おそらく私の読者のみなさんが思っているよりも現実の私はここしばらく本格的に「大学教員」をしてきた。大学で厚遇されて当別な条件で雇用されている著名人は別なのだろうが、ふつうの教員は相当な時間を授業の準備や学生の対応に使っている。私もそれと同じだし、一時は役職にもついていたのでそうした日常の仕事以上に大学経営関係や入試への対応の時間も相当取られていた。
数年前から役職にはついていない。それは書くための時間を増やしたかった自分と、私をその種の仕事から遠ざけたかった人の思いが、ベクトルは別でありながら、交差する一点をもっていた結果だった。このあたりのことについてはいつか本格的に書きたい。
役職についていると大学の対外的行事の殆どに出席することになる。そうした行事のひとつに卒業パーティがある。
大学公式の卒業式とは別の学生の自治会主催なので一般教員の出席は義務ではない。私も役職者だった頃は律儀に出席していたのだが、その後は出なくなっていた。
しかし今年、久しぶりに卒パにでた。自分のゼミ生の多くが出席すると事前に聞いていたからだ。
会場はディズニーランドホテルだった。学生に人気だと聴いており、私は出席しなかった回に続いて二回目の会場利用らしい。
私の大学は「左巻き」で、反TPPの立場の教員が多く、安保法制でもデモに参加する教員が結構な数いた。安保法制の強行採決に反対するという声明をネットで出し、教職員に署名も募っていた(。私自身は自分の書いたものに自分の署名をつけることが使命だと考えているので署名は一切しない)。学生にそうした自分たちの立場や主張を伝える機会も多いはずだ。
そんな大学の卒業パーティがディズニランドで開催される。ここの売りは宴会会場をミッキーやグーフィーといったドナルドキャラクターの被り物をかぶったスタッフが回って記念写真を撮ってくれることらしい。学生は大喜びだ。教員の座るテーブルにもディズニーキャラクターは回って来る。大喜びの学生たちに水を指してはならないと考える気優しい教員は、自分たちもちょっとぎこちないけれど一応場の雰囲気をくずさないようにミッキーと握手してみせる。
それは、それ、ということだろう。そこを「普段、あなたがたが主張していることとうまく整合しないのですが」と嫌味を言うのも大人げないと思う。しかし「それはそれ」という解決法が弱さを宿していることは確かなのだと思う。「それも、これも」であるべきなのだ。グローバリズムに覆われた世界で深まる格差、不平等の構図や構造的暴力の問題を指摘し、国内農業を守る大事さを訴えることは、ディズニーキャラに熱狂する社会の成立をリアルに踏まえてなお貫徹されるべきだし、貫徹できるロジックを見出すべきなのではないか。そんなことを思った。