読売新聞連載『論壇キーワード』2020年4月27日掲載用の生原稿です。 5年間、主に国内を担当して今回が最終回。読売の担当記者と校閲のレベルの高さにいつも助けられてきました。というわけで生原稿はちょっとアブナイかも。 最終回は読売の社論である憲法に緊急事態条項をという主張と必ずしも適合するわけではないので難しいかなと思いましたが、無事掲載してもらえた。主体的な「個」の確立と、信頼できる政府の両立…
カテゴリー: 武田徹@journalism.jp
人工知能と教養
月刊文藝春秋2018年10月号掲載「新書時評」生原稿。 ****** AVと聞いてアダルトビデオしか連想できないようではアウトである。今やAVといえば自動運転車(Autonomous Vehicle)だ。 冷泉彰彦『自動運転「戦場」ルポ』朝日新書はIT企業やベンチャーも加わって展開されている熾烈なAV開発競争の最新報告。事故を起こすと人命に関わる自動車を自動運転する難しさを丁寧な取材で浮き彫り…
総覧系新書にみる意味とイメージの伝播
月刊文藝春秋2018年12月号掲載「新書時評」生原稿。NHK出版の担当者の方からお礼とともに「まさかマンチンと並ぶとは」とのお言葉をいただきました。 ********* 松本修『全国マン・チン分布考』インターナショナル新書の冒頭で紹介されるのは、二三年前にテレビ番組『探偵ナイトスクープ』宛に寄せられたハガキのエピソードだ。 当書主は当時二四歳。東京在住の彼女が京都の実家から送ってもらった饅頭を…
平成の三冊
月刊文藝春秋2019年1月号掲載「平成の三冊」生原稿です。他のメディアでも書いていますがそれぞれ違うのを選んでいるので、本当に本当の三冊を選ぶとしたらと聞かれそうですが、これは割と本音に近いセレクション。 ****** 人文、社会科学、文学の領域でそれぞれ個人的に印象に残っている三冊を選んでみた。 まず人文書では東浩紀『存在論的、郵便的』新潮社を挙げたい。著者は昭和末のニューアカブーム以来、沈…
給食時間が怖かったことから始まる「食」論
月刊文藝春秋2019年1月号掲載「新書時評」 ********** 食べることを楽しめない。それはきっと小学校時代の給食のせいだ。好き嫌いは特になかったが、自分には量が多すぎた。担任教師は完食するまで席を立たせなかったので、どうすれば食パン4枚を時間内に食べ切るか、事前に配られる献立表を見ながら作戦を練りに練った。そんな記憶が半世紀経ってなお生々しいのは、それだけ辛かったのだろう。 しかし今回…
「一生困ったことがない人なんていないし、一生困っている人を助けるだけの人だっていない。それが〈平等〉ということ」
月刊文藝春秋2019年3月号掲載「新書時評」生原稿です。認知症フォビアから始まって社会の”最大公約数”としての障害いついて。 ******** 何か失敗すると「自分もついに認知症かも」と口走る中高年が多い。それは認知症への不安の裏返しだ。その不安は、ガンや成人病に対するものとは違って、症状だけに留まらず社会的存在としての自分が失われ、意図せずに長く辛い介護を周囲に求めてしまうことへの恐怖に由来す…
平成の終わりに新書を三冊を選べば
月刊文藝春秋2019年4月号掲載「新種時評」生原稿です。 *********** いよいよ幕引きが近づき、平成を回顧する記事や番組が増えている。ここでは新書らしい視野の広がりで平成という時代を省みる機会を与えてくれそうな三冊を選んでみた。 小川原正道『小泉信三』中公新書は皇太子時代の今上天皇の教育常時参与を務めた経済学者の評伝だ。小泉は慶応義塾の塾頭として最愛の息子を含む多くの学生を戦地に送っ…
ガンダムって団塊文学だったって知ってた?
月刊文藝春秋2019年5月号掲載「新書時評」生原稿です。ネット化されていないようなので校正前のものを上げておきます。 ****** 4月といえば入学式。中でも”最高峰”東京大学に集った新入生は晴れやかな思いでいよう。だが、50年前のキャンパス風景は全く違っていたはずだ。学生運動の影響で東大入試の中止が決まり、新入生がいなかったからだ。 東大闘争とは何だったのか。学生として渦中で経験した富田武は『…
改元と日本辺境論
月刊文藝春秋2019年6月号掲載「新書時評」の生原稿です。前任校でお世話になった澤井啓一先生の訓読論に影響を受けて書いています。論文の抜き刷りを頂いたのが懐かしい。 ********** 日本オリジナルか、中国の古典がルーツなのかーー。新元号発表後に起こった論争は日本が中国文化の影響圏内にあった歴史を改めて思い起こさせた。 漢文明の周辺に位置していた経緯は朝鮮半島の国々も同じ。であれば仲睦まじく…
平成の終わりと令和の始まりの日本社会論
月刊文芸春秋連載「新書時評」2019年7月号掲載分の生原稿です。文春オンラインがスタートした直後はコンテンツ不足だったのかネット版になっていたけれど最近は電子化されていないようなのでこちらで生原稿を挙げておきます。古市『平成くん、さようなら』は大塚の紹介で知って読んだけれど面白かった。 ******** 改元フィーバーから少し時が経って冷静に振り返る余裕も出てきた頃か。そのタイミングでお勧めした…
ネット記事の図書館保存はできないか
調べ物をしていて過去の月刊『現代』の記事を読みたくなった。『現代』なら合本化されて大学図書館の書庫にあるので時間効率的にとても助かる。 同じことがネット記事ではできない。過去記事のアーカイブが案外とあっさり消えてしまうし、そうなるともう探しようもない。 図書館が雑誌を収蔵していた延長上にネット記事のアーカイブを保存する方法が確立され、印刷メディアの収集保存とシームレスに接続されないものか。Cini…
殺して、忘れる社会
10月5日夜、「メディア分析ラボ」にお呼ばれされて中沢明子さん、新雅史さんと話してきた。 そこで話した内容が「忘却」をテーマとしており、私の登壇者紹介にも『殺して、忘れて社会』が含まれていたので、改めて自著を読み返してみた。そして、その序文に書かれた内容はーーアメリカ社会についてはトランプ大統領登場後に通用するか疑問もあるが、日本に関しては今のほうが時代にあっている感覚を強く持った。アマゾンで…
もはやブロッキングしかない?社会の現状
『新潮45』10月号に「もはやブロッキングしかないネット界の現状」と題して寄稿した記事の生原稿です。期せずして『新潮45』最終号に載ることになりました。 ネットの普及による「内」「外」の浸潤を指摘していますが、それはネットを越えて社会にも及んでいたのではないか。言論とと言論以前のもの、接続合理性による動機づけなど、ネットだけでなく、現実社会を説明することも出来る内容だったのかなと今回の騒動を前に…
「美しい顔」再論
産経新聞大阪版7月23日夕刊に掲載された「複眼鏡」。新聞紙上では分量がきびしくて割愛した部分を復元してあります。 第159回芥川賞は高橋弘希氏の『送り火』に決定した。おそらく注目度ではそれを上回っていた北条裕子氏の『美しい顔』は賞を逃した。 注目を集めたのには理由がある。『美しい顔』は芥川賞に先駆けて第61回群像新人文学賞を受賞し、若い女性新人作家の鮮烈なデビューを印象づけていた。だが、しばらく…
存在しない神に祈る
1月12日の大学礼拝を担当しました。口頭では色々余計な言葉を挟んでいますが、元になったは以下のような原稿でした。 ******* 2018年1月12日の大学礼拝を始めます。 賛美歌21 575「球根の中には」をご一緒に賛美したいと思います。 差し支えのない方はご起立ください。 ***** ご着席ください。 聖書をお読みします。今日の聖書箇所は新約聖書ヨハネ黙示録22章17節から21節までです。新約…
対話することがまず難しい
