産経新聞「複眼鏡」10月掲載分生原稿
フランスでコマーシャル写真のモデルがデジタル処理によって実際よりも痩せて見るように加工された場合、Photographie retouchée(画像はレタッチによる編集済)の表示が義務づけられた。この義務を怠った場合は約500万円の罰金か広告制作費の30%の罰則金が課されると報じられている。
こうした厳しい措置の背景には「痩せすぎ」に対する社会的な懸念がある。モデルが過度のダイエットで健康を損ねるケースが問題視されている。写真に映った痩せたモデルに憧れて若い女性が過剰なダイエットを試みたり、拒食症に陥ったりする悪循環も指摘される。
こうした懸念を受けて高級ブランドを展開する大手ファッション企業の中から「今後は痩せすぎたモデルを起用しない」と宣言する動きが生じた。この流れの延長上に今回の法的措置がある。モデルが痩せていたのは本人のダイエットによるだけではなく、デジタル写真加工技術を使って実際よりも痩せさせて見せる方法が横行していたのだ。
法制定により加工処理が施された写真にはその旨の明記が義務づけられたが、実際にはレタッチを必要とする写真自体が撮影されなくなってゆくだろう。写真をストックし、広告製作会社などに提供するフォトライブラリー業者の中に「レタッチによってモデルの体形が実際と異なるように見せている写真」を扱わない動きが既にあるという。
こうして、いわば外堀を埋めてゆくことで「痩せすぎモデル」問題が解決の方向に向かうことを期待したい。しかしこれは単に広告写真だけに留まる問題ではない。写真はその名の通り実をすメディアだと考えられてきた。それは写真技術の特性に依存する。光学的機能を利用してレンズの前にあった光景を結像させ、感光剤の化学変化を使用してフィルムに定着させるのが写真だ。
もちろん写す時に見る人を騙そうという意図をもってモデルに演技をさせたり、画角などを工夫して実際の見た眼と違う印象を与えるように撮影したりすることはある。写真に事実に反する説明キャプションをつけて誤解を敢えて導くこともできる。写真における「捏造」云々の問題はこうしたレベルにおいて発生するのであり、写真の本質である光学と化学のプロセス自体は人の作為が入り込む余地がない物理的な現象だ。こうした特性が、写真に写っているものが(たとえ演技やキャプションとは異なるものであったにしろ)撮影時にレンズの前に実在していた現実であること保障する。
しかしデジタル技術の時代となって写真は幾らでも加工可能となった。そこで問題なのは写真というメディア自体の信頼性が失われることかもしれない。
痩せすぎモデルの写真が若者に与える悪影響が危惧されて来たが、皮肉なことにしばらく放置していればこの問題は自然解決していたのではないか。スマホで撮った写真をフォトショップなどのアプリで加工し、インスタグラムにアップする。そんな作業を誰もがしている。写真は自在に加工できるという認識が広く共有されれば、痩せすぎモデルの写真を見る若者の目も変わるだろう。
だが写真メディア自体が信頼をなくす損失は、ファッション写真の影響力低下を超えて大きく広がる。現実を記録する写真の機能に最も依存してきたのは報道写真だろう。レンズ前の光景を正確に記録していると信じられたからこそ写真ジャーナリズムは圧倒的な影響力を持ち、たとえば悲惨な現実を変えようとする世論の動きを用意して来たのだ。
レタッチの明記や、レタッチそのものの禁止を報道写真界こそ真っ先に提案すべきだったのではないか。かつて写真の真実性を保証していた光学と化学の仕組みに代わる新しい仕組み、たとえば暗号技術などを用いてレタッチ過程を改ざん不可能なかたちで記録する方式を報道写真界で標準化するなどを検討する、そんな取り組みが必要な時期になっているのだ。