人はこの世に生を受けたときから、常に他者のまなざしの中に生きている。人が生まれたとき、母親はもちろん、産婦人科の医師や看護婦が新しい命にまなざしをそそぐ。父親や祖父母もその場に立ち会っているかもしれない。それから、保育器の中で常に看護婦のまなざしを受け、退院してからは常に親のまなざしの中にある。その後も保母さんや保護者など、常に誰かのまなざしの元におかれることになる。子どものうちは、寝ている時間以外は常に誰かのまなざしのもとにあることが多いだろう。
子どもはいろいろな他者のまなざしを受け、そのまなざしの期待に応えようとする性質がある。応えようとする努力の中で成長する、とも言える。このことをどれだけの人が理解しているだろうか。
先日、フジテレビの昼のドラマ「愛のソレア」を何気なく眺めていたら、以下のようなシーンがあった。うろ覚えだが、雰囲気を読み取っていただきたいので、シナリオ調に記す。
(家族3人、父、母、娘で食卓を囲んでいる)
娘(美咲)「ねえ、この前のおじちゃんと撮った写真、美咲が持ってていいでしょ?」
(尾崎と母親と娘が写った写真を見せる。母親は慌てた様子)
母親 「あら、何で持っているの?」
美咲 「おじちゃんが、手紙をくれたの!美咲、おじちゃんとまた会いたいなぁ」
(父親が写真を見て、少し機嫌を損ねたように)
父親 「おお、尾崎君と会ったのか。」
(母親は焦って、言い訳をする)
母親 「そうなの、偶然会ったのよ・・・」
美咲 「おじちゃん、また遊んでくれるって約束したもんなぁ、美咲楽しみ!」
(不穏な空気が食卓に流れる)
ここで、美咲は小学生として描かれているが、実際の小学生はこんな無神経に振舞うだろうか?私は見ていて、非常に違和感を覚えた。(まあ、そもそも昼メロというものは違和感を持って見るものなのかもしれない。)子どもは人目を全く気にせず自由奔放である、という子ども観のもとにストーリーが成立している。このような前提は、いろいろなシナリオで当然のごとく見かける。
一方で、整体師として有名な野口晴哉(のぐちはるちか)が教育について書いた「叱言以前(しつげんいぜん)」という本がある。この本は、野口氏が戦時中の疎開先で見た光景が描かれているが、その中にこんなあらすじのエピソードがある。
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絵を描くことが大好きな葉ちゃんは、兄や友達の絵にいたずらがきをしたり、めちゃめちゃに塗りつぶしてしまうといういたずらで大人達を悩ませていた。つい1ヶ月まえまで彼女は、本当にただ「描くこと」を楽しんでおり、時間も忘れてひたすらクレヨンを動かしており、いたずらをするようなことはなかった。ところがある日、母親が「上手に描けたね、中々うまい」とニコニコしながらその絵を眺めた。その日から、葉ちゃんの関心は「描くこと」から、描かれた紙に移ってしまったのだ。うまく描こうとすると、絵を描くことは疲れる作業となり、つまらなくなる。それでも、褒められるように、と葉ちゃんはがんばった。最初のうちは、母親も大人達も「うまい、うまい」と楽しそうに眺めていたが、あとは飽きたのか、あまり関心をしめさなくなってしまった。大人達が自分の絵に関心を持たなくなったのは自分の絵が下手だったためではないか。葉ちゃんはそう思うとますます絵を描くことが辛くなり、自分より上手な兄の絵や友達の絵にいたずらをしてしまったのだ。
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大人達は葉ちゃんの絵を描くという楽しみを奪い、そのうえ葉ちゃんに大きなストレスをかけてしまったのだ。このエピソードから、子どもは何気ない一言にすごく敏感になるようにできているということがわかる。母親や大人に対して「自分に注目して欲しい!」と思えば、一言一言に敏感になるのは当然だろう。
子どもが自由奔放である、という一般論は真実にあてはまらないのではないだろうか。子どもこそ大人に気に入られたくて、母親に好かれたくて、常に人目を気にしているような気がする。
0)
私が、子どもについてのルポルタージュを書こうと思ったのは、ある日の新聞記事がきっかけだ。
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「小学生1割 抑うつ傾向 4〜6年を筑波大調査『眠れぬ』『退屈』」
小学校4〜6年の約10人に1人以上が「眠れない」「何をしても楽しくない」といった抑うつ傾向を示していることが、5都道府県の3000人以上の児童を対象にした筑波大学の調査でわかった。多府県にまたがる大規模調査の報告はこれまでになかった。2日から都内で始まる第1回日本うつ病学会で発表される。
筑波大学の新井邦二郎教授と大学院生の佐藤寛さん(発達臨床心理)が東京、神奈川、埼玉、茨城、宮崎の5都県の公立小学校に通う4〜6年生計3324人にアンケートを実施し、18の傾向について有無を尋ねた。
その結果、放置して悪化すれば、うつ病につながる可能性のあるこころの負担(抑うつ傾向)が男子の10%、女子の13.5%で一定の基準を超え、何らかの救助を必要とするレベルに達していた。
内訳を見ると、「よく眠れない」が16.8%あり、6人に1人の割合だった。以下、「やろうと思ったことがうまくできない」(15.5%)、「落ち込むと元気になれない」(15%)、「何をしても楽しくない」(14.7%)、「たいくつ」(11.8%)が10%を超えた。このほか「ひとりぼっちの気がする」といった項目も女子では10.2%あった。
国内の調査では、一生の間にうつ病にかかる割合は15人に1人程度とされる。研究班によると、児童については、3.5%にうつ病性の障害があるという報告がある。
今回個別の面談はしていないので、原因はわかっていないが、研究班は「喜びの感情や活動性は低いものの、悲哀感はそれほどではないというのが特徴だ。うつ病にはなっていないが、何らかの支えを必要とするハイリスクの子どもがかなりいることを示している」と話している。
(朝日新聞 夕刊 2004年7月2日)
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この新聞記事を見て、私はまず2004年6月に起きた佐世保の女児殺害事件を思い出した。友人を刺した彼女の心の闇は、今の社会になんらかの原因があるかもしれない。神戸のサカキバラ事件、佐賀のバスジャック事件など、子どもによる異常犯罪はあとを絶たない印象が強い。今、子どもは非常に生きづらい環境に置かれ、放置されているのだろうか。生きづらいのに、誰も注意を向けてくれないから暴走してしまうのだろうか。何より小学生の1割が「何をしても楽しくない」と感じていると思うと胸が痛くなった。10人に1人も!40人学級だったらクラスに4人、いつも退屈そうな子がいるなんて‥‥‥。
