『「脳科学」化社会』赤木智弘
「やれやれ、またか」
それが「ゲーム脳」という言葉に初めて出会ったときの印象だった。
2002年7月8日の毎日新聞夕刊1面に「ゲーム脳」という文字が踊り、10日にNHK出版からゲーム脳という言葉の生みの親、森昭雄の著書『ゲーム脳の恐怖』(NHK出版
2002)が発売された。
新聞記事を見るに「ゲーム脳」とは、人間らしい感情をつかさどる、大脳の前頭前野という場所の活動が、TVゲームをしているときに低下するのだという。そして、TVゲームを長時間しているほど、前頭前野の活動レベルが慢性的に低くなるというものらしい。
つまり、このことから当時流行していた「キレる」といった行動の原因をTVゲームのやりすぎに求めることができるという。
だが、私は初めにこの言葉を聞いた時には、鼻で笑う以外のことをしなかった。
なぜなら、こうしたTVゲームに対するいいかげんな言説は、我々にとっては「よくある話」でしかなかったからだ。
TVゲームや漫画、それからホラーやオカルト関連といった、オタクカルチャーは、1988から89年にかけて起こった「宮崎勤事件」以降、常に風評の的にされ続けてきた。
さも漫画やアニメやホラービデオ、そしてTVゲームいったオタクカルチャーが宮崎を殺人鬼に仕立てあげたかのような、相関関係と因果関係の区別すらしない、感情的な報道が相次ぎ、市民団体は「うちの子供が殺人鬼になっては大変!」と、有害マンガ(アダルトマンガ)の規制を求めた。揚げ句の果てには、TVリポーターが89年夏のコミケット(日本最大の同人誌即売会)の会場前で「ここに10万人の宮崎勤がいます」などと名誉毀損どころではすまないことを言ってのけた。
そのうちに、表面的には感情的批判は下火になるものの、オタクと猟奇犯罪のイメージはわかちがたく結びつき、今では確固たるものになってしまっている。
こうした状況の中で、「ゲーム脳」などと言われたって、「いまさら」感が強いのもやむなしといえよう。
ただ、今回の場合は「科学的な根拠」が存在することが、今までの批判となんとなく違った気はしてはいた。
けれども、ネット上を見回しても「ゲーム脳は根拠なし」といった意見が多数であったし、同じくネット上であるが、精神科医である斎藤環の的確な批判などもあり、いずれ消えていく言葉であろうと、当時はその程度に考えていた。
たしかに今、当時に比べればゲーム脳という言葉自体を聞くことは少なくなった。つい先日発売された『ゲーム脳の恐怖』の続編となる森の『ITに殺される子どもたち』という本がそれほど売れたとも聞いていない。
しかし、それにも関らずTVゲームというメディアに対する批判は絶えることがなく、いまだにTVゲームは子供にとって有害であると信じている人は少なくない。それどころか文部科学省がTVゲームの悪影響を調べた報告書を作成するなど、むしろ「ゲーム脳」という言葉がはやっていた頃よりTVゲーム悪影響論の定説化が進んだ印象を受ける。
森は脳科学の専門家として、全国各地の市民団体や大学の講演に出演、TVのニュース番組などにも顔を出し、ゲーム脳を広め続けている。
その一方、我々ゲーマー側の「対ゲーム脳理論」は決してネットの中を出ることはないし、ゲーム業界側の振興団体である社団法人CESA(コンピュ−タエンタ−テインメント協会 以下CESA)も、「ゲームソフトが人間に与える影響に関する調査報告書」などの調査報告書を出してはいるが、こうした言説が社会に伝わっているとは言い難い。
たまに週刊誌などに斎藤環や香山リカといった科学者たちの、対ゲーム脳理論が出たりはするものの、そこからTVゲームに対する正しい理解が広まるようすは見られない。
いったい、どうしてゲーム脳理論はこれほどまでに人々に受け入れられ、浸透したのであろうか?
