武田徹@journalism.jp
武田徹@journalism.jp

Main menu

Skip to content
  • << journalism.jp
武田徹@journalism.jp
by 武田 徹 • 2015/04/06 •  はコメントを受け付けていません

産経新聞大阪版に3月31日に掲載された原稿の元原稿です。
******
 公開中の映画『イミテーション・ゲーム』は数学者アラン・チューリングの数奇な人生を描く。
 1934年にケンブリッジ大を主席で卒業したチューリングは、後に「チューリング・マシン」と呼ばれることになる「計算する機械」のアイディアを含む論文「計算可能数について──決定問題への応用」を36年に発表。渡米して博士号を取得し、再びイギリスに戻って研究を再開する。
 映画が主に取り上げるのはこれ以後の時期だ。イギリスはナチス・ドイツの無線電信を傍受していたが、エニグマと呼ばれる装置を用いて複雑に暗号化されていた通信文を前にして全くお手上げの状態だった。そこで英政府は軍の秘密施設にチェスの英国チャンピオンなどの精鋭を集め、暗号解読に当たらせた。チューリングもその一員に加わり、暗号解読機の開発に見事、成功する。
 しかし映画はそこで終わらない。解読されたと知ればドイツ軍はエニグマの使用を止め、別の暗号を使うだろう。解読の成果は連合軍のごく一部だけが独占して注意深く運用される。ドイツに気づかれないために、攻撃目標となっている英船舶にそのことを知らせずに見殺しにするような非情な選択もなされた。チューリングたち暗号解読チームは煩悶しつつも冷血な国策遂行に協力してゆく。
 そんな映画を観て、改めて科学技術の在り方について考えていた。エニグマのような高度な暗号の生成もその解読の実現も科学技術の成果である。科学技術はかつて不可能であったことを可能にする。かつて殺せなかった命を殺せるようにし、救えなかった生命を救えるようにもするが、そんな科学技術をどう使うかの選択は、それを用いる人間に全て委ねられているのだ。第二次大戦中に起きたことはエニグマ暗号解読後の同胞見殺しのエピソードも含めて、科学によって拡大された人間の生殺与奪の力の適用だった。
 そして生殺与奪権の拡大には歯止めが効かない。たとえば米国留学中のチューリングと交わった数学者フォン・ノイマンは原爆の設計を速めるためにチューリング・マシンを実際に製造しようとする。こうして作り出された電子計算機=コンピュータはヒロシマ、ナガサキ用原爆の開発には間に合わなかったが水爆の設計に活躍した。
 自分のアイディアが水爆を生み出したことをチューリングはどう感じたのかーー。映画にその答えは描かれていないが、考えるヒントが残されている。改良を重ねていた暗号解読装置をチューリングが「クリストファー」と呼ぶシーンが描かれるが、それは若くして亡くなったパブリックスクール時代の級友で、最初の恋人だったクリストファー・モロトフの名だった。
 チューリングは同性愛者であり、それが発覚して51年に逮捕される。当時の英国で同性愛は犯罪だった。有罪となったチューリングは強力なホルモン治療を強制されて体調を崩し、54年に服毒自殺といわれる不遇の死を遂げている。
 しかし、彼の性的傾向はともかく、暗号解読装置への命名はチューリングが「人間のような機械」を理想としていた事情をうかがわせる演出だ。実際、機械が知能(のようなもの)を持つ日が来ることをチューリングは予想し、機械と人間を区別する対話テストの方法を提案してもいた。その名が映画の題名になった「イミテーション・ゲーム」だった。
 チューリングの予想通りコンピュータは進歩し、最近では人工知能が人類の脅威になると危惧され始めてもいる。しかし、そんな人工知能も人間が生み出したもの。知性をもったかのように振る舞う機械と人が向き合うことは、機械を創り出した人間が自分自身と対話することに他ならない。であればこそ、その対話は自分たちが正しい方向に科学技術を用いているのかを人間自身が自省する機会にすべきものなのだ。
 チューリングはコンピュータの生みの親ともてはやされるが、冒頭で引いた36年の論文は、実は人間と同じように思考する機械を仮定して人間知性の限界を示す内容だった。それぞれの限界を知りつつ、チューリングは出来の悪い人間を愛し、機械を愛し、両者の進歩に貢献し続けた。限界を意識しつつ関わることが科学技術の暴走を防ぐ。そのことを私たちはチューリングの人生から学ぶべきなのかもしれない。