私は、電車やバスの中、ディズニーランドの待ち時間の行列やデパートのエスカレーターなど、いろんなところで子どもを見ると、ついつい手を振ったり、変な顔をしたりして子どもを笑わせようとがんばってしまう。実際自分の子どもに見知らぬ女子大生がちょっかいを出してくる、というのは迷惑な話であるだろう。けれど、私はそれくらい子どもが好きだ。子ども達が、笑顔を失っているなんて‥‥‥。彼らの笑顔を増やしたい!そのためには何をするべきか。そんなことをこれから考えていきたいと思う。
ところで、聞きなれない「抑うつ状態」とは、どんな状態なのか。「うつ」という言葉から、悲しんでいたり、落ち込んでいたり、というマイナスイメージはわくが、具体的に説明しろと言われると難しい。済生会吹田医療福祉センターのウェブ情報誌「かけはし」によると、「抑うつ状態」とは、気持ちがふさいでしまって晴れ晴れしない心の状態のことをいうそうだ。身内・ペットの死や、失恋を経験したときのように、落ち込んで立ち直れないような状態を思うと想像しやすい。その程度は様々で、一晩寝れば治るものから医師への相談が必要なものまである。具体的な症状は、落ち込んだ気分のほか、興味・喜びがなくなったり、疲れやすくなったり、食欲不振や睡眠障害などがあげられる。抑うつ自体は病気ではないが、重くなると生活に支障をきたすほどの症状に発展することもあるようだ。
そもそも、子どもにうつ病があるということが言われ始めたのは1980年代になってからのこと。非常に新しい考えなのである。国内で行われた子どもの抑うつについての大規模な調査は今回発表されたものが初めてで、まだまだこれから研究が進んでいく分野のようだ。1980年以前は、子どもにはうつ状態はない、と言われてきたことに私は驚いた。でもよくよく思い起こしてみると、確かに子どもが落ち込んでいても、あまり深刻には見えない。深刻に見ようとしない、という方が正しい言い方のかもしれない。多くの大人はいつだって子どもを単純な生き物として捉えてきたのだ。
さて、冒頭で子どもはまなざしに敏感である、ということを書いたわけだが、子どもは自分に向けられるまなざしをどのように捉えているのだろうか。既に子どもとは言えない年齢になってしまった私には、理解するのは難しいかもしれない。年齢を重ねると、子どもの頃何を考えていたのかを忘れてしまう。一般的に言語化されないものは記憶に残りにくいと言われているが、子どもの頃に考えていたことは言語化されていないことが多いから(言語化する手段も必要もほとんどないから)、みんな忘れてしまうのかもしれない。子どもを取り巻くまなざしを通して、いま子どもがどんな状況に置かれているか考えていきたいと思う。
1)
無計画に走り出した私のルポルタージュ取材の矛先は、まず青山にある「こどもの城」に向けられた。厚生省(現厚生労働省)が1979年に作った大型児童センターで、遊具やプールのほかに、毎日行われる工作や音楽のプログラムを開催する広場がある。私も幼い頃、親に連れられて遊びに行き、クリスマスツリーのオーナメントを作って喜んでいた覚えがある。ここで、子どもが置かれている現状や、今と昔の子どもの違いを聞いてみよう。みんな良さそうな人たちだったし、きっと何か教えてくれるかもしれない。そんな期待を抱きつつ、500円の入場券を買った。
中に入り、エレベーターで工作や音楽教室が行われている階まで行くと、夏休み真っただ中のせいか、あふれんばかりの子ども達が走り回っていた。子ども達の間を縫って、工作の担当者に話を聞こうと、工作室に入っていく。係りの人に事情を話して、10分くらい待つと担当の方と話すことができた。しかし、子どもの様子を話すことや子どもの作った工作の作品を見せることは、こどもの城の経営方針に反することらしい。子どものプライバシーに関わることは、公表することはできません、と言い放たれた。夏休みの午後4時、一番忙しそうな時間に行った私にも非があったと思う。でも、それを差し引いても、冷たい対応だった(少なくとも、取材申し込み初体験だった私にとってはそう感じられた)。子どもの世界を知ることは、難しいことなのかもしれないと実感した。
落ち込みながら、それでもせっかく来たのだから、何かを収穫してから帰りたい、と思って子どもの城の中を探検していると、体育館のような部屋にたどり着いた。そこには、すべり台やうんてい、ハンモックなど公園にあるような遊具が並び立ち、奥のほうに行くと「高学年コーナー」という張り紙の下に簡単なビリヤード台や卓球台が並べられていた。ブロックや積み木で遊ぶスペースもあり、部屋の真ん中には警官のような服装をした警備員のおじさんがニコニコしながら立っていた。
真ん中にあるベンチに座って周りを見渡すと、たくさんの子ども達が楽しそうに走り回り、ブロックを組み立てて遊び、すべり台をすべっている。この子達はこんなに楽しそうに遊んでいるのに、「つまらない」と感じているのだろうか。そうだったら本当に悲しい。難しいけど、やっぱりちゃんと調べてみよう。と、私は取材拒否をされたことで崩れかけた決意を持ち直した。
2)
挫折で始まった私の取材。気を取り直して、次の取材申し込みをする。相手は、今回新聞記事になった調査を行った筑波大学の新井邦二郎(あらいくにじろう)教授だ。取材依頼のメールを出すと、意外にも簡単に研究の中心になった佐藤寛(さとうひろし)さんを紹介してくれた。
忙しい学会シーズンにも関わらず、佐藤さんはインタビューの申し込みを快諾してくれた。そして、私はほとんど予備知識のないまま(抑うつのことを直前まで「コウウツ」と読むと思っていたくらい)、筑波大学に向かった。
インタビューをしたのは、9月のある暑い日。東京駅からバスを乗り継ぎ、筑波大学に向かう。筑波大学はとにかく広い。バスで大学の入り口から15分ほど乗っただろうか。寮棟群を過ぎ、校舎群をすぎ、涼しげなポプラ並木の日陰を過ぎて約束のバス停に到着した。気持ちよく晴れ渡る空とは裏腹に、初インタビューの緊張が高まってくる。しばらく待っていると、スーツ姿の佐藤さんが現れた。さわやかな、好青年という印象の人。汗をハンカチで拭きつつ、研究室まで案内してくれる間に、アポイントのメールでははっきりとしていなかった自己紹介や、今回のルポルタージュの趣旨などを話した。その日、佐藤さんは午前中は学会、夕方から会議というハードスケジュールだったらしい。「すいません、忙しい時期に‥‥‥」と私が言うと、「いえいえ。子どもをめぐる報道には誤解を招くようなものが多くて。こういうインタビューを依頼されたら極力受けるようにしているんです。」と笑顔で答えてくれたのが印象的だった。
――こちらの研究室で子どもの抑うつについての調査を始めようと思ったきっかけは?