読売新聞2016年12月の論壇キーワードの入稿前の生原稿です。大塚英志さんの『感情化する社会』にインスパイアされています。だいぶゲラで手を入れたような気がするのですが…。 ***** 権威あるオックスフォード英語辞典(OED)を出版するオックスフォード大学出版局は、その年を象徴する言葉を毎年選んでいる。2016年は、客観的な真実が蔑ろにされ始めた状況を示すPost-truth(ポスト真実)の語を…
排除を巡って
読売新聞「論壇キーワード」10月掲載分生原稿 衆院選での「希望の党」のまさかの失速。その原因が、政策的に相容れない民進党議員は「排除」すると述べた小池百合子都知事の一言にあったことは衆目の一致するところだろう。 なぜ「排除」の語はここまで強い影響力を持ったのかーー。 排除の例として思い浮かぶもののひとつに、たとえばハンセン病患者たちへの過去の隔離措置がある。発病が発覚し、社会から強制的に排除された…
流域思考とは
読売新聞論壇キーワード8月掲載分生原稿 地球温暖化が原因の異常気象なのか、今夏も集中豪雨が多発した。堤防の決壊で家屋が流されたり、土砂崩れで交通機関が寸断されたりしている。 水害が続く中で改めて注目すべき考え方がある。岸由二・慶応大学名誉教授が提唱する「流域思考」だ。 私たちは場所を説明する時に行政上の区分に基づく住所名を用いるのが一般的だ。それに対して岸氏は、その場所が「流域」に属するかを重…
「心」の存在を忖度するだけではすまなくなってきた
産経新聞「複眼鏡」11月掲載分生原稿 映画『ブレードランナー2049』が公開中だ。1982年に作られた『ブレードランナー』の続編となるが、両者の間には科学技術の大きな進化が横たわっている。 最初の『ブレードランナー』では原作のフィリップ・K・ディックのSF作品で使われていた「アンドロイド(人型ロボット)」の語を「レプリカント」と呼び直し、「人間の」という意味を強く持たせた。その時点でレプリカント…
デジタル時代の写真らしさを巡って
産経新聞「複眼鏡」10月掲載分生原稿 フランスでコマーシャル写真のモデルがデジタル処理によって実際よりも痩せて見るように加工された場合、Photographie retouchée(画像はレタッチによる編集済)の表示が義務づけられた。この義務を怠った場合は約500万円の罰金か広告制作費の30%の罰則金が課されると報じられている。 こうした厳しい措置の背景には「痩せすぎ」に対する社会的な懸念がある…
地続きのリアリティ
産経新聞「複眼鏡」9月掲載分生原稿 北朝鮮による六回目の核実験の報を聞いたタイミングで書いている。 この夏、旧満州国時代の調査のために中国東北部を訪ねた。ハルピンまで空路、その後、大連までの南下には鉄道を使った。これも視察の一環で、旧南満州鉄道、いわゆる「満鉄」の路線を改めて走ることになる。 日露戦争勝利によって日本は鉄道経営権をロシアから獲得。大陸進出の橋頭堡とした。初代満鉄総裁となった後藤…
いかに「市民」と的確な距離を取るか
産経新聞「複眼鏡」8月掲載分生原稿 「大山鳴動して鼠一匹」。築地市場移転問題の決着に対してよく用いられた表現だ。確かに豊洲新市場予定地の危険性を散々強調しておきながら、最終的には「科学的には安全」の評価委員会の答申を受け入れて移転を決定。築地も再開発後に市場機能を持たせると含みは残したが、あの大騒ぎは何だったのかと思わざるをえない。それは小池都知事の問題だけではなく、自前で安全性、危険性を調べ切れ…
ニセアカシアの雨がやむときーー中国旅行2017年8月23日〜28日
8月23日から28日まで中国東北部を旅してきた。
家族の関係で最近は長く留守しにくく、たった5泊ではあるが、今の自分にとっては例外的な長旅だ。
原武史氏が日本中国文化交流協会の理事をしていて企画した訪問事業(という呼び方でいいのか?)に誘って下さった。その話に乗ったのは、東北地方の旅だったからに他ならない。
『偽満州国論』を書くために1992、3年に二度現地を訪れ、その後、長春だけ21世紀になってからもう一度訪れている。日本国内であれば取材テーマによっては複数回同じ場所を訪ねることも少なくないが、さすがに海外では珍しい。それもロンドンやニューヨーク、上海、香港といった色々な用事で訪ねることがありえる場所とは異質だろう、ハルピン、長春、瀋陽、大連という四都市を急ぎ足ながら周る旅なのだ。
『偽満州国論』を書こうとしていたときには傀儡国家=植民地だからこそ具現する近代日本という国家の統治力を見たいと思っていた。語弊ある言い方だが、民主主義は様々な障壁になる。世論はバターを固くしてバターナイフの切れ味が悪くする。その点、満州国は暖められたバターだ。ナイフは存分にその空間を切り刻めるのだ。
具体的には日本人はどんな都市を作りたいのか、どんな(言語)文化を育みたいのか、ということが主要な関心事だった。そのために旧満州国エリアを訪ねた。二度の現地取材に国内での資料調査を加えた『偽満州国論』は自分にとっては連載をまとめるような仕事ではなく、ひとつのテーマを追う、最初の本格的な著作となった。だからこそその取材も懐かしい。
年齢を重ねるとはこういうことだったのだと思う一つが、若い頃の仕事を、肯定はできないけれど不十分だったり未熟だったりするところも含めて許せるような心境になることだった。『偽満州国論』の頃も、そうした寛容=許容モードに入りつつあった。失敗も含めて若い頃だからこそできたことがたくさんあったことを今にして確認できるかもしれない。そんな気持ちになって、当時の滞在先をもう一度訪ねることに惹かれたのが、すっかり国内型になっていた生活を続けていたところで、誘蛾灯に誘われるように、海外視察旅行に誘い出された理由だった。
もちろん昔と同じことは出来ない。取材や調査といえば結構下調べをし、現地のことを何でも記録しようとカメラなどの準備に事欠かなかったが、今回は書泉グランデで中国鉄道や満鉄関係の比較的新刊らしき書籍を旅の前日に買っただけ。カメラは待たずスマホで済ませてしまおうとしていた。
23日
成田エクスプレスに乗って成田空港に向かう。成田空港は311の時以来だ。311の日に出かけたトルコへの旅もそうだったが、自分の車で出掛けて駐車場に置いてゆくようになっていたのでNEXはもっと久しぶりだ。成田はメインが格安航空会社の利用客でコストコンシャスなのだろう、京成に客を奪われたのか車内はガラガラだ。
第一ターミナル北ウィングで原使節団のメンバーと落ち合ってまずハルピンへ。前にハルピンに行ったときは北京経由だったのが今は曜日を選べば直行便で入れる。東京を深夜に出るエア・フランス便は機内から北朝鮮の発射したICBMの軌跡が見えたというが、できれば見たくないものだ。日本を留守中に何かあると、遠く離れておろおろと心配するばかりで、決していなかったからラッキーだとはとても思えないことは311のときも経験した。
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以前にもハルピンは空路で入っている。飛行機機内から松花江が見えたのは季節が違いこそすれ同じだったが、あのときは雪が積もり、凍った大地に泥色の川が蛇がのたうつように走っていて慄然としたが、今回は畑と水田?の緑が悠然と広がる。季節が違うと印象がずいぶん違うものだ。
満員だったとはいえ、機体はA321で小さく、ジャンボの時代に比べればそう多くの人数が乗っていたわけではないが、なぜか着陸後もあるセキュリティのX線透視装置の前で並ぶなど空港を出るまでに結構時間がかかった。
日差しは傾きかけていてもまだ強かったが、東京のうだるような空気と違って秋を先取りしている感じ。中日友好教会のマイクロバスで高速道路を市内に向かう。