共有:

  • Twitter
  • Facebook
  • Google

関連

Post navigation

← 国の自称と広報戦略とジャーナリズムについて
1匹と99匹と文系大学の明日 →

プロフィール

武田徹(たけだとおる)

東京都出身。国際基督教大学教養学部人文科学科、同大学大学院比較文化研究科修了。ジャーナリスト、評論家、専修大学文学部人文ジャーナリズム学科教授。

著書に『流行人類学クロニクル』(日経BP社。サントリー学芸賞受賞)、『産業の礎』(新宿書房)、『偽満州国論』(河出書房新社→中公文庫)、『隔離という病』(講談社メチエ→中公文庫)、『核論』(勁草書房→中公文庫→『私たちはこうして原発大国を選んだ』と改題して中公新書ラクレ)、『戦争報道』(ちくま新書)、『NHK問題』(ちくま新書→amazonKndleでセルフパブリッシング)、『殺して忘れる社会』(河出書房新社)、『暴力的風景論』(新潮社)などがある。

法政大学社会学部、東京都立大学法学部、国際基督教大学教養学部、明治大学情報コミュニケーション学部、専修大学文学部などで非常勤兼任講師、東京大学先端科学技術研究センター特任教授、恵泉女学園大学人文学部、人間社会学部教授、グッドデザイン賞審査委員、BPO放送と人権委員会委員など歴任。
 

▼バックナンバー

  • 総力戦で感染症と戦う国で今、何ができるか、何をすべきか 2020/05/02
  • 人工知能と教養 2019/07/05
  • 総覧系新書にみる意味とイメージの伝播 2019/07/05
  • 平成の三冊 2019/07/05
  • 給食時間が怖かったことから始まる「食」論 2019/07/05
  • 「一生困ったことがない人なんていないし、一生困っている人を助けるだけの人だっていない。それが〈平等〉ということ」 2019/07/05
  • 平成の終わりに新書を三冊を選べば 2019/07/05
  • ガンダムって団塊文学だったって知ってた? 2019/07/05
  • 改元と日本辺境論 2019/07/05
  • 平成の終わりと令和の始まりの日本社会論 2019/07/05
  • ネット記事の図書館保存はできないか 2019/07/05
  • 殺して、忘れる社会 2018/10/06
  • もはやブロッキングしかない?社会の現状 2018/09/25
  • 「美しい顔」再論 2018/07/30
  • 存在しない神に祈る 2018/01/12
  • 対話することがまず難しい 2017/12/26
  • 排除を巡って 2017/11/27
  • 流域思考とは 2017/11/27
  • 「心」の存在を忖度するだけではすまなくなってきた 2017/11/27
  • デジタル時代の写真らしさを巡って 2017/11/27
  • 地続きのリアリティ 2017/11/27
  • いかに「市民」と的確な距離を取るか 2017/11/27
  • ニセアカシアの雨がやむときーー中国旅行2017年8月23日〜28日 2017/08/28
  • 愚かなままでーー二人のヨブ 2017/08/10
  • 「印象操作って言ってる奴が一番印象操作している」って言ってる奴が… 2017/08/09
  • 敵の敵が味方だとは限らない 2017/08/09
  • 障害者への責任 2017/08/09
  • 自主避難の文法は中動態か 2017/08/09
  • Good-Bye 2017/03/14
  • 貸与奨学金はもはや似合わない 2017/03/10

twitter

@takedatoru からのツイート    

Copyright © 2021 武田徹@journalism.jp. All Rights Reserved. The Magazine Basic Theme by bavotasan.com.