そのことを考えたいのだが、まずはゲーム脳理論とそれに対する反論をを一通り理解しておこう。
森のゲーム脳理論とは、どのような理論なのか。
ゲーム脳理論の根幹は「テレビゲームをしている人の脳波が変化する」ことにある。
その変化とは「前頭前野の働きが低下して行き、β波の出現状態がα波のレベルまで低下してくる」ということである。そして「β/α」の値が低くなればなるほど、問題であるという。,
つまり、TVゲームのプレイ中にβ波の働き(前頭前野の働き)が悪くなることを問題にし、これが慢性化した状態を「ゲーム脳」と呼んでいる。そして、この状態は高齢の痴呆者と同じ脳波傾向だという。
なるほど、確かに子供が痴呆化しては大変である。この理論が世間の親たちに衝撃を与えたのは当然であろうし、TVゲームを子供から取り上げるのも致し方ないことではある。
ただ、それはこの理論が正しければの話だ。
この新聞発表の2日後に書店に並んだ『ゲーム脳の恐怖』を読むと、理論のほころびが見えてくる。
森はTVゲームはβ波の出現状態は低下するので、脳に良くないと言うのだが、脳機能を良くするためにと、森が推薦する「運動」においても、実はβ波の出現状態は低下している。
『ゲーム脳の恐怖』p.24にTVゲームをしている時の脳波が載っており、同書p.124にウォーキングした時のグラフが載っているのだが、これが程度の差さえあれど、TVゲーム、運動のどちらでも、その最中にはβ波の出現状態が低下し、終了後には元の値にまで戻っている。これのうち前者を「ゲームを始めてすぐに、β波が下がっています」。とし、後者を「運動をした後、グッとβパーセント(原文ママ)が増加しました」としている。同じ傾向のグラフで結論が2つあるのは、恣意的な解釈をしている証拠と言える。
同じような恣意的解釈は、p.104-108でも見られる。ここではその他のTVゲームと違って、β波が増大した「ホラーアクションアドベンチャーゲーム(以下ホラーアクションAVG)」(文中では「ロールプレイングゲーム」と記されている)に対して、これはストレスで脳に過剰な負担がかかっている証拠なので、脳に良くないなどという。
さらにその一方で、p.120-121ではダンスゲームは「β波が上がるから良い」という。ホラーアクションAVGとの違いは、ダンスはゲーム最中にはβ波が出現状態が低下し、終了後には上がり、ホラーアクションAVGの場合は、ゲーム中にもβ波が上がりっぱなしだということ。そしてこの前者を脳に良いとし、後者を悪いとしている。
しかし、すでにお気づきのとおり、前者のβ波の動きは、ウォーキングやTVゲームをしている時のβ波の動きとまったく同じものであり、まったくTVゲームの脳への悪影響を肯定する材料になっていない。
また、データの取得方法そのものにも問題がある。森は脳波を「ノーマル脳」「ビジュアル脳」「半ゲーム脳」「ゲーム脳」の4つに分類し、彼らがTVゲームをプレイした時のα波とβ波の関係を示すグラフを掲載(p.74-77)しているが、なぜかデータの取り方が一定ではない。
ノーマル脳は測定開始から1分30秒後にTVゲームを始め、4分少々で終了している。ビジュアル脳は測定開始2分過ぎからTVゲームを始め、7分に終了。半ゲーム脳とゲーム脳はいずれも測定開始から1分後にTVゲームを始め、6分に終了。と、見事にバラバラだ。同条件で比較すべき実験で、このような条件のズレは測定結果に重大な影響を与えかねない。
グラフ上に見える条件すら、これだけ違うというのだから、脳波を取る被験者の環境条件、つまり検査の場所や、プレイするTVゲームソフトといった事柄すら同一ではなかったのではないかと、つい勘繰ってしまう。
また、痴呆と同じ脳は傾向だという話に関しても、痴呆とゲーム脳の脳波の状態が似ていたとしても、それで因果関係を証明した事にはならない。ゲーム脳のような状態が慢性化すると痴呆に繋がるということは、本の中でほのめかされてはいても、決して十分に検証されているとはいいがたい。ただ脳波の傾向が同じというだけに過ぎない。