「今回の研究の計画は僕が立てました。この研究の構想を最初に立てたのは3年ほど前なのですが、当時は子どもについての3つの問題が非常に叫ばれている時期でした。まず、攻意障害です。行為障害というのは、子どもに多く見られる、他の生き物やものに非常に冷酷で攻撃的な行為をする精神疾患の1つです。神戸の酒鬼薔薇事件(1997年)や、高速バスバスジャック事件(2001年)があった時期だったので。」
――なるほど。あとの2つは?
「1つは、ADHDですね。注意欠陥多動性障害とも言います。7歳未満に発症する、情報をまとめたり注意を集中する能力がうまく働かないという障害です。これは、学級崩壊との関連でよく聞いた名前です。教育の現場にも割と浸透していると思います。以上の2つは臨床の研究でも日の当たる部分だったのですが、最後の1つ、不登校の問題にからんだ抑うつにはなかなか注目が集まらなかったのです。日本に関していえば、ほとんど調査結果がないに等しかったですね。それで、自分の研究室でやってみようかな、と思いまして。」
――どのような調査を行ったのですか?
「DSRSという、イギリスで1980年に開発された、子どもの抑うつを調べる調査方法で行いました。1996年に村田豊久教授(現・西南学院大学教授)が和訳を作られたので、それをそのまま使ったんです。これがその調査用紙(本文最後に調査用紙のコピーがあります)で。これを学校にお願いして子ども達に配って丸をつけてもらったものを集計しました。」
――なるほど。それでどのように診断を出すのですか?
「単純に点数制なんです。例えば、『とても悲しい気がする』という質問に、0=そんなことはない、1=ときどきそうだ、2=いつもそうだ、の3つの中から自分に当てはまるものを選んでもらい、その選んだ番号が点数としてそのまま加算されるんです。また、反転項目というものがあり、例えば『楽しみにしていることがたくさんある』というような項目は、0の回答を2点、2の回答を0点とします。このように点数をつけていって、18の質問で合計点が16点を超えると抑うつ傾向が強いと判断されるんです。この方法だとたくさんのサンプルを得ることができる一方で、面接ができないという難点もあります。面接ができないので、細かい診断はできません。全体の傾向を大雑把につかむためにはよく利用されますね。」
――結果は?新聞では1割が抑うつとでていましたが?
「そうですね。男の子の平均が10.0点、女の子は13.3点で、男女あわせると11.6点。16点を超えているのはだいたい1割です。ただし、上位にくるのは『よく眠れない』『やろうと思ったことがうまくできない』などの項目で、うつ病だとよく見られる『泣きたいような気がする』『元気がない』などの項目はむしろ少ないです。なので、悲しそう、というイメージよりは元気がないというイメージですね。」
――外国と比べると、どうですか?
「他国にはこんな大規模な調査をした結果がないんですよね。小規模なもので見れば、だいたい同じです。今回利用したDSRS以外のもので調べた結果も含めてもほぼ同じですね。ただ日本だと割と高めにでる傾向にあるようです。なぜかというのは、はっきりとはわからないですね。」
――では、日本国内での推移は?昔に比べたら増えたなぁ、とか、ないですか?
「難しいのは、定期的にデータを押さえていったわけではないので、時代間比較をすることができないんです。1980年代以前は子どものうつ病の存在さえ認められていなかったのですから。ただ、過去の調査、別の調査方法を使ったものや小規模なものも含めて見てみても、特段違った結果がでていたわけではないですね。だいたい、コンスタントに10%くらい。ただ、サンプルの抽出方法などに問題がありますし、一概には変化していないと結論付けられませんが・・・」
――え!?増えたっていうことはないんですか!?
「うーん、そうは言い切れないですね。わからない、というのが正直な答えです。」
――私も含めて数人の人にこの新聞記事を読んでもらったのですが、『やっぱり増えているのかぁ』という感想を口にしているひとが多かったです。そのイメージはどこでついたんでしょうか?
「佐世保の事件をきっかけに、子どもの見えにくい、わからない部分に何が潜んでいるのかということが、すごくみなさんの関心にでてきて、そこで抑うつなんて、非常にフィットしちゃったものですから、今増えている、というイメージがついてしまっているのかもしれません。こういう犯罪を犯す子でうつを抱えている子はすごく多いですけど、うつの子の中で凶悪事件を起こす子は少数派です。大多数は、おとなしくおりこうさんだったりすんですよ。増えてるんだって感じで、ばっ、って広まってしまっているのを心配してるんです。」
――今と昔は違いがないはずなのに、子どもに関する問題に注目が集まってしまうのはどうしてですか?
「今、大人達は子どものことをわからないという不安を持っているんでしょうね。だから注目するんではないでしょうか。」
――わからないというのは?
