月刊文藝春秋2019年6月号掲載「新書時評」の生原稿です。前任校でお世話になった澤井啓一先生の訓読論に影響を受けて書いています。論文の抜き刷りを頂いたのが懐かしい。
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日本オリジナルか、中国の古典がルーツなのかーー。新元号発表後に起こった論争は日本が中国文化の影響圏内にあった歴史を改めて思い起こさせた。
漢文明の周辺に位置していた経緯は朝鮮半島の国々も同じ。であれば仲睦まじくしても良さそうだが、最近の日韓関係は真逆をゆく。日本で”嫌韓”本、韓国で”反日”本が増えている出版状況は、悪化する両国の関係の象徴だろう。
『韓国「反日フェイク」の病理学』小学館新書の著者・崔碩栄はソウル生まれ。日本の大学院で学び、日本企業で働いた経歴を有しており、日韓を横断する豊富な知識が韓国内の反日報道の分析に厚みを与えている。次は日本の「嫌韓フェイク」も分析し、相互批判を通じた生産的な対話を促す役割を果たして欲しい。
日韓関係悪化の原因を探るには、両国が現状に至るまでの歴史を広い視野の中で俯瞰し、相対化する方法も有効だろう。三城俊一『図解 東アジアの歴史』SBビジュアル新書は古代の中華秩序の成立時から説き起こし、東アジア史を豊富な図版を交えつつ解説してくれる。
そして東アジアで”周辺”に位置づけられた国の命運について考えさせるのが室井康成『事大主義ーー日本・朝鮮 ・沖縄の「自虐と侮蔑」』中公新書だ。「大きなものにえる」という意味の「事大」の語を清朝に従属するだけの李氏朝鮮の”属国根性”の批判として用いたのは福沢諭吉だった。その侮蔑の言葉は日韓併合後に自分に帰って来る。日本は内なる事大主義を克服しようと焦り、米英に無謀な戦いに挑んで敗れる。
興味深いのは日本の支配から独立した韓国と北朝鮮国内で事大主義の概念がそれぞれに蘇り、38度線を挟んで向き合う相手を貶めるために使われたということ。金日成が思想を唱えたのは自分たちが事大主義ではないと示す意味もあったらしい。そんな事実を知ると、文政権韓国の親北・反日傾向も事大主義と関係するのではと考えたくなる。える相手は米国に変わったが、そこでも自国の事大主義へのコンプレックスが、毅然として米国と対峙する北朝鮮の強さを再認識させる一方で、同じく対米依存する日本への近親憎悪を育んだのではないか、と。
これは室井書の延長上の仮説に過ぎないが、たとえば事大主義のような概念を切り口に東アジアの感情史を辿ることも日韓間の不協和音発生の理由を探る道を開くのだろう。こうして嫌悪や反発の感情にえるだけの姿勢を超える、新たな思考の糧を提供してくれる新書こそ今、必要なのだ。