読売新聞2016年12月の論壇キーワードの入稿前の生原稿です。大塚英志さんの『感情化する社会』にインスパイアされています。だいぶゲラで手を入れたような気がするのですが…。
*****
権威あるオックスフォード英語辞典(OED)を出版するオックスフォード大学出版局は、その年を象徴する言葉を毎年選んでいる。2016年は、客観的な真実が蔑ろにされ始めた状況を示すPost-truth(ポスト真実)の語を選出した。
たとえば英国のEU離脱を求めた勢力は「英国がEUに週3億5000万ポンド(約476億円)もの巨額を供出している」ことを問題視した。この告発は世論の流れを変え、離脱派に国民投票勝利をもたらす一因となったが、問題とされた供出額は真実ではなく、離脱派自身が投票後に主張を撤回している。
こうして真実と異なる発言がまかり通り、実際に政治すら動かしてゆく「ポスト真実」社会化を憂える声は強い。だが嘘や間違いを指摘し、非難するだけで事態の改善は望めないだろう。
というのもポスト真実化の背景には、既存の政治家やエリート層が自分たちの実情を理解してくれないと考えるルサンチマンが控えている。間違いを指摘しても感情的な反発を招くだけで、聞く耳は持たれない。
ならば、どのような対応が望ましいか。瞠目卓生『アダム・スミス』(中公新書)によれば古典的名著「道徳感情論」の中でスミスは「同感」を重視していたという。その場合、同感は距離感なしに他者と一体化する共感ではない。他人の感情や行為に関心をもち、それを理解した上でその適否を判断するプロセスだと考えられていた。
今、スミスの考えを傾聴すべきは、むしろポスト真実化を憂慮する側かもしれない。たとえばEU経由で英国に入国する移民が自分たちの雇用を奪い、生活を脅かすと感じている社会層はEUに根深い不信感を持っている。つまり巨額の供出金の存在を信じやすい心理状態にあった。
こうしてポスト真実的認識が導かれる一種の必然性を理解したうえで離脱支持という選択の妥当性を判断する。その判断には彼らの心理に寄りそうステップが踏まれているので、頭ごなしの否定と違ってルサンチマンを越えて対話を開く可能性がある。対話が実現すれば、ポスト真実的な思い込みと統計的事実とのすり合わせも進むだろう。
自分の感情・行為が様々に評価される経験を積みつつ、人は利害関係や好悪の感情を乗り越えた「公平な観察者」の判断のあり方を学ぶとスミスは考えた。
ポスト真実化の社会でこそ必要となるこうした学習を進めるためには、相手の感情や行動を理解しつつ判断を交わす対話の場が必要。そうした場をマスメディア上や、思い込み、共感を内輪で確認しあってポスト真実の培養器になりがちなソーシャルメディアの上に作れるか。それがポスト真実の時代の課題だろう。