「例えば、専門家の間では、子どもは大人と同じような問題を抱えることはみんな知っていることなんです。少ない比率であるかもしれないけれど、確実にでてきてしまう。けれど、一般の方はうつのような問題は子ども達には関係ないと考えてきたというわけです。だから、子どもがご飯を食べなかったり、お腹が痛いと言っていても何が起こっているのかわからないんですよ。そういう子たちを、小児科に連れて行ってしまう。それで胃薬を処方されたとしても、結局再発するわけです。そういう子どもを受け止める、大人側の土台が出来ていない印象がありますね。」
――それを大人側が自覚してきたということですか?
「高い視座に立てば、大人がどうなった、子どもがこうなったということは言えるんですが、社会もまた変化しているわけで、どっちがどうなった、とはっきり断言することは難しいです。」
――うつの子と親御さんの関係には、特徴などありますか?
「親御さんもうつ病を患っていたりすると、お子さんもうつである確率は高くなると思います。遺伝的な面もありますが、親との日常会話の中に、『死にたい』とか『もうダメだ』というネガティブな言葉が多いと、子どもも自然と落ち込んでしまうので。親御さんは、自分の子どもがうつだ、とわかっていない方もいると思いますし、どうケアしてあげればいいかというのもわからないと思います。何が素因かと見抜くことも難しいですしね。」
――学校の先生との関係では、何か目立つ点などありますか?
「この調査が始まったときに、学校の先生に質問して、どの生徒の元気がなさそうか、というようなことを答えてもらったのですが、教師の側からはほとんど予測がついていないですね。うつの子は、しばしば元気そうにしていたり、おりこうさんなんです。勉強もよくできたり、クラスの中でもちゃんと役割を果たしてくれる。だから気づけないんですね。」
――先生が気づいていってあげるには、どうしたらいいですか?
「これだけの質問を答えさせるだけでも、だいたいの様子はわかります。直接子どもに聞いてみるのが、簡単で効果的だと思います。あとは、心理療法のようなものを学校に取り入れていく、という提案もありますね。我々専門家が学校に行って、共同授業のようなものを行うとかですね。」
――この調査で高得点を獲ってしまった子ども達にはどうやって対処していきますか?
「数回かけてカウンセリングをしていきます。学校や家庭でできることは、抑うつの子どもは、普通の子よりネガティブに物事を考えてしまうので、『違う考え方もできるよ』ということを教えてあげるといいです。テストで悪い点をとってきて、『これで僕はバカ決定だ』と言っているときに、『そんなことないよ』と教えてあげる。抑うつの子は、基本的に失敗したと思っている回数がすごく多いです。ちょっとした失敗が、普通の子の5倍、10倍の辛さで感じてしまう。不当に落ち込まなくていいことを教えてあげます。あと、よく言われるのは『がんばれ』と言ってはいけないということですね。うつの子ども達はもう既に十分がんばっているんです。」
――なるほど
「子どもが『これくらいしなきゃ』と思っているのは、ほとんど親の言っていることそのままなんですね。達成しなきゃいけない基準が高いと、当然失敗する経験も多くなってしまいます。するとうつになりやすくなってしまいます。親御さんは良かれと思って高い基準を設定しるのはすごくわかるので責めたくはないのですが、せっかく愛情を持って接しているのに、それが裏目にでるのは、すごく悲しいことじゃないですか。もっとうまく、いい形で子どもに愛情を伝える方法が親御さんの中で広がって欲しいです。もっとうまい伝え方を知れば、今までの半分のエネルギーで子どもとの関係がよりうまくいくことだってたくさんあるんです。」
私のたどたどしい段取りにも、嫌な顔1つせず、熱心に答えてくれた佐藤さん。臨床のお仕事もされているだけあり、本当に子ども達が元気になることを願っていることが伝わってきた。話を聞いていて、私が印象に残ったのは、上記のやりとりの中ではなかったが、調査の結果を集計しているときに、点数の高い結果を見ると、「この子も‥‥‥この子もか‥‥‥」と思いながら、「だいたいあの子と同じくらいの点数かな‥‥‥」自分が担当している患者の顔を思い出してしまう、という話。16点(もしくは、それよりもっと高い)という点数を出す状況がどれだけ子どもにとって辛いか、臨床の場にいる佐藤さんは本当によく理解しているのだ。
お話を伺った研究室から外に出ると、夏の熱気を感じた。私はなんとか初めてのインタビューを終わらせることができた安心と、どうやってまとめようか全くメドの立たない不安のまま、バスを待つ。来た時と同じようにバスを乗り継いで東京へ帰る。そのバスの中で私は、緊張が緩んだせいか、新しいことを知れて興奮したせいか、涙が出てきそうだった。それは、子どもの気持ちがわからないままに愛情を注ぎ子どもに知らない間にストレスをかけてしまっている母親の気持ちを思い量ったからかもしれない。愛情が裏目に出ることは本当に悲しいことだと思う。
3)
子どもの抑うつは、増えているかどうかわからない。でも、大きな問題であることには変わりない。増えている、という私達の印象はマスコミの影響を受けているような気がする。
13歳以下の子が殺人を犯す、というのは今に始まったことではない。確かに佐世保の事件はショッキングだったが、例えば、こんな事件があったことを知っているだろうか。
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学童を保護 八戸女事務員殺し
青森県八戸市小中野新堀の「角アパート」で21日午後、事務員沢口ツヤ子さん(29)を包丁でメッタ突きにして殺して逃げていた同市漁船員の次男、小学5年生A(12)は22日午前11時40分ごろ、同アパートに住んでいるおばさんの家に戻って来たところを、八戸署員保護された。
少年は寒さと空腹でふるえており、歩けない状態。署員が背負って同署に連行した。保護されたときの少年の服装は犯行時のまま。着衣には死んだ沢口さんの返り血らしい血がこびりついていた。
沢口さんの遺体は21日夜、青森市の県立中央病院で解剖された。背中から右胸に達する深さ17センチの刺し傷が致命傷となった。このほか19カ所がメッタ突きされていた。
(1975年12月22日 朝日新聞 夕刊 社会面)
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1975年の事件である。文章はこれだけで、本当に小さな記事。今の状況からは、この取り扱いは想像しがたい。
小学6年生が小学1年生を殺す事件(1978年)、小1男児が3歳児を井戸に突き落として殺してしまった事件(1980年)、小4女児が5歳児を水の中に押さえ込んで殺してしまった事件(1986年)、子どもが起こした殺人は思っているよりたくさんある。
