月刊文藝春秋2019年1月号掲載「新書時評」
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食べることを楽しめない。それはきっと小学校時代の給食のせいだ。好き嫌いは特になかったが、自分には量が多すぎた。担任教師は完食するまで席を立たせなかったので、どうすれば食パン4枚を時間内に食べ切るか、事前に配られる献立表を見ながら作戦を練りに練った。そんな記憶が半世紀経ってなお生々しいのは、それだけ辛かったのだろう。
しかし今回、藤原辰史『給食の歴史』岩波新書を読んで給食を見直した。日本最初の給食は一八八九年に山形県の私立小学校で始まったという。僧侶が設立したその学校は寺の周辺の貧困児童を生徒とし、給食は重要な役割を担っていた。その後も飢饉や災害、戦争が起きるたびに欠食児童を給食が救ってきた。
筆者の給食が食べ切れない辛さの感覚にウソはなかったが、それは贅沢な悩みでもあった。豊かになったはずの今の日本でも新自由主義の進行で貧困層が切り捨てられ、一方で給食のコストも削減されて飢える子が出始めている。食を通じて権力が行使される場にもなるが、貧困層を救済するセーフティネットにもなるーー、そんな多様性を備えた給食を通じて社会を論じる視点を本書は提供する。
白央篤司『自炊力』光文社新書は、別に楽しくもないので忙しくなると食事の時間を削ってきた筆者に改心を迫る。適切に取捨選択しつつ食事を自分でまかなえるスキルは、加齢や病気になったとき、男女問わず必要になるーー。著者の言葉はまさにその通りで、身につまされる。そしてコンビニで食事を買う時に一菜を加えることから自炊は始まると料理音痴を優しく励まし、忙しい人向けに時短メニューも教えてくれる。
『ひとりメシの極意』朝日新書で著者の東海林さだおはカツカレーひとつ食べるにもカツをどこに置くか思案する。悩んでいるのではない、あれこれ考えるのが楽しぅて仕方がないのだ。前向きの姿勢さえ失わなければ食事は死ぬまでひとりで楽しめるエンターテイメントであり続ける。東海林はイラスト付きの本書でそれを身をもって実践してみせる。
「食は人なり」というが、それは食物の栄養で命が養われるだけを意味するのではない。読書が人を作るという場合も、書物は知識を与えるだけでなく、人格形成や社会との関わり方にまで影響を及ぼす。食も同じで生活の全てに関わり、人と社会をつなぐ大事な要素ともなる。そんな食について新書で読み、食を見直し、新しい食の実践に導かれる。「一粒で二度美味しい」のはチョコレートのCMだけではないのだ。
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