『介助犬と共に生きる社会へ』熊谷早苗

人生の途中で
山口亜紀彦さんは、千葉県千葉市の職員として働いています。今から10年前の1995年にオートバイの事故により脊髄を損傷し、車椅子生活になったそうです。山口さんは、下半身が不自由でありますが、上半身は職場で一般事務を難なくこなせ、不自由はありません。オートバイの事故──。そういえば、木村さんも、オートバイの事故で車椅子生活になったとのこと。この二人に共通する事例に、ハッとするものがありました。いずれも、突然、身体の自由を奪われたということです。
 それまで自由に動かせたはずの足が、動かなくなる。少なくとも、自分には無縁だと思っていた「障害」という二文字。今、自分の意思で動かすことのできる手足が、明日には動かせなくなるかもしれないなどと考えて過ごす人は、極度の心配性か、何か病気を患っている人くらいのものでしょう。実のところ、私も考えていませんでした。お二人だって、そのようなことを考えていたわけでは決してないのです。
しかし、誰にでも、起こりうることなのです。
 車椅子生活になっても、お二人のように充実した暮らしを送っている人はたくさんいます。現在、こうして介助犬と共に生活や仕事ができるようになったのは、第一に、事故を乗り越えてきたことにあります。突然、身体の自由が奪われる。最初から素直に事実を受け容れることは、できないでしょう。それでも、徐々に現実に立ち向かい、リハビリを始めるなど、できる限りのことは自分の力でやろうとする精神力が、失われた機能の分をもカバーし得る程の力になるのです。
 後天的な障害が、もたらすストレスは、計り知れません。当たり前のことができないという、苛立ち。不安。

 私は以前、大学病院のボランティアスタッフをしており、見習い期間中に、やらなければならない実習がありました。それは、「視覚障害者の体験」と「車椅子体験」です。布で目隠しをして、ペアになった健常者役の人に手を引いてもらい、病院内を歩きます。階段の昇降、曲がり角など、様々なところを歩きました。初めて体験した暗闇の世界。明かりがない、暗がりの中で「見えない」のとはまったく違います。暗がりの中でも、目を開ければ、それは「見えている」のです。階段を下りるときは、体の重心が不安定になりながら次の段を足の先で探すため、片足が宙に浮いて怖い思いをしました。その間、健常者役の人の腕をしっかりとつかみ、体を支えてもらっていました。そのとき、急に腕をつかまれたりすると、とても驚きました。名前を呼んでから触れる、次の指示をしてから介助する、当たり前のようだけれど、目が見えていたら、私たちはしないものだと気づきました。
 次に車椅子体験です。先程と同じように、ペアになり、交互に体験します。車椅子も、技術が発達し、用途や障害に合わせて様々な種類があります。その大学病院の入り口には、20台ほど準備してありました。旧式と、アルミで軽量のため筋力の弱い人でも比較的、楽に使用できるドイツ製の最新式の二種類がありました。車椅子に乗ってみると、その視線は意外と低いと感じました。すれ違う人の荷物が肩にぶつかるなどしました。そして、ちょっとした段差や道のでこぼこは、靴を通して感じる何倍もの振動が体に伝わるのです。
 ただ車椅子に乗るのではなく、足の力を使わないようにしていました。といっても、神経は通っていますから、できるだけ力を抜くことしかできません。手で車椅子を動かす体験をしたのですが、ほんの少しの段差や、歩いていてはほとんど感じない緩やかな坂道に、私は苦戦しました。
 介助犬使用者は、「ちょっとした介助こそ、頼みにくい。しかし、そのちょっとしたことこそ手伝ってもらいたい」と言います。私はボランティアの実習時に体験したことを思い出し、「ちょっとしたこと」こそ、私たちが普段、気づかないようなことであると実感しました。
 介助犬はすべてのことをカバーしてくれるわけではありません。あくまでも、介助をするのです。ユーザーは一つでも多くのことをできるように努力し、介助犬と共にトレーニングを積み、一緒に生活していくことで、ユーザーとパートナーという存在になっていきます。


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