なぜ今と昔では少年事件の扱いが違うのか。私なりに考えた原因は2つある。1つは、昔は子どもの殺人よりも報道するべきことがたくさんあったのではないか、という点である。例えば、上の記事の載っていた新聞の1面は、「OPEC襲撃」だったし、1977年に起こった、小学1年生の少年が3歳の幼女を殺した、という事件は社会面に大きく報じられたが、この日の1面は「新防衛庁長官就任」。子どもが殺人を犯すということが問題だということに薄々みんな気づいてはいるが、考えている余裕がなかったように見える。昔に比べて今が平和か、というのは難しい問題である。しかし、少なくとも日本人は戦争や戦後の苦しかった時代のことを消化しかけていて、今は平和だ、という意識が人々の中に根付いていると思う。だから、子どもの問題にも目を向けることができるようになったのかもしれない。
2つめは、そんな平和だなぁ、という風潮の中で起きた、神戸の酒鬼薔薇事件だ。異常な殺人の方法と犯人が中学生だったという事実の衝撃が、子どもが抱えている心の闇に人々を一気に注目させたと思う。だから、子どもが何か事件を起こすと、「また」「最近の子どもは・・・」という論調で報道されていくに違いない。
でも、今騒いでいるのは専門知識のないマスコミと、マスコミの報道を熱心に受け止めている私だけなのかもしれない。1978年に起きた、小学校6年生が小学校1年生を「バカ」とののしられた仕返しに殺してしまった、という事件の記事に、作家、精神科医のなだ・いなだ氏はこんなコメントを寄せている。
「こういう事件がしきりに起こっている、というのなら社会全般、教育全般の問題として議論すべきだろうが全く例外的なケースで個人的な、不幸な事件だと思う。いじめっ子に対し個人の問題としてカウンセリングしてあげることはいいが、このケースで学校の教育がよくない、とか親のしつけがどうこう、と一般化が行われ、子ども達の管理がいっそう強められ、野人っぽさを持つ子どもがさらに少なくなる方が問題だ。」(1978年10月30日朝日新聞朝刊)
前出の、私が直接お話を伺った佐藤さんも、こんなことを言っていた。
「我々の日ごろから臨床に関わっている立場からすると、テレビに出てくるケースは非常にまれなんです。でも、ものすごいまれなケースとして考えれば、ああゆう子どもが出てくるのは別に不思議ではないんですよ。疫学的に、というか。身長2mを超える人がいるように。だからいいっていうことではなくて、身長が多少高くても低く生まれた人でも、不自由ない生活を送る環境を整える義務が社会にはあるわけですし。」
今、教育が、家庭のしつけが、と声高に叫ばれている中で、専門家は冷静にことを捉えている。実は、今も昔もさほど状況は変わらないのだろう。いつの時代もいる(可能性の高い)人を殺してしまう少年達が、住みやすくなるため、犯罪を犯さないようにするためにはどうすればいいか。この難問を解決の方向に向けるために、子どもの問題に注目が集まっている今こそ何らかの対応が必要なのだと思う。
4)
さて、現場で働く先生方は子ども達に対して、どのようなまなざしを向けているのだろうか。私の地元である静岡県沼津市の片浜中学校の小田部信行(おたべのぶゆき)校長先生にお話を聞くことができた。父親のツテをたどって取材申し込みをさせていただいたのだが、元体育教師の方で、校長というには若いという印象を受けた。片浜中学校の合唱祭の朝、あわただしい合間を縫って、抑うつの記事を読んでもらい、印象を話してもらった。
「『何をしても楽しくない』『たいくつ』というあたりが、今の子ども達の対人関係の希薄さにつながる印象をうけます。例えば学校祭などで、“燃える子”がいなくなってきていますね。集団で盛り上がる、という感じが薄れてきています。人と何かを一緒にやるっていう機会が、今の子たちにはないんです。遊ぶにしても、テレビゲーム、カラオケなど、結局お店や機械に遊んで“もらっている”。能動的な遊びはほとんどないんです。それに、今の子は与えられた場でばかり活動しています。学校の授業、部活動。週休2日になれば、『休みになった1日は地域で受け皿を・・・』といって、またフォーマルな場に借り出される。インフォーマルに遊べる場がないですね。」
受身の態勢ばかりとっていて、自分で創造するチャンスがない。そんなことが、「何をしても楽しくない」ということにつながるのかもしれない。
「『チビ』って言われただけで、すごく落ち込んでしまう子もいるんです。そこで、『うちの子はいじめられてるんです』と苦情を言ってくる親御さんもいます。言っているほうの子は、誰にでも言ってるんですよ、その子だけを標的にしてるわけじゃないし、いじめている意識も全くない。そういう子には『あの子はチビって言葉にすごく傷ついているんだよ』と指導して、本人が反省したら謝罪の場を作ってあげたりします。」
言われた側の子に、「そんなこと気にすることじゃないんだよ」というは指導しないのだろうか。
「それ(言われた方の子に対する指導)は難しいでしょう。思春期の子どもは、自分の気にしていることにすごく敏感ですから。言ったとしても心までは響いていかないでしょうね。」
確かに、クレームをつけてきた親に対して「いや、お宅のお子さんだって気にしすぎですよ。あっはっは」で済ませてはPTAが許さないだろう。という裏があっての建前の答えかなー、と勝手に邪推をしてしまったりもしたが、ここで「心まで響かない」といって、その悩んでいる生徒との対話を諦めてしまうことは、いいことなのか悪いことなのか。私はなんとなく、後者のような気がするが、長年の経験上、それ以上は触れないほうが生徒のためになることもあるのかもしれない。
「今の親御さんは、とっても大変だと思います。昔のように、こっちの方向に向かって子どもを育てていけば間違いない、という安定したものがないんです。個人の価値観が多様化したんでしょうね。そんな中で友達母子なんていう現象がでてきて。親がちゃんと大人として子どもに接することができているか心配です。子育ては母親の仕事、学生は勉強と部活、というような役割分担をスクランブルする必要があるんじゃないでしょうか。ウチの学校では地域の取り組みに協力して、週に1回放課後、未就学児童を持つ親御さんのところに行ってベビーシッターをするというボランティア活動に参加しています。そういうところで子どもに触れておくと、将来親になったときの子どもとの接し方も少し変わってくると思います。」
なるほど。子どもに接する機会を作るのはすごくいい取り組みだと思う。子どもに新生児を抱かせると、子どもは他人に対する接し方が変わり、不良少年も優しくなったという研究結果があると聞いたことがある。
