『それぞれのもうひとつ ――日系人という社会――』近谷純子
1962年、ブラジル移住
山野正雄は現在、ブラジル・サンパウロに住む。高校時代の成績からすると東大合格は間違いなかった。でも、そうはならなかった。1962年、ブラジルに渡った理由のひとつは失恋だった。その彼がこの2月の終わりに、ちょうど10日ほど日本に戻っているとのことで、横浜そごうで待ち合わせた。
目の前で話をする72歳の山野は、どこをどう切り取っても日本人だ。国籍は日本。ブラジルについては永住権を持つ。そして彼を別の名称で呼ぶならば「日系1世」となる。妻は日系2世で、日本国籍とブラジル国籍の両方を持っている。ふたりの子供は、2.5世だろうか。ただ、実際上は0.5刻みの呼び方はないので、子供たちは日系3世ということになる。長男はブラジルで家業を継ぎ、次男は日本で仕事を(この7月に家族も日本に来る)、娘はアメリカで仕事をしている。娘はアメリカ人と結婚して、アメリカの永住権も持つ。
「本を読んでてもやっぱり日本語が一番落ち着くね、ポルトガル語を読むときは気合を入れないとね」。そんな話を聞いていたら、昨年春の芥川賞、綿矢りさの『蹴りたい背中』と金原ひとみの『蛇にピアス』を両方読んだのだけど、あれはどこまでが実話なのかなあと尋ねられて、私はほんとうに粟食った。だいたい私は『蛇にピアス』を読んでいない。「日系人」だと思って、どこか日本人と切り離した感覚で話をしている場合ではない。ブラジルでNHKの衛星放送を見ているので、『英語でしゃべらナイト』が話題にでてくるし、とにかく話にギャップがないのだ。
日本とブラジルの地域差を感じさせないのはもちろんのこと、世代間の差さえ飛び越えてしまったかのような山野を前にして「この人は例外かもしれない……」とは思いつつ、でも彼もまた戦後のブラジル移住者であることは、間違いのない事実なのである。
山野がこう言う。「移民の先行研究はたくさんあると思うけど、優れたものもいっぱいあるけど、でもそのほとんどは戦前移民のことを取り上げたもの。余力のなかった日本政府がいかに貧困の農村部の人たちをまるで捨てるかのように海外に送り出した、そういう話が多いね。それに、戦前に移住された方が苦労したっていうのは本当の話。でも、私は戦後ブラジルに移住して、苦労したことはひとつもない。苦労といえることはほんとうにまったくなかった」
1970年代、ブラジルの景気はほんとうによかった。ブラジルに進出しない日本企業は探すほうが難しかった。山野はすでにブラジルに渡っていたが、ある日本企業に、現地採用ではなく本社採用扱いということで入社し働いた。「日本で日本人と話をしていてブラジルに移住したという話をすると、いまでも『苦労されたんですね』って言われるけどね。いちいちそれを否定するのもなんだし、『そんなことはないですよ』とあえて反論することもあまりしないけど……」
ニッケイ新聞という、ブラジル国内で発行されている邦字新聞がある。そこで、「南米移住史を日本の教科書に!」という連載があった。日本の小・中・高の歴史教科書には、南米移住・移民の話がまったく掲載されていない。日系社会にそのことが伝わると、なぜだと驚きの声があがったという。
それはもうひとつの歴史教科書問題とでもいえるだろうか。ここにも「自虐史観」という言葉がでてきた。石川達三の『蒼氓』、棄民のイメージ。農村から移住して、入植地で積み重ねた苦労。移民である自分たち自身がそんな自虐史観をもってしまったら、プライドをもった移民像、自ら道を選んだ、切り開いた移民のイメージがでてこない。そんな声が日系社会からあがってくる。確かに戦前、そして戦後すぐのころ、国民を食べさせていけなくなった日本政府側には、「海を渡ればよい生活が待っている」と国民をだまして移住させた側面があるかもしれない。でも、ひとりひとりにとっては、だまされたんじゃない、自分で行ったんだ、という思いがあるのだ。ブラジルで1万円稼いで戻ってきたら、日本ではその30倍、30万円の価値があると聞き、「ブラジルで成功する」「南米で稼ぐ」という意識を持って海を渡った。
戦前の農業移住者の苦労ははっきりと知っているし、それが事実だというのも心底知っている。でも、ネガティブなイメージだけではない。移民には、前向きな気持ちもある。「南米で成功する」と思いをきめてブラジルにやってきた。教科書には歴史事実として南米に渡った日本人のことを紹介して欲しい。でも、日本の国策によって送り出された悲しい人たち、そういった書き方だけで片付けるのはやめてほしい。ニッケイ新聞の連載は、そんな交錯する日系人の思いを、あっちの声もこっちの声も、そしてまたあちらの思いもこちらの思いも伝えていて、だからこそ答えはないのだけど、読む側もまた、考えさせられる。
山野も言う。「日本人はすぐに型にはめて考えるけどね。ひとつなわけないよね」と。山野の妻は日系2世。戦前にブラジルに渡った日本人の子供だ。妻は日本語を話す家庭環境で育ち、日本語に不自由はまったくない。でも、ほんとうに細かいニュアンスで伝わらないことが時々あると山野は感じている。「わたしはだから、日本からJICAを通じてボランティアに来る若い子たちなんかと話しているほうが、日本語としての感覚がはっきりと伝わるからそのほうが楽しいときもあるんですね」
そんな山野の妻の友達、日系2世の友達仲間には、ブラジル人(つまり非日系人)と結婚した人たちもいる。彼女たちは、「いまの結婚にはとても満足してる。でも、もう一度やり直せるなら、日本人と結婚したい」と言うのだという。
自分の人生は、たぶん自分自身が受け入れるもの。誰も引き取ってはくれないから。そして他人の人生には、勝手にラベルをはるのではなくて、寛容になること。大げさだけど、そんなことをぼんやりと思う。