記憶を辿っても、以前には高速道路はまだできていなかったように思う。宿泊地は川沿いのシャングリラホテル。部屋に入るとリバービューで、カーテンを開けると夕焼空だ。しかし川に夕日が沈む直前に集合時間が来てしまい、絶景を見逃す。マイクロバスに乗って出かけた食事会場はまたシャングリラホテル。ハルピンには二つあるらしい。川の対岸ではあるが、間に大きな中洲があるし、更に町の中心より離れた郊外だが、施設自体はより新しく、綺麗で大きい。
24日
翌日はお決まりの731部隊犯跡陳列館へ。ここも前に来ているので期待していなかったが館の前にクルマがついて驚いた。以前は広大な畑の中にある施設で、中学校にも使っていたが、今や平房の生活圏の中に入る全く別の巨大な施設になっていた。展示内容も前の20倍ぐらいあるのではないか。質量だけでなく、展示方法も、まるで博物館デモンストレーションの見本市のように次々と変わってゆく。学芸員志望者にみせてやりたいようだ。
分量が多いわりにスローガン的な展示が減っているのも印象的だった。根拠資料の展示が徹底しており、予想を超えて実証的だった。非常に論争的な箇所なのでかえって気をつかっているのか。昨晩会食時に黒竜江省のスタッフが「事実を踏まえるべきだ」と言っていたこととも符合する。ネトウヨに見せてやりたい感じ。ここまで圧倒的な内容を示されると相当めげるのではないか。こうした実証の上に反論も含めて議論があれば有意義だと思う。
市内に戻って昼食は餃子。前に来たときは夜に食べた。マルコポーロで一緒にいった時には、藤原作弥さんが食べ方の説明をしてくれたのが懐かしい。ロシア系らしいが、パンの味がする飲み物を飲む。「パンの味」と聞いて比喩だと思ったが本当にパンを飲んでいるようなのだ。格瓦斯とかいったが、ほんのり甘く酸っぱく、案外とおいしかった。アルコールは入っていないそうだ。
黒龍江省博物館を見てから午後遅めにソフィア教会をみてからキタイスカヤを散策。松花江まで歩いてみたが、街路が整備され、大きな地下道もあってきれいになっていた。前に来たときは白系ロシア人なのか、日本人の眼には白人に見える人が、多くないなりにも目についたように思うが、今回は全く姿を見なかった。で、夜は(たぶん)漢人の提供するロシア料理。
25日
8時の列車に乗るので渋滞を警戒し、相当早くホテルを出て駅に向かう。原団長期待の鉄道の旅が始まる。前に来たときはひまわりの種を食べながら在来線をのんびり移動していたが、今回は新幹線だ。改札も自動になった(客が多くて機械ではさばききれず駅員が改札していたが)。
車両は時速380キロを目指す第2世代の高鉄GA380のICE系のものだった。新幹線がルーツの車両もあるのだが数が少ないようだ。一等だったので座席は2人がけ2つの4列。長春まで約一時間。前は移動だけでほぼ一日使っていたので浦島太郎の気分だ。
長春に近づくと車窓に見覚えがあるのは気のせいだろうか。加速側はそうでもないのだが中国新幹線は減速を駅のかなり手前から始める。しかし在来線時代はその比ではなく、今にも止まってしまいそうな速度でゆっくりゆっくり市街地を走り、駅に入ってゆく。もう下りるのだからと入れ替えた気持ちがなかなか叶えられずに宙吊り状態になって、動力機関のない客車で静かなこともあって、ゆっくり流れてゆく車窓をみているうちについうとうとしてしまい、不思議な半覚半睡の境地になったものだ。
10時には駅に着いてしまった。駅構内には携帯電話VIVOのポスターがあちこちにある。昔だったらVAIOだったのかもしれない。
日本が高度成長できた大きな理由は厚い消費人口だ。厚い国内人口を主要な消費者と見込んで、安かろう悪かろうの非難に耐えつつ新技術の開発に勤しみ、世界的に競争力をある民生品を作った。人口の暑さは町を渋滞させる原因でもあるが、それが成長の原動力でもあるのだ。中国の経済成長は、もちろん政治体制の違いはあるが、よりマクロに観てしまえば、日本と同じことを遥かに大きなスケールで繰り返しているといえよう。とんでもない数の国内人口を市場として相手にできるので国際的に競争力のない機器が商品として成立した。その時点で必要なのはまだ経済力の十分ではない国内の人々でも購買可能な安い機器なのだ。そこで市場を確保したうえで技術開発に投資し、世界でも通用する民生品を作ってゆく。最近評判が良くなったVIVOやOPPOのスマホはそうして出来ている。
民生品の世界でもはや日本は中国に勝てない。それは同じ土俵の上にいて、同じ方法をより大きなスケールで採用している相手だから。日本から民生品メーカーが消えてゆくのは平家物語ではないが、栄枯盛衰の一種の必然だろう。25年ぶりに訪ねた中国で日本メーカーの宣伝が消えていた。東芝が原子力を残したことに批判が集まったが、民生品では勝負にならないという認識を経営陣は持っていたのではないか。東芝は組んだ相手が悪かったが、三菱や日立は東芝を反面教師としつつ、やはりBtoB、というかBtoG(overnment政府)とでもいえる産業部分、たとえば鉄道とか原子力に舵を切ってゆくように思う。最近、話題の軍民デュアルユースの問題も、そうした産業史の中で観る必要があるのかもしれない。
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到着したのは新幹線と一緒に作られた新駅である長春西駅。周辺の開発がまだなのでガラガラだ。そこからマイクロバスに乗って、かつて満州国建国十周年式典をしたというスタジアムに向かう。ここは歴史好きの中国側もノーチェックだったようで何の展示もない。ただ普通のスタジアムだった。スポーツ競技的にはハイシーズンだろうが、全館閉鎖して改修中で、おりしも強くなっていた風に土埃が盛んに舞っている。
長春ではハイアット。日本のパークハイアット級のかなりらぐじゅありぃなホテルだった。米国外資系ホテルはほとんど来ている印象だ。しかし米国人は殆ど見ない。新しいコロニアリズム様式だと思うが、大きなインスタレーションなどが置かれ、清潔な中にアジア風味を感じさせるロビーでチェックインし、そのまま昼にホテルの中の中華料理店で吉林省のスタッフと会食。午後から旧満映の敷地に作られた長春電影の博物館へ。旧満映の建物をそのまま使っており、甘粕が自決した理事長室前の玄関もそのまま。玄関前の毛沢東像も前に来たときのままあった。ただ造作なく白塗りされており、正直、気を使って大事にされている印象はなかった。
展示は殆どが戦後の長春電影のもので、ここは731記念館とか逆に満映時代は殆ど言及されていない。左翼活動家も多く働いていて敗戦後にも相当数が居残って長映の立ち上げに関わった満映の評価はこちらでも揺れているのかもしれない。
旧満州国中央銀行や旧満州電々のビルを観たりしながら、市電に乗ってみたりしながら南湖へ。溥儀が欲しがった三種の神器の複製品が彼が新京から逃亡する時にここに捨てられたとして原団長が見たがった場所。渋滞で到着がすごく遅くなったが、着いたらにわか雨があがって虹が出るドラマティックな展開になる。最初に長春に来たときは滞在時間に余裕があって結構丁寧に取材した。しかし中華料理の油が悪かったのか余り体調が良くなかった。そんな中、南湖に来たときは景色がよく、気が晴れてずいぶん救われた印象がある。今回も変わらずきれいな公園だった。湖面をわたる夏の風が心地よい。
渋滞に関しては『偽満州国論』でも指摘していたこと。長春(新京)の都市計画を本格的なヨーロッパ都市を実現した理想的なもの、東京にあっては様々な生涯に阻まれて実力を発揮できなかった東京の都市計画関係者の底力がいかんなく発揮された傑作都市と讃える向きもあるが、この作りでは後背の農業用地から流入する大量の労働者たちのよって人口爆発を経験するアジア都市では耐えられないだろうと書いた。92,3年ではまだまだ渋滞はひどくなかったが03年は結構な渋滞が発生しており、今回はまさに『偽満州国論』の予言が的中したような状態だった。