私がインタビューを終え、テープを止める直前に、校長先生がふっともらした「我々が一番エネルギーを費やすのは親への対応なんですよ・・・」という言葉に、今学校が置かれている状況の真実を見たような気がして、苦労をしている先生方におこがましくも少し同情してしまった。教師が今一番手をやいているのは、人を殺す子どもでも、不登校児でも、不良グループでもなく、親なのだ。先生は最後にこんなことも言っていた。
「マスコミで教師の不祥事が報道されて、教師の権威が下がっている。私達は偉そうにしていたいわけではないし、同じ教師として反省しなければならないともちろん思うけれど、教師を見下す風潮ができてしまうことは、恐ろしいことです。」
教師は、親を通して子どもにまなざしを向けている、というような印象を受けた。それは、教師が望んでそうしているのではなく、今、親の発言権がすごく強力で、子どもに直接まなざしを向けることが(親によっては)許されない状況なのかもしれない。
5)
こうなってくると、母親の声を聞きたいと思うのが好奇心というもの。しかし、今現役子育て中の母親となると、なかなかまわりにはいない。子育て日記をネットで書いている人は結構いるはずだと思ったので、検索してみると、あるサイトにたどりついた。
そのサイトの管理人、Aさんは、ピアノの先生もしている、3人の子どものお母さん。会ってインタビューを、と思ったのだが、Aさんからの提案でメールでのやりとりでお話を聞くこととなった。
***
Aです。
メールありがとうございました。HPの方にもおいでいただき、ありがとうございます。
更新頻度は低いのですが、読んでいただけて嬉しいです。
さて、「子育て奮闘記」に書いてあることだけを読むとずいぶん優しくて良いお母さんのように見えてしまうと思いますが実際は、自分の価値観で子供にモノを言ってしまったり、都合で子供を振り回してしまうこともある、普通の母親です。
もしかしたら、子供事情は調べれば調べるほど先が暗くなる話ばかりかもしれません。専門家の方たちは、問題になっている点を取り上げるのが仕事ですからそうなってしまうと思います。確かに世の中がなにか間違った方向に進んでいるようなそんな感じは否めません。
でも、それを嘆いてばかりいても何もならないので、私たち母親はしっかりいろいろなことを考えなければと思っています。そして、あなたのような若い方が、そういうことに興味を持って真剣に考えてくれていると思うとホッとして、嬉しく思います。頑張って、いいルポを書いてください。
それでは、また。
***
Aです。
いくつか質問があったので、答えさせていただきます。
まず、新聞記事の感想についてです。
子どもの抑うつ状態がこんなに多いということは知りませんでした。この間も新聞で「事件を起こそうと思ったけど、母親に叱られるのが怖かったので、先に母親を殺そうと思った。」という事件の記事を読んで、かなり我慢をした結果なんだろうな‥‥‥と思いました。
長男(小6)にその記事を読ませて、感想を訊いたところ、「なんでそういうふうに考えるのかわからない。」という答えでした。長男はなんでも我慢して飲み込んでしまって、いい子でいるタイプの子なのでこういう子供の気持ちがわかるという感想を持つかな?と思ったのですが、そうでもなかったようです。もしかしたら、私には言えないだけで、わかる部分もあるのかもしれませんが。
質問ではないのですが、「バランスのいい母親だと思います」という印象について言わせてください(笑)
周りのお母さん方に比べて、私は「子供中心」より「自分中心」の母親だと思います。
もちろん、子供達のことは一番大切に思っていますが、我が子といえど所詮は他人、といった感覚があり、他人の人生を私の思う方向へ持って行こうとするのは、なにか間違っているような気がしています。自分のやりたいことをみつけてやれる土台を作ってあげるのが、親の役目だと思っています。
ですから私の場合、何も考えず放っておいたら放任もいいところになるのではないかという怖れもあり、そうならないように自分をコントロールしているようなところもあります。
そのために本を読んだり、誰かの話を聞いたりして行動を修正しながらなんとか保っているのだと思います。
さて、「子どもにあれこれ習い事をさせる親御さんは多いのですか?」という質問ですが、
私のまわりのお母さん達を見ると、教育熱心で、小学・中学受験を考えて塾に通わせてピアノやスポーツのレッスンにもついて行って応援する方もいれば、習い事は楽しみ程度、塾はまだまだ、という方もいらっしゃいます。だいたい半々くらいかなぁ。ちなみに、埼玉県の東京都よりに住んでいます。
我が子はといえば、ピアノを私の母に習って、ダンス教室に通っています。私がピアノを教えていたので、見ていて長男が「やりたい」と言ったので始めさせました。おばあちゃんの家にレッスンを口実に遊びに行くのが楽しいようです。1人始めると、僕も私も、とした2人も始めました。ダンス教室の方は、私が2番目の娘に「バレエを習わせたい!」と思い教室見学に連れて行ったんですが、教室を見てやる気になったみたいで。こちらも、1人始めるとあとの2人もやりたいと言い出しました。見ていてこちらの方が「そんなにやって疲れないの?」と心配になるくらい、楽しそうに通っています。あと、勉強の通信講座を1つやっていますが、それも「まわりの子がやっているから自分も!」と言って始めたもので、数十分で課題が終わるせいか、そんなに苦になっている様子はないです。
他所のお子さんを見ても、サッカーや野球にすごく熱心で、さぞかし大変だろうと思うのですが本人達は生き生きとしていて、やりたいから頑張っているように見えます。
音大を意識してピアノをやっている子も近所にいますが、彼女も自分がやりたいからやっているといった印象で大変は大変なのでしょうが、嫌々、という感じはありません。
ただ、自分のことを振り返ると、私は親に「ピアノを弾かされてた」類の人間なので、「いつやめようか、いつやめようか」とそればかりを考え、通っていた音楽教室の進級試験もプレッシャーで、とても嫌だったのですが傍目にはそれほど嫌がっているようには見えなかったらしく、それに気が付いてくれる人は皆無でした。子供は親にいい印象を持ってもらいたいので、我慢をしてしまうものなのかもしれません。私にも見えていない子供達の心がどこかにあるかもしれません。
「親が強く勧めてピアノを習っている生徒さんが多いのですか?」という質問ですが、うちのピアノ教室は音大受験を対象にしておらず、自分で楽譜が読めたり、音楽的思考を身につけたりして、趣味のひとつとして人生のプラスになればいいな、という感じでやっています。生徒の中でもいろいろいるので、一概に「最近の子どもはこれこれこういう傾向です」とは言えないです。
親は、「勉強が大変だからピアノはやめます」と言っても、「楽しいから続けたい!」と言って通い続けてくれるお子さんもいます(私が親御さんのことを電話でさりげなく続けることを提案したのですが)。
