『訴(うった)う 吉田優子とその周辺』神山幸恵
プロローグ
万葉の時代から人は歌い、三十一(みそひと)文字に想いを込めた。脈々と連なる歌人たちの系譜のなかで歌は磨かれ、光を放つ。歌人にとって師とは日常の導きを超えて、過去の偉人たちとの繋がりをも表す。
大和は気づいているだろうか。はじめての歌集を発行したその年に、優子が誕生していることを。師弟の縁とは不思議なものだ。1974年、大和克子による『無花果家族』は出版された。前年、歌集を出そうと段取りを決めて序文を前川佐美雄に依頼した。師である前川は大和の依頼を快諾したものの、健康上の理由を挙げて、いつまでもそれを書いてはくれなかった。
前川は「心の花」佐佐木信綱に師事し、1934年「日本歌人」を主宰した。大和は奈良女子高等師範学校在学中に前川と出会い、師と決めた。「日本歌人」を離れてのちに「短歌人」へ移った経緯があるものの、大和にとって師とは前川そのひとであった。予定から1年近くを過ぎてようやく出版された第一歌集は、あらためて師弟の交わりを確認するものだったにちがいない。
今、そんな大和は優子の歌集に序文を寄せている。師弟とは呼ばず、歌仲間と呼ぶ関係に時代の変化を感じるものの、そこにみる人間同士の信頼に変わりはない。「たのむところあった」若き歌人を失った、大和の悲しみも深い。