『「脳科学」化社会』赤木智弘
2004年の大晦日を翌日に控えたあの日、あるデパートの書店の前を通りがかった時に面白いものが目についた。
通路に面した書棚に、脳関連の本がずらっと並んでいるのだ。さながら「脳フェア」といったところか。
本のタイトルをざっとあげてみると、『脳が若返る100のコツ』『脳が若々しい人老けやすい人』『百人一首で脳を鍛える方法』『和田秀樹の全脳トレーニング』『左脳を鍛える大人の迷路』『右脳を鍛える言葉の迷路』『脳を鍛える記憶術』『大人の脳を活性化 名作音読ドリル』『川島隆太の自分の脳を自分で育てる』『脳を鍛える即効トレーニング』『5分間活脳法』『大人から子供まで毎日続ける脳力日記帳』『大人から子供まで脳力を鍛える音読練習帳』まだまだあるが、きりがない。
タイトルからしても分かるように、これらの本は脳研究の専門家に向けた医学書ではなく、一般の人に向けた脳の本である。
「脳」がこんなに流行っているのか……。
そこで感じた感慨深さは、決して肯定的な感情ではない。
「脳科学によって、貶められているモノがある」
その事を、ある一件以来、常に考えてきた私にとって、このような脳情報の氾濫は、見るに耐えないものだった。
ブラックボックスであった脳の仕組みが詳しく解明されるようになったのは、極めてごく最近の事である。
以前の脳研究といえばもっぱら「解剖」という行為が中心であった。なぜなら、解剖しなければ脳が見えなかったからである。
解剖学者として知られる、元東京大学教授の養老孟司は、『脳の中の過程』(哲学書房
1986)の中で、「20世紀は解剖学を「死体解剖学」であると悪口する」と記している。
解剖するには、それが死体でなければならず(生きたまま解剖したっていいが、解剖の過程で死体になる)、生きた脳の動きを観察することはできなかった。
それがCTスキャンやMRI、PETといった技術が発達することによって、生きたままの人間の脳を、つぶさに観察することができるようになった。
そして脳科学は「最新の脳科学」にあふれるようになった。
けれども、「最新の脳科学」はあくまでも「最新」なのであり、決して多角的な視点をもって、実証された科学ではない。いわば「枯れていない科学」であり、その内容には眉唾なものが多く含まれる。
しかし、そのような実情には触れず、脳科学は我々のような科学リテラシーを持たない一般市民の前に絶対的な存在として姿を現す。
そして、さまざまな人の思惑とともに、脳科学はねじ曲げられ、利用される。
私がそんなことを痛感したのは、2002年のことである。