産経新聞大阪版に3月31日に掲載された原稿の元原稿です。
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公開中の映画『イミテーション・ゲーム』は数学者アラン・チューリングの数奇な人生を描く。
1934年にケンブリッジ大を主席で卒業したチューリングは、後に「チューリング・マシン」と呼ばれることになる「計算する機械」のアイディアを含む論文「計算可能数について──決定問題への応用」を36年に発表。渡米して博士号を取得し、再びイギリスに戻って研究を再開する。
映画が主に取り上げるのはこれ以後の時期だ。イギリスはナチス・ドイツの無線電信を傍受していたが、エニグマと呼ばれる装置を用いて複雑に暗号化されていた通信文を前にして全くお手上げの状態だった。そこで英政府は軍の秘密施設にチェスの英国チャンピオンなどの精鋭を集め、暗号解読に当たらせた。チューリングもその一員に加わり、暗号解読機の開発に見事、成功する。
しかし映画はそこで終わらない。解読されたと知ればドイツ軍はエニグマの使用を止め、別の暗号を使うだろう。解読の成果は連合軍のごく一部だけが独占して注意深く運用される。ドイツに気づかれないために、攻撃目標となっている英船舶にそのことを知らせずに見殺しにするような非情な選択もなされた。チューリングたち暗号解読チームは煩悶しつつも冷血な国策遂行に協力してゆく。
そんな映画を観て、改めて科学技術の在り方について考えていた。エニグマのような高度な暗号の生成もその解読の実現も科学技術の成果である。科学技術はかつて不可能であったことを可能にする。かつて殺せなかった命を殺せるようにし、救えなかった生命を救えるようにもするが、そんな科学技術をどう使うかの選択は、それを用いる人間に全て委ねられているのだ。第二次大戦中に起きたことはエニグマ暗号解読後の同胞見殺しのエピソードも含めて、科学によって拡大された人間の生殺与奪の力の適用だった。
そして生殺与奪権の拡大には歯止めが効かない。たとえば米国留学中のチューリングと交わった数学者フォン・ノイマンは原爆の設計を速めるためにチューリング・マシンを実際に製造しようとする。こうして作り出された電子計算機=コンピュータはヒロシマ、ナガサキ用原爆の開発には間に合わなかったが水爆の設計に活躍した。
自分のアイディアが水爆を生み出したことをチューリングはどう感じたのかーー。映画にその答えは描かれていないが、考えるヒントが残されている。改良を重ねていた暗号解読装置をチューリングが「クリストファー」と呼ぶシーンが描かれるが、それは若くして亡くなったパブリックスクール時代の級友で、最初の恋人だったクリストファー・モロトフの名だった。
チューリングは同性愛者であり、それが発覚して51年に逮捕される。当時の英国で同性愛は犯罪だった。有罪となったチューリングは強力なホルモン治療を強制されて体調を崩し、54年に服毒自殺といわれる不遇の死を遂げている。
しかし、彼の性的傾向はともかく、暗号解読装置への命名はチューリングが「人間のような機械」を理想としていた事情をうかがわせる演出だ。実際、機械が知能(のようなもの)を持つ日が来ることをチューリングは予想し、機械と人間を区別する対話テストの方法を提案してもいた。その名が映画の題名になった「イミテーション・ゲーム」だった。
チューリングの予想通りコンピュータは進歩し、最近では人工知能が人類の脅威になると危惧され始めてもいる。しかし、そんな人工知能も人間が生み出したもの。知性をもったかのように振る舞う機械と人が向き合うことは、機械を創り出した人間が自分自身と対話することに他ならない。であればこそ、その対話は自分たちが正しい方向に科学技術を用いているのかを人間自身が自省する機会にすべきものなのだ。
チューリングはコンピュータの生みの親ともてはやされるが、冒頭で引いた36年の論文は、実は人間と同じように思考する機械を仮定して人間知性の限界を示す内容だった。それぞれの限界を知りつつ、チューリングは出来の悪い人間を愛し、機械を愛し、両者の進歩に貢献し続けた。限界を意識しつつ関わることが科学技術の暴走を防ぐ。そのことを私たちはチューリングの人生から学ぶべきなのかもしれない。