読売新聞連載『論壇キーワード』2020年4月27日掲載用の生原稿です。
5年間、主に国内を担当して今回が最終回。読売の担当記者と校閲のレベルの高さにいつも助けられてきました。というわけで生原稿はちょっとアブナイかも。
最終回は読売の社論である憲法に緊急事態条項をという主張と必ずしも適合するわけではないので難しいかなと思いましたが、無事掲載してもらえた。主体的な「個」の確立と、信頼できる政府の両立こそ民主主義の要件という点で認識が共通したということではないかと思っています(。明示的になにかやりとりがあったわけではないけれど)。
感染症流行の不安の中に自分自身もいて、今、一歩引いて考えることの難しさは身を持って痛感しているけれど、それでもやはり書いておきたいことはあるのであって最終回ということで少し踏ん張ってみました。
最後、「未来」の議論ではなく、「明日」の議論にしました。そんな遠いことを考えているわけではない、のです、
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総力戦とは軍人だけでなく、一般市民が兵器生産工場での労働に徴用されるなど、全国民を戦争に動員する体制のこと。第一次世界大戦時に欧州諸国で採用された。1938年に国家総動員法が成立した日本も日中戦争、第二次世界大戦を総力戦体制で戦った。
こうした総力戦体制はその後どうなったか。たとえば第二次大戦後の西ドイツでは非常時に私権の制限も含めた迅速な対応を連邦政府に認める基本法改正を1968年に実施したが、この改正では行政府の暴走を防ぐ歯止めや市民の抵抗権も同時に盛り込まれた。このように欧州の自由主義国は非常時の強権発動を民主主義の枠組みの中に位置づける努力をしてきた。
今回、その成果が戦争相手ではなく、新型コロナウイルス感染症対策で発揮される。欧米諸国は緊急事態宣言を発し、都市封鎖などを実施した。ドイツではメルケル首相が演説で国民の理解を求め、強い私権制約を含む対応がスムーズに受け入れられたといわれる。
その点、日本は違った。戦後、国家総動員法は廃止されたが、日本人は一丸となって戦災復興や高度経済成長を実現した。法に基づく強制から同調圧力を伴う自発的行動の誘発へと動員方法は変わったが、総力戦体制に通じる結集力を日常的に維持したところが戦後日本の強みとなってきた。
しかし新型コロナ感染症への対応では逆にその弱さが露呈する。日本では緊急事態宣言を出した後も強制よりも自発的行動に期待する、まさに日本式総力戦体制で感染症と戦おうとした。だが、気が緩むと自粛ムードが一気に萎むなど感染防止がうまく進まない。
そこで、より強力な措置を求める声も出るが、個人的にはその効果に懐疑的である。日本では欧州諸国のように緊急事態における私権の制約を民主主義と整合させる議論を深めてこなかったし、戦争中の経験を含めて「国」に対する漠とした不信感、強権を行政に委ねることへの警戒感が根強くあるからだ。感染症への恐怖から強い対策を求める心情の一時の高まりを、政府への信頼が増したと誤解して拙速な法改正などに打って出れば混乱を招き、かえって感染症への抵抗力を弱める恐れもあるだろう。
それよりも今は同調圧力の風向きに左右されずに、自分と社会を守るために必要な感染防止手段を主体的に選べるように促す情報提供や、自粛を支援する政策によって、日本型の総力戦体制を効果的に生かす方法を考える方が得策ではないか。
そうして感染症との戦いの中で俗情に流されずに確かな判断を下せる主体的な「個」が確立されると共に、「国民を必ず守ってくれる」という信頼を政府が積み上げられれば、民主主義を強靭にする明日の議論にもつなげられるはずだ。