月刊文藝春秋2018年10月号掲載「新書時評」生原稿。
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AVと聞いてアダルトビデオしか連想できないようではアウトである。今やAVといえば自動運転車(Autonomous Vehicle)だ。
冷泉彰彦『自動運転「戦場」ルポ』朝日新書はIT企業やベンチャーも加わって展開されている熾烈なAV開発競争の最新報告。事故を起こすと人命に関わる自動車を自動運転する難しさを丁寧な取材で浮き彫りにする。
そこで戦うのは企業や国同士だけではない。それは人間とAIとの戦いでもある。AVが公道を安全かつ自在に走る、いれゆる「レベル5」の技術が達成されれば、運転手はもはや不要となる。まだ先の話のように思えるが、田原総一朗『AIで私の仕事はなくなりますか?』講談社α新書を読むとAI界のキーパーソンたちの関心が、既に人工知能が人間に取って変わった後に移っていることを知って驚かされる。
井上智洋・駒澤大学准教授は、働かずに基本収入を得るベーシックインカムの本格的検討を求める。それは何でもできる人工知能が開発されれば人間は仕事をせずに済むようになり、働いて収入を得るという枠組み自体が意味をなくすからだ。山川宏・ドワンゴ人工知能研究所長は、たとえ収入が確保できても仕事をしなくなった人間は会話の必要も乏しくなり、未来社会は「会話のないマンション」のようになるのではと危惧している。
未来はどうなるのか。ここは社会学者の声も聞いてみよう。『現代社会はどこに向かうのか』岩波新書で見田宗介は「有限」と「無限」をどう折り合わせるかが今後の課題だという。確かに資源が有限である限り、無限の可能性がある技術であっても野放図に使えない。
一方で無限の可能性を持つAIと寿命や能力に限りある人間がどうやって共存し、どうやったら共栄できるか考えることも避けては通れないだろう。たとえば近代文明が到達した成果の高みを保持したまま幸福を永続させる「安定平衡の高原状態」こそ現代人が求めるべき境地だと見田は考える。だが、幸福を永続させる方法には無限の可能性があるはず。その検討や実践は、進化してゆくAIを総動員して人間が取り掛かるべき仕事であり続けるのではないか。
技術で対応可能なものから世界観や人間観が問われるものへと解決すべき問題の重心が移ると教養の厚みが問われるようになる。冷泉本、田原本だけでなく見田本も読めるラインアップを揃える新書のような存在は、AIが進化すればするほど重要になってくるのだと思う。