また、森自身がゲーム脳を調査するきっかけになったのは、「プログラマーの脳波をとったら痴呆者と同じ脳波を示した」ことから、「画面に向かっている時間が長いせいではないか」と推測したことであり、これなら「モニター脳」と名付けてもおかしくない。また後に森自身が「メール脳」(携帯メールをしすぎるとゲーム脳状態になる)という言葉を発表したように、決してゲーム脳はTVゲームだけに起因する現象ではない。ならば、ゲーム脳という名称自体の必然性がない。
また、前述した精神科医の斎藤環が、大手オンライン書店、bk1(www.bk1.co.jp)の書評欄にこの本に対する詳細な批判を述べている。
森の脳波に関する基本的な知識が謝りであること、森が開発したという簡易型脳波計の仕組みに対する疑問、そしてゲーム脳のキモでもある「痴呆ではβ/α値が低い」という解説が、決して痴呆臨床の立場から見て正当な説ではないということが説明されている。
このような疑問は、『ゲーム脳の恐怖』が出版された直後から、何人もの人が繰り返し口にしてきた。当然、森にも届いているはずである。
だが、この批判に対して森はほとんど、いや一切と言っていいが、答えていない。
2004年7月に発売された『ITに殺される子どもたち』(講談社
2004)においても、これらの批判に答えるわけではなく、『ゲーム脳の恐怖』と同じ理論を繰り返すだけである。
ちなみにこちらの『ITに殺される子どもたち』では、脳の活動をグラフィカルに表示するシステムを用いて脳の働きを見ている。
携帯メールやパソコンでの読み書き、アニメ、漫画の視聴では、脳があまり働いておらず、紙への書き取りや読書、音楽鑑賞、そしてホタルを見ている時には、脳が活発に働くとし、前者は脳に悪く、後者は脳にいいとしている。つまり、脳全体が働けば働くほど「脳によい」と見ているわけだ。
しかし、この見解も、最新の脳科学では危ういものとなっている。
2005年、東京大学の酒井邦嘉助教授らが、ブローカ野の研究において、英語に対する習熟度が高ければ高いほど、ブローカー野の活動が「節約」されることを発見した。節約ということは「脳が働きが少ない」ということであり、習熟度が高ければ高いほど脳が活発に働かないことを示している。これは森の考え方とまったく逆の見解となる。
また、1992年、カリフォルニア大学のHaier
RJらによる研究では、「テトリス」という、アクションパズルゲームの金字塔ともいえるTVゲーム(森もこの「積み木合わせゲーム=テトリス」を被験者にプレイさせて脳波の測定を行っている)を用いて、脳のブドウ糖代謝のようすを測定した。
するとこれも被験者がテトリスに慣れるにしたがって、ブドウ糖代謝が減少することを発見した。そしてこのことは、効率の悪いエリア利用の減少、つまり慣れにより「脳の働きが効率化」しているのではないかとの見解をしている。
また、森と同じく、前頭前野を働かせることの重要性を訴える、東北大学の川島隆太教授は、『天才の創り方』(講談社インターナショナル
2004)の中で、暗算で複雑な計算をしている時には脳はほとんど活性化していないというデータを示している。これを森の見解にあてはめれば、毎日のように複雑な計算をしている学者も、TVゲームをしている子供と同じということになってしまう。ちなみに川島は同書の中で、ゲーム脳理論を「脳科学者には噴飯もののトンデモ理論」と切り捨てている。
もちろんこれらも、森の研究と同じ、「1つの研究結果」でしかなく、ただちに森の見解を否定する材料にはならない。
しかし、脳の活動が活発でないことを、単純に脳に悪いと断言することはできない。それだけは確かである。
さて、ここまででゲーム脳理論を論破したとはいわないが、少なくとも鵜呑みにすることはできない理論であることは、伝わったと思う。
しかし、こうした批判は先にも書いたように、なかなか外に伝わらない。
では、どうしてこれだけの批判をされながら、「ゲーム脳」という言葉は生き残っているのだろうか?