『それぞれのもうひとつ ――日系人という社会――』近谷純子


プロローグ

 「準々決勝 ブラジル2、ロシア2、日本4」
 2003年11月3日。東京・代々木体育館で極真空手の世界大会、第8回オープントーナメント全世界空手道選手権大会が開催されていた。仕事でどうしても会場に行けなかった私の元へ、この極真空手の世界へ私をひきこんだ男から実況中継のメールが刻々と携帯電話に届く。

 日本人が4人も残った、これはいけるかもしれない――。
 

 「準決勝 グラウベ vs プレカノフ、木山 vs テイシェイラ」
 一気にブラジル勢ふたり、ロシア、日本がひとりずつに状況が変わる。ブラジルの新星、テイシェイラの試合はその前日、私も会場で予選の試合を観戦していた。長い足から繰り出される上段への廻し蹴り(頭やあごの付近を狙った足技)が、蹴った瞬間にまたビュンとのびる。(木山さん……)と心では応援するものの、もうだめだ、決勝はグラウベ vs テイシェイラのブラジル人どうしの対戦になるかもしれないという思いが頭をよぎる。

 さかのぼることさらに4年前の世界大会で優勝したのはフランシスコ・フィリオだった。1972年、極真空手の祖・大山倍達が言った「君、いってきたまえ」の一言で単身ブラジルに渡った磯部清次が作り上げたブラジル支部からの、はじめての優勝者だった。そしてそれは、極真空手の歴史上はじめて日本勢が王座を失った瞬間となった。

 磯部師範の人生は極めて珍しいものかもしれない。1972年、大山総裁に一年の約束で行って来いといわれたブラジル滞在は結局切り上げられることなく、もはや、ブラジルで骨をうずめる覚悟になった。息子、リュウジ・イソベはブラジル代表として極真の試合に上がる。そんな磯部師範もまた、「移民」と言われる存在だ。2004年に発行された『ブラジル日本移民 戦後移住の50年』の本のなかに、写真とともに紹介された彼の話を見つけることができる。


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