東京では都市計画が実践できなかったために露呈しなかった問題を満州の都市計画は秘めていた。その問題が「爆発」するのは満州国の存在期間ではなく、中国の経済発展後だったと考えればいいのだろう。
たとえばロータリーは交通容量が少ないときには信号がないスムーズな流れを実現するが一定以上にクルマが増えると渋滞の発生源となる。まさに四方の放射状の道から鼻を突っ込んでくるクルマでにっちもさっちもゆかなくなっていた。しかし自分の予言が的中して自分が渋滞の中で喘いでいるのだから皮肉な巡り合わせだ。
夜は北朝鮮料理。東京には延辺料理があってそれを北朝鮮系の料理だと思っていたが、延辺は今は親韓国の地域であり、たとえばこの店で延辺冷麺を頼むと韓国風でり、北朝鮮の冷麺を食べたければ平壌冷麺をオーダーしないといけないという。「喜び組」ではないが、民族衣装を着た若い女性の歌と踊りがある。昔の日本の歌謡曲のような音楽に、どこかAKB的な振り付けで、時空が歪んでいる感じがする。
26日
翌朝起きると北朝鮮がミサイルを撃っていた。7時にNHKNewsWEB速報がケータイに入り、「韓国通信社からの情報によると」とするニュースをWEBで確認。次いで部屋のテレビでNHKを見るが映っている総合では言及せず。45分に日本政府筋の報道速報もWEBのみ。放送ではおはよう日本の最後に言及。8時半過ぎにもう一度報じていた。
米韓演習があればなんらかの示威行為も必要なのだろうから何かあるとは思っていたが、昨晩、北朝鮮料理を食べて明けた朝にミサイルの洗礼を受けるとはなんとも皮肉な巡り合わせだ。米国が一切反応していないようなので安堵する。
午前中、偽皇居博物館へ。ここも前に来た時とは比べ物にならないほどチケット売り場が大きくなっていたし、前は見せていなかったのだろう、勤民楼以外の施設の見学もできるようになっていた。
防空壕に入れたのも始めてで、自由に入れる見学施設なので完全に締め切ることはないが、それでも分厚い扉は威圧的で、密閉感が強いだろうことは想像に難くない。閉所恐怖症であればかなりしんどい経験をすることになりそうだ。朝鮮半島で戦争が始まったら案外使われたりするのだろうか。
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偽皇居見学を終え、土曜のせいか大混雑の駅周辺の人混みをかき分けかき分け長春駅から高鉄に乗って瀋陽へ向かう。
今度もパソコンを開く気にもならないほどあっという間だ。
瀋陽では最初に918記念館を見にゆくが整備中で入れなかった。市のスタッフが案内しているのにこういうことがありえるのがさすがに中国人は大人である。ホンタイジの陵墓「清昭墓」の方は見学できてその後に遼寧省の友好協会へ。民国時代の要人邸をそのまま使う施設の中で中日友好協会の代表者と面会してから、一緒に外に出て張学良のお世辞にもうまいとはいえない書が壁に掛かっている部屋で食事をする。この書を張っているのはもちろん学良が歴史上の重要人物であり、瀋陽とこの店にゆかりがあるからだろうが、書がそのものとして伝える含意もあるのだろう。学良は教養人ではない。
遼寧省の職員によると遼寧省は国営企業が多く、職員に遵法を強く求めてきたため出生率が低く、高齢化が早いのだという。確かに人口増加率も鈍っていると聴くし、調べてみると遼寧省はいち早くマイナス成長となっているらしい。中国のスケールビジネスの先行きに翳りを感じさせる話だ。どこまで飛行距離を伸ばして失速するか、他のライバルが出てくるかによって着地場所は変わってゆくのだろうが。
27日
翌日は今回の旅程のハイライトのひとつである鉄路陳列館へ。まだオープン前で他に客がない中で見学。夕日の満州の大地を高速で走ったアジア号機関車が目玉だが、機関車が牽引する特急の最後尾につながれていた展望席付きの車両も陳列されており、こちらは車内にも入れた。当時、この個室で満州国を移動していたような人たちに思いをはせる。満州国13年間、自分が前任校にいた時間とほぼ同じだ。たったそれだけの時間内で国家の興亡を経験するとはどのような人生だったのか。
やはり高速鉄道用でまだガラガラの瀋陽南駅で乗車し、大連を目指す。ハルピンから大連までを結ぶのではなく、瀋陽と大連の短い区間を運転する便で「こだま」的なもののようだ。停車駅もいくつかある。8両の基本編成を二つつなげて16両。座席が多いわりには乗客が少なく、つめて座る必要がない程度に空いている。
大連は雨だった。海側に向かって開発が進み、もともと傾斜の多い街でもあり、霜柱のように高層ビルが建ち並ぶ香港島のような景色になっていたのには驚かされた。夕食を視スタッフと会食し、全行事終了。明日は早朝に出て帰国だ。
28日
夜に一度雨が上がったタイミングで少し街に出たが、また降り出した容ようで朝起きるとホテルのガラス窓に水滴がついており、日が昇っても外は暗い。ただ、今日はクルマで空港にゆくだけなので特に問題もない。
西田佐知子の「アカシアの雨がやむとき」という歌が大連を歌ったというのは都市伝説で、こちらは実は60年安保反対運動の時の歌。清岡卓行の『アカシアの大連』と混じってしまっている。もっとも自分だって満州のことを書いていたときのBGMは加藤登紀子の「時には昔の話を」だったのだから笑えない。こっちは全共闘運動だ。しかし挑戦の挫折ということでは三者に共通性もある。
ちなみに歌にまつわる都市伝説もあるが、大連のアカシアというのも都市伝説で、実は種が違ってニセアカシアなのだという。アカシアの偽物ということではないが、葉の形がにているのでアカシアと間違えられる。清岡もそうだったし、読者もそうだった。
大連は遼寧省の経済の3割程度を担ってきたが、省内でも落ち込みが激しいという。依存していた日本企業が振るわないのが原因だとか。確かに町中でも日本人の姿を見ることが殆どなかった。湾岸地区に高層マンションを林立させ、香港島のような景色となっているが空室も多いらしい。日本企業の進出によって作られたバブルははじけつつあるということか。
「偽満州国論」はタイトーのミヒャエル・コーガンを取り上げて終わる。虚実を入り混じる興行の世界を生きた白ロシア人の彼もハルピンから大連を通って日本に渡ったはずだ。25年後の旅もまたニセアカシアの町で終わるのだとしたら偽なる国家の興亡、幻想国家の明滅を描いた作品の二週目のエンディングにふさわしいともいえよう。
最後に。結局、中国でずっと考えていたのはバターとバラーナイフの問題だった。長春の都市計画を「理想的」にした、植民地ゆえの統治者側の自由度の高さは確かに褒められたものではないが、ノージックがアナーキズムを否定したのと同じ意味合いで、十把一からげに統治権力が否定されるべきものでもないとは思う。民主主義はバターバイフの切れ味を悪くする。そこにはいい意味での保守性、大衆性の一方で自らを自分の力で救えない衆愚性のようなものが混じっている。間違った切り方をしない範囲でバターナイフの切れ味をよくするための工夫の必要は満州国の時代から今に至るまで、そして日本と中国を横断するかたちであるのではないか。なんでも切れるナイフも問題だが、なにがなんでも切れないバターも問題だ。
たとえば中国だとネット遮断がよく話題になる。実際、行ってみたらグーグル系は全滅だったし、それ以外にもCGM系では政府がまさに狙った結果なのか、機構的な問題か、接続できないサイトが結構あった。ソーシャルを恐れる社会主義国というのも皮肉な話だ。しかし一方でグーグルに象徴されるネット社会のあり方が、日本を含めた「言論の自由先進国」で果たして健全なのかについては、慣れや利便性に麻痺して問題意識をなくすべきではない。公共サービスのかなりの部分が米国私企業によって担われている状態をデフォルトスランダードとしていいものか。しかし、こちらも一方で国際検索エンジン作りの試みがまず技術的にもうまくゆかないし、これまた日本ファースト的な内向きなものであることも認識している。どっちにいっても行き止まりなのだが、行き止まりと行き止まりの間のスペースをどうするか。