私立の中学校を受験した女の子もいます。彼女は受験のために数ヶ月ピアノを休んでいたのですが、やはり受験はかなりのプレッシャーだったようで、受験後にレッスンに来たときはかなり疲れているような印象を受けました。ピアノを弾かせると、小器用ではなくぎこちない感じもしますが想像力が豊かで発想はすばらしく、曲に対して面白い印象を話してくれます。ただ、ゆっくり物事を考えるタイプなので、受験には向かなかったらしく、なんとか希望の学校に入ったようですが、今も勉強や友人関係でいろいろ悩んでいるようです。彼女は親御さんの意向での受験でした。ピアノには息抜きに来ているようなところがあり、「今週は全然練習できなかった〜〜〜」などと言いながらも、毎週欠かさずレッスンに通ってきています。
あとは、無断欠席常習犯の子とかもいます。彼は特に何か邁進してやっているものがあるけでもなく、ピアノも好きだけど努力するのは‥‥‥といったごくごく普通の感覚を持った子です。親御さんも「高校は入れなかったら困るから、勉強だけはちゃんとしておきなさい」という感じの方でどちらかというと、子供に干渉はしない親御さんです。共働きだったので親御さんも忙しいのか、野放し状態だったところがあって、ピアノのレッスンもなにか適当にウソをついて休んでしまったり、ということが何度もあり、お母さんと話し合ったこともありました。無断欠席についての話をした時も、お母さんは平謝りだったのに、生徒の方は言わされているという感じで「ごめんなさいー」。悪かったという思いは心の底まで届いていないんだろうな、という感じでした。(お母さんとの話し合いが足りてないような印象でした。)
何の制約もないと、こう育っていくのかもしれない、という印象ですね。「もっと自分に感心を持って」という信号がびんびん感じられるような子でした。
長々とすみません。こちらもうまくまとまらなくて、具体例ばかり書いてしまいました。
よろしくお願いします。ではまた。
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Aです。
お返事遅くなってごめんなさい。とりあえず、質問いただいたことだけに答えさせていただきます。
「母親中心よりも子ども中心であるべきなのでしょうか」という質問
そのへん、微妙なところで難しいと思うんです。私は仕事も家でやっているし、仕事をする時間も1日に2〜3時間といったところで、その間は子供達は放ったらかしになってしまいますが、かえって四六時中一緒にいて監視されているよりも自由な時間が持てるちょうどいい時間だと思うのです。その他、ボランティア活動などもやっていますが、これも生活を犠牲にするほどの量ではありませんし、そこまでやろうとは、今のところは思っていません。ただ、こういったことが度をすぎてしまったり、「子供がいなければもっとできるのに」と思ってしまったりすると育児放棄や虐待に繋がりかねないと思います。
三輪さんは、母親中心の方が健全だと思うとおっしゃっていましたが、「健全な母親中心」というのは母親が自分自身の生き方をしっかり持って、生き生きと生活していることを子供が見て自ら学んでいくということなんじゃないかな、と思います。
うちはもう、子供達が全員小学生になってしまったので、割合自由に自分のやりたいことをできるようになりましたがもっと小さい頃は、おんぶして仕事したり、やりたいことも諦めたり、そういった意味で「子供中心」といえばそうだったかもしれません。今も、夜中に飲みに行くとかは滅多にできないし、そんなの諦めてますけど(笑)
子供が小さければ小さいほど生活が「子供中心」であるのは、仕方のないことです。子供が産まれて最初の3ヶ月は、夜中も3時間ごとにお腹が空いて泣くので自分が寝ていても起きておっぱいをあげたり、おむつもなんだかいつでも替えているような状態だし、ちょっと動き出せば、危険なもの、触られては困るものはすべて手の届かないところに置いて多少不便でも我慢するし、もう少し大きくなったら、頭の中身も鍛えてやらないと‥‥‥とか思って、本を読んであげたり、一緒に遊んだり‥‥‥とにかく、他のことをする時間は皆無です(笑)「子供中心」にならざるを得ないのが現実です。
ただ、3人目を産んだあたりからふと、「このままでは自分がなくなってしまいそうで怖い」と思い出したのです。この勢いでずっと子供中心の生活を続けて、全ての力を子供に注いでしまったら子供が巣立って行ったあと、自分にいったい何が残るんだろうと思うと、なんだか焦ってしまって、「なにかしなくちゃ」なんて思ったものです。
よく聞く話かもしれませんが、子供が小さいうちって「○○ちゃんのママ」と呼ばれることばかりで私の名字すら知らない人が回りに沢山いる状態なのです。仕事をしたりして、「H(←私の名字です)さん」とか「Aさん」とか呼ばれるのが子供を持つ前は普通のことだったのに、なんだかとても新鮮に感じて、嬉しかった覚えがあります。そこに気づかずに「○○ちゃんのママ」のまま、自分を犠牲にして子供に尽くしてしまうのが「不健全な子ども中心」といったところなのではないでしょうか。
「自分のやりたいことの土台作りの一環として、早期教育や小学・中学受験があると思うのですが、そんなに急いでやる必要はあるんでしょうか?」という質問
そうですね・・・・正直ちょっと不安かも(笑)
というか子供達が大人になったときに、何が世の中で「出来て当然」のことになっているのか、わからないですよね。日本の半分くらい外国人で、英語くらい喋れないとなんの仕事もできないなんてなっている可能性もあるわけです。でも、私の弟は小学生のときに英会話なんか習っていませんでしたが英語の大学を出て、ちょっとした通訳くらいならできるようになっています。そんなことを考えると、なにも焦らなくても・・・とも思います。
ただ、昔にくらべて、全てがエキスパート化しているというか・・・・私はピアノを教えているので、ピアノを例にしますがこの楽器はよっぽどの才能の持ち主でない限り、小さな頃から沢山練習しないとその道で生きていけるプロにはなれないのです。それでも、私が子供の頃はまだまだ日本は世界にやっと追いついた、というところだったし世界のレベルも今ほど高くなかったので、子供のうちは1日3時間くらい練習していれば「結構頑張っているね」なんていわれたものでしたが、今やもう、レベルが上がりすぎてしまって良い指導者について、猛練習しないとどうしようもない、というところにきてしまっているのです。今、中国が音楽やスポーツでどんどん頭角をあらわしていますがあれは、国をあげて指導者を育て、子供の頃からエリートを育てているからなのです。普通にのほほんと生きていたら、それなりの人生しか歩めません。私は、それなりののほほんとした人生でも、結構幸せなんじゃないかと思ってしまうので焦り方もそんなでもないと思うのですが、お金を儲けて、一歩抜きん出た人生を子供に歩ませたいなんて思っちゃったら、それは早いうちからなんでもやらないと確かに間に合わなくなっているのです。
