産経新聞複眼鏡(9月掲載)用生原稿。
障害者自身が出演して笑いを交えつつ本音を語り合うNHKのユニークなバラエティー番組「バリバラ」は、先月28日に「検証!〈障害者×感動〉の方程式」を放送した。
出演者は黄地に「笑いは地球を救う」とプリントしたTシャツ姿で登場。同時間帯に民放で放送されていた「24時間テレビ『愛は地球を救う』」を意識していることは明らかだった。
その番組の中でキーワードとして使われたのが「感動ポルノ」。自らも障害者でありながらコメディアン、ジャーナリストとして活躍した故ステラ・ヤングが、感動するための材料として障害者を利用することを指して用いた概念だ。それを切り口として、障害者の姿を感動的に描いて善意の募金へと誘う24時間テレビをひとつの典型とするメディアの障害者の取り上げ方について考察を繰り広げた。
そこで筆者が思い出していたのは夏目漱石門下の小説家・森田草平が残した『輪廻』という作品だった。主人公は亡父がハンセン病者だったと知って以来、自分がいつ発病し、周囲より酷薄な差別を受けるのかと恐怖に苛まれる。ところが作品の最後で彼は自分が母と不倫相手との間で出来た子だったと知ることで突然、不安から解放される。
差別的表現で問題になった作品だが、ハンセン病の扱いに関しても批判されるべき点が多々ある。まず正確な医学的知識が得られた時期になっていたのにハンセン病が遺伝病だという間違った認識で書かれていること。誤認の理由はおそらく簡単だ。森田は病気それ自体や患者の実情に関心や問題意識があったわけではなく、ハンセン病を主人公の悲劇性を演出する舞台装置として利用していたのに過ぎなかったのだ。だから主人公に発病させる可能性がないと分かった時点で呆気無く話を終えてしまう。そんな作品は喚起される感情に違いはあるが感動ポルノ的だ。
では24時間テレビはどうか。こちらは感動ポルノと断じるのは個人的には早計のようにも思う。現在進行形の番組であり、その善意の募金を将来どう生かしてゆくかはフリーハンドの余地が大きいはずだからだ。
実はハンセン病の世界でもキリスト教や仏教関係者の間で寄付の動きがあった。だがその寄付はハンセン病者を強制的に隔離して人権を蹂躙した国策を強化する方向でしか機能しなかった点で批判されている。
それに対して24時間テレビの募金が本当の意味で障害者と共生できる社会づくりに生かされ、「哀れな障害者」に感動するという図式をもはや不要とすることができれば、結果的に感動ポルノの批判は当たらなくなるのではないか。
作家・大西巨人は論文『ハンセン病問題』で『輪廻』を取り上げ、そこに「俗情との結託」を見た。ハンセン病を恐れ、患者の悲惨を憐れみ、一瞬、感情を波立たせるだけですぐに忘れてしまうのは森田だけでなく、日本社会の大勢も同じだと大西は考えた。
24時間テレビにも「俗情との結託」がある。懸命に生きる障害者の姿に感動する社会があるからこそ感動を伝える番組作りがありえ、その結託なしには寄付が増えない。だとすれば番組だけでなく、自分たちをも含む社会の在り方にも目を向けるべきだろう。
24時間テレビ誕生に関わった日本テレビの伝説的プロデューサー井原高忠は著書『元祖テレビ屋大奮戦』の中でこう書いていた。「テレビってメディアは使いようによっては本当に恐ろしいですよ」「子供たちが、欽ちゃん(=萩本欽一。第3回まで総合司会を務めた。引用者註)の魅力にひかれてコーラの瓶に10円とか100円玉とか入れたのを持ってきて十数億ですからね」。
募金額は以前よりも減ったようだが、それでも数億円となる。その「恐ろしさ」の感覚が今の制作関係者にも正しく共有されていて欲しい。恐ろしさを忘れていなければ、テレビの力で庶民から善意で集められた寄付をどう生かせば最も有効な社会貢献となるか真摯に考えることにもなろう。今後に期待したい。