辻田真佐憲『文部省の研究』では文部科学省が一貫してナショナリズムとグローバリズムの間で揺らいできたと指摘しており、読んだときはそのとおりだと思ったが、今回、満州国から今に至る時間の広がりで中国をみて翻って日本を考え、ナショナリズムとグローバリズムを両立させられない問題は、おおげさにいえば近代社会全体にまで裾野を広げるもののようにも思えた。
先にソニーのことを書いたが、電気メーカーはある時期は国内市場を相手に研究開発体力を養いつつ、国際的にも評価される商品を作った。今は量を相手取るビジネスのシステムそのものが破綻しているが、、たとえば同じ高度成長期の日本企業でも全く内向きのままで我が世の春を謳歌し、外資系が入ってくるとひとたまりもないファッション企業などもある。そこにもナショナルとグローバルの両立の難しさを感じさせる。
英国のEU離脱やトランプ政権の誕生、都民ファースト、日本ファーストの動きなど、世界的に内向きを感じさせるものが多いが、離婚されてしまったEUだって決してグローバリズムの理想であったわけではない。グローバルに開かないナショナルは意味がないが、ナショナルを犠牲にするグローバルも問題だ。まさにその間をどうゆうか。『偽満州国論』では都市共同性と国家共同体という言葉を使った。都市共同体はバターで国家共同体はバターナイフだ。両者を調停するのは「隔離という病」で書いたノージック流の最小国家か 「NHK問題」で書いたローティのリベラルアイロニーの公共性か…。おや、結局、25年の時間をもう一度おさらいしてやりなおせということか。公的な世界にはまだまだいろいろやるべきことは残っているし、ワタクシ的にも今まで書いてきたことをもう一度やり直すことも含めて書くべきことがまだまだ残っているということなのだろう。
この言葉は、若い頃にお世話になったイタリア人ジャーナストのテルザー二氏がコルカタの町を訪ねて記事に書いた「ここは神などいないことの証明か、神にはまだ仕事が残っていることの証明だ」という表現をパクっている。テルザーニ氏は長く中国特派員を務め、「名誉の」国外退去処分となり、日本で活動していた80年代に知己を得た。亡くなる直前にフィレンツェの自宅を訪ねたのはちょうど10年ぐらい前のことだった。あの時もフィレンツェで虹を見た。そんなことまで思い出したのも中国の旅が記憶を引きずり出してくれたおかげかもしれない。
長い時を隔てて同じ場所を訪ねると変化に驚かされる。その感覚はそこに暮らす人にはない。少しずつ変わってゆくとひとはそれに気づけないから。微分してしまうと見えなくなってしまう時代の微小な角度のようなものを積分的な視点で見るので、その方向性に気づく。そんな「気づく人」になれたとしたら今回の視察旅行にも意味があったことになるのだろう。その気づきを持って帰って、こちらは日々微分された時間の中に暮らす東京を観るまなざしに生かす。そんな往復運動ができるといい。
愚かなままでーー二人のヨブ
7月7日の礼拝を始めます。 初めにみなさんと賛美歌451「くすしきみ恵み」を歌います。差し障りの無い方はご起立ください。 ご着席ください。 聖書を読みます。今日の聖書箇所はヨブ記2−6〜2−10です。 主はサタンに言われた、「それでは、彼をお前のいいようにするがよい。ただし、命だけは奪うな」。 サタンは主の前から出て行って、ヨブに手を下し、頭のてっぺんから足の裏まで、ひどい皮膚病にかからせた。 ヨ…
「印象操作って言ってる奴が一番印象操作している」って言ってる奴が…
『民間放送』への寄稿の生原稿です。 ***** 6月5日付け『毎日新聞』によれば衆院決算行政監視委員会で安倍晋三首相は1時間の間に5回も「印象操作」の語を繰り返し用いたという。それを取り上げる記事も多くみかけ、「忖度」に続いて「印象操作」がバズワード化している。 しかし、これは単なる流行語の世代交代ではない。忖度だけでなく、フェイクニュースやオルタナティブ・ファクトなど最近話題となってきた語…
敵の敵が味方だとは限らない
産経新聞大阪版複眼鏡6月掲載分の生原稿です。家計問題論議で、あるいは「安倍」論争の中で抜け落ちている論点について。 ****** 安倍総理の知人が理事長を務める学校法人の獣医学部新設に際して官邸が許認可権を持つ文科省へ「圧力」をかけたのではという疑惑を巡るいわゆる「加計学園問題」。それが今後どのような展開となるかは本稿執筆時点では予想できないが、今、敢えて書いておきたいことがある。 「圧力」を…
障害者への責任
産経新聞大阪版複眼鏡7月掲載分の生原稿です。LLCの障害者対応問題について。 ****** 鹿児島県奄美島の空港で障害男性が車いすに乗ったままの搭乗を拒否され、タラップの階段を腕力で登って乗機したという。 この件が報じられるとネットを中心に議論が沸騰した。報道に添えられたイラストでタラップを這い上る障害者の姿があまりに衝撃的に描かれていたため、そんな対応を強いたバニラ・エアを厳しく糾弾する…
自主避難の文法は中動態か
産経新聞複眼鏡4月掲載用元原稿です。自主避難補償問題を論じて国分氏の新刊書で展開された「中動態」の概念を使ってみた。ちなみに読売新聞連載の「論壇キーワード」の同じく4月掲載分では中動態の解説をもっと詳しくしています。 ***** 311から6年目を迎えた先月、「自主避難者」を巡ってひと悶着があった。自主避難者とは福島第一原発事故に際して国が避難指示を出した原発から半径20キロ圏内と放射線量が年2…
Good-Bye
1月11日の大学礼拝を始めたいと思います。 初めに、お集まりのみなさんと賛美歌21の450番を賛美したいと思います。さしつかえなければご起立ください。 聖書をお読みします。詩篇23編4節です。旧約聖書854ページです 死の陰の谷を行くときも、わたしは災いをおそれない。 あなたがわたしとともにいてくださる。 あなたのむち、あなたの杖、それがわたしを力づける。 3月末で退職をするので今日は私にとって専…
貸与奨学金はもはや似合わない
産経新聞複眼鏡(2月掲載)用生原稿 大学や高等専門学校などに通う学生に返済不要の「給付型奨学金」制度を政府は実現させる見込みだという。正式には2018年度からだが、安倍政権は私大の下宿生等に限定して17年度から前倒し実施の方針を示している。 教育機関で奨学金関係の仕事に携わった経験のある人は、ひとまずほっとしているのではないか。額はまだまだ十分ではないが、「給付」の側に舵を切ったことだけでも朗報…
日本語の「先進」性
産経新聞複眼鏡(1月掲載)用生原稿。 私事で恐縮だが、昨年末に『日本語とジャーナリズム』(晶文社)と題した著書を刊行した。 たとえば新聞記事を読む時、それが日本語で書かれていることを改めて意識する人など滅多にいないだろう。日本人にとって日本語はいつも自分の周囲にある空気のような存在となっている。 しかし、そんな日本語が世界を歪めて伝えている可能性はないか。一つ例を挙げよう。日本語は具体…
信頼性をGoogleに依存する社会の危うさ
産経新聞複眼鏡(12月掲載)用生原稿 ネットゲームのDeNAが新規事業として展開していた複数のキュレーションメディアが全面的に公開停止に置いこまれた。この事件の概要は既報ゆえに繰り返さないが、ここではこれまでに欠けていた論点を補っておきたい。 DeNAはとりあえずメディアの公開を停止させて運営状況の調査を進めるとしているが、キュレーションメディア事業の経営陣が、記事の粗製濫造体制を半ば意図的…
本当に番狂わせ、だったのか?
