読売新聞で2015年4月から論壇キーワードの欄を交替で書いています(偶数月最終月曜日)。この連載はネットにあがっていないようなのでこちらに掲載前のナマ原稿を置いておきます。
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東京五輪エンブレムの盗用疑惑で不名誉な注目を集めてしまったアートディレクター佐野研二郎氏。過去の作品にも次々と類似デザインが発見され、事態はなかなか終息しない。こうした騒動の背景に画像検索技術の進化がある。
検索という語が広く使われ始めたのはインターネットの普及後。特にプログラム(=ロボット)を使ってネット上のデータを収集・整理しておき、ユーザーが入力したキーワードやその関連事項を含むウェブページの見出しを表示する技術の登場が画期的だった。
こうした「ロボット検索」によって膨大な数のウェブページ上の情報が瞬時に検索可能となる。今やキーワードだけでなく、画像や音声でも検索が可能だ。
その結果、もの作りのプロセスが変わった。何をするにもまずは参考になりそうなものを検索して調べてみる。ワンクリックで検索先のウェブの内容も閲覧できるので実に便利だ。
しかし、この手軽さがパクリ(盗用)やコピペ(=違法なコピー&ペースト)問題を氾濫させたことは周知の通りである。とはいえ、そこで問題の所在を見誤らないように注意すべきだろう。私たちは全くの白紙状態から何かを生み出せるわけではない。全ての発想、判断、選択は経験の積み重ねの上に位置している。
学術や言論の世界ではこうした蓄積を重視し、先行する仕事を踏まえて自説を展開することが求められる。その際、利用した過去の仕事の出典を明示し、本文を「主」として引用が「従」になる範囲に収める等のルールが設けられて来た。
理化学研究所の小保方晴子元研究員が早大時代に提出した博士論文が盗用とされたのはこの引用のルールを破っていたからだった。しかし学術、言論以外でこうしたルールは必ずしも定着していない。
そして小保方論文の盗用もそうして発見されたのだろうが、違法なパクリ、コピペを横行させがちな検索技術の進化は、同時にそれを発見する技術も進化させている。佐野氏の盗作疑惑も氏の作品を画像検索した結果、表示された大量の「類似」画像の中から「これぞ」というものが選ばれているのだ。
だが、検索プログラムが共通する要素を持つと判断した画像の中にはクリエイターの発想の肥やしになったものもあれば文化的に広く共有されているイメージや全くの偶然で似ていたものも含まれよう。
盗作と公正な引用、偶然の類似を隔てるルールはインターネットの時代に見直しを加えつつ学術・言論界以外にも適用されるべきだ。さもないと世界中から似たものを探してくる検索技術を用いて無限に続きかねない盗作疑惑の追求を恐れ、創作活動が萎縮してしまうこともありそうだ。