『それぞれのもうひとつ ――日系人という社会――』近谷純子


エピローグ

 ある日、大江健三郎の『沖縄ノート』を読んでいた。日系人の歴史や生活を見聞きするなかで、日本人であるしかない自分の姿を考えるなか、本土復帰前の沖縄に住む友人たちと会話し、沖縄人である友人たちと自分を照らし合わせることで本土に住む日本人であるところの自分を反問する大江の言葉の一行一行をなぞっては自分も深くうなずきながら、でもどうしても看過できない箇所があった。

 大阪万国博覧会の開会式が行われた日、大江はただひとつも沖縄のことが触れられずに進んでいくテレビのなかの万博式典の様子を観ている。そして結局何も沖縄が触れられなかったその日の夜、沖縄の植民地でランバート高等弁務官夫妻が見物するなか闘牛が行われている様子を放映するテレビを目にして、こう書く。

 「闘うな! このようなカメラの前で闘うな!(中略)沖縄などどこふく風といった万国博の開会式典の中継のあと、一服した日本人に、風変わりな南風風物のスケッチをやってみせるようなテレヴィ番組のために、牛の豪傑たちよ、闘うな!」そして続ける。「僕は自分の書棚の前にひきあげて中野重治氏の文章の一節を読んだ。(略)≪……生きた牛をなぐりたおして、角をもぎ取って殺してしまうといった犯罪映画を、唐手の宣伝映画のようにして映倫が通してしまったのである。(略)あの実写映画は、唐手にたいする、沖縄にたいする、そもそも人間にたいするひどい侮蔑映画だったと私は信じる。≫」(大江 1970 pp.184−185)

 それは名前こそ出していないものの、極真空手を創設した大山倍達が牛と戦う様子を撮った記録映画をさしている。フルコンタクト、実際の殴り合いを認める実践空手である極真空手は見る人が見たら、野蛮なのかもしれない。

 だが、極真空手は一見した野蛮さのむこうで、確かに世界平和を目指した。極真空手の会員は現在、全世界で2000万人ともいわれる。

 大山倍達は、朝鮮人だった。彼はだが、日本国籍を取得し、日本人になった。そして「日本」の空手を世界にひろめた。大山総裁亡きあと極真会館の会長を引き継いだ松井章生は、在日朝鮮人である。彼は生前の大山がどんなに言っても、朝鮮国籍を捨てていない。そして彼は日本代表として戦った。極真の世界大会の、ずっと途切れなかった日本人王座。その第4回の王座は松井がとったものだ。そして、ブラジルに渡った磯部師範の息子はいまブラジル代表である。

 国籍や、ルーツのうんぬんをいうのは絶対にたやすいことではない。そして、他人のそういう出自を口にするのが一番はばかれるのは、なにも迷うことなく日本人であってしまう、自分自身だと思う。

 2003年。第8回の世界王者は木山仁がとった。ブラジルから日本に王座が戻ってきた。

 日本人選手は次の大会でも、「絶対に日本が負けてはならん」と言い続けた大山倍達の言葉を背負って戦うだろう。でも、今度はまたブラジル勢が勝つかもしれない。あるいははじめてロシアの選手が優勝するかもしれない。

 私は次の大会でも日本人選手を応援すると思うけれど、でも内心で「もうだめかもしれない、負けるかもしれない」って毎試合ごとによろめいてしまう気がする。いや、でもそのころまでには移民の「前向きさ」にもっともっと触発されて、心の持ちようがポジティブになっているだろうか。

 次の極真世界大会は2007年。そしてその次の年、2008年に日本人移民のブラジル移住は100周年をむかえる。

参考資料
石川達三 『蒼氓』 新潮文庫 1951
大江健三郎 『沖縄ノート』 岩波新書 1970
桑原靖夫 『国境を越える労働者』 岩波新書 1991
深沢正雪 『パラレル・ワールド』 潮出版社 1999
藤崎康夫 『ブラジルの大地に生きて』 くもん出版 1998
ブラジル・ニッポン移住者協会 『ブラジル日本移民 戦後移住の50年』 2004
『大山倍達とは何か?』 ワニマガジン社 1995
『海外移住』 2003年12月号
『海外移住』 2004年9月号
『季刊 海外日系人』 1977年5月号
NHKスペシャル 移住31年目の乗船名簿 前・後編
「ニッケイ新聞」 http://www.nikkeyshimbun.com.br/
「ブラジル・サイト」 http://www.brazil.ne.jp/
「私たちの40年!あるぜんちな丸同船者寄稿集」 http://40anos.nikkeybrasil.com.br/

注:文中では敬称を省略させていただきました。なお、山野正雄は仮名です。


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