産経新聞複眼鏡(11月掲載)用生原稿 米国大統領選で事前予想を覆してトランプが当選した。日本と同じくアメリカでもマスメディアの選挙予想は調査と分析の技術を鍛え上げ、かなりの精度を誇る。そんな高度に科学的な予想が、番狂わせを招く幅で外れた。その一因として今までの選挙予測で使われている尺度で計れない要素の関与も想定すべきではないか。 補助線を一本引いてみよう。2005年に小泉純一郎総理(当時…
個人が新自由主義を体現する
産経新聞複眼鏡(10月掲載)用生原稿 既に周知のことだと思うが、アナウンサーの長谷川豊氏が自分のブログ「本音論、本気論」に投稿した記事が大きな騒動を巻き起こした。 その記事で氏は、医師の指示を守らず、自堕落な生活を続けた結果、透析が必要になった患者が高額の医療補助を受け、日本の健康保険制度を食いつぶしていると主張し、タイトルに「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ! 無…
感動ポルノと呼ばれて
産経新聞複眼鏡(9月掲載)用生原稿。 障害者自身が出演して笑いを交えつつ本音を語り合うNHKのユニークなバラエティー番組「バリバラ」は、先月28日に「検証!〈障害者×感動〉の方程式」を放送した。 出演者は黄地に「笑いは地球を救う」とプリントしたTシャツ姿で登場。同時間帯に民放で放送されていた「24時間テレビ『愛は地球を救う』」を意識していることは明らかだった。 その番組の中でキーワード…
核なき世界を再びヒロシマから
産経新聞大阪版「複眼鏡」6月分生原稿です。 ****** 先月27日、米国の大統領による初の広島訪問が実現した。広島市の平和記念公園で献花をしたオバマ大統領は自国が投下した原爆の凄惨な破壊力を伝える「原爆ドーム」を正面に見据えたはずだ。 それは偶然の結果ではない。慰霊に訪れた者が慰霊碑のアーチ越しに必ず原爆ドームを遠望するように公園自体が作られている。オバマ大統領を原爆ドームと向き合わせたのは6…
ファシズムは「ネタ」としてやってくる?
産経新聞大阪版「複眼鏡」7月11日夕刊掲載分の生原稿です。6月下旬に公開が始まった『帰ってきたヒットラー』をみて。 ******* 現代に蘇ったヒトラーが物まね芸人と誤解されながらテレビのスターになってしまうーー。そんな際どい内容で話題となった小説を映画化した『帰ってきたヒトラー』が日本でも公開された。 原作小説はヒトラーの一人称で書かれていたが、映画はヒトラーを役者が演じる。そうした設定…
川内原発をめぐって
川内原発を止めない理由を政府は今のところ、規制基準を越える状況にないからと説明しているが、ここで地震に耐えた実績を残せればこれ以後の再稼働、原発依存体制への復帰が相当にたやすくなることを意識していないとはいえまい。 反原発派の方も、川内だけでなく、今後の展開も視野にいれてそれを許すことができない。だからあらゆる手段を使って川内原発を止めろと連呼する。 それは「象徴の戦い」だ。原発推進側にとっ…
清水幾太郎のこと
清水幾太郎と最初に接触したのは『流言飛語』だった。少し不確かなのだが、エンカルタの勉強会だったか、『メディアとしてのワープロ』の取材だったか、佐藤健二さんが流言研究の成果を話すのを聞いた時に、そこで触れられていたように思う。その後、自分でもメディア社会学の授業で使うようになって勉強し直した。しかしそれは『流言飛語』に限られていて、清水幾太郎の全貌を意識したのは『核論』の一章にしたときだ。ラオス旅行…
ミッキーマウスと握手した日
おそらく私の読者のみなさんが思っているよりも現実の私はここしばらく本格的に「大学教員」をしてきた。大学で厚遇されて当別な条件で雇用されている著名人は別なのだろうが、ふつうの教員は相当な時間を授業の準備や学生の対応に使っている。私もそれと同じだし、一時は役職にもついていたのでそうした日常の仕事以上に大学経営関係や入試への対応の時間も相当取られていた。 数年前から役職にはついていない。それは書くた…
5年目の福島第一原発
2月のはじめに福島第一原発を視察し、内部まで入った。産経新聞大阪版『複眼鏡』はその報告をした唯一のアウトプット。生原稿を張り付けておく。 ******* 2月の初めに福島第一原発を視察した。 筆者は2002年に戦後の日本社会が原子力技術といかなる関係を結んできたか論じた著書『核論』(勁草書房)を上梓。一時、入手不能になっていたが3・11直後に『私たちはこうして原発大国を選んだ』(中公新書ラクレ)…
ニュースかビューズか、いずれもか、いずれでもないか
毎日新聞連載『メディアの風景』2月用に用意していた原稿でしたが、締め切り直前になって私自身の気まぐれでテーマをアップルとFBIの争いに変えたため、日の目をみなかったものです。タイミング的に古くなってしまったのでどこかに出すことはないでしょうが、ほとんど仕上げていたので、記事では分量的に収容できなかったプラットフォーム論を加えてここにあげておきます。 ****** 小保方晴子・元理研研究員の手記…
最低賃金引き上げデモ
産経新聞大阪版連載「複眼鏡」12月掲載記事の生原稿です。 ******** 「1500円を!」。大学生や20〜30代の非正規労働者が主要なメンバーのグループ「エキタス(=ラテン語で公正の意)」が繰り広げるデモのスローガンだ。 エキタスは最低賃金賃の大幅な引き上げを求めている。12月13日に東京都内で行われたデモでは主催者発表で約500人が参加。今後、全国でのデモが計画されているという。安全保障関…
小保方氏の博士論文について
産経新聞の複眼鏡11月分に書いた原稿に多少加筆しました。 ****** 早稲田大学は11月2日、記者会見を開き、小保方晴子・元理化学研究所研究ユニットリーダーの博士論文博士号を取り消すことを正式決定したと発表した。 2011年に早大に提出されたこの博士論文は、いわゆるSTAP細胞問題の端緒となるもの。それがついに公式に否定され、STAP問題は一見落着か、といえばそうもゆかないだろう。 博士論…
論壇キーワード「地方選挙」
読売新聞で2015年4月から論壇キーワードの欄を交替で書いています(偶数月最終月曜日)。この連載はネットにあがっていないようなのでこちらに置いておきます。 ****** 4月末は統一地方選の後半戦だった。筆者の家の周辺でも投票前日まで選挙カーが走り回っていた。 こうした都市部では当たり前の選挙風景が当たり前ではない地域がある。今回、町村議選で2割超が無投票となり、候補者数が定数に達さない町村もあっ…
論壇キーワード「画像検索」
読売新聞で2015年4月から論壇キーワードの欄を交替で書いています(偶数月最終月曜日)。この連載はネットにあがっていないようなのでこちらに掲載前のナマ原稿を置いておきます。 ***** 東京五輪エンブレムの盗用疑惑で不名誉な注目を集めてしまったアートディレクター佐野研二郎氏。過去の作品にも次々と類似デザインが発見され、事態はなかなか終息しない。こうした騒動の背景に画像検索技術の進化がある。 検索…