ほかの生徒についても書きたいのですが、ちょっと時間がなくなってしまいました。また今度送ります。
それでは。
***
Aさんとは、何往復かのメール交換をしただけだが、子どものことが、生徒のことが大好きなんだなということが文面からも伝わってきた。生徒の様子については、本当に事細かに描写してあり、よく見ているなぁ、と感心してしまった。
母親はもっとワガママなまなざしを子どもに向けているのかと思ったが、そうばかりでもないらしい。
6)
フリップ・アリエスは、中世までは死亡率の高い幼児期を過ぎると、子どもは「小さな大人」として扱われ、徒弟・奉公として大人の世界に組み込まれていったということを『<子供>の誕生』の中で論じている。当時の子どもは、かわいがられる対象でも、教育やしつけを受ける対象でもなかった。近世になり初めて、子どもに対するかわいがりのまなざしは乳母や母親だけのものではなく、社会全体に共有されるものになったし、子どもはしつけられ、教育されるものだと考えられるようになった。
今、私達のうちほとんどの人は大人と子どもを区別して考えるだろう。きっと、人類が誕生してから一番、若い人間が大事にされている時代なんだと思う。大事にするというのはいいことだけれど、子どももまた他人で、1つの人格を持ったものだということを自覚している人はどれだけいるだろうか。特に、親は自分の子どものことを他人として認識しているのだろうか。そして、私も、子どもを一人の人格として見ていたのだろうか。ただ庇護すべきもの、というまなざしを向けていなかっただろうか。そのかわいらしさに気をとられて、過度に気を遣っていたような気がする。私達が彼らをあまりに強く抱きしめすぎたせいで、彼らは自由に身動きができないのかもしれない。
柳美里は、サカキバラ事件に強い興味を示し、1冊の小説を書いた。父親を殺してしまう少年を主人公にした話。その中で、主人公の少年が唯一信頼している男が、少年の殺人に気づいて、こんなセリフを吐いている。
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人を殺しちゃいけないよ、それがわかんなきゃ死んだ方がましだ、なぜかって? なぜか、子どもってのはおとなにとって過去であると同時に未来なんだ、先のコトはわからねぇけど、知りたいんだ、占いたいんだ、てめぇがいなくなった先の未来をガキの中に見て安心してぇんだ。
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<質問用紙>
次のしつもんを読んでください。わたしたちは、楽しい日ばかりでなく、ちょっとさみしい日も、楽しくない日もあります。みなさんがこの一週間、どんな気持ちだったか、当てはまるものに○をつけて下さい。良い答え、悪い答えはありません。思ったとおりに答えて下さい。
0=そんなことはない 1=ときどきそうだ 2=いつもそうだ
それでは、はじめてください。
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1.
楽しみにしていることがたくさんある・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【0 1 2】
2.
とてもよくねむれる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【0 1 2】
3.
なきたいような気がする・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【0 1 2】
4.
遊びに出かけるのがすきだ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【0 1 2】
5.
にげ出したいような気がする・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【0 1 2】
6.
おなかがいたくなることがよくある・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【0 1 2】
7.
元気いっぱいだ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【0 1 2】
8.
食事が楽しい・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【0 1 2】
9.
いじめられても自分で「やめて」といえる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【0 1 2】
10.
生きていてもしかたがないと思う・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【0 1 2】
11.
やろうと思ったことがうまくできる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【0 1 2】
12.
いつものように何をしても楽しい・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【0 1 2】
13.
家族と話すのが楽しい・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【0 1 2】
14.
こわい夢をみる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【0 1 2】
15.
ひとりぼっちの気がする・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【0 1 2】
16.
落ち込んでいてもすぐに元気になれる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【0 1 2】
17.
とても悲しい気がする・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【0 1 2】
18.
とてもたいくつな気がする・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【0 1 2】
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(1,2,4,7,8,9,11,12,13,16は反転項目。)