体制を取る努力は様々に必要だろう。しかし、その一方で風刺表現が本当に真実性と公益性を備えていたのか、改めて検証し、問題があれば修正を怠るべきではない。
そもそも西欧近代社会が「表現の自由」を重んじた背景には個々の人間知性への信頼を前提として、議論を通じて市民社会は修正され、より望ましい地平へと進化すると信じる「漸進的改良主義」の信念が伴っている。個々人の内面の思想信条の如何に干渉しない寛容さを重視し、唯一絶対の神の支配から離れた西欧近代社会では、神に代わって人類を救済する希望を「表現の自由」に見ている。
しかし、その希望は現在のところ普遍的に共有されていない。だから衝突が起こり、回避は極めて困難となる。しかし困難は実は当然であり、今まで共生という言葉を私たちはむしろ軽く見積もり過ぎていたのだ。西欧近代が生み出した物質文明の力で押さえつけ、あたかも文化的衝突がなかったかのように覆い隠していたヴェールが剥がれると、至る所に不寛容が顔を出し、コミュニケーションの届かない「外部」が露わになる。寛容の理想は、渡辺も書いていたように不寛容をも包み込む懐の広さを備えるべきだし、コミュニケーションが不可能な相手とコミュニケーションを取ってゆくことこそ共生を実現させる第一歩となる。今回の事件は、そんな本当の寛容が試され、本当の共生を目指す出発点とされるべきなのだろう。