論壇キーワード「予防原則」
読売新聞で2015年4月から論壇キーワードの欄を交替で書いています(偶数月最終月曜日)。この連載はネットにあがっていないようなのでこちらに置いておきます。 ******* 口永良部島の最初の噴火は5月29日午前9時59分。その僅か15分後に屋久島町は口永良部島全域に島外避難指示を出している。 今後の予測が確かにできない段階で、悪い方に転がる「もしも」に備えて安全を期す。その時に踏まえるのが「予防…
1匹と99匹と文系大学の明日
7月8日大学礼拝用の口述原稿です。1年間礼拝から遠ざかっていましたが、再開。いつ最後になってもいいと思いつつ。 ***** 7月8日の大学礼拝を始めます。 まず賛美歌21、451をみなさんで歌いたいと思います。差し障りのないかたはご起立ください。 ご着席ください。聖書をお読みします。本日の聖書箇所はルカによる福音書15章 4から6です。新約聖書139ページです。 「あなたがたの中に、百匹の羊を…
産経新聞大阪版に3月31日に掲載された原稿の元原稿です。 ****** 公開中の映画『イミテーション・ゲーム』は数学者アラン・チューリングの数奇な人生を描く。 1934年にケンブリッジ大を主席で卒業したチューリングは、後に「チューリング・マシン」と呼ばれることになる「計算する機械」のアイディアを含む論文「計算可能数について──決定問題への応用」を36年に発表。渡米して博士号を取得し、再びイギリ…
国の自称と広報戦略とジャーナリズムについて
産経新聞大阪版連載「複眼鏡」2月末掲載分のオリジナル原稿です。書きたいことが多すぎて三題噺的になってしまっています。4000字ぐらいでひとまとめの論考にしたかったか。 ****** 二人の日本人人質が殺害された事件は過激派集団「イスラム国」に関する認知度を日本社会においても急激に高めた。それが呼称問題の発生に繋がる。 政府・自民党は「イスラム国」に代えて「ISIL(Islamic State …
「表現の自由」は普遍的であろうとしてまだ普遍的ではない。
産経新聞大阪版『複眼鏡』1月24日夕刊に掲載されていた記事の手持ちWORD原稿バージョンです。入稿した後に人質事件が発生、人質交換交渉中と言われていた段階でゲラを見ていましたが、軽々に結果を予期した加筆はもちろんできず、掲載時に事件はまだ未解決だったのですが、それに殆ど言及してない内容に違和感を持った読者も多かったのではと思います。事件がああしたかたちに至った時点では、さて、どのように読めるもの…
To go, or not to go
シリア内で取材をさせる報道機関とさせない報道機関にわかれたことについて東京新聞に求められたコメントの補足。Facebookに2月3日に書いたら一定程度の反響があったのでここにも再掲しておきます。 **** 取材しなければ分からない事実があることは全くその通りだし、報道が知らせる事実に公益性が備わりうることも確か。その意味で危険な地域に乗り込んで取材する記者の存在は極めて貴重である。 しかし、その一…
寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか
2007年秋に大学礼拝で話した話の口述用原稿です。某宗教団体系サークルが学園祭に出展しようとして大学側に拒絶されていたのを見るに見かねて顧問役を買って出た経験を語っています。「寛容は~」は本文中にあるように渡辺一夫のエッセーの言葉。これを再掲したのはもちろんシャルリーエブドの事件に接して。この礼拝で話した内容をもう一度、2015年の時制で書き直したいと思っているので、オリジナルを載せてみました。 …
日本版ウィキリークスを巡って
産経新聞逢坂版10月28日に掲載された記事の元原稿です。 ***** ITやネットワーク社会の最新動向の研究・紹介者として知られる八田真行・駿河台大講師が17日、日本記者クラブで講演。内部告発サイト「ウィキリークス」の日本版を12月に開設する計画を明らかにしたという。 政府、企業等の機密情報を暴露するウィキリークスの日本版と呼ばれる内部告発サイトがこのタイミングで開設されると聞くと、それを標的に…
「ヒロシマ61年 原爆から科学技術教育を」
2006年の8月6日、つまり61年目の原爆記念日に毎日新聞に掲載された記事の生原稿。「アウシュビッツの後に詩を作ることは野蛮だと言ったのはアドルノだが、ヒロシマの後に脳天気に科学を語ったり、礼賛するのもまた野蛮だろう」の一節は科学技術社会学周辺でプチ流行語となったようだが、結局は科学批判を我流の科学信仰を持って行う域に留まった印象がある。そのまま311を経過して御用批判の大合唱もあったが、皮肉に…
新刊『デジタル日本語論』刊行のお知らせ
ジャストシステムから刊行されていた雑誌『ジャストモアイ』に一九九四年五月号から一九九五年六月号までに連載した原稿を加筆修正し、一九九五年に同じくジャストシステムより『メディアとしてのワープロ——電子化された日本語がもたらしたもの』と題した著書をだしました。 当時のジャストシステムは、日本語ワープロ「一太郎」の製造元として一世を風靡しており、日本語関係書籍を活発に刊行してもいました。刊行リストに…
美味しんぼ騒動について
美味しんぼ騒動についてはラジオ出演に始まって何回かコメントした。これは産経新聞連載『複眼鏡』への寄稿生原稿。これが自分としては決定稿になるのか、と感じている。社会は「わかってきたこと」を共有しつつ設計、運用されるしかない。しかし「わからなかい」ことを「なかった」ことにせず対応できる余地を制度的に残しておく。それがとりあえずの暫定的結論なのか。 ****** 筆者も311後に何度か鼻血を出した。と…
人は誰もが同じ風景をみているわけではない。
新潮社の読書誌『波』に書いた新著の自著解説です。新著と合わせて読んでもらいたい内容ですので、早めに公開します。本来であれば『波』の発売期間の終わりを待つべきですが、出版社側としてはこの自著解説が広く読まれ、そこから更に本自体に関心を持つ人が増えることをなにより望んでいるはずなので、ナマ原稿を上げておきます。 ***** 風光明媚な観光地に行けば、皆がビューポイントに立って同じように満足気な表情を…
ガレキとラジオと演出の問題
産経新聞大阪版『複眼鏡』2014年3月25日に掲載された記事のナマ原稿です。朝日新聞が報道(毎日なども追随して報道)したヤラセ問題を扱ったものですが、この寄稿文が掲載された後、演出を強いられたと朝日が報道した出演者がその事実はなかったと抗議したという報道もあり、続報に注目していましたが、報道は私の知る限り途絶えています。 ****** 3月11日が近づくにつれメディアでは東日本大震災関係ものが…
常温核融合とSTAP細胞
