『「脳科学」化社会』赤木智弘


科学は本当に客観的か

 ゲーム脳理論を支えるものに、その「科学性」がある。
 ゲーム脳という、脳科学のことを研究しているのだから、科学なのは当たり前である。
 しかし、科学といっても、それは即客観的な事実だということになるのだろうか?

 TVゲーム等のメディアと発育の関係を調査している、お茶の水女子大学教授の坂元章がWeb上で面白い発言をしている。

 ところが、「将棋のやり過ぎで、将棋をした子供が暴力的になった」という報告はありません。(nikkeibp.jp『規制より教育でゲームの悪影響を防げ!』

 しかし、本当に将棋のやりすぎで暴力的なることはないのだろうか? ただ単に報告が存在しないだけなのではないか?
 仮に、TVゲームと将棋を同程度やっている子供が暴力事件を起こしたら、メディア的にどちらの影響が大きいと感じるだろうか?
 それはもちろんTVゲームである。
 なぜなら将棋は良く知られ、なじみのあるゲームであるのに対し、TVゲームは犯罪の原因であると報道されるような胡散臭いものだからである。結局、TVゲームと将棋を同程度やっている子供の暴力事件は「TVゲームのやり過ぎで子供が暴力的になった」と報告されてしまう。
 ところで、将棋ということなら、森が『ゲーム脳の恐怖』の中でさらに面白いことを言っている。

 将棋ゲームではβ波の活性がやや高まる人も一部にはいました。これはゲーム脳人間タイプの人でした。ただしこれも慣れるとβ波が低下したままになってしまいます。考えなくても、ゲームができるようになるからでしょう。

 なんとこちらは将棋のやり過ぎでもゲーム脳になる可能性を示唆している。ゲーム脳理論で行くなら、実は将棋のやり過ぎで暴力的になった子供がいてもおかしくはない。
 『音読と計算で子供の脳は育つ』(二見書房 2003)では、東北大学の川島隆太教授がTVゲームでは脳が活発化していないというデータをとったうえで、こんな発言をしている。

 (TVゲームと)類似したものに、プロ級の囲碁や将棋の対戦では、頭のよさにかかわる前頭前野をほとんど使わないというデータが出ています。定石などを覚えたうえで、図形の認識パターンだけでやっているので、頭の後ろ半分の前頂葉という場所しかはたらかないのでしょう。

 ただし川島は森とは違って、「前頭前野を使わないから子供がキレやすくなる」という単純化はしていないということを補足しておく。
 ここで重要なのは、どっちが正しいか正しくないかではなく、実は「報告がない」というのは、研究自体が客観的態度によるものであると見せながら、実は報告という名前の「将棋では暴力的にならないだろう」「TVゲームなら暴力的になるかもしれない」という主観的判断からスタートしていることである。
 いわば、客観の仮面を被って主観の下支えをしている過ぎないのである。
 また、得られたデータについての解釈も、万人が同じ結論を出すものではなく、科学者の見方によって違った結論が出るのである。
 考えてみれば科学者自身だって、決して客観的な何かから科学者という仕事についたのではなく、自身の研究に対する興味や探求心から科学者になったのであり、科学は客観的であっても、科学者という人間自身の立場自体がまったく客観的ではないのは当然といえよう。しかし、我々は科学の名の前に、科学者そのものの立場を忘れがちになる。

 また、メディアと子供の発育の関係性というのなら、本来なら子供がかかわる「メディア」というもののすべてをとらえて研究すべきテーマであるにもかかわらず、テレビやTVゲーム、インターネットといった、あらかじめ「子供に悪影響を与えるであろうと考えられているメディア」に対する研究をばかりが行われているのがメディア研究の現状である。現に坂元が編者として参加した『メディアと人間の発達』の前書きで坂元は、

 本書は多くのメディアを扱うことになっているが、メディアの影響について、これだけ広い領域を網羅的に捉えた書物はあまり見られないであろう。

 と記しているが、この本で扱われているメディアは「テレビ」「TVゲーム」「インターネット」「ロボット」のわずか4種類でしかない。これを「広い領域」などとうそぶく坂元の姿勢には疑問を感じざるをえず、逆にいえば、この程度の領域が「広い」と称されてしまうほどに、メディア研究の幅が狭い現状を見て取ることができる。
 このような狭い領域から抜け出せないメディア研究から弾き出された結果は、いまだ客観的とは言い難いと思われる。

 思えば、森が「ゲーム脳」という言葉を使いだしたのも、「モニターに向かう時間の長さ」と「痴呆」の関係を推測し、これをTVゲームに適用したことがきっかけである。そして、この適用に科学的な必然性があったわけではない。
 だが、このTVゲームへの視点が『ゲーム脳の恐怖』という本の売り上げを劇的に延ばすことになる。子供がTVゲームをする姿、ひいてはTVゲームに対する素朴な不安は多くの親や教育関係者がもともともっていたモノだからである。マーケティング的視点でいえば、森はユーザーの需要をしっかりとすくい上げた。

 なんとなく「科学的根拠」というものは大変客観的で揺るがない事実であるかのように思い込んでいたが、どうもそうではなく、科学者自身のスタンスによる主観的な主張に近いもののようである。
 もちろん、数多くの研究が重ねられれば、研究結果は選別されて、客観的な正しさは実証されるのだろうが、TVゲームと脳の関係という研究分野は、いまだ研究結果が少なく、満足な選別がされていないのが現状のようだ。
 CESA事務局の町谷氏は、「「ゲーム脳報道」へのCESAの対処」というインタビューの中で、こう答えている。

 まず現状をご報告いたしますと、『ゲーム研究』自体が世界的にも圧倒的に少ない。 「ゲーム研究」を大項目と見立てた際に、大項目の中に「ゲーム影響論」が中項目として存在し、「“ゲーム脳”論」は中項目の更に内部、小項目と分類されるわけです。全体として圧倒的に少ない研究領域であるわけですから、この部分だけ先行・特化して議論が進むとは考えにくいわけです。これを根本から解消するためには『ゲーム研究』自体をもっと盛り上げていく必要があります。研究者が増えれば増えるほど『分類される項目』が増えますが、一定の数まで進めば、ある小項目について競合研究が進んできます。こうした状況下に進んではじめて議論の多面的な検証が進み、ようやく実態がわかってくるようになると思います。

 客観性というのは、科学研究が多面的に行われ、さまざまな議論、検証が行われたのちに、ようやく実証されるものである。科学は客観的だというのは、その実証がしったりなされる土壌が存在する分野においてのみ言えることだ。その過程を無視して「科学だから客観だ」などと言うことは決してできない。


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