読売新聞論壇キーワード8月掲載分生原稿
地球温暖化が原因の異常気象なのか、今夏も集中豪雨が多発した。堤防の決壊で家屋が流されたり、土砂崩れで交通機関が寸断されたりしている。
水害が続く中で改めて注目すべき考え方がある。岸由二・慶応大学名誉教授が提唱する「流域思考」だ。
私たちは場所を説明する時に行政上の区分に基づく住所名を用いるのが一般的だ。それに対して岸氏は、その場所が「流域」に属するかを重視すべきだと考える。川は支流を葉脈のように広げた水系を形成するが、降った雨がどの川の水系に流れ込むかで、その場所が所属する流域が決まる。
治水事業ではこうした流域単位での対策がなにより重要だ。保水機能を持っていた森林を伐採し、遊水地の役割を果たしていた水田を宅地化したために、上流で降った豪雨が下流で洪水を起こしている。それなのに河川が通過する行政区分ごとにばらばらに対策しても治水効果は乏しい。
なぜ流域思考が広まらないのか。日本の大都市の多くが河口に広がる「沖積低地」に位置する。その住民の殆どは、自分たちの足元の地面が、川の運んだ土砂に由来しているにもかかわらず、川を意識せず暮らしている。ゲリラ豪雨時に溢れる下水を心配するだけの「沖積低地思考」が流域に想像力を及ぼす邪魔をしているのかもしれない。
しかし温暖化で海面上昇が進めば沖積低地を追われ、嫌でも川沿いの台地で生活することになるし、その予兆なのか、既に水害は各地で多発している。流域思考を身につけ、実践するべき条件は揃っている。
生物多様性を保全するうえでも流域思考は欠かせない。生物は山や丘陵、湖沼、湿地や干潟といった川の流域に多様な環境が展開する中で多様性を保って来た。「里山」をピンポイント的に環境保全してもその多様性は再現できない。
たとえば岸氏はNPO法人の代表として三浦半島の「小網代の森」で、小さな流れではあるものの、源流から海に注ぐまでの流域まるごとの保全活動に携わっている。森の中の谷は長く放置されて来たため笹ヤブに覆われて昼でも鬱蒼としていた。それも自然の成り行きだったが、岸氏たちは笹ヤブを伐採。光が入るようになった川には藻が育ち、それを食料とするカワニナ、カワニナを幼虫時代に食べるホタルが増えた。初夏には特別に夜間開放され、ホタル観賞会が開かれる。
自然に人が手を入れるのを徹底して嫌う原理主義的な自然保護活動もあるが、思えば人間もまた流域に暮らしてきた生物の一種なのだ。木道が整備され、気軽に訪れ、自然を学びつつ遊べるようになった小網代の森を訪ねると、流域思考が川の流れを軸に人と自然の共存を目指すものであることが見て取れる。