2014年4月22日に産経新聞大阪版「複眼鏡」に寄稿した記事のナマ原稿です。 **** 小保方晴子氏の記者会見が催された9日、中継映像を見ながら、その前日に掲載された新聞記事ことを思っていた。それはSTAP細胞とは別の科学技術についてのものだった。 「放射性廃棄物の無害化に道? 三菱重、実用研究へ」。そう題された日経新聞記事は、極薄のパラジウムと酸化カルシウムを重ねた膜に何らかの物質を付着させ、膜…
電子書籍版『NHK問題ーー2014年増補改訂版』紹介文
Kindle Direct Publishingで『NHK問題』を復刊しました。amazonの紹介文を再掲してみます。 ****** ■『NHK問題 二〇一四年・増補改訂版』刊行に寄せて 本書は2006年に筑摩書房より刊行した『NHK問題』を増補改訂した電子書籍である。 これまで筆者は、『偽満州国論』、『隔離という病』(共に中公文庫)、『核論』(中公新書ラクレ『私たちはこうして「原発大国」を選…
偶然を讃えよ(2013年11月8日大学礼拝感話)
小熊英二さんの書いた『1968』という本を授業に使ったことがあります。60年代末に始まる学生運動を取り上げたこの本の表紙には、ヘルメット姿の女子学生の写真が使われています。この68年当時の女子大生の姿をみて、今の学生諸君は本当に驚きます。それもそうでしょう。今の学生はヘルメットなんかかぶらない。せっかくきれいなブロンドに染めたのにヘルメットなんかかぶったら台無しになる。ですので自分と同年代の女子…
夢をたたむ勇気を与える五輪に
毎日新聞大阪版10月31日夕刊に寄稿した2020年五輪の原稿です。 大阪版だけの掲載でデジタル版もないようなのであげておきます。 福島第一原発の汚染水漏れは止まらない。五輪招致のプレゼンで安倍晋三首相が述べた「アンダーコントロール」の言葉が虚しく響く。しかし五輪と原発の因縁は、実は今に始まったものではない。 戦後の高度経済成長は池田勇人政権が東海道の太平洋側地帯に重工業用地を求める方針を打ち出…
大学入試は今や何のためにあるのか
政府の教育再生実行会議が、大学入試を「人物本位」にするため、全大学共通の「新テスト」を創設し、その成績を何段階かにランクづけして、2次試験ではペーパー試験以外の方法――小論文、面接などで選抜する「入試改革」を目指していると報じられている。 ソーシャルメディアなどを見ていると、これに対する反発の声が思いのほか強い。面接のように評価軸が明解ではない選抜方式では価値観がそこに紛れ込みやすいという問題…
64年東京五輪ポスター
2020年五輪の記事を書くので、文庫になっていた野地秩嘉『TOKYOオリンピック物語』を読んでみた。 そこでスタートダッシュする選手を写した有名なポスター(たとえばこんなサイトで見られます→http://plginrt-project.com/adb/?p=20406 第二号ポスターと書かれている方)の撮影状況が再現されている。早崎治は都内にある大型ストロボを総ざらい集めて20基の同時発光で選手…
ハンセン病療養所と「赤ちゃんポスト」
産経新聞大阪版「複眼鏡」に書いた記事の元原稿です。2013年夏休みの収穫。 ****** 夏休みが少しだけ取れたので、熊本に出かけた。ぜひ見ておきたものがあったのだ。 待労院という私立のハンセン病療養所が熊本にあった。歴史は古く、一八九六年に熊本を訪れたカトリック司祭ジャン・マリー・コールが、加藤清正を祀る本妙寺の境内に発病によって故郷に住めなくなったハンセン病者が集まっているのを見て、その保…
『中央公論』9月号に寄稿した時評の元原稿です。雑誌の発売期間が終了したので掲げておきます。 スタジオ・ジブリの新作映画『風立ちぬ』を観た。零戦の設計者・堀越二郎に小説家・堀辰雄を重ねて…といった内容は既に周知のことだろうから省く。ここではこの映画に込められた宮崎の意志と思想に注目してみたい。 「戦闘機が大好きで、戦争が大嫌い。宮崎駿は矛盾の人である」。鈴木敏夫プロデューサーは映画のパンフレットに…
歴史を現在に更新するための観光
Facebookに投降したものと同じ内容です。 ***** 『思想地図β4-1 チェルノブイリ、ダークツアーガイド』読了。書店では品切れが多くて手に入れられなかったのだが、版元から御恵投いただいて早めに読めた。感謝。 「観光」をキーワードにするという話を前に聞い時に思いだしたのは、かなり離れた文脈ではあるが、かつてのSONYのAIBOだった。その開発にあたって天外伺郎なるペンネームで神秘主義的な著…
「なんとなく原発大国への道」
ハフィントンポストの参院選特集の中の一本として執筆。 ******** 原発問題は、参院選では特に争点となって盛り上がらないまま、再稼働に向けて大きく舵を切るという「最悪」の結果になりそうだ。 実はこの道はいつか来た道なのだ。先月に刊行した拙著『原発論議はなぜ不毛なのか』(中央公論新社)で、脱原発運動が実を結ばないのは、それが「選択できない」からだと書いた。拙著の中では二又に分かれる山道の比喩…
再帰的デザインへの道を開く ―― デザインあ展
出版史と思想史をつなぐ
週刊読書人2013年5月24日号に掲載された根津朝彦さんの『戦後『中央公論』と「風流夢譚」事件―「論壇」・編集者の思想史』の書評の元原稿です。 ******* 本書は戦後から1972年までの論壇史を、特に60年安保後の『中央公論』(以後、『中公』)の変容に焦点を当てて論じる。 第二次大戦期の休刊を挟み、戦後46年に復刊された『中公』のライバルは『文藝春秋』『世界』だった。しかし『文藝春秋』は「…
脱原発をかりそめに終わらせないために
図書新聞2013年5月18日号に掲載された東京新聞こちら特報部編『非原発--福島からゼロへ』書評の元原稿です。 ******* 本書は東京新聞の人気連載「こちら特報部」が展開した脱原発キャンペーン記事を一冊にまとめたものだ。「こちら特報部」は1968年に始まった同紙の人気コーナーで、見開き構成でひとつのテーマを扱い、週刊誌よりも早く、深い記事を目指して来た。311以後、その連載の殆どが原発関連記…
自前の科学を取り戻せるか
毎日新聞「パラダイムシフト 核なき社会へ」連載として2013年5月13日夕刊に掲載された記事の元原稿です。掲載版とは用語など若干違っています。 ***** 戦争写真家ロバート・キャパが1954年4月に焼津で撮った作品を観たことがある。初老の男性が孫のような年齢の赤子をおぶった、ほのぼのとした写真なのだが、その変哲のなさが逆に強い印象を残した。 その時、キャパは水爆実験で被曝し、ひと月前に帰港…
ネット選挙解禁と「選挙の公共性」
インターネットを使った選挙運動を解禁する改正公職選挙法が可決・成立した。夏の参院選以降、地方選挙も含めて適用される。 選挙関係の情報提供で絶対に守られるべき原則は、今も昔も変わらない。「機会の平等」だ。限られた出自の人しか立候補できない、当選できないとなれば民主主義は選民主義に変わってしまう。 たとえば公職選挙法の政見・経歴放送は、候補者と届出政党が政見を無料で録音、録画